第21話;声

 実習が終わり、夕食のハンバーグ定食を…僕と橋本は楽しんだ。自由時間になるとソファーに集合。橋本がビーフジャーキーを買い、瞬く間に食べ切った。よほど気に入ったのか、まだ肉を食べ足りないのか…。

 集合したのは他でもない。冒険への作戦会議だ。緊急事態が発生した。まさか…他に脱獄者がいたなんて…。食後に先生の注意、いや、警告があった。


『昨日、女子生徒の部屋に侵入しようとした者がいた。非常口に、不振な人影を見たそうだ。女子側に見張りの先生がいない事を良い事に、男子側の先生の目を盗んで忍び込んだと判断する。幸い大事には至らなかったようだが、今日からは女子側の非常口にも先生がいる。もう、悪さが出来ると思うなよ?』


 …これでもう、外に出るチャンスはなくなった。橋本は2階から飛び降りる気でいるけど、白江のような協力者がいない限りは戻って来れない。提案を却下し、本当に先生が見張るかどうかを確認して欲しいと返した。先生の数はそれほど多くない。交代までを考えると人手が足りないはずだ。先生達は、僕らを脅しているだけなのだ。


 しかし一体、誰がそんな迷惑な事を?僕は悪くない。脱出はしたけど、部屋には忍び込んでいない。



「それじゃ、そう言う事で。」


 会議が終わり、玄関を抜けてゲレンデを眺めた。まだナイトスキーの時間なので外は明るい。林で何かが光ったとしても確認は出来ない。


「………。」


 橋本が、独り言を呟いて…いるのではなく、頬張ったジャーキーを一生懸命にかじっている。追加購入をしたのだ。彼女の食欲、肉への執着だけは本当に凄い。

 時間が来たので部屋に戻って点呼を受け、白江と一緒に『寝る組』の部屋に向かい、橋本の連絡を待った。


『最悪…。』


 早速メッセージが到着する。その一文で全て分かった。外が気になる。橋本が、窓から身を乗り出しているのでは?と思った。急いで白江から携帯電話を借り、橋本にメッセージを送ろうとする。…上手く字が打てない。


「何て送りたいんだ?」

「『無理するな。したら絶交だ!』と送って。」

「…これで良いんだろ?」


 彼がメッセージを送り、こちらに電話を向ける。『むりはするなむりしたらぜつこうだ』と書かれていた。からかっているのか、優しさなのか…。


「……それで良いよ。」


 間もなくして橋本から、『分かった』と返事が来た。信用出来ないけど…仕方ない。今日はぐっすり眠ってくれる事を祈った。実際、僕らは寝不足だ。朝が弱い橋本には、ここ数日が辛かったと思う。


「非常口が使える状況を…作れば良いんだな…?」


 突然、白江が1つの提案を持ち込む。


「廊下に非常ベルがあるだろ?それを…」

「止めてくれ!」


 内容は直ぐに理解した。余りにも大胆で危険過ぎる。悪ふざけが好きな、いつもの彼に戻っている。(いや、本気だったのか?僕はまだ彼の限界を知らない。)


「そんな事して、救急車や消防車が来てみろ!責任問題だぞ?今日はゆっくり休もう。」


 彼を宥め、『寝ない組』の部屋に戻ろうとする。でも、あちらは必要以上に騒がしい。


「ところで白江、スキーの調子良いね?」

「ん?俺もちょっと不思議。今まで運動なんてやった事ないし、体育でも何1つ上達しなかったのに…。人間の向き不向きなんて、やってみないと分からないもんだな?」


 ここに留まり、雑談を始める。彼が機嫌を変えて、自慢げに話し出す。


(………。)


 彼の何気ない言葉が、深く胸に突き刺さる。…昔、橋本に言われたような言葉だ。その言葉を噛み締める。白江の言葉ではなく、橋本の言葉を…。『そんなに直ぐには結果が出ない』と言う言葉も思い出したけど、そこは勝手で押し殺した。頭の中で何度も、あの時の言葉を繰り返す。


「白江!」


 得意げに、正座のまま上半身だけでスキーの練習をする白江には反応せず、玄関に向かって自分の靴を掴んだ。


「僕、やっぱり冒険に行く!」


 彼がスキーの練習を止め、僕の顔を見る。


「橋本には黙っていて。無理させたくない。」


 女子側の見張りも強化された。見つかる可能性が高い、危険な脱出だ。もし見つかっても、僕1人が怒られれば良い。昨日の不謹慎者もお前だと言われそうだけど、それも構わない。冒険に出る事を決めた。



『ドガッ!』


 埋めた梯子を避け、2階から飛び降りた。全ての窓が閉まっているのを確認して、先ずは体育館の裏を目指す。戻る時間は白江と合わせた。時計なら僕でも持っている。午前2時には戻る事を約束して、彼に待っていてもらう事にした。

 部屋に戻った後、梯子は誰が隠す?橋本がいない限り、梯子は壁に掛けられたままになる。でも心配は無用。白江が良いアイデアをくれた。


 体育館裏に到着した後、小屋とは逆の方向へと足を運ぶ。小屋から向こうの林に向かうルートは余りにも目立つ。ゲレンデを通り抜けなければならない。逆側からなら歩いて10分もすればゲレンデを抜け出し、身を隠せる並木道に出る。それに沿って林に向う事にした。遠回りだけど、安全な道程だ。

 時間にして12時前…。林までは片道20分。1時間30分ほどが僕に与えられた時間だ。


 並木道に辿り着くとホテルは遠くに見えて、その姿も木々の隙間から確認出来る程度だ。少し落ち着いて、それでも早歩きで林に向う。道は車が通るので固くなっており、スムーズに歩けた。風には苦しめられたけど雪は降っておらず、視界ははっきりしていた。


 林に到着する。森とも思えるその奥は暗闇になっていて、崖か壁のようにも感じた。妙な静けさに、寒さと共に恐怖感も味わう。

 用心で、ゲレンデに接した木の裏側を歩く。雪は、月明かりを受けただけでも充分に反射し、進む道を照らしてくれた。

 暫くすると向こう側に、例の小屋が見えた。それを確認すると足下だけでなく、何か光っているものはないかと周囲を見渡し始めた。



(…ここにも妖精は現れないのか?黄色い光は、見つからないのか?)


 だけど約束の2時に迫る。帰りは予想通り、20分もあれば充分だ。ただ予想は当たったものの、それに対する見返りはない。時間だけが過ぎ、寒さに耐え切れなくなった僕だけが、真っ暗な世界で1つの光を探していた。収穫があったとすれば、ここには照明器具がないと言う事だけだ。

 僕は諦め、ホテルへ向かう事にした。帰りは下り坂になるので足下に気を付けた。もう、尻餅は突きたくない。

 並木道が近付き、道も平坦になった。


「結局、妖精は見つからない…か…。」


 遂に並木道へ出た。今日も妖精とは出会えなかった。明日は、冒険する時間すらも危うい。諦める前にもう1度森を見渡し、何も光っていない事を確認した後、大きな溜め息をついた。


『…………。』

「…。」

『………………。』

「……?」


 その時だ。体をホテルに向けた僕の背中が、何かの気配を感じた。後ろを振り向く。でも、森には変わった様子がない。風に揺られ、木々が鈍い口笛のような音を立てるだけだった。


「……。風の音か…。」


 もう1度振り返り、ホテルを目指す。


『………………。』

「…。」

『……………………。』

「……?」


 だけど、どうしてもその音が気になる。耳を澄ましてみる。葉っぱがガサガサと揺れ、枝と風が、一緒になって鈍い口笛を吹く…。やっぱり、それしか聞こえない。


『………………。』

「……。」

『…………た………。』

「……?」

『あ…………………よ…。』

『………た………よ……。』

「……!?」


 再度ホテルを目指す僕の背中で、今度は何か…声のような音がした。さっき以上のスピードで振り返る。…誰もいない。だけど…何かが聞こえた。誰かの悪戯とは思えない。葉っぱがそんな音を立てたのか…枝が口笛を吹いただけのか…?

 もう1度耳を澄ませて、今度は目も閉じてみた。


「………。」


 しかし風は収まり、葉っぱや枝との合奏も終わった。もう何も聞こえない。



 来た道を戻り、ホテルに到着。非常口には気を付けて、部屋の真下に戻った。既に2時を過ぎている。白江が寝てしまったなら、僕は覚悟を決めなければならない。

 数分が経ち、部屋の窓がゆっくりと開いた。白江だ。助かった。


「遅い!」


 小さな怒鳴り声で、僕を叱りつける。


「ご免!ちょっと時間が掛かった。」


 返事をしながら梯子を掘り出し、部屋へと向った。梯子を登り切る前にその端を、白江から受け取ったバスタオルで括る。タオルを離さないよう、部屋に無事帰還。窓から顔と手を出し、握ったままのタオルを引っ張って梯子を掴んだ。白江がタオルを解くと、僕はもう少し身を乗り出して振り子の原理で梯子を振り始めた。勢いがついたところで左側へ放り投げる。梯子は思った以上に飛距離を伸ばし、2つ隣の部屋の真下に落ちた。


「これで良し!…と。」


 部屋に身を戻すと、今度は白江が顔を出して梯子の様子を見る。そしてこちらに親指を立てた。布団に入ると会話もままならないまま、僕らは眠りに落ちた。




 次の日を迎えた。最後の宿泊日だ。明日は昼までスキーをして、夕方頃にはバスで帰路に発つ。


「おはよう!」


 食堂の前で、橋本の元気な声が聞こえた。どうやら願い通り、ぐっすり寝てくれたようだ。挨拶を返し、一緒に食堂に向う。しかしここは酷く、いつまで経っても朝食と昼食にご飯を出してくれない。


「今日はどうするの?」


 テーブルの前で、橋本が立ち止まる。


「後で話すよ…。」


 僕はそう答え、自分の席に着いた。

 向こうの席から、橋本がこっちを見ている。僕は声を出さずに口を大きく開けて、さっきの言葉を繰り返した。


「昨日は、どうなったんだ?」


 今度は隣に座った白江が、、昨日の報告を求める。報告が遅れたのは僕のせいではない。昨日は、彼が先に眠ってしまった。何だかんだで、白江には色々と世話になっている。


「後で話す。」


 その白江にも同じ返事をする。彼は橋本のようにしつこくはなく、さっさと食事を始めた。


 朝食後、隣のクラスの男子全員が食堂に残った。側には担任の先生もいる。理由は明白だ。僕は心の中で、必死に彼らへお経を唱えた。


(首謀者は僕じゃない!白江の指示だったんだ!)


 心の中でそう叫んだけど、だからと言って白江の提案を拒んだ記憶もない。



 朝の実習が始まり、今日も大量の尻餅をつく。

 昼食の時間になり食堂へ向った僕は、2人が待ち伏せしているのに気付いた。と…その前に、隣のクラスの男子達が愚痴をこぼす姿も目に入った。


「酷くねぇ?梯子が外にあっただけで、俺たちが犯人にされるのって?」

「誰も、女子の部屋になんて行ってないよな?」

「もし犯人がいるなら自首しろよ!?」


 心の中で必死に謝罪し、2人の下に向かう。


「井上君!昨日、1人で出掛けたの!?」

「!!」


 橋本の声が大きい。小さな声で彼女を叱った。


「馬鹿!『出掛けた』とか言うなよ。後ろに、迷惑掛けた人達がいるんだ!」


 白江が、昨日の事を橋本に話した様子だ。だったら梯子の事も伝えれば良かったものを…。


「人には諦めろって言っておいて…抜け駆けはずるい!」


 橋本が、声の大きさを合わせて怒鳴る。そこで僕は息を止めた。隣のクラスの男子達が、僕らの背中を通り過ぎたのだ。

 彼らが食堂に入ったのを確認し、声の大きさを戻して説明する。


「これまで無茶させたし…。今日の事を考えて、昨日はゆっくり休んで欲しかったんだ。」

「え?んじゃ、今日も冒険に出るのね!?」


 必要以上に声が大きい橋本を、人差し指で黙らせる。


「後で話す。」

「何よ!?朝からそればっかり!!」


 橋本が、待てない様子で体を揺さぶる。僕は橋本を見つめ、そして白江を見つめ、小さい声で話した。


「考えたい事があるんだ。整理出来たら話すから、それまで待ってて欲しい。」


 そう言い残して食堂に入り、今日も気が進まない昼食を食べ始めた。



 午後の実習が始まる。相変わらず初級者コースだけど…好都合だ。今日も1度だけリフトを使って、昨日と同じルートを滑ると言う。中止されないよう、転ばないように練習を続ける。3回ほどの尻餅でリフト券を獲得した。


(…そろそろだ…。)


 景色は爽快だったはずだけど、僕の目に映らない。リフトに乗った時から、1つの場所しか見なかった。そして昨日と同じコースを滑る。ずっと視線を送っている場所が近付き……通り過ぎた。


(………。)


 残念ながら何も感じない。昨日の昼と深夜に感じた気配は、そこにはなかった。



 夕方になり、レクリエーションの為に早めの食事を取る。レクリエーションは8時から始まり、10時30分までの予定だ。就寝点呼は11時に行われる。

 さっさとお風呂を済ませた僕ら3人は、食事の前にロビーで集まる事にした。


「そろそろ話してよ。昨日の結果!」


 橋本がせがむ。白江は、落ち着いた雰囲気で言葉を待った。僕は2人を見返し、迷いながらもこれまでの事を正直に話した。昨日の昼に感じた気配、晩に聞こえた声…全てを報告した。


「やっぱり!私が思った通りだ!ゲレンデの向こう側が怪しいんじゃない!?」


 大声の彼女を睨み、人差し指で黙らせ…る前に橋本は口を閉じた。


「昨日…聞こえたんだ。はっきりじゃないけど…。風の音かも知れない。でも僕には…『明日、来れば良いよ。』って…そう聞こえたんだ。」


 風が唸り、木の枝や葉っぱが騒がしかった事も伝えた。それでも2人は、聞こえた声を後押ししてくれた。


「行こう!今日、何があっても冒険に出よ!?」


 橋本が、嬉しそうな声で提案する。でも、それは難しい。


「今日はレクリエーションがあるから…皆が寝静まるのが遅い。それに…。」

「それに…何?」


 白江がそこまで言うと、僕の助けを求めた。仕方なく、梯子の件を橋本に告げる。


「えっ!?どうしてそんな事したの!?」

「それしか方法がなかったんだ。そうでもしないと冒険に出られなかったし、出たところで梯子を誰かのせいにしないと、今日の冒険すら難しくなる。」


 梯子は撤収された。今晩は、ホテル裏にも見張りの先生が出歩くと言う。上羽先生にはニット帽が必要だ。…冗談はさておき…事態は深刻だ。怪しまれないようにとした事が、下手な結果で戻ってきた。


「…どうするの?冒険…。」

「レクリエーションの時間に…抜け出すか?」

「!?」


 白江が提案する。レクリエーションは2時間半程開かれ、全員が体育館に集まる。ホテルに見張りがいないのは確かだけど、先ずは体育館に閉じ込められるのだ。白江の提案は良いアイデアではない。


「私…良い事思いついた!」


 すると橋本が立ち上がり、近くにいた担任の先生を呼んだ。


「どうしたの?橋本さん?」

「先生…。私ちょっと、気分が悪いんです…。今日のレクリエーション、休ませて貰って良いですか?部屋で横になってます。」

「ええっ!?大丈夫なの?」

「はい…。熱はないですけど、お腹の調子が悪くて…。明日は帰る日だから、無理は厳禁だと思って…。」


 彼女は1度、貧血と微熱で寝込んだ。先生が疑う事なく願いを聞き入れる。橋本がこっちをチラッと見て、僕の行動を促す。僕は彼女の巧妙さに呆れ、いや、感心し、少しの間言葉が出なかった。


「それじゃ橋本さん。あなたの夕食、お粥にしておくわね?」

「!」


 その言葉に橋本が唖然とする。


「先生、ちなみに今日のおかずは何ですか?」


 白江が悪戯に尋ねる。


「今日は何と…ステーキ!最後の夜だから、贅沢しないとね!」

「!!!」


 幻聴か?橋本の絶叫が聞こえた気がする。気がしただけのはずなのに、その叫び声の大きさに鼓膜が破れそうになった。


「肉汁たっぷりよ!」


 先生が追い討ちを掛ける。橋本の嘘を見抜いたかのように、彼女を試すかのように無慈悲な言葉を放った。…幻覚か?橋本の目から、血の涙が流れている。


「橋本さん、そうしましょうね?無理してお肉なんて食べたら、お腹の調子がもっと悪くなるかも。」


 暫しの間、橋本は動けずにいた。しかしやがて暗い顔を上げた。その表情は、体調が悪いと訴えるに足りていた。


「………………………………………………………………はい…。そうして下さい。」


 !!!言った。橋本がそう言った!血の涙を流し、絶望の沼に片足を入れた彼女が覚悟を決めた。これは事件だ!…人は、覚悟を決めなければならない時がある。今…正にその時だ。彼女の姿に、『信じる人』が持つべき最大限の勇気を見た。


「井上…お前も調子、悪いんじゃないのか?」


 白江が、次はお前の番だと催促する。


「ぼっ、僕?僕は平気だよ。」

「!!」


 迫真の演技なのか、本当に苦しんでいるのか…橋本が、見た事もない形相で僕を睨む。


「井上君は人一倍体が大きいから、いっぱい食べなきゃね?何なら、橋本さんの分も食べたら?どうせ『余る』んだし。」

「!!!」


 見た事がある姿だ。橋本が、ムンクの叫びを再現していた。


「はい!そうさせてもらいます。ありがとうございます。」

「!!!」


 先生が食堂に向かう。僕は橋本を見ず、一言だけ言い残して白江と共に先生の後を追った。


「ご免、橋本。僕は…お肉を取る。」


 彼女が腰から崩れ落ちる。顔は青ざめていたはずだ。

 人は…覚悟を決めなければならない時がある。今…正にその時だ。僕は橋本との友情を捨て、お肉を選んだ。



 目の前に、大きなお肉が置かれる。熱々を食べるようにと鉄板は、まだジュージューと音を立てていた。皆は1枚ずつ、僕には2枚…。橋本には…お粥が並べられた。向かいのテーブルから殺気を感じるけど、どうでも良い。目の前のお肉が一緒なら、他に何も要らない。


「で…お前はどうすんの?脱出。」


 結局、橋本のお肉は半分、白江に譲る事にした。橋本はそれをしっかり見ていた。これで彼女の呪いは僕に半分、白江に半分ずつになったはずだ。白江も白江で人が悪い。目線と殺気を感じただろうに、何の躊躇いもなくお肉を頬張った。


「良い考えがある。橋本がヒントをくれた。」


 2人して、橋本の様子を見ていた。流石に目は直視出来ない。先に食事が終わった橋本は先生を呼び出し、ゆっくりと立ち上がって食堂を後にした。

 出て行く際、こっちに視線を送っていた。その意味が『呪う』や『殺す』ではなく、『後で連絡して』である事を願うばかりだ。


「良い考えって?」


 橋本が食堂から出て行くまでを見守った僕らは、気を取り直して食事を再開した。


「体育館には向う。でもその途中で、お腹が痛いと言ってトイレに行く。全員が体育館に入った頃に、僕は裏口から外に抜け出す。」

「…なるほど。橋本は、タイミングを間違えたって事だな?」

「メニューが何かも確認しないで先走るからだ。食べてからでも遅くなかった。」


 体育館へ抜ける通路手前にトイレがある。そこに身を潜め、レクリエーションが始まったら抜け出すのだ。白江の協力が必要だ。体格が大きい僕は目立つ。僕がいない間は、白江にアリバイを成立してもらうのだ。1度目は『まだ、トイレに行ってる』と言わせ、2度目には『自分が様子を見てくる』と言ってもらい、3度目には『余りに調子が悪いので、部屋に戻らせました』と言わせる。部屋の鍵は班長である彼が管理しているので、話の筋は通る。先生もレクリエーションの最中、そこまで気が回らないだろう。


「レクリエーションは2時間半。その間に、行って来れるか?」

「余裕はないけど仕方ない。それまでには戻って来る。」


 橋本と落ち合うのに20分、移動は往復で20分…。1時間半しか冒険の時間はない。それに掛けるしかなかった。

 白江が橋本に、『8時10分になったら山小屋へ向え』とメッセージを送る。橋本からは、『一生覚えてるからね』と返事が来た。


(………。)


 徐々に、怒らせた事を後悔し始める。


 食事が終わり、僕らは席を立った。部屋に戻っても、直ぐ体育館に向わなければならない。最後の冒険は、刻々と迫っていた。


「…やってやるしかない!」


 部屋を出た僕は、深く息を吐き出しそう叫んだ。

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