第22話;黄色い光

 便座に座り、時が来るのを待った。暫くして、体育館に大声が響き渡った。冒険の狼煙は上がった。慎重にトイレのドアを開け、裏口を抜けて山小屋まで向かう。


 山小屋に着くと、後で来るはずの橋本がいた。


「早かったね?」


 精一杯の笑顔を送ったけど、とてつもなく不機嫌な顔で返された。


「…ビーフジャーキー、たくさん買ってあげる。」


 そっぽを向いた彼女の耳が動く。でも、まだ足りないようだ。


「若しくは・・・他に欲しいものってある?」

「今度、ステーキ奢りなさいよ。私が満足するまで。」

「………。」


 その言葉に固唾を飲んだ。『満足するまで』って…何処までだろう?まだ、彼女の胃の本当の深さを知らない。また、1度で食べる量を言っているのか、ご馳走する回数を言っているのか、若しくは…その両方なのか?


「ファミレス…ので良い?」

「………。」


 橋本はまだ、こっちを見てくれない。


「1度ぐらいは…良い店に行こうか?」

「………。行くわよ…。」


 まだ膨れっ面のままだけど、交渉はどうにか成立した。『満足するまで』って言葉の意味は回数を示していた。後は、店に行く度に1枚なのか、それ以上なのか…だ。


 ゲレンデを、堂々と歩いて目的の場所まで向かう。このルートを使えば、往復が25分程度で済むはずだ。ナイトスキーを楽しむ人達が多いけど誰も気に止めない。そしてこの人の多さが、僕らを目立たなくしてくれた。

 照明が眩しい。


「ところで橋本は…どうやってホテルを出て来たの?」

「…これ。」


 彼女はまだ、多情な対応を見せてくれない。胸元のポケットから取り出したサングラスを掛け、こちらを見る事もなく林へと足を運ぶ。


「……。」


 相変わらず彼女は、何かを間違えている。サングラス1つで別人に見られるとでも思ったのだろうか?まぁ、結果的に首尾良くホテルを抜け出せたのだけど…。(それにしても、サングラスは持参したもの?急いで購入したもの?)


「ほら!やっぱり照明なんてないじゃない。」


 林に到着し、彼女の口数が少し増える。冒険開始を前に、怒りが収まったようだ。橋本が目撃した場所、僕が気配を感じた場所に向かい、捜索を始めた。




「見つからない…のかな…?」


 時間は10時に近付いていた。迫る制限時間と共に、諦めの気持ちが強くなる。でも信じていた。彼らの気配を、彼らの声を…。昨日の晩、僕は確かに挨拶を受けたのだ。


「ここじゃ駄目なのかな?」


 しかし何の収穫も得られない。ふと思い出す。妖精は基本、人間が嫌いである。昨日の晩に声を聞いた時、辺りには誰もいなかった。だけど今はまだ、スキーを楽しむ人の気配と声、そしてゲレンデの照明がこちらまで漏れている。


「もっと奥だ。人気がない、照明も届かない場所まで行かなきゃならないんだ。」


 理屈で場所を変えたものの、変な感覚に襲われていた。誰かがそうしろと、教えてくれた気がするのだ。


(………。)


 僕は確信した。多分、何かに導かれているのだと。

 20メートル程、森の奥へと進む。辺りはすっかり真っ暗だ。何も見えない場所で2人して、黄色い光を探す。…それでも何も見つからない。時間は10時を過ぎ、タイムリミットは目前に迫った。


(このままじゃ終われない。僕は聞いたんだ。彼らの挨拶を受けたんだ。)


 一心不乱だった。これまで僕は、妖精の存在を信じられなかった。小百合ちゃんとの約束も、心の何処かで後悔していた。白江や橋本の協力も、無駄なものだと思ったかも知れない。それでも、少なくともこの時だけは妖精の存在を信じた。約束なんてどうでも良かった。ただ彼らに会える事だけを祈り、昨日の声を信じた。



「結局…見つからなかったね…。」


 しかし時計が非情にも、冒険の終わりを告げる。橋本が、諦めたように腰を落とした。手袋はどろどろになっていた。靴はもっとどろどろなはずだ。僕もそうだ。だけど、そんな甲斐も虚しく…妖精は姿を現さなかった。


「聞いたんだ。『明日来い』って声を…昨日、確かに聞いたんだ。」


 昨日の声は途切れ途切れで、はっきりしたものではなかった。葉っぱと木の枝が、強い風に吹かれて音を出していた。…それでも僕は、確かに声を聞いた。


「昨日より早い時間…だからかな?」


 橋本が呟き、それに頷ける僕がいた。確かに昨日は、深夜にここを訪れた。あの時は周囲どころか、ここ一帯に誰もいなかった。今はまだ、ゲレンデでスキーを楽しむ人達がいっぱいいる。


「照明が落ちる時間まで待てば、チャンスがあるかも…。」


 橋本は言うけど、そうなると無事の帰還が危うい。レクリエーションの終わりと、ゲレンデの照明が落ちる時間は同じくして10時30分だ。点呼は11時に行われる。照明が落ちたら即、ホテルの、自分達の部屋まで戻らなければならない。

 照明が消えたと同時に、妖精が現れるとも限らない。点呼が始まる前に、見張りの先生が来るかも知れない。梯子も没収された。


(どうすれば良い…?もうチャンスはないのか?妖精は、挨拶をくれなかったのか?)


 捜索を打ち切り……それでも僕らは、照明が落ちるのを待つ事にした。



「もっと、奥の方へ言ってみようよ。」

「駄目だ。もう帰らないと先生に見つかってしまう。」


 照明が落ち、辺りが静けさに埋もれて行く。それでも妖精は姿を見せない。諦め、ホテルに戻ろうと橋本を説得する。最悪の場合は深夜にでも、1人でまた来れば良い。梯子はないけど、抜け出す事は可能だ。帰り方なんてどうでも良い。


「今日しかチャンスないんだよ!?明日はもう、帰らないと駄目なの!」


 橋本には諦めてもらおう。彼女にはこれ以上、迷惑を掛けられない。


「もう、諦めよう。」

「ここまで来て、そんなの嫌!」

「僕らは頑張った。たった数日で、妖精を見つける事自体が無理だったんだ。」

「それでも…チャンスは今日しかないの!」

「雪の妖精じゃなくとも、妖精は他にもいっぱいいるよ。今日じゃなくても、彼らに会えるチャンスはまだある。」

「雪の妖精じゃないと意味がないでしょ?私達、それで頑張って来たんじゃない?今しかないチャンスに、賭けてきたんじゃない!?ステーキだって諦めたのよ!!」


 僕らは言い争った。『ステーキ』のくだりは別にして、諦めたくない気持ちと帰らなければならない気持ちがぶつかり合った。僕も本心では、諦めたくないと思っていた。


「1度、ホテルに戻って考え直そう。」

「あそこの…大きな木までだから…。」


 深夜の冒険を企んだ事を、橋本に提案しようとする。そうでもしないと彼女は諦めない。だけど橋本は言い争う時間も勿体ないと、僕から逃げるように森の奥へと歩き始めた。


(もう帰らないと!)


 諦めさせようと、大声を出そうとした。だけど…言葉に出来なかった。橋本も…言葉に出したところで聞かなかっただろう。いや、聞こえなかっただろう。


「……。」

「……。」


 僕は言葉を失い、橋本は足を止めた。…見た事もない現象を目の当たりにしたのだ。橋本が指差した木の前で、蛍のように小さく、黄色く光る何かが2つ…くるくると回っていたのだ。僕は、深川さんの言葉を思い出した。


「井上君、写真!」

「僕、携帯持ってない!」

「もう、馬鹿!」


 僕が叫ぶよりも先に、橋本が行動に出た。携帯電話を取り出し、目の前で起こる不思議な現象を写真に収めようとする。


『ピーンッ!』


 その携帯電話から、甲高く短い音が聞こえた。


「このタイミングでメール!?」


 橋本が急いでメールを閉じ、改めて目の前の光景にカメラを向ける。


「!!」

「!!」


 そこで光は高速で回転し始め、辺りを、少しだけ明るくした。言葉が出なかった。さっき言おうとした、光の正体も口に出来ないまま、信じ難い光景に我を失っていた。不思議な気分だった。驚きでもない、そして恐怖でもない、ただただ時間が止まったような感覚に陥っていた。橋本も電話を構えるのを止め、黄色い光を見つめた。

 やがて光は2つに分かれ、お互い違う方向に飛び去った。それとも消えてなくなったのか…。辺りが暗くなっても僕らは何も出来なかった。我に返る事が出来なかったのだ。


「……見た?」


 ようやく、橋本が時間を動かした。


「見た…。」


 僕も答える。


「妖精…だったよね…?」

「黄色い光だった…。」


 お互いが、目の前で広がった光景が嘘ではなかった事を確認する。僕はそこで、腰を抜かして崩れ落ちた。橋本は大声で騒ぎ、座り込んだ僕に抱きついた。


「見たのよ!会ったのよ!私達、妖精に出会えたのよ!」


 橋本の両腕が僕の首を絞めつける。苦しかっただろうけど、記憶は定かではない。黄色い光が2つ…。数時間前の記憶まで奪われたかのように、頭の中にはその光景の他に、何も残されていなかった。




 ホテルには、11時46分に到着した。正面玄関から堂々と帰還した。だけど誰にもばれる事なく部屋に戻れた。携帯電話から鳴った変な音の原因は、白江からのメッセージだった。内容は…


『11時45分に非常ベルを鳴らす。それまでにホテル前で待機して、隙が出来たら帰って来い。』


 僕の部屋の班長が、遂に暴走したのだ。


(果たして暴走だったのか?それとも彼なりの、正当な手段だったのか?)


 最悪の事態は免れたようで、消防車だのパトカーだのは来なかった。見張り役の先生達だけが、持ち場を離れて慌しく騒いだようだ。


 そして…彼のメッセージを受けた橋本の携帯電話には、何も写っていなかった。彼女は、そんなはずはないと何度も確認したけど、辛うじて撮られた写真には大木だけが写っていた。でも確かに、僕らは2つの光る物体を見た。

 物体…。そう、物体…。僕は今になってまた、妖精の存在を怪しんでいた。蛍だったのかも?だけど、蛍があんな高速回転をするはずがない。何よりも今は冬だ。蛍がいるはずもなかった。誰かの悪戯?例えばレーザーポインターのような光が差し込んだ?だけど光は木に当てられたものではなく、明らかに空中に浮いていた。超小型の、エイリアン・クラフト…?いや、それは止めておこう。話がもっとややこしくなる。とにかく僕は…目の前で起こった事を確認したにも関わらず、信じる事が出来なかった。橋本が教えてくれたUFOにしか思えなくなっていたのだ。




「…で?どうだったんだ?」


 部屋に戻ると、騒動の主犯者が声を掛けてきた。妖精の話、脱出の話、その両方を皆に聞かれては困る。僕は彼を誘い、ロビーに向かおうとした。だけど非常口には見張りの先生がいて注意された。そそくさと自販機で炭酸飲料を2本買うと、部屋に戻る振りをしてそのまま階段を登り、白江を連れて上の階へと足を運んだ。


「よく分からない…。」


 炭酸飲料を差し出しながらそう答える。


「分かんないって何?会ったの?会えてないの?」


 中途半端な回答に、白江が事情を聞きたがる。2つの黄色い光の事を彼に伝えた。写真は撮れなかった事、小百合ちゃんの時と同様、光は見えたものの、妖精の姿は確認出来なかった事を伝えた。彼は興奮した。大声を出す彼に、静かしろと注意する。


「何言ってんだよ!?それは他の何物でもない、妖精だろ!?」


 白江は、不確かな意見を述べる僕を叱った。


「でも…光だけしか見えなかった。妖精の姿は見えなかった。」

「だから、その光が妖精の姿なんだろ?」

「………。」


 ホテルまでの帰り道、橋本とも同じ問答をした。彼女も同じく、『妖精だったんだって。私達、会えんだって!それで良いじゃない?』と話してくれた。だけど僕にとって今日見た光は、やはりUFOだ。未確認飛行物体…。人はそれを見て、宇宙船だの飛行機だの見間違いだのと言い争う。正体不明なのだから、主張も人それぞれ…。でも、真実の確認までには達していない。妖精だと言う事も勝手だし、違うと言う事も勝手だ。結論を出せたところで結局は、真実とは異なるかも知れないのだ。

 僕は、しっかりとした姿が見たかった。光ではない、妖精としての姿を。百歩譲っても光は妖精の挨拶であり、彼らの正体そのものではない。百歩、譲っても…だ。あの光は、やはりUFOに過ぎない。未確認なのだ。




「だから!それが井上君の『欲張り』なんだって!」


 橋本が、口いっぱいに肉の塊を頬張りながら怒鳴る。

 修学旅行は無事に終了した。最終日の実習では心残りな何かを抱えたまま尻餅をつき、帰路に立つ時も、はっきりした結論を出せずにホテルを去った。バスの中では眠る事も出来なかった。窓から伺える風景には、あの時見た光と同じような光が溢れていた。スキー場から遠ざかるに連れてその光は多くなり、多くなると同時に頭を混乱させた。朝になると町中に溢れていた光は姿を消し、頭の中の混乱もなくなった。何もかもが全てなくなり、真っ白になった。

 ここは、学校近所のファミリーレストラン。早速、橋本との約束を果たさなければならなかった。学校へ到着するや否や連行されたのだ。

 彼女は嫌味にも、最初から2人前のステーキを頼んだ。僕は丼物を頼んだ。白いご飯は、決着がつかない僕の頭に少しの休息を与えてくれた。


「はぁ…。何か、また振り出しに戻った気がする…。」


 そう呟く橋本の顔は、頬の部分が2倍に膨れ上がっていた。残念がっている割には、顎の動きが早い。


「何だよ…。それ…。」


 橋本に尋ねる。しかし彼女は、口の中が空になるまで何も話してくれない。


「光を見たんだから、それが妖精で良いじゃない?そこで疑問を持っちゃったら、これから何を見ても信じる事なんて出来ないよ?」

「違うよ。あれは百歩譲って…」


 話の途中で橋本が睨む。僕は咳払いをして言葉を続けた。


「僕らが見た光は妖精の挨拶だ。彼らは誰かを呼ぶ時、光を放って挨拶するんだ。だからあの光は彼らの姿じゃない。」

「雪の妖精の正体が、光そのものだったって考えは?だから図鑑にも載ってないんじゃないの?」

「図鑑には、雪の妖精に対する記述がないんだ。姿が分からないとは書いていない。火の玉みたいな妖精だって紹介されてた。ウィルオウィプス…だったっけな?はっきり覚えてないけど。」

「んじゃ、雪の妖精もウィルオ何とかと同じ姿なのかも知れないじゃん?」

「でも、誰もそうだとは言ってないし…確かめる方法もないよ。」

「!記述もないんだから当たり前でしょ!?だから私達が、正体を突き止めに出掛けたんじゃない!?確認されてたら冒険に出なかったし、小百合ちゃんとの約束もなかったはずよ!?」

「………。」


 会話は水掛け論だった…。これ以上は進まない。


「…はぁ…。やっぱり振り出しじゃない……。」


 全てのお肉を食べ終わった橋本が、下を向いてがっかりする。


「ステーキ、もう1枚お願いします!」

「!!?」


 だけど、食欲だけは収まらない。


「良い!?もう1回言うけど何かの証拠に頼ったり、誰かに委ねたりする事、それが『欲張り』なの!何度言っても、井上君には分かってもらえないのね!?」

「………。」


 橋本がテーブルを叩き、肉汁が飛び散った。僕は顔を拭き、そして黙り込んだ。言いたい事は分かる。以前にも聞かされた話だ。


「それなら、私が証明してあげる!あの光は雪の妖精だった!私がそれを保証する。…ねっ?」

「………。」


 彼女の優しさを以ってしても自信が持てない。動かざる証拠が、僕には必要だった。


(………。)


 嘘つきになるのが怖いのかも知れない。小百合ちゃんの母親に叱られる事も避けたい。小百合ちゃんの性格を知ってもいるから、適当な返事をしたくもない。無責任な言動は、絶対に避けたいのだ。それでも、橋本が背中を押してくれた。少なくとも、例えそれがUFOだったとしても…同じ光景を目の当たりにした彼女が味方になってくれる。


(………。)


 下を向いて少し考え、旅行中に起こった事を、最初まで巻き戻して再生し直す…。白江が、いつになく頼もしかった。橋本の、無茶と言える協力があった。妖精のぬいぐるみの前で…僕は誓った。


「………。」


 ゆっくりと顔を持ち上げ、黙って待ってくれていた橋本の顔を見る。彼女は僕の目を見て、微笑んでくれた。


「ありがとう。僕は…僕らは雪の妖精と出会った。姿は見えなかったけど、少なくとも挨拶されて、その挨拶は黄色い光だった。…それで良いかな?」

「そこはもうちょっと欲張りなさいよ!?挨拶じゃなくて、あれが雪の妖精の姿だったの!」


 それでもまだ、橋本が望む答えは出せない。だけど、満足出来なかっただろうけど、それでも彼女は僕が大好きな犬歯を見せてくれた。歯茎まで見えるくらい笑ってくれた。


「お会計、4,321円になります。」

「………。」


 数字が並んだ。今度は、減って行く形で並んだ。財布の中身を示している。あの時の裏切りが、これほど高くつくものか?と後悔した。

 店を出て、彼女からの言葉を待つ。


「これで終わった訳じゃないからね。」

「!!」


 だけど、さっきまでの優しい彼女はなかった。お礼を言ってくれるどころか、まだ肉が足りないと迫られた。

 橋本が高笑いを上げる。犬歯がキラリと光った気がした。僕にとってはその犬歯こそが、正しくUFOだ。2本の歯が、魔女の歯なのか女神の歯なのか解明出来ない。




 一緒に電車に乗り、家へと向う。僕の首は見えない首輪で繋がれ、見えないロープは、橋本が握っていた。

 平日の電車は人が少ない。席に座って、妖精の話を続ける。


「それで?小百合ちゃんって子にはちゃんと報告するんでしょ?」

「………。」


 その質問に、即答が出来なかった。橋本が膨れた顔をする。


「まだ悩んでるの?いい加減にしなさいよ!」

「いや…そうじゃなくて…ちゃんと答えたいんだ。」

「?」

「小百合ちゃんが、何気に頼んだお願いだったかも知れない。僕らの苦労を、彼女は望まなかったかも知れない。でも、ちゃんと報告したいんだ。」

「だったら報告すれば良いじゃない?『雪の妖精に会った』って。『黄色い光が、その正体だった』って。」

「………。」

「何よ!?はっきりしなさいよ!」


 先ほどまでの問答を、もう1度繰り返した。でも、橋本は勘違いをしている。


「僕はまだ…『信じる人』じゃない。それは橋本も同じ意見だと思う。だから…そんな人が簡単に『妖精を見た』って言っても…良いのかな?スキーをした事もない人が、『スキーは簡単だ』って言うのと同じじゃないかな?妖精を見たって言う資格が、僕にあるのかどうかが分からないんだ…。信じる人に対して…信じる人じゃない僕が、物凄く失礼な話をしてしまうんじゃないかな?って…。」


 小百合ちゃんに報告する覚悟は固まっていた。でも、余りにも無責任なのではないか?と言う気持ちに駆られたのだ。彼女は、2年以上も妖精を探し続けている。最近やっと蒼い光を見たと言っていたけど、それでも彼女はまだ、本に描かれているような妖精を見ていない。だから彼女は、今でも妖精を探し続けている。山が開拓され、彼らが住む環境は奪われる一方だけど、それでも彼女はいつまでも、妖精からの挨拶を待っているのだ。そんな彼女に、ほんの数日の間で『妖精を見つけた』と、容易く言って良いのかが分からなかった。


「………。」

「………。」


 僕は黙り込み、橋本も黙り込んでしまった。

 彼女が降りる駅に到着すると、突然、橋本が僕の腕を引っ張り、無理から電車の外へと運び出した。


(そうしなくても手元のロープを引っ張れば、僕は首輪ごと外に引っ張り出されるのに…。)


 僕らは電車から降り、電車は次の駅に向かった。…身に覚えがあるシチュエーションだ。


「覚えてる?」


 橋本が尋ね、僕は頷いた。


「あの時、私は井上君に『信じればもっと楽になる』って言ったよね?そして井上君は『努力する』って言ってくれた。」

「………。」

「ご免ね。あの時そう言ったのに、今まで違う見方で井上君を見てたのかも…。」

「……?」

「これまでね、私は井上君が『欲張り』だと思ってた。部活の友達の話を聞いた時、そう思った。」

「………。」

「でも…そうじゃなくて、井上君は『心配性』なんだって、今分かった。」


 …心配性。確かにそうかも知れない。僕は何にせよ、他からの証拠や確証を求めている。欲張りと心配性は、紙一重なのかも知れない。


「勿論、欲張りなところはあると思うけど、それは心配性から来た『焦り』や『不安』が原因なのかも。」

「………。」

「だから…もう1度言うよ?『信じてみなよ。そしたら気持ちがもっと楽になるし、楽しいよ?

信じたら、次に自分が何をしたいか、何をすべきなのかが分かるから』。……ねっ?」

「………。」


 優しい表情をつくった橋本が話してくれる、2度目の言葉も理解出来ない。まだ何かを信じる事が出来ないし、だから楽になる事も、次に何をしたいのか、何をすべきなのかも分からない。


「努力は要らないの。先ずは信じる事!でも、妖精や超能力を信じるんじゃなくて…井上君を…先ずは自分自身を信じてあげて。」

「!?」


 自分を…信じる…。


「………。」


 欲張りであろうが心配性であろうが、僕は何かに、そして誰かに頼っている。1人では出せない答えを、他から『そうだ』と言ってもらえる事に期待した。でも結局、『そうだ』と言ってくれる人を信じる事が出来なければ、いつまで経っても何も信じられない。だから僕は…自分自身を信じる事から始めなければならなかった。見た物、感じたもの、思った事、何でも良い。他から何と言われようが、自分が信じた事を真実と思える気持ちが大切だったのだ。

 『心実』…。橋本が話していた言葉の意味を、やっと理解した気がする。『心実』とは、自分の心の中にある事実や真実を言うのだ。妖精の存在なんて、二の次なのだ。


「ねっ?」


 まだ何も言えない僕に橋本が、さっきと同じ表情で言葉を繰り返す。


「それが嘘でも、間違いでも良いじゃない…?井上君が信じてるなら、声を大にして『そうだ!』って言ってみなよ?そしたら気が楽になるし、迷いもなくなるから。それでもまだ迷いがあるなら、井上君の言葉を疑う人が現れたなら、私に声を掛けて?私は井上君の話す事…全部を信じるから…。」

「……あ」

「でも、やっぱり優柔不断なだけなのかもね。」


 『ありがとう』と言う前に、それを察した彼女が悪戯な言葉を掛ける。彼女はいつもこうして、僕の調子を狂わせる。だけど、それが心を楽にしてくれた。

 そんな彼女が片方の犬歯を見せて、大きく笑ってくれている。


「僕は!」


 自慢げな表情を浮かべて、大きく息を吸い込んだ。昼間のホームは人がいない。いや、例え通勤ラッシュの最中でも、こう叫んでやる。


「僕は…!この目で妖精を見た~~~!!」


 両手を握り拳にして振り上げ、向かいのホームにそう叫んだ。駅員さんやお客さんがこっちを見る。やっぱり…少し恥ずかしい。

 我に返ったように息と身を整え、橋本の顔色を伺った。彼女はさっきよりも口を大きく開き、僕が大好きな犬歯を両方に光らせ笑ってくれていた。

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