第8話;少女ドンキホーテ、覚醒

 補習授業が終わり、夏休みも終わりに近付いた。昔住んでいた場所に足を運んで旧友と過ごし、1度はプールに行った。宿題に追われて母親に怒鳴られ、1泊2日の家族旅行で弟と喧嘩をし、母親に打たれた。そんな…普通の夏休みを過ごしながら僕は待っていた。窓から夜の裏山を眺め、カレンダーを見ては、小さな友人の帰りを待ち侘びた。

 新学期が始まる数日前、遂にその日を迎えた。家に帰ろうとエレベーターを待っている時、懐かしい声が聞こえた。


「あっ!お兄ちゃん!」

「小百合ちゃん!お帰り!久しぶりだね!?」


 1ヵ月振りに見る小百合ちゃんは、少し背が伸びたように見えた。実際は違うだろうけど…そんな気がした。残念なのか幸いなのか、真夏の日差しが白い肌を小麦色に変える事はなかった。でも、家の中だけで過ごしたはずがない。


「久し振りですね、博之さん。お元気でしたか?」


 母親も側にいた。今日は体調が良いらしい。薄めの服装に麦藁帽子を冠っていた。田舎の方で、充分な養生が出来たようだ。


「いつ戻られたんですか?あっちでは、ゆっくり過ごせましたか?」


 僕の笑顔が止まらない。1ヶ月の別れが、とても長いものに感じた。


「ええ、ちょうど今、戻って来たところです。」


(…?その割には、抱えた荷物が少ない。田舎に置いて来たのかな?)


 エレベーターに乗り、17階で一緒に降りる。小百合ちゃんは僕の方を見て、ずっとニコニコしていた。


「小百合ちゃん、向こうでは楽しかった?」

「うん!小百合ね、あっちで妖怪を探してたんだ!小豆洗いや猫又、一つ目小僧を探したよ!?」


 彼女が元気に答える。それから自慢話が始まった。予想通り、田舎でも冒険に出掛けたそうだ。山にも登り、海ではしゃぎ、井戸水で冷やしたスイカを食べ、人並みの夏休みを過ごしながらも妖怪を探しに出掛け、彼女なりの過ごし方も外さなかった。例の本のお陰だろうか?彼女は持て余すほどの時間の中で、これまで以上の知識と経験を得ていた。


「へ~!そうなんだ。」


 しかし残念ながら…いや、当然ながら『見つけた』と言う台詞は聞こえない。僕も、『見つかった?』とは尋ねなかった。


「博之さん…これを…。」


 母親が、カバンから数冊のノートを取り出した。受け取って中を覗いてみる。


「……。」

「預かった本にある間違いは、ここに訂正しました。直接本に書くと申し訳ないので…。」


 本を訂正したものだった。事細かく書かれ、彼女の性格が伺えた。『本に書き残すと申し訳ない』と言うけど、それを了承したところで結局はノートを使ったはずだ。ノートの数は合計3冊…。内容が多過ぎて、本に書き切れないのだ。


「あちらでは体の具合も順調でして…2人の為に、これを作りましたの。今後の勉強会で、役立つと思います。」

「………。」


 呆気に取られる。3冊のノートにも及ぶ、その量に対してではない。それはそれで凄い労力だったろうけど…


(彼女は一体、これまたどんな根拠であの本を訂正したのだろう…?)


 忘れていた感覚が甦る。頭の中を狂わせるこの感覚…。橋本への約束が薄れそうだ。小百合ちゃんの母親は、白江のように冗談交じりで何かを言う性格ではない。冷静で厳粛な人だ。僕に距離感を作らせてしまう理由の1つだ。


「…あっ、ありがとうございます。助かります…。」


 無理からのお礼を言う。だけどこの訂正ノートは勉強会で役立つ。何より、病気の彼女が無理して作ってくれたものだ。感謝しなければならない。


「お兄ちゃん!」


 ノートを読む余裕も与えてくれず、小百合ちゃんが声を掛けてくる。


「今度ね、妖怪を探しに行こ!?」

「……。」


 それからの数日間、僕は毎日、小百合ちゃんと過ごした。勉強会はお預けだ。冒険に徹したのだ。妖精とは、挨拶がない限り会う事が出来ない。その間は、妖怪探しにでも出掛けようとなったのである。

 誤解があるかも知れないから言っておくと、どうやら妖怪は幽霊やお化けの類ではない。夜にならないと姿が見えない訳ではないのだ。いや、幽霊だってお化けだって、晩にだけ現れるものではないのだろう。暗闇の中でしか幽霊に会えないと言う常識は、人間の恐怖心が作り出した迷信なのだ。


 小百合ちゃんは妖精の挨拶を待つだけでなく、色んな幻想生物を、自らのタイミングで探すようになった。まるで水を得た魚だ。勢いも増している。朝、枕がずれていたら晩の内に枕返しが現れたと言い、一部分だけが綺麗な窓を見て、垢舐めが現れたと言うのだ。これは流石に対応に困った。僕が思うに妖怪とは、不可思議な自然現象を基に創られた、架空の存在だ。不気味なくらい長生きする猫から猫又を連想し、台風の被害を鎌イタチの仕業と考えた。逆に言うと妖怪の仕業と思われる自然現象は、既に科学的に解明されている場合が多い。天狗や河童などは、しつけ方法の1つだ。(しかし小百合ちゃんには逆効果。天狗を探しに山へ入る。)妖怪探しは現実的ではない。それが僕の考えだ。(まぁ、妖精探しも現実的ではないのだが…。)それに正直な話、妖精を探す事と妖怪を探す事では、上がるテンションの度合いも違う。妖怪は…何と言うか…余りにも知った存在なので気が抜けるし、何処か古臭い…。妖精を探すほどの神秘性がない。


 ただ、小百合ちゃんは目覚めてしまった。妖精だけでなく、数多いる幻想生物に関心を持ち始めたのだ。その興味と勢い、行動力が半端じゃなかった。


(覚醒してしまった彼女への対応策を…母親と話し合う必要があるな。)


 そう思った僕だけど、機会は意外と直ぐに訪れた。夏休み最後の晩、僕は小百合ちゃんの家にお邪魔していた。その時だった。


「私、お風呂掃除してくる~!」


 小百合ちゃんがお風呂の掃除に向かった。そのタイミングで、母親は僕に話し始めた。


「小百合が…妖怪に夢中でしょ?」


 そう言って苦笑いを見せた。僕も苦笑いを返したはずだ。


「田舎でお世話になっている間、小百合が近所のお婆さんと知り合いになったんです。その方から、妖怪の話を色々聞かされたみたいで…。」


 話によると、小百合ちゃんは田舎でも妖精探しを試みたらしい。だけどお世話になっている家では、何処から妖精の挨拶が来るのか分からない。なので近所を歩き回り、会う人会う人に、妖精の挨拶が確認出来る場所を聞きまくったらしい。そこで話に出てきたお婆さんが、妖精と妖怪を聞き間違えた。


『妖精?妖精って…妖怪の事かい?』


 それが始まりらしい。僕が預けた本が彼女の覚醒を手伝った訳ではなかった。いや、僕の本も役に立ったはずだ。そこにも妖怪に関した記述は多い。


 話を聞いて、妙な気分になった。母親は、妖怪に夢中な我が子に困っている様子で、明らかに愚痴をこぼしていた。『何故、小百合は妖怪なんて信じるのだろう?』…そう言っている気がした。つまり彼女は僕に、同意を求めているのだ。その姿はこれまでの経験上、異様だった。いないものはいない。存在するものは存在する。竹を割ったような性格の彼女が、困ったと言う表情を崩さない。


「小百合、コップを台所に戻して?」


 お風呂掃除を終えた小百合ちゃんが、母親の言い付けでコップを台所に運ぶ。母親は閉じていた口を開き、再び話し始めた。


「博之さん、覚えておいて下さい…。妖怪は…難しい存在なんです…。」

「?」

「小百合には、ゆっくり教えて行くつもりです。本当はキチンと教えたいのですが…見つけたい妖精は見つからないし…。ひょっとしたらもうあの山では、妖精と会えないかも…。」

「……??」

「だから小百合が楽しみと思えるものは妖怪ぐらいで…。」


 母親は、我が子の相手をしてくれたお婆さんを嘘つきにしたくないとも言う。それを聞かされた僕は傷付いた。僕の話は拒むくせに、お婆さんの顔は立てようとするのだ。

 思う事はまだある。だけど彼女の言葉で、この続きはお預けになった。


「博之さん、今日はこの辺で…。明日の準備もありますから、お開きにしましょう。」


 小百合ちゃんが台所から戻って来た。すると母親は席を立ち、僕の心の引っ掛かりも知らずに帰宅を促した。


「今日は、ありがとうございました。例の訂正ノート、目を通しておいて下さいね?」

「……。」


 別れ際の玄関で、母親が目配せを送って来た。何かの合図だ。僕が考えるに、妖怪に関する訂正部分を読めと言う意味だ。訂正ノートは僕が預かり、本も返してもらう事にした。今の小百合ちゃんを見ていると、僕には自習が必要だ。

 玄関を出て、2人に手を振る。消化不良だけど、母親の言葉を頼る事にした。


 自分の部屋に帰り、戻って来た本と訂正ノートを机の上に広げる。先ずはノートを開き、妖怪に関して書かれた部分を探した。1冊目の途中と、3冊目の最後の方にそれは書かれていた。付箋も貼られていた。

 妖怪を紹介したページは本の、比較的始めにある。しかし僕宛てと思われる彼女の文章は、訂正ノートの最後の部分に書かれていた。恐らく、田舎で過ごした最後の時期に急いで書いたものだ。

 付箋が貼られたページを開くと、折り畳まれた手紙が入っていた。僕に宛てた手紙だろう。僕だけが読んで、小百合ちゃんには見せるなと言う意味だ。


 訂正ノートと手紙の中身を要約するとこんな感じだ。彼女曰く妖怪とは、その大半が昔の日本で創られた、本当の意味での幻想らしい。つまり実在しない存在なのだ。シャーマニズムや八百万の神を信仰していた日本の文化では、全ての自然現象を神の仕業、若しくは神そのものとして考えた。従ってその時代から、『作られた神や妖怪』は多いと言う。実在していた妖怪は、殆どいないと言うのだ。これは僕も推理していた事だ。ただ、『物の怪』と呼ばれるものが存在して、それが本物の妖怪になり得るとの事。『気』や『エネルギー』、『気配』としてこの世に存在するもの…それが『物の怪』だ。その中には人の感情や思念に感化されて、具現化する者が現れる。それを妖怪と呼ぶらしい。つまり誰かが火の玉を想像し、それが多くの人に伝わり、その想像力が増幅、重複し始めると、この世に溢れる気やエネルギーが感化され、それが創造力に変わって本物の火の玉として実在するようになると言うのだ。だから作り話の時代には実在しなかったものが、長く広く、そして多くの想像により、『実在する妖怪』になる場合があると言う。そうなると、どの妖怪が最初から存在して、どの妖怪が空想の産物で、どの妖怪が、その空想に因って実在するようになったかは彼女でも判断が難しいと言うのだ。だからお婆さんの話を真っ向から否定出来ない…と言うのが母親の意見だった。

 彼女の話は未だに受け入れ難い内容が多いけど、それを正解とするならば、言っている事には納得出来る。毎回思う事なのだが、彼女が話す、根拠がないと思われる話の中には矛盾する点もない。

 そして彼女は、嘘を信じる小百合ちゃんに困っているのではなく、妖怪の存否を判断出来ない自分に困っていたのだ。

 更に彼女は訂正ノートに、妖怪と妖精は似ているとも説明していた。これに関しても、彼女は合理的な『自論』を述べていた。先ずは、この世には気やエネルギーが溢れている。それが人に感化された者が妖怪、感化されずに、自発的に具現化した者が妖精だと言う。だから彼女は、神やドラゴンなどは最初から存在する者で、シルフやノームは自発的に具現化した妖精、天狗や河童は人が創り出した、実在する妖怪だと述べた。


 と…ここまでが彼女の説明だ。残念ながらこんな理論、一般人には通用しない。それなりの免疫がある、合理的に通った筋があると思う僕でも抵抗を感じる。今まで妖精だのドラゴンだのと言って来たけど…それも受け止められない内に、今度は妖怪と物の怪、気やエネルギーの話をされた。…彼女の世界観が理解出来ない。いや、世界観は理解出来る。彼女の話には矛盾がない。ただ、それを推測ではなく断定した意見として話す態度が理解出来ない。


「…あれっ?」


 今にもパンクしそうな頭の中が、生まれた1つの疑問に因って一掃された。しかしその疑問に、僕の頭は更に混乱し始める。


(彼女は…僕が知りたい事に関して、尋ねる前に答えをくれている。)


 今日だけの話でなく、以前にも覚えがある事だ。語らずとも、彼女は先々に返答をくれるのだ。


(いや、それも経験なのだろう。)


 深川さんを思い出す。そして、近所の住人を想像してみる。なるほど…彼女はこれまでに色んな質問を受けたり、それに答えたりしているのだろう。経験を踏み、用意周到に回答や説明を出すのは難しい事ではない。そう考えると、頭の中を支配していたあり得ない推理は否定…された…。


(………。)


 …いや、やっぱり自信がない。最近知り合った、クラスメイトのせいである。




「読心術…そして予知能力かな?」


 始業式が終わり、橋本に声を掛けた。校門まで彼女を尾行し、人が少ないタイミングで呼び止めた。教室では超能力の話を持ち出せない。


「まぁ…井上君は頭が固いからそれくらいの返事、超能力がなくても準備出来たかもね。」


 訓練場である公園に着くと、橋本のモードが変わった。口数が多くなり、生き生きした顔になった。

 僕の頭が固いと言う言葉はさておき、小百合ちゃんの母親はやっぱり、出るべくして出た疑問に、出すべくして出す返事をしただけかも知れない。


「それにしても物の怪の話、気になるなぁ…。」


 昨日の会話に、橋本が興味を示す。彼女は幻想生物や魔法には興味はないけど、超能力と関連付けられるものには大きな興味を示す。


「気やエネルギーねぇ…。超能力も、それを利用しているのかも…。」


 念力や透視能力も、自ら発する特殊なエネルギーだけで駆使するのではなく、周囲に漂う気を利用して扱うものではないか?と言うのだ。念力を使う際、気を利用して物を動かしてもらう。持ち上げてもらう。透視能力や予知能力も気を利用して、そこから情報を読み取る…。そんな解釈だ。確かに聞いた事がある話だ。サイコメトリー…だったかな?何かを触って、それに触れた事がある人の感情を読み取る能力…。『残留思念』と言うものがあって、それから色んな情報を得るのだ。考えてみればその残留思念は、気やエネルギーにも似ているかも知れない。


 そもそも…物体がない空間には、一体何があるのだろう…?そこには空気の粒子が飛び交っていると、化学か何かの授業で教わった。

 それでは、空気が飛び交う空間において、空気の粒子がない場所には一体何があるのだろう?そこに、気やエネルギーが存在するのだろうか?

 しかし目で見えないものは、確認のしようもない。…だんだん頭が痛くなってきた。


「それよりさ…」


 橋本が、これまでの会話と僕の思考を断ち切るように提案を持ち掛ける。


「今日はテレパシーの特訓しない?さっき言った読心術と、ちょっと似てるんだ。」

「……。」


 僕のターンはここで終わり、彼女のモルモットになる時間が訪れた。

 こうして僕の新学期は始まった。妖精、ドラゴン、物の怪、妖怪、そして超能力まで…。僕はこの学期が終わるまで、正気でいられるだろうか?

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