第23話;名前

 電車に乗り、橋本に手を振る。床にボールペンが転がってないかと見回したけど、残念ながら見つからない。今なら、転がすだけでなく浮かせる事も出来そうだ。

 駅を出て、止めっぱなしだった自転車に乗って坂道を駆け登る。左側に裏山が見えた。…旅行前より身長が縮んだ気がする。妖精はもう、ここには現れないのかも知れない。


 この世に溢れる気やエネルギーが具現化して、何かが生まれる。人に感化されたものは妖怪になり、自発的に具現化したものが妖精である。つまり妖精の主な成分は、気やエネルギーなのだ。だとしたら彼らは一体、何処に行くのだろうか?引越しをして、もっと自然が多い場所に移るのだろうか?それとも、山から放たれる気が失われるから死んだように姿を失うのだろうか…?


(………。)


 そんな推測をする自分がいた。昔を振り返り、少しは変われた気がした。次に何をしたいか、何をするべきか…今は分かる気がする。




「昼の内に帰って来るんじゃなかったの!?大きな荷物抱えて、いつまで遊んでたの!?」


 家に到着して早速、玄関前で1週間振りの平手を味わう。そんなに悪い事をしたのだろうか…?友達とご飯を食べて帰る事が、そんなに罪な事だろうか…?だったら携帯電話でも持たせてくれれば良いのに…。自信は着いたのに、母親の前では何も変わらない僕がいる。

 部屋に戻って荷物を解く。溜まった洗濯物を洗濯機に放り込み、冷蔵庫を開けた。今日は珍しく、炭酸飲料が入っている。それを部屋に持ち込み、残りの荷物を片付け始めた。

 ある程度の片付けが終わって、本棚を眺めた。例の本にも、雪の妖精の記述はなかった。ふと思う。いつしか僕が語り部になり、雪の妖精は語り継がれて行くのだろうか?数多くいる妖精の姿を、最初に描いた人は誰だろう?その人は嘘つきだったのか、見間違えただけなのか…?それとも…。


(………。)


 窓を開け、変わり行く山を眺める。大きな工事機械が、轟音を立てていた。山は丘になり、丘もいつしか住居になる。人が増える度に、妖精の姿は減って行く。長い間拝めていない蒼い光を探して、そんな事を考えた。


 夕食の時間になり、今日も母親と2人でご飯を食べる。食卓には、大好きなハンバーグが置かれた。


「旅行は楽しかったのかい?」


 質問に、まさか妖精の話をするはずもなく、楽しかったけどスキーは上手くならなかったと答えた。母親が苦笑いする。

 昔、家族でソリ遊びをした事を思い出した。あの頃の僕は…まだ妖精や幻想生物の存在を信じていた。今とあの頃を比べると、僕は成長をしたのか、それとも現実をしっかりと見ない、逃避者になってしまったのだろうか…?


「ねぇ、母さん…。」


 ふと、母親に尋ねる。


「昔…父さんが買ってくれた本、覚えてる?」

「あぁ。本棚の、一番手前に置いてる本だろ?」

「………。」


 母親は、無断で人の部屋に入る事が趣味だ。今の質問は愚問だった。


「それなんだけど…どうして父さんは、あの本を買ってくれたのかな?」

「…?何でだろうね?」


 母親が昔の記憶を探りながら、何かを思い出そうとする。


「あんたが好きだったからじゃないのかい?本を欲しがった博之に、お父さんがプレゼントしたんじゃなかったっけ?」

「…?そうなの?」

「あぁ…。思い出した。お父さんがさ、博之を映画に連れてったんだよ。」


 母親が、全てを思い出したかのように話を進める。

 父親が僕を、とある映画に連れて行った。題目は、母親から聞いて直ぐに思い出した。生まれて初めて映画館で見たものだ。小学生にもならない僕には、早過ぎる映画だった事を覚えている。ドラゴンや戦士、魔法使いが登場し、だけどストーリーは理解出来なかった。それでも僕の幻想好きは、そこから始まった。登場人物の真似をして遊ぶ事に夢中だった。そしてとある日、家族で買い物に出掛けた時、見覚えがある絵が表紙になった本を買ってくれとせがんだのが本を手にした理由だった。


「………。」


 僕の記憶は間違っていた。映画を見た事は覚えている。巨大なスクリーンいっぱいに、ドラゴンの姿が勇ましく映っていた事を覚えている。戦士や魔法使い、逃げる村人達の姿も覚えていた。でも、戦士や魔法使いの真似をして遊んでいた事、そして…本は与えられたのではなく、僕が求めて買って貰った物だと言う事は記憶から消えていた。ファンタジー好きな性格は、間違いなく父親の影響だ。でもあの本は、僕が欲しがったのだ…。




 部屋に戻り、ベッドに寝そべる。視線の先には本棚があった。


「……。」


 どうして、あの本を読まなくなったんだろう…?難しい漢字が多かったから?他の事に興味が湧いたから?それともドラゴンの姿が、急に怖くなったから?…答えは出ない。遠い記憶でもある。はっきりしている事は1つだけ。本を読まなくなったと同時に、僕は幻想の世界を信じなくなった。




 次の日の朝、僕は机に座って本を片手に、何かを考えていた。今日は振り替え休日だ。疲れた体を休ませる事も出来る。でも僕は、朝から机に座っていた。

 昨日…不思議な夢を見た。本を両手で抱えて、僕が大泣きしている夢だった。背景は記憶にない。家だったのか外だったのかも分からない。ただ夢の中で、僕は泣き叫んでいた。


「おっ!?懐かしいな、その本。お前が大事にしてた本じゃないか?」

 

 母親に呼ばれ食卓に向かう。いつもは朝食すら共に出来ない父親が座っていた。その父親が本を見て、嬉しそうな声を上げた。考え事が多かったせいか、誤って本を持ち込んでしまったのだ。


「あっ、お父さん覚えてる?」


 父親に、ファンタジー好きを隠す必要はない。勿論それでも、『最近は妖精探しに夢中だ』とは言えない。


「勿論!覚えてるさ。」


 父親が本を取り上げ、ニヤニヤと笑いながら読み始めた。懐かしかったのだろう。人の部屋に無断で入り込ような人ではないのだ。


「お前が初めて手にした本だ。あっ、勿論、絵本は別としてな…。ちょっとびっくりしたよ。小さかったお前が、こんな難しい本を欲しがるなんて…。」


 確かにそうだ。この歳になっても本の中身は難しい。特に最初と最後の章は、今でも読み切れていない。エンジェル、サタン、ゼウス、デミゴットのような神や悪魔、天使の名称しか頭に残っていない。


「この本は、僕が欲しがったんだよね?」


 昨日の夢…探し出せない記憶を辿ろうと、父親に尋ねた。


「あぁ、そうだよ。あの映画を見た後、お前はドラゴンや魔法使いに夢中だった。毎日のように、戦士ゴッコをしてた。」

「…そうなんだ。」

「だけど、あの時は大変だったよ…。」


 不確かな記憶を辿っていると、父親がそれを思い出させようとする。


「あの時…って?」

「お前がこの本を、嫌いになった時の話だよ。」

「僕が?この本を嫌いになった?」

「覚えてないのか?大泣きしてたじゃないか?」

「………。ご免、覚えてない。」

「近所に、1つ上の男の子がいたのを覚えてるだろ?その子に苛められてたお前が魔法でやっつけようとして、喧嘩に負けて帰って来た。…思い出さないか?」

「………?」

「その時、お前を慰めるのが大変だった。『本は嘘つきだ!』と…何度も、本を投げては拾って、また投げては拾って…。」

「………。」

「父さん、あの時は本当に困った。お前にどう説明して良いのか分からなかった。『魔法は使える』と言っても同じ事の繰り返しだろうし、『魔法は使えない』なんて言ったら、お前はもっと泣いただろうし…。」

「………。それじゃ、その時父さんは何て言ったの?」

「その時か?ちょっと、恥ずかしいな…。」

「…………。」


 昨日の夢の理由を知った。父親が覚えていた。そしてどうして本から遠ざかり、いつしか読まなくなったのか…その理由も知った。




「………。」


 食事を終えて部屋に戻り、もう1度机に、今度は姿勢良く座って本を開いた。そして父親が教えてくれた僕の慰め方を、頭の中で何度も何度も復唱した。


『博之…。魔法が使いたいなら、信じなきゃならない。お前が魔法を使えないのは、まだ信じる気持ちが足りないからだ。疑うんじゃない。もっと信じろ。信じれば…きっと魔法は使える。』


 …その当時、父親は是非を言い切る事が出来なかった。とてもあやふやな言葉で、泣き止まない僕を宥めようとした。僕は…その言葉を信じたのだろうか?信じられなかったのだろうか?結論としては少しずつ本から遠ざかり、読むのも止め、いつしか本棚にも置かなくなった。


 (信じれば、きっと魔法は使える…。)


 あの頃の僕を慰めようと、曖昧に答えた父親の言葉が今の僕に大きな教訓として帰って来た。




 週末が訪れた。…小百合ちゃんの家を訪れようと考えている。彼女も僕を待っているはずだ。


(………。)


 嬉しくもあり、また、負担でもある。彼女に会えば、冒険の報告をしなければならないのだ。


(………。)


 それが目的であるのにも関わらず…今更になって迷っていた。側に橋本がいたら、ぶん殴られるかステーキを上乗せされるかのどちらかだ。だけど何よりも怖かいのは、小百合ちゃんの母親である。間違えた事を言うと、どんな顔をされるか分からない。母親が部屋で休んでいる内に報告を済ませようかとも思った。だけど結局、小百合ちゃんは母親に報告をするので意味がない。

 勇気を出して、1階下のインターホンを押す。小百合ちゃんと母親を天秤にかけたら、小百合ちゃんが勝つに決まっていた。ドアが開き、小百合ちゃんが懐かしそうに迎えてくれる。だけど修学旅行で購入した茶菓子と可愛い熊のキーホルダーには目もくれない。僕が訪れた理由を知っていて、楽しみにしていたのだ。

 彼女は応接間へと僕を招待し、母親を呼びに奥の部屋に向かった。…最悪の状況である。結果は同じだろうけど彼女が控えている場は、感じるプレッシャーが全然違う。


「博之さん、いらっしゃい。修学旅行は有意義でしたか?」


 疲れ気味の彼女が現れる。急いで茶菓子を出し、機嫌を取ろうとした。そして質問の意味が、普通の人のものである事を願った。


「スキーはなかなか難しくて…転んでばかりでした。」


 強張った笑顔で、普通の人としての返事をする。彼女は笑って受け止めてくれた。心臓の鼓動が、少しだけ落ち着いた。


「ねぇ、お兄ちゃん。雪の妖精には会えた?」

「!!」


 しかし無邪気な悪魔が、再び鼓動を早くさせる。家にお邪魔するや否や、本題に入るのはマナー違反だ。もう少し、世間話をして盛り上がるべきなのだ。


「………。」


 小百合ちゃんと…母親の顔色を伺う。母親は小百合ちゃんにお茶を出すように促し、テーブルを挟んで真正面の椅子に座った。強張った笑顔を続ける事が、僕の精一杯だった。ひょっとしたら僕は、世紀の大嘘つきになるかも知れないのだ。

 小百合ちゃんが急須と湯飲みを3つ、お盆に乗せて運んで来た。僕は1人、お茶と一緒に固い唾を飲んだ。


「あ、あのね…。」


 勇気もないのに話を切り出す。小百合ちゃんが僕を見て、期待感大の笑顔で続きを待った。


「雪の妖精…には…うん…妖精には、会えたかも知れない。」


 矢は放たれた。もう戻って来ない。誰に当たるかも分からない。自殺だけは避けたいのに母親が体をピクリとさせ、鋭い目線をこちらに向けた。

 僕は…それでも一気に言い放った。


「雪の妖精に会えたんだ。雪の妖精は…黄色く光ってた。姿は…残念だけど分からなかった。小百合ちゃんの時みたいに、近付くと逃げちゃったんだ。でも会えた。雪の妖精は、黄色い光の姿をしてるんだよ。」


 …もう、何とでも呼べば良い。大嘘つき、裏切り者、その他思い当たる罵詈雑言・悪口を、全て吐き出せば良い。それでも僕は…嘘をついていない!本当の事しか言っていない!僕は妖精よりも、僕自身を信じる!


「本当に!?うわっ!お兄ちゃん凄い!」


 小百合ちゃんが間を空ける事なく、大はしゃぎして喜んだ。彼女の頭に、新しい妖精の知識が入った。それが…間違いかどうかは別としてだ…。


「お母さん!お兄ちゃんが妖精に会えたよ!?雪の妖精は、黄色い色で挨拶をしてくれるんだって!」


 本当はゆっくりと、もっとゆっくりと母親の顔色を伺いたかった。だけど無邪気な悪魔は、マナーも悪ければ空気も読まない。彼女の言葉が、僕の視線を母親に向けさせた。

 母親は…笑っていた。いつものように、小百合ちゃんをあやす時の優しい笑顔で、はしゃぐ我が子の頭を撫でていた。そして僕にも、同じ表情を見せてくれた。


「博之さん…凄いですね…。そうですか…。雪の妖精は、黄色い光を放っていましたか…。本当に…凄いですね。」


 そして…合格点をくれた。


「ねぇ、お兄ちゃん?雪の妖精の名前は、何だろうね!?」


 小百合ちゃんの興奮は止まらない。休む暇も与えず迫ってくる。


「名前…。?名前!?」


 名前なんて分からない。知りもしない。妖精は、目の前から逃げ去ったのだ。名前なんて聞きだす暇もなかった。ならばこちらも尋ねたい。深川さんと一緒に目撃した妖精の名前は何だったのか?と。大人気ないが、この場をしのぐ為なら小百合ちゃんを困らせても良かった。


「名前…。そうねぇ…。」


 そんな最中、母親が小百合ちゃんの疑問に賛同する。


「博之さん…。」


 母親の声に驚く。僕は戸惑い、そして怖がった。


「博之さん…。名前は…博之さんが決めてはどうかしら?」

「………?」


 最初は、その提案が飲み込めなかった。


「第一発見者なのですから、そうするべきです。」

「…僕が…ですか?」


 理解出来た彼女の提案に呆然とする。確かに、妖精にはノームやシルフなどの名前がある。よくよく考えればその名前は、誰が決めたのだろうか?誰かが知っていたのだろうか?本にも他の資料にも名前は載っているけど、彼らの姿と同様、それは誰が決めたものなのか、若しくは妖精が名乗ったかの記述は一切ない。第一発見者が決めたと言う記述もない。そもそも、第一発見者が誰なのかも分からない。


「……僕が…」


 母親の顔を見る。彼女はゆっくりと深く頷き、僕に命名を促した。小百合ちゃんは、発表されるであろう名前を聞きたくてワクワクしていた。


(僕が…名前を決める?)


 考えた事がなかった。雪の妖精の記述は何処の本にもない。そこに僕がしゃしゃり出て、雪の妖精を見たからと言って勝手に名前を決めても良いのだろうか?そんな無責任な事をしても良いのだろうか?僕はまだ…『信じる人』ではない。…本当に、僕で良いのだろうか?


(………。)


 暫く考え、もう1度2人の顔を伺った。同じ表情で、僕の言葉を待っていた。ホームでの出来事みたいに、逃げ場を失った。覚悟を決め、答えを出す他に道はない。


「………。」


 目を閉じて、ゆっくりと思い出してみる。経験の中から、命名のヒントはないかと考えた。


(………。)


 雪の妖精は…僕を受け入れてくれた。出会う前の日の晩、彼らの声を聞いた。挨拶を…僕らを招待する言葉を耳にした…。


「雪の妖精もね…出会う前の日に挨拶をくれたんだ…。」


 目は開けず、何かを思い出しながら、御伽話を語る人のようにゆっくりと優しく、小百合ちゃんに語り掛けた。


「雪の妖精は…風と仲良しなんだ。風が作った木の枝と葉っぱの合唱の中、僕に挨拶をくれたんだ。」


 橋本と一緒に、クルクルと回る黄色い光を見た。回転は物凄い速さだったけど、光自体は優しかった。


「雪の妖精は…とても優しい光で僕らを迎えてくれたんだ…。それはそれは、本当に優しい黄色だったんだよ…。」


(…………。)


 全ての記憶が頭の中で再生され、彼らの存在に改めて触れた時…頭の中に、1つの名前が思い浮かんだ。


「小百合…。」


 その名前はとても無邪気で優しく、時に僕を困らせたり、裏切ったりする。でも本当は物凄く暖かく、周りの人全てを幸せにする。


「そう…。雪の妖精の名前は…サユリ…。サユリって言うんだ。」


 ゆっくり目を開け、目の前にいる人を見た。その人は目をギュっと閉じ、両手を強く握って体を丸くしていた。それはあたかも、直ぐにでも爆発しそうな爆弾だった。そしてその背中で、母親は大きな笑顔を見せていた。


「お母さん!」


 小百合ちゃんが、遂に爆発した。後ろを振り向き、叫びながら母親に抱きついた。


「お兄ちゃんが雪の妖精に、私と同じ名前をつけてくれたよ!?サユリ…雪の妖精の名前は、サユリだって!」


 母親は彼女を抱き締め、小百合ちゃんと同じように目をギュッっと閉じた。

 少しの間抱擁を続け、やがて僕に目線を向けた。


「博之さん…ありがとうございます。あなたは本当に、妖精に会えたんですね…。本当にありがとう。」


 いつもは…彼女の言葉が引っ掛かっていた。頭の中を掻き乱す彼女の話が嫌いだった。でも、今は彼女の言葉を素直に受け止め、自分が誇らしく思えた。…彼女が、僕を認めてくれたのだ。

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