食べると言う事

 春になり、高校を卒業した僕はルームシェアと言う方法で住処を変えた。3人部屋を2人で利用し、相手はなんと、僕より少し年上の女性だった。

 最初は緊張したものの、彼女を異性として見なくなるのに時間は掛からなかった。彼女は僕を、最初から異性として見なかった。



 とある日、彼女がベランダにプランターを置きたいと言い出した。

 狭い間取りのマンションなので元からベランダに使い道はなく、僕は問題ないと返した。


「本当に!?ありがとう!これまでのルームメイトは、許してくれなかったの。」



 次の日、彼女は早速プランターに植物の種を撒いた。観賞用ではない。食用の野菜などである。



 植物を育てるのは彼女だけど、強い関心を示したのは僕だった。彼女のような社会人とは違い、浪人生である僕は彼女が朝一で水をやった後、ずっとプランターと睨めっこをするようになった。



 睨めっこを始めてから数日後、全てのプランターから可愛い芽が飛び出た。

 何も起こらなかった数日間の沈黙を我慢した分、緑の小さな粒達は僕を興奮させた。


「今日、やっと芽が出たよ!」

「あら、そう?意外と早かったわね?」


 会社から帰って来た彼女は、どうやら僕ほどの興奮はしない。




 それからも睨めっこをする日々は続いた。予備校に通いもせず、ずっと植物の成長を見守った。



 小学校の頃勉強したように、芽が出た後には双葉が現れた。

 やがて茎が伸び、本葉の数も増えて行った。



(凄いな…。)


 植物は、意外に賢い。日の光が射す方向に葉を向け、倒れないように、土に近い部分の茎は太くなる。

 脳もないのに、考えて生きているのだ。




 予備校に払ったお金が勿体ない。でも僕は、子育てをするかの気持ちで植物達と向き合った。雨が降る日には傘を差し、鳥が近付けば追い払い、彼女に教わって、必要と思われない葉を間引いた。11階立ての8階だからか雑草は生えず、植物達はすくすくと育った。


 親から電話が掛かって来た時には、勉強が忙しいと嘘をついた。




 やがて実りの時が近付いた。どんな植物を植えたのか、僕にも分かるようになった。トマト、なす、胡瓜…。夏の野菜だ。

 まるで赤子のように幼い姿を見せる彼らに興奮は抑えられなくなり、僕の2浪はほぼ確定的になった。


 小学校の頃は理科が得意だったけど、教科書で学ぶ事と実際に目で見るのとは全然違う。教科書には載っていない、新しい発見が多かった。

 僕は、2浪確定ならいっその事、理系大学への進路変更を検討した。



 日々日々大きくなる実を見ていると、何かに似ている事に気付いた。これまた理科で勉強した事がある、人や動物の胎児だ。不確かな目や手足を持ち、それが段々とはっきりとした姿に変わって行く。ナスや胡瓜も一緒だ。幼い頃にはサイズが小さいだけでなく、その姿に可愛さを漂わせる。


 そして、弱さも胎児や幼児と似ている。大人になる前に、枯れてしまうものや成長を止めてしまうものも少なくなかった。生存競争をしているのだ。数十個にもなる実に栄養を与える、根は1つだ。

 栄養剤を与えても、欲張りな奴はそれを独り占めして大きくなる。まるで肥満児の苛めっ子だ。昔、同じような奴が学校にもいた事を思い出す。

 逆に生命力がない奴は、栄養剤が与える栄養も上手く摂取出来ない。何となく…いや確実に、浪人生である僕は未熟な奴らに同情を覚えた。




 外に出るのが嫌になる季節になると、鳥達の目付きも変わった。相変わらず雑草は生えないものの、羽を持つ昆虫の襲来も始まった。

 僕は必死になり、大きくなろうとするこいつらを守った。カラスが襲来した時には死を覚悟した。




 夏も本格的になり、僕の2浪も本格的になった。


「そろそろかな?」


 彼女が夏の休暇を貰ったようだ。週末でもないのに家に居て、昼を過ぎた頃にベランダに足を運んで来た。




「さっ!食べよ?」

「………。」


 その日の晩、僕は初めて彼女と食卓を共にした。手料理を振る舞ってくれると言う。

 食卓には、見覚えがある奴らが並んでいた。買ってきたレタスに、小さく刻まれたトマトと胡瓜が載ったサラダ、なすびのお浸し…。


 食卓を共にして、初めて知った。


「私、菜食主義なの。動物を食べるって、野蛮で可哀想じゃない?残酷よ。」

「………。」


 そう言う彼女だけど、僕の為に一品を準備してくれていた。サイコロステーキだ。


「…………。」


 それなのに、僕がサイコロステーキを箸で突き刺して口に入れると、彼女は嫌そうな目で僕を見た。

 だから僕は、彼女がトマトを頬張った時に、同じ顔を返してやった。


 彼女はそんな僕の態度に気付き、食事の間は、違う土俵での睨めっこが繰り広げられた。


 勝敗は、僕に軍配が上がったはずだ。食べ切れないと言っておかずを残した彼女に対して、僕は全てを美味しく平らげたのだ。

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