第24話;本当の姿

 僕は変わった。『信じる人』になったとは未だに言えなけど、肩の荷が下り、体が軽くなった気がしていた。


「あっ、何処かに出掛けるんですか?」


 とある週末、小百合ちゃんの母親と出会った。声も気軽に掛けられる。


「あら?博之さん。何処かに行かれていたのですか?」

「ええ、ちょっとコンビニで買い物を…。」

「あらあら、コンビニの物ばかり食べていては、体に良くありませんよ?」


 会話も軽い。

 ところで彼女には、僕がそう見えるのだろうか?買い物をしたとだけ言ったのに、食べ物を買ったと決めつけている。まぁ、確かに…買ったものは炭酸飲料とカップラーメンだけど…。


「あの…。1つ、聞いて良いですか…?」


 それはともかくとして、気になる事があった。妖精に出会ったと報告してからの、彼女の笑顔が気になっていた。僕に優しいのだ。報告を受け入れてくれた事はこの上なく喜ばしい。距離も縮んだ。だけど、どうしてそうなったのかが釈然としない。彼女には怒られたり、警戒されたりしてばかりだった。嘘をついた前科もある。


「あの日…雪の妖精の話をした時、お母さんは僕の話を受け入れてくれましたよね?気になるんです。僕…正直、また間違った事を言って怒られると思ってました。…あの日、僕が話した事に…間違いはありませんでしたか?」


 思っている事をストレートに尋ねた。すると彼女は睨むように僕を見つめた後、突然、我慢が出来ないと言った感じで笑い出した。体を曲げ、指先をピンと伸ばして口元を隠した。彼女らしい仕草だった。


「笑ってご免なさい。そうなんですね。博之さんの目には、私はそう見えていたんですね?」

「………。」


 その返事に、僕は顔を赤らめた。


「………。少しだけ…散歩しませんか?」


 彼女が突然、山へ行こうと誘う。


「えっ?お体、大丈夫ですか?余り無理をなされると…。」

「今日は体調が良いんです。だから少し散歩がしたくて…。博之さんさえ宜しければ、少しお時間を頂けますか?」


 手にはコンビニ袋を持っていたけど、今直ぐ食べようとした訳ではない。自転車を転がし、彼女と共に山の入り口まで向かった。


「お話をしましょうか…?」


 そこに置かれたベンチに、2人して座る。

 生い茂っていた木々を伐採され、山は丸裸になっていた。ここにはもう、木の妖精はいない。(小百合ちゃんはノームに会いたがっているから…まだセーフか?)


「先日は、お疲れ様でした。小百合の為に、本当にありがとうございました。」


 彼女が、改めて頭を下げる。そして微笑み、話し始めた。


「妖精とは…その正体は…何だと思います?」

「えっ…?妖精…ですか…?」


 その話に僕はまた、不思議な感覚に陥る。だけど会話を続ける事は出来た。


「…この世に漂う『気』や『エネルギー』が自発的に具現化したもの…。そう教えてくれましたよね?」

「そうです。その通りです。」


 彼女の口調が、いつものと同じになる。いつもと違ったのは、熱心に耳を傾ける僕がいる事だった。


「ただ…『具現化した』と言っても、実は姿を持たないんです。」

「…?と言うと…?」

「本にも、色んな妖精の姿が描かれていますよね?でも、それは妖精を見た人が、勝手に思い描いた姿と言って過言ではないんです。」

「…?」

「博之さん…あなたは妖精の、本当の姿を見たのです。あなたが話していた事は、全て正しいのです。だから私は怒らなかった。…と言っても、これまでも怒ったつもりはないんですけど…。」


 彼女が、悪戯な笑顔を見せる。理解出来ない。これまで怒った事はないと言ったのが嘘に聞こえた訳ではない。今の話が、学んだ事と違うように聞こえたからだ。『妖精は、実は姿を持たない』?そこが腑に落…


「妖精の光は…」


 まだ頭の中が整理出来ない僕を無視し、彼女が話を続ける。僕は耳をピンと立てた。


「その正体は、実は私にも分かりません。どうして蒼い光を放つのか、黄色い光を放つのか…誰にも分からないんです。風の妖精が黄色い光を放つと思えば、土の妖精も黄色い光を放つ。…かと思えば風の妖精が、赤い光を放つ時もあるのです。」


 母親が話題を変える。そしてこの話が正しいのかは分からない。だけど彼女はいつものような話し方をしているし、僕も彼女の言葉を聞いて、疑問を解決しようとした。

 …正直、光の色が曖昧だと言う話は意外だ。自信を失う。黄色い光は、てっきり雪の妖精の光だと思い込んでいた。だけど話を聞いて、出会った相手が雪の妖精だったかどうか、分からなくなった。風の妖精だったのか木の妖精だったのか…?下手すると、音の妖精だったかも知れ…


「迷わないで下さい。博之さんが出会ったのは、間違いなく雪の妖精です。」

「………。」


 またまた変な感覚に襲われた。彼女と話をする時、いつも心の中を覗かれている気がする。


「ずっと、雪の妖精に会いたいと願っていましたよね…?そして彼らの声を聞いた。声が聞こえたのは凄い事です。小百合もまだ聞いた事はありません。…博之さんが出会ったのは、紛れもなく雪の妖精です。信じて下さい。彼らがあなたを導き、そして出会えたのです。」

「…?導かれたにも関わらず、彼らは何故、姿を見せてくれなかったんでしょうか?」


 とりあえずは、母親の話を信じる事にした。後は核心が聞きたい。あの光は妖精だったのか、それとも、彼らの挨拶に過ぎなかったのか…?


「さっきも言ったように、色は違えど光そのものが妖精の姿なのです。博之さん…あなたは雪の妖精に出会えた時、どんな姿をしているか想像しましたか?」

「………。」


 どんな姿を想像したか…?想像させる材料はなく、ただ漠然と妖精に会いたいと思っていた。またあの時は、様々な姿で描かれている妖精に疑問を持ち、本当の姿を見てやると息巻いていた。


「ともあれ博之さんは、想像し得る妖精を探しませんでした。偏見や先入観に支配される事なく、ただ純粋に、妖精との出会いを望みました。彼らの、本当の姿が見たいと願ったでしょう…?だから彼らは、本当の姿を見せてくれたのです。いえ、見せる事が出来たのです。」

「………?」

「妖精の姿は即ち、それを見た人の『鏡』です。妖精を見た人が想像した姿に、彼らは姿を変えます。『感化』されるのです。」


 彼女の言葉に、物の怪や妖怪の話を思い出す。残念ながら、白江の話は思い出せなかった。


「ノームの姿をしていると思った人が妖精に会うと、その姿はノームに見えます。シルフだと思えば妖精は、シルフの姿をして現われるでしょう。しかしその姿は、実は彼らの本当の姿ではなく、人が作り出した姿なのです。」

「となると、本に載ってる妖精の姿は全て嘘…って事ですか?見つけた人が、勝手に想像した姿って事ですか?」


 何故か、彼女の話を鵜呑みにしていた。そこにこれまで抱いていた疑問や不信感はなかった。


「本に載っている姿は…それも妖精の姿です。彼らは姿を変えるのです。人がシルフの姿をした妖精を見て、ノームの絵を描いたのではありません。ノームの姿をしているから、人はノームの絵を描くのです。妖精が、人が想像した姿に見た目を変え、それを人が描いた。だから本に載っている妖精の姿も、彼らの姿なのです。」

「………。」


 でも少しずつ、話が難しくなる。


「しかし博之さんは側まで近付いたのに、妖精は姿を変えなかった。博之さんが、偏見を持たなかったからです。それは、本当に凄い事なんですよ?」

「………。」

「それは目や耳で判断した姿ではなく、心で判断した姿…。偏見や先入観に捕らわれなかった結果なのです。」

「………。」


 遂について行けなくなったけど、最後の言葉が橋本が言う『心実』と重なった気がした。


「では何故、彼らは僕や、小百合ちゃんからも逃げ出したんでしょうか?僕は、彼らに会う前日に挨拶を受けました。音による、言葉による挨拶でした。そして小百合ちゃんは、2年以上も彼らに会う事を願って、蒼い光の挨拶を探していました。」


 最後に、一番気になる事を尋ねた。彼らは姿を現してくれたにも関わらず、何処かに消え去ってしまったのだ。


「博之さん。あなたは本当に勉強熱心ですね?私は嬉しく思います。…では、どうして彼らが2人の前から消えたのか?教えて差し上げましょう。」


 質問に彼女は微笑み、答えをくれた。



「…そんな事って…。」

「残念でしたね。」


 少しの間、その答えに失望していた。彼女は僕をからかいながらも励まし、そして笑ってくれた。…その笑顔に、僕も笑い返した。心の中がすっきりした。何故か清々しかった。彼女が教えてくれた答えに、妖精は、悪戯好きな小人になれるとも思えた。

 答えは、ごく簡単な事だった。小百合ちゃんの時は、彼らはただ驚いたのだ。突然人間が現われたので驚いてしまい、その場から去った。小百合ちゃんは駆け足で近付こうとし、側には大人である深川さんもいた。僕の場合は…僕の前から妖精が逃げた理由は…それは僕が、会いたいと願ったからだ。『会いたいとだけ願った』からだ。だから彼らは願いを叶え、叶えたからその場を去った。


「もしもあの時、小百合が願っていれば一緒におやつを食べてくれたかも…ですね。ただ私が、おやつの準備を出来ませんでしたが…。」

「………。」

「ただ、人間嫌いが彼らの性分ですから、一緒にいてくれたかどうかは、私にも分かりません。」

「………。」

「…しかしこの山ではもう、妖精には会えません。彼らの声が聞こえません。もう…妖精はここにはいないのです。」


 愕然としている僕の前で彼女は山を見回し、遠くを見つめながら寂しそうな顔をつくった。


「あっ…でもご安心下さい。妖精は、消えていなくなるのではありません。住むのに適した場所に、引越しをするだけです。」

「………。またいつか、違う場所で彼らに会いたいです…。」

「会えますよ。博之さんが会いたいと願えば…いつか何処かで、いや、何処でも彼らに会う事が出来るでしょう…。」

「………。」


 もう少しだけベンチで時間を過ごし、彼女の体調が悪くなる前に家へと向った。

 今日の会話で、頭に残っていた小さな疑問は解決出来た。橋本の携帯電話に妖精が映らなかったのは、電話は妖精と会いたいと思わなかった…からだ。そして多くの目撃証言や伝承が残っているにも関わらず、妖精の画像や映像が資料として残っていないのも同じ理由からだと思えた。


 次に妖精と出会うチャンスがあったら…僕はもう1度彼らを、本当の姿で見る事が出来るだろうか?今日の話を聞いて、次は色んな妖精の姿を想像してしまいそうだ。だけど1つだけ、妖精と出会う前に1つだけ、願っておきたい事がある。それは…彼らと一緒に炭酸飲料を飲む事だ。どちらが早く飲み干せるかを勝負してやるのだ。


 最後にもう1つ…。彼女に確認したい事があった。それは、小百合ちゃんが妖精と出会った日の前の晩、挨拶を受けたにも関わらず、何故それを小百合ちゃんに伝えなかったのか…?昔の事を掘り返そうとする訳ではない。単純にそこが引っ掛かる。

 この質問に、彼女は物凄くショックな顔をして、『本当に言い忘れた』とだけ答えた。僕は…その言葉を信じた。何1つ疑う事なく、彼女を信じる事にした。




 学年末が過ぎ、僕と橋本、そして白江も無事に進級した。同時にクラスはバラバラになった。白江は希望通り理系クラスに進級し、橋本は文系に…。英語を、とことん体得したいらしい。そして僕は…何故か芸術クラスに放り込まれた。


「あなた、希望クラスを提出しなかったじゃない?」


 新しい担任の返事だった。思い返ってみても、確かに提出した記憶がない。母親に、どう説明すれば良い?悲劇はまだ続く。50人近くいるクラスメイトの内、男子の数はたったの5人…。僕の高校生活は終わった。始業式の帰り道、早速耳栓を購入した。

 進級と共に、小百合ちゃんとの時間は少なくなった。受験が控えているのだ。塾にも放り込まれた。理由は簡単だ。進級先のクラスが母親にばれたのだ。ばれた事も早かったし、塾行きが決定した事も早かった。

 一方で、彼女は深川さんとの冒険の数を増やした。その嫉妬心もあってか本は彼女に渡さず、だけど僕も読まなかった。彼女との縁が切れた訳ではないのだ。受験が終わったら、勉強会は再開される。



 時間は更に流れ、夏休みも終わった。白江と会う時間は減ったけど、橋本とはたまに会っていた。超能力の訓練が、お互いにとって唯一の息抜きだった。訓練をする時もあれば、それを理由にして雑談で盛り上がるだけの日もあった。ちなみ話だけど、『ステーキ奢れ要請』はこの頃まで続いた。僕の財布は春と夏を知らずに、去年の冬のまま秋を迎えたのだ。

 2学期が始まり、体育祭と文化祭、大晦日と正月が訪れ、僕らは受験に望んだ。白江は希望していた私立大学に合格した。橋本は英語専攻の短期大学に進学。そして僕は、家計の関係と成績もあり、地方の公立大学に入学する事になった。専攻は、無難とも言える経済学科だ。この先の人生はサラリーマン決定である。

 こうして…僕らの高校生活は終わりを迎えた。地方へ行くと、小百合ちゃんとも当分のお別れだ。それでも本は預けなかった。



 時間は更に更に流れ、僕は大学生活3年目を迎えようとしていた。


「井上博之さんの携帯電話ですか?」


 勉学よりもバイトに精を出していたこの頃、小百合ちゃんの母親から連絡があった。僕もやっと、携帯電話と言う物を持つようになったのだ。

 小百合ちゃんとは、たまに連絡を取り合っていた。今年で中学3年生になる彼女は部活に入らず、冒険に明け暮れる日々を送っているそうだ。でも彼女にとっては、それが部活動なのだろう。パートナーである深川さんも、体調が完全に回復したと聞いている。彼女がこのまま大人になるのは心配だけど、橋本や白江の…いや、橋本の姿を思うと『それも個性』だと思える。今でも山へ冒険に出掛けるらしい。彼女の母親が妖精はもういないと言っていたけど、それを彼女に教えなかったのか、若しくは少しでも残る可能性を信じているのか…?

 その母親から連絡を受けた。彼女からの電話は初めだった。


「あっ!お久し振りです。お元気でしたか?」


 数年振りの会話だ。しかし…この時受けた電話が僕を、最大級の困惑に陥れる事になるとは…思ってもいなかった。


「博之さん…。私はもう、長くは生きられません…。」

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