Ironick

雨乃時雨

第1話

 かつて、小説家という者が居たそうだ。

 いや、今でも居ることは居るのだが、彼らはほとんど虫の息であり、もはや居ないものと見なしてもいいだろう。ずっと昔は創造するときに使うものは、文字か絵が基本だった。しかし、今となっては映像が基本だ。作者は自分の思い描く情景をそのまま映像にすることができ、そしてそれは文字に起こすことよりも早く、簡単に終わる。作者が創造したものを受け取る側も、文字や絵を見るより簡単にストーリーや景色が分かるようになった。

 だから創造の舞台が文字から映像へとなったことは、きっといいことだ。

 それなのに、どうしてこいつは。

 俺はクラスの端っこに座っているそいつをめ付けた。

 どうしてこいつは文字を書くのだろうか。こんなに目を輝かせて、楽しそうに。

 分からない。

 だから、訊いてみた。


「ねぇ、何を書いてるの?」

 放課後。俺ら以外に教室に残っている人は居ない。

 そいつはバッと何かを書いていた紙を隠した。そんな隠さなくても、それが小説ってことくらいは分かってるのに。

「しょ……小説」

 そいつは俺に話しかけられるとは思ってもいなかったようで、少し震えた声だった。

「へぇ、小説かぁ。読ませてもらってもいい?」

 俺が訊くと、そいつは少し顔を赤くして、下を向いて、少しだけ頷いた。

 俺はそいつが差し出した紙を受け取って、読む。

 小説を授業以外で読んだのなんて、いつぶりだろう。そいつの小説は目立ったところもない、普通の小説だった。

 ある少年が美しい少女のロボットに恋をして、しかしロボットは古いため、段々不調が多くなってくる。物語はそこで終わっていたが、オチは大体読める。

「ねぇ、シュウセィウィは使わないの?」

 シュウセィウィをパソコンに繋げて頭に装着すると、物語だろうと曲だろうと、想像した映像や音声をパソコンの画面の中に創造する。

 今のクリエイターは何の分野であれ、シュウセィウィを使って作品を作り、色んなサイトに投稿している。

 俺もそんなクリエイターの一人で、暇があれば作品作りに勤しんでいる。

「シュウセィウィってそんなにいいかな」

 彼女のつぶやきにも似た問いに、俺は頷いた。

「もちろん。だって、書く手間もないし、楽だし、文字みたいに誤解が生まれるとか、そういうこともないんだよ?」

 そう。そいつは小さく呟いた。

「シュウセィウィって物語は作れるけど、小説は作れないの。私が作りたいのは小説なんだよ」

 俺は首を傾げた。物語も小説も、同じじゃないか。

「シュウセィウィで作る映像って、文字が無いでしょ? 入れることができるのは映像や音だけ。私は文字を書きたいんだ。ほら、日本語って綺麗でしょ。私は日本語で楽しみたいの」

 よく分からない。日本語なんて、結局はただの文字で記号じゃないか。

「それに、結局残るのは文字なんだよ」

「……どういうこと?」

 彼女の発言は、意味がよく分からないことばかりだ。

「0と1だけの世界を後の世の中の人はどうやって見るのかな? シュウセィウィで作品を作ってサイトにアップしたところで、三十年後とか四十年後には消えてるかもしれない。でも、紙に書いた文字は大事に保管しておけば残ってるよ。千年単位で」

 俺はその言葉に何も言えなかった。三十年後? 四十年後?

 そんなの、考えたこともない。

「でも、物語を楽しむのは今じゃないか。そんな未来まで残ってる必要、ないよね」

 俺の反論に彼女は笑った。

「確かにそうだけど、未来まで残ってなかったら今現在しか楽しめないじゃない。私は未来の人にとっての今でも楽しんでほしいの」

「未来の人にとっての今……」

 彼女が頷く。

「古典の教科書に載ってる話って、ずぅっと昔の話でしょ? 坊ちゃんとか、注文の多い料理店とか。でも、私達はそれを読めるんだよ。それは、紙に残ってたり、口伝えで残ってたりするからじゃない。紙にも残らないし、口伝えもされないシュウセィウィの物語はいつか消えちゃう。でも、私が紙に書いた話はもしかすると百年とか二百年後まで残るかもしれない。そう考えたら、紙の方が浪漫あると思わない?」

 彼女はそう言って笑った。

 俺はよく分からないけど、彼女に負けた気がした。ただ、彼女の話に頷くしかなかった。



「はーい、教科書五十六ページを開けてください」

 私がそう言うと、生徒が一斉にタブレットを操作し始めた。

「このお話、知ってる人、手を挙げてー」

 教科書五十六ページから始まるその話は、そこそこ有名な話で大人なら誰でも知っている。手を挙げた生徒の数からみて、彼らも半分程が知っているようだ。

「うん、手をおろしてもいいよ。知ってる人が半分くらい居たけど、知らない人のために最初にどんな話か説明すると、ある少年が美しい少女のロボットに恋をしたんだけど、ロボットは古かったから段々壊れてきちゃう話。今は言わないけど、この話、オチがいいのよね。じゃあ、先生が読むからみんなは目で追ってきてね」

 私はその話を読み始めた。ちょうど百年前に書かれた、日本語が綺麗だと言われ有名になった話を。

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