第8話 不安

◆ 一年二組  八木 久



 二人が廊下に出た後の教室は、このような状況下だとは思えないほど、和やかな雰囲気であった。泣く者はおらず、嘆く者はおらず、笑顔さえ浮かべている者もいる。

 その中で八木久は、前方の廊下側の扉の傍で、五島未来に小声で話し掛ける。


「……なあ、みんな楽観的すぎないか?」

「そうですね。私もそう思います」


 未来が首を縦に動かす。


「一姫君と太陽君がてきぱきと色々と指示してくれるのでこうなっていますけれど……本来であれば、私達は他のクラスと同じことになっていたはずなのですから」

「同じこと?」

「ええ。教室は扉とかを閉じると結構な防音になりますが。……少し耳を澄ませば、この位置では聞こえますよ」

「どれどれ……」


 久は扉に耳を付ける。

 すると微かに、罵声と泣き声の二種類の声が聞こえてくる。


「……あれ? あたし達が食糧とか持ち運んでいる時に、そんな声とかしてたっけ?」

「あの時はみんな、他の人に見られないようにと神経を尖らせていましたからね。声がしない方しない方へと向かっていましたし、それにこの教室の前まで来た所では一目散に駆け入りましたから、聞いていても記憶になかったのではないでしょうか?」

「うー、そういうもんなのか……?」


 久は首を捻ると、もう一度耳を澄ます。女子の泣き声が嫌に耳に付く。それに覆い被さるような男子の怒声。お前が死ね、お前が生贄になれ、というやり取りも聞こえてきた。


「成程。これを聞かせないために、教室から出るな、って言っていたのか」

「そうですね。何もかも素早く考えて、適切な対処をして……凄いですよね」


 ほう、と溜息をつく未来。


「私達に出来ることって、何でしょうかね?」

「さあな。こればっかりはあたし達には判断出来ないさ」


 久は座り込んで扉に寄り掛かる。


「あたし達が迂闊にした行動によって、あいつらが考えていることを崩したら困るもんな」

「……そうですよね」


 未来は顔を膝に埋めて塞ぎ込む。


「結局は太陽君達に頼りっぱなしで……私達は、彼らに何も出来ません」

「いいんじゃね、それは。適材適所ってあるし」


 いやらしい笑みを浮かべて、久は未来の胸に手を伸ばす。


「何なら、終わったらこの乳でも揉ませれば、それでオッケーだって」

「それは二人にですか?」

「いやいや。太陽だけでいいって」

「そうですか。うーん……」

「って悩む必要ないだろ! 揉まれてもいいのかよ!」

「太陽君になら」


 紅潮した頬を抑える未来。それを見て、久は苦笑する。


「ホント、あんたは太陽の馬鹿が好きねえ。あたしには信じられないわ」

「馬鹿にしては駄目ですよ。太陽君は、とても素敵な人ではないですか」

「……まあ、否定はしないさ。馬鹿だけどな」

「狙わないでくださいよ」

「ば、馬鹿言うな! んなことある訳ないでしょ!」

「うふふ。そうですね。久ちゃんの好きな人は、一姫君ですものね」

「なっ……う、うぐ……」


 久は顔を真っ赤にして言葉に詰まる。久は何かの呪いが掛けられているのではないかと思うくらい、絶対に嘘を口にしない。そのため、違うとは言わないのではなく、言えないのだ。


「と、とにかく……こんな恋バナをしているのも場違いじゃないか」

「まあ、それはそうですね。では、この状況に相応しい話をいたしましょう。……話は戻りますが、私達に出来ることって、何でしょうかね?」

「うーん、じっとしているのが、今、あたし達が出来ること、ってのかな? ……あ、そうだ」


 久が手を打つ。


「食事はどうだ? 今は十時三十分ちょい前だけど、十二時を目処にして食事を作ることは、きっとあたし達にも出来る」

「食事のことは言われていませんが、でも、止めておいた方がいいと思います」

「何でさ?」


 首を捻る久に、未来が人差し指を立てる。


「それはですね、私達は、食糧を持っていないということにしなくてはならないからです。そうしないと、他のクラスからの一斉攻撃を受けるからです」

「ああ。姫君がそう言っていたな」

「ということはですよ、私達が食事を取っているような素振りを見せてはいけないのです」

「じゃああれか? ギリギリまで喰うな、ってことか?」

「違います」


 未来は静かに首を横に振る。


「確かに、それが一番、相手を騙せる方法です。しかし実際に行うと、我慢出来なくて勝手に食糧に手を出そうとする人が出てしまうでしょう」

「じゃあどうしろって言うのさ?」

「みんなが文句を言う直前に、料理を出す。加えて、従来食事をする時間には食事を取らない。この二つではないでしょうか?」

「おう? ってことは……」


 少し思案顔になった後、久は眉間に皺を寄せる。


「……やっぱりあいつらの指示待ちってことか」

「そうですね」


 そこでまた、未来は表情に翳りを見せる。


「やっぱり、私に出来ることは何もないのですね……」

「未来……」


 久が彼女の肩に手を掛けた。――ちょうどその時だった。





 談話していた生徒達の声が、一斉に止む。


『三年三組。正義漢ガ強イノカナ。放送室ノ目ノ前デ銃弾ニ倒レタッテネ。私ノ正体デモ暴コウトシタノダロウネ。ダカラ死ヌコトニナル』


 静寂しきった教室に、残酷な現実が突き付けられる。


『シカモ――二人モネ』


「え……?」


 久を始めとして、幾人もの生徒が声を漏らす。


『コンナニ早ク脱落クラスガ出ルトハ、嬉シイ誤算ダヨ。ヨッテ――三年三組ノ皆ニハ死ンデモラウ。サヨウナラ』


 ブツリ、と放送が途切れる。そこから誰も声を出せず、教室に完全な静寂が訪れる。


 だが、やがて、最初の方で一姫の言動に反論しようとした男子生徒の一人――万屋よろずや たけしが「あっ」と声を上げ、顔を青ざめさせながら、誰に言うのでもなく訊ねる。


「ということはもしかして……三年三組全員死んだのか……?」


 言わなくてもいいことを、と久は舌打ちをする。わざわざ言葉にすることで不安を煽り、また、自分達が他クラスをそういうように導いているということを再認識させてしまう。


「嫌だよう、こんなの……やっぱり、僕らみんな死んじゃうんだ……」


 泣き言を述べ始める者が再び現れるが、もっと厄介なことになるのが眼に見えている。


「……やっぱり、俺らは他のクラスと協力しなきゃ駄目だ!」


 その発言は武。彼のような、正義感を振りかざす奴が現れる。すると「俺もそう思う」「私もそう思っていた」と次々と声が上がる。


「……ったく、この鳥頭共が!」


 久が声を張り上げ、立ち上がる。


「太陽達が言っていたことを忘れたのか? 他人を助けている場合じゃないんだってば」

「じゃあ八木は見捨てるってことか? 他のクラスのやつを!」

「今更何を言ってるのさ。当たり前だ」

「他のクラスの友達もかよ!」

「ああ。そうだよ」

「信じられねえ奴だ……」


 武は非難の眼を久に向ける。

 久はその眼を睨み返す。


「あんたの方が信じられないね。この状況を分かっている?」

「分かっているさ! 分かっているからこその発言だ!」

「なら他人を助けようと思うなよ! どんだけ認識甘いのさ!」

「甘くて上等! 友達を助けようと思うことのどこが間違いなんだよ! 言ってみろ!」

「だから――」


「……分かりました」


 静かに、しかしはっきりとした声で、未来が言葉を挟む。

 彼女はゆっくりと教壇に登って皆の視線を集めると、一つ頷いて言葉を紡ぐ。


「万屋君達の意見は、至極正しいと思います。だから、友人達をこのクラスに連れてきてもいいと、私は思います」

「そうだよな! 五島もそう思うよな!」

「未来、何で……」


「――ですが」


 未来は掌を返して武を示す。



「その代わり、。勿論、



「なっ……」


 武は眼を見開いて口を半開きにさせる。

 その口が閉じようとする前に、未来は「当たり前のことですよ」と言葉を重ねる。


「ここにある食糧は無限ではありません。貴方達は気が付いていなかったかもしれませんが、これらはかなりのリスクを背負って持ってきたものなのですよ。そして、今もかなりのリスクを背負っています。その物を、どうして口を開けて餌を待っているような人に無償で差しあげなくてはいけないのでしょうか?」

「だ、だったら、後で何かの仕事をさせれば……」

「その人達に行わせる仕事なんてものは、新たな食糧の確保しかありませんよ」

「無理じゃねえか! 食糧は俺らが全部持ってきちまったんだから!」

「だから言ったでしょう。食糧は無限ではないと。それに加えてもう一つ」


 未来は人差し指を立てて、武に訊ねる。


「万屋君。貴方は、どこのクラスの友人を助けようと思ったのですか?」

「それは、えっと……大輔は三組で、木島は六組だけど……それがどうしたよ?」

「はい。そこが間違いです」


 にこりと笑って、未来は指摘する。



「どうしてのですか?」



「あ……」


 武が言葉を失う。


「私達の命は、クラス単位で掛かっています。だから個人を助けようと思ったら、そのクラス全体を助けなくてはならないのです。では、その分の食糧が、ここにはあるのでしょうか? いいえ。私達が食べるもので精一杯です。なのに貴方は、二、三人ならいいと思ってそのようなことを口にしています。先程、久ちゃんが貴方に認識が甘い、と言っていたことはそれです」

「……」


 武はぐうの音も出ない。他の賛同者も、一同に口を紡ぐ。


「それに、もし誰かをここに連れてきたと仮定しますが――その人はどうすると思います?」

「ど、どうするって、何が?」

「食糧が大量にあり、医療用具も揃っている。他のクラスの人を受け入れるお人よしで、あと一人欠けたら全員が死ぬという状況のクラスに入り込めたら、という話です」

「それは……」


「殺すだろうね。その受け入れたクラス――つまりあたし達の中の、誰か一人を」


 久が腕を組みながら応える。


「そうすれば食糧が自分達のモノになる。つまり、生き残る可能性が格段に上がるってことだ」

「その通りです。――では万屋君。その上でもう一度訊きます」


 真っ直ぐな声で、彼女は言う。


「貴方には、そのリスクを背負う覚悟がありますか?」

「……」


 武はゆっくりと首を横に振る。

 これで他クラスを助けるということを口にする者はいなくなるだろう。


「ちなみに、ですよ」


 教壇を降りながら、一言未来は付け加える。


「太陽君と一姫君。彼ら二人は、その覚悟をきちんと持って、私達に指示しています」

「どういうことだ?」

「これは私の、あくまでも予想なのですが……」


 そう前置いて未来は言う。


「太陽君と一姫君は、今、嘘の情報をばら撒きに行っているのでしょう。他のどこかのクラスが……そうですね。被害が来ないように二年生辺りが食糧を抱えていたのを見た、ということを、学食や購買の近くにいる生徒に伝えたのでしょう」

「どうしてそんなことを……?」

「食糧を全て所有しているということは、非常にリスクが高いのですよ。そのことがバレたりでもすれば、他クラスが一致団結してここを襲撃して奪おうとするでしょう」

「それは分かったけど……けど、それのどこにあいつらは覚悟を持っているって言えるんだ?」


 武は疑問を突き付ける。

 未来は指を立てながら答える。


「まずは、情報伝達の際の危険です。そろそろこの時間帯的に、他人を直接殺して生き残ろうとする人が出てくる可能性があります。それも覚悟した上で、二人は外に出たと思いますよ」

「そんな風には見えなかったが……」

「そういうように思わせているのも、彼らの凄い所です。他にも色々とさり気無く配慮しています。例えば、先の必需品の確保の時もそうです」

「あれも? 一姫が適当に決めたんじゃないのか?」

「適当じゃありません。きちんと男子女子の配分を行って、全員で作業を行わせたのです」

「あれか。全員ってのは、連帯感を持たせるためか」


 久の言葉に、未来は頷く。


「はい。そのために、力のない女子はなるべく彼ら二人と共になるように配置されていました。さらには、力がある男子や足が速い女子、度胸がある人などを、行く場所に合わせて適切な人数と配役を行っていました」

「はああ……すげえなあいつら」


 久が感心の溜め息をつき、周りも同様の反応を見せる。


「凄いですよね。こうなると、一つ一つの行為が全て覚悟と計算を含んだものだと思え……あ」


 そこで未来は顎に手を当てて頷く。


「……全員で行動させたのは、そういう理由もあったのですか……」

「どうした、未来? 理由ってさっきあたしが言った、連帯感を持たせるってことじゃないの?」

「はい。それ以外にもあったのです。全員で行動させるのは――」


 未来が次の句を告げようとした――その時だった。


 ――コンコン。


 その扉の音に、教室内が静まり返る。


「……誰だ?」


 扉の傍にいた久が問い掛ける。

 すると、扉の外の人物は流暢にこう告げる。


「I LOVE YOU」


「っ!」


 途端に久の顔が瞬時に朱色に染まる。それだけで、クラスの大半の生徒は、扉の向こうにいる人物が誰だか理解し、安堵の様子を見せた。


「ほら八木。早く言葉を返せよ」

「う、うっさいな武」


 照れる久に向かって、そうだそうだと口々に囃し立てる声が増える。彼女は一つ一つにうるさいと声を返しながら鍵を開ける。


「ほ、ほら。入って来なよ」


 しかし、扉は開かない。


「ん? どうしたの? もう開けたよ」

「……」

「……もしかして」


 久は眉を下げて、小声で外に向かって訊ねる。


「……言わなきゃ、駄目?」

「I LOVE YOU」

「っ! あ、ああああああ……あいにーじゅー!」

「やっと入れた」


 涼しい顔をして一姫が入室してくる。彼は、顔を真っ赤にさせて今にも倒れそうに扉に寄り掛かっている久に視線を向ける。


「駄目だよ久。きちんと合言葉を返さない限り俺は入れないんだから、早く返してくれないと。でなくては合言葉の意味がなくなってしまう」

「あ、え、うん」


「そもそも、合言葉ってのは中から先に訊かなくちゃいけないんだけどな……あの馬鹿が逆に言いやがったから仕方なくそうしたけどさ」


 後ろ手で扉と鍵を閉める一姫は教壇に向かう。

 その途中で未来とすれ違う際に、一姫がぼそりと彼女にだけ聞こえるようにこう言葉を落とした。


「……


「え?」


 未来の驚きの声を無視して、一姫は教壇に立ち、皆に告げる。


「今、購買にいた二年と一年の他クラスに、食糧を奪ったのは二年生のどこかのクラスだって情報流してきた。だから、万が一だけど、なんかあったら、そのように口裏を合わせること。で、太陽は別な用事を頼みつけたから、後から来る。まあ、報告出来ることはこれだけだ」

「あ、あのさ……一姫君」


 洋がおずおずと手を上げる。


「さっき五島さんが言っていたんだけど……僕達全員で食糧を持ってこさせたことの意味って、何かあるの?」

「ん? 手が必要だとか、連帯感を持たせることとかあるけど、それがどうした?」

「そ、その他には?」

「他? うーん……まあ、強いて言えば、全員で行かせることによって、今の自分達の状況が良いものであるということを把握してもらいたかった、ってこともあったな」

「良いもの?」

「ああ。他のクラスは阿鼻叫喚だっただろ?」


 その問いに、頷く者とそうでないものが半々。一姫は「そうなるのか」と手を打つ。


「聞こえていなかったって奴、もしかして必死になっていたから聞こえなかったのか? というか、耳を塞いでいたとか……あ、そうだ。俺達の購買組のように、途中で偶然に耳にしなかったってのもあるな」


 頷く者が複数人。


「そうか。ならばそっちの意図は失敗したのか。……まあいいや」


 一姫は二度手を鳴らす。


「そういう訳で、太陽が帰ってくるまでは何にもないさ。後はゆっくりしていてくれ」

「あ、そういや姫君」

「姫はやめ……久ならいいや。どうした?」

「あ、うん。食事はどうするのか、って、さっき未来と話していたんだけど」

「食事か……そうだな。みんな、お腹空いているか?」


 首を縦に振る者はいない。まだ十一時にもなっていないのだから、当然と言えば当然だろう。


「んー。じゃあ、他の人に気が付かれないように、三時に食事にしよう。その後は午後八時半辺り。調理は得意な人が積極的にお願い。それと、なるべく煙を立てないように。配分は出来るだけ長持ちするように考えてくれ。あと、交替でいいからなるべく今の内に寝るように。机に突っ伏して寝るしかないけど、我慢してくれ。以上」


 てきぱきと指示を与えると一姫は教壇を降り、廊下側にいる久や未来の方へと足を運ぶ。


「ま、大体はこんな所になるけど、大丈夫かな?」

「あ、うん。完璧だと思うぞ」

「ええ。私もそう思います」

「そうか。――で、それはそうと、五島」


 一姫は話を切り替え、未来に訊ねる。


「さっきの話は外からちょっと聞こえていたんだが……全員で探索させたもう一つの理由について話そうとしていただろ?」

「ええ」

「で、それは――?」

「そうです。私が考えたのは」

「ストップ」


 眼前に手を掲げて静止させる。


「あまりそれは口にしないで。内部分裂の可能性があるから」

「……では、そういうことなのですね」

「そういうことだ」


 抽象的な物言いの二人に、久は狼狽して二人を交互に見比べる。


「どういうこと?」

「では一姫君が耳打ちしてあげてください。その方が効率的です」

「それもそうだな。じゃあ、久。耳を貸して」

「ちょっ!」

「ん? どうしたの、久?」

「……っ、未来、後で覚えていろよ……」


 久は真っ赤な顔で未来に向かってそう呟くが、にこにこしている彼女には効果がない。

 そんなことは構わず、一姫は耳を寄せる。


「……復唱しないで聞いて」

「う、うん……」


「俺が全員を向かわせたのは……誰か一人が逃げださないようにするため。加えて、誰かが知り合いに直接会って連絡を取ろうと思わせないこともあったんだ」


「……それはどうして?」

「そうすると、クラス全体を助けなくてはいけなくなる。さらに、命の危険も加わる」

「あ、それはさっき未来が言っていたよ」

「そっか。ならこのことは説明しなくていいな」

「うん。でも、そのことを、どうして口にしちゃいけなかったの?」

「そのことを伝えると、疑われていた、信頼されていなかったと思って、俺達の指示を仰ぐのが正しいわけじゃない、と言い出す奴が出てくる可能性がある」

「あ、でもそういうのさっきいたよ。未来が治めたけど」

「そうか……五島は凄いな。やってほしいことをやってくれている」


 一姫が関心の声を上げる。


「うん。太陽に負けないように頑張っているよ」

「あ、そういや、その太陽のことなんだが……」


 歯切れが悪そうに言葉を濁す一姫。


「あの馬鹿がどうしたの?」

「実はあいつ、少し暴走しちゃって……犯人の顔を見に行っちゃったんだ」

「え……?」

「多分死んでいないとは思うけどな。あいつのことだから」

「ん、まあ、あたしもあいつが死ぬ姿が想像出来ないな」


 でも、と久はちらと少し離れた所で笑顔を浮かべている未来を見る。


「……未来には言わない方がいいね」

「ああ。というよりも、誰にも言わない方がいい」

「あれ? じゃあ何であたしに言ったの?」


「久は特別だからね」


「え?」

「太陽のことを良く知っているし、賢いし、度胸もあるから」

「あ、何だ。そういうことね……」


 久が残念そうに肩を落とす。――その仕草と同時。



 ――ドンドン。



 勢いよく扉が叩かれる。クラスの皆は瞬時に反応し、再び声を潜める。


「……誰だ?」


 久が訊ねると、扉の外の人物はその問いに対し、こう応えた。


「えっと、合言葉は何だっけ……そうだ。もしもし?」


 その声を聞いて久は短く息を吐くと、笑顔でクラスの人々に向かって大きく丸を作る。

 それを見た人々は安堵の表情を見せる。


「おーい。もしもしだよな。おーい」

「ああ。『合言葉がちゃう』。――ったく、無茶しやがって」


 久が鍵を開け、その人物を一姫と未来は笑顔で出迎える。


「結構早かったな」

「おかえりなさい」


 その言葉を受け、行きは持っていなかったバックを背負った太陽は、いい笑顔を見せた。


「ただいま、だな」


 

 十時四十五分。


 一年二組。

 生徒、全員生存。

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