第7話;二人のクラスメイト

 夏休みが始まった。期末テストでも数個の赤点を取り、補習授業が確定した。母親がドラゴンより恐ろしい姿になった。今、僕が生き延びている事が不思議だ。

 補修科目は英語。中間と期末の両方で赤点を取った。補修は3週間にも及ぶけど午後には終わるので、勉強会や冒険は可能だ。しかし悲しい事件が起こった。小百合ちゃんは夏休みの間、知り合いの方が持つ、田舎にある別荘で過ごすと言うのだ。母親の養生もあって、毎年の夏休みに使わせてもらっているらしい。彼女はそれを楽しみにしていた。寂しかった。とにかく僕は1ヶ月以上もの、彼女とのお別れを余儀なくされた。本は彼女に預けたままだ。それで良いと思った。


 僕はと言えば、その日も補習授業に出ていた。


「おはよう!隣の席、座っても良い?」


 受けたくない授業の開始を待っていると、誰かが声を掛けて来た。


「井上君、私の事、知ってる…?」

「………。」


 隣に座った女の子が尋ねる。僕は彼女を知らない。知っていたら…こんなに緊張しない。


「初めまして…。じゃ、ないのかな?」

「お疲れさん!」


 返事をすると、そこに知った声が混じった。


「あっ、白江君。ねぇ、聞いて!やっぱり井上君、私の事知らなかった。」


 初めて知る声が、知っている声に話し掛ける。そして知らない声の主は、僕を見て顔を膨らませた。


「だろ?井上は、付き合い悪いもんな。」


 白江という男は同じクラスの人間で、僕と共通点がある。彼もファンタジーの世界が好きなのだ。僕は最近、改めて興味を持ち始めたけど、彼は昔から興味を持ち続けている。好きな分野は魔法。黒魔術や呪いなどがメインで、それに付随してドラゴンや妖精の知識を持っている。僕は、愛想が良い人間ではない。人見知りをするタイプでもある。だけど彼には、僕から声を掛けた。彼のカバンには白いペイントで『呪』と、手書きで書かれている。かなり趣味が悪い。だけどその文字を見た時、何か感じるものがあった。それをきっかけに、幻想好きな僕らの付き合いが始まった。その白江にからかわれた。どうやらこの女の子も、同じクラスの人間らしい。彼女の名前は橋本と言い、彼女も英語の補習だけを受けていた。ちなみに白江は、社会と国語の補修も受けなければならない。

 女子に関しては、違う理由で距離を置いていた。この年頃の女子は騒がしい。彼女達と僕のテンションとの、高低差が酷過ぎる。面倒だし対処も出来ないので、殆どの女子の顔と名前を知らない。橋本と名のクラスメイトには申し訳ないけど、嘘もつけない。だけど悪いとも思っていなかったのでご免とも言えず、ただただ笑ってごまかした。




 授業が終わり、学校を後にする。校門を出る前から始まる駅までの下り坂を歩いていたら、後ろから大きな呼び声に止められた。白江だ。一緒に帰ろうと言う。駅まで向かい、僕らは構内にあるうどん屋でお昼を済ます事にした。


「じゃ~~ん!」


 白江が自慢げに、カバンの中から取り出した何かを見せつける。彼が愛読する月刊誌だ。一言で言えば、非科学的なジャンル…オカルト全般を取り扱う雑誌である。


「あ…そうか。今日が販売日だったな。今回の特集は、何?」


 僕はこの本を、たまに借りて読んでいた。


「今回は、呪術!」


 彼はそう言って、満面の笑みを浮かべた。周囲の視線が気になる。呪術と言う言葉を、これほどポジティブな笑顔で言える人間も凄い。彼のカバンには白いペイントで大きく、『呪』と書かれているのだ。


「相変わらずだな?って言うかこの本、売れてんの?読者って、お前だけじゃないの?」


 彼をからかう。本はたまに拝借するものの、お金を出して読む気にはなれない。ただ気にはなる。どれだけの人がお金を出してこの本を読み、どれだけの人が、非科学的な事に興味があるのか。また…信じているのか…。


「大人気だっての!周り見てみな?全員、この本読んでるから。」


 この雑誌は、わざわざ書店にまで足を運ばないと買えない。彼も知っている事実だ。


「あ、マジで?……って、誰も読んでないじゃん!?」


 彼の言葉に乗り、周りを見渡す。そして突っ込みを入れた。誰も読んでいないのは、見渡す前から知っていた。


「あっ…。…いた。」


 だけど驚く事に、白江のものと同じ本を開いている人がいた。


(いたりもするんだ…。意外だな…。)


「あっ!お前は!」


 僕の呟きに気付き、白江が大声を上げる。声を掛けられた人は驚いて、急いで本をカバンに閉まった。店中の人が彼と、彼が指差す人を不思議そうに見た。僕もそうだ。


「あれっ?君は…」


 本を閉まった人は今日、初めて会話を交わした橋本だった。



 食事を済ませ、店を…3人で出た。僕と白江と、そして橋本だ。橋本は恥ずかしそうに顔を下に向け、白江はずっと、彼女をからかっていた。自分が愛読者であるのに同じ本を読んでいた橋本を、マニアと言ってからかうのだ。


「それじゃ、また明日な。」


 ホーム手前で白江と別れる。彼は僕と逆方向の路線に乗る。そして橋本は、僕と同じ路線に乗る人だった。

 僕は彼女に挨拶をして、1人でホームに向かおうとした。


「あっ、井上君。えっとね…。」


 だけど橋本が付いて来る。何かを言おうとして…ずっとモジモジして言えない様子だ。察しはつく。


「別に、恥ずかしい事じゃないと思うよ…あの本。僕だってたまに借りて読んでるし。興味はあるよ。」


 素直な意見を述べる。実際、空想を楽しむ人はいっぱいいるし、SF映画だって人気がある。何も恥ずかしい事ではない。

 だけど、人にばれる事が恥ずかしいと思う時だってある。僕もそうだ。白江にすら自分の興味を強く語った事がなく、何気ない振りをしている。あの本を読んでいた事を黙っていて欲しい気持ちは、充分に理解出来る。普通の人の場合、オカルトの世界に興味があればあるほど、現実から遠ざかっている自分が恥ずかしくなるものだ。白江は逆だ。彼は自分の趣味、興味を曝け出す。でなければ、あんな趣味が悪い落書きはしない。


(……?『現実から遠ざかっている自分が恥ずかしい』…?)


 僕は彼女を見た。


「あっ、橋本…。呪いとか、好きなんだ…。」


 そして口を滑らせてしまった。すると彼女は焦り、大きな声で叫んだ。


「呪いなんかに興味ないわよ!私が関心持ってるのは、超、能、力!」

「……。」


 それほど大きな声じゃなかったけど、近くを歩く人達には届いた。橋本が、また顔を赤くして下を向く。今の会話が、教室での会話でなくて幸いだ。


「私…超能力に興味があるの。でも、あの本を読んでた事は、クラスの皆には言わないで欲しいな…。」


 やっと口に出来たその言葉から、彼女の本気度が伺えた。すらっとして背が高めの彼女が、それでもまだ背が高い僕に、上目使いでお願いをする。その仕草は可愛く、クラスにこんな子がいたのかと思わせた。


「大丈夫、心配しないで。誰にも言わないから。ただ…白江が何を言うかは、僕にも分からない。」


 約束しながらも、彼を持ち出してからかう。橋本は『最悪!』と言った表情を見せ、もう1度顔を下に向けた。


「はははっ!大丈夫。白江には僕が言い聞かせるし、例え奴が言いふらしても、僕が『白江は勘違いしている』って言ってあげるから。」


 僕は彼女の不安を取り除こうとしたけど、どうも納得出来ない顔をする。悪戯が過ぎたかな?


「約束するよ。信用出来ないなら…交換条件。僕の秘密も教えるから。」


 少し軽率だったけど、橋本を安心させる為に僕の秘密…幻想の生物に関心がある事を伝えた。




「私ね、呪術って、超能力の一種だと思うの。念力で人を呪ったり不幸にしたり、殺してしまう超能力が呪術…。そう考えてるの。」


 僕らはホームのベンチに座り、非現実的な話で盛り上がっていた。いや、僕は聞き手に回るだけで、橋本が1人でしゃべっていた。数十分前の彼女とは違う、そして補修前の会話とも違う、とても生き生きした彼女がいた。

 二学期が始まってからの彼女を見ても、このような姿は拝めなかった。物静かで、知的な女性に映った。だけど、本当の自分を隠している様子でもない。物静かな性格が彼女の本性なのだ。つまり今の彼女は、テンションMAXな状態なのである。


 彼女は、読んでいた本に言い訳をした。今回だけ偶然、あの本を購入したと言う。どうやら彼女が隠したがっていたのは、超能力に対する関心ではないようだ。理解は出来た。僕もあの本を、隅から隅まで読む気にはなれない。見たい記事が載っている時だけ拝借していた。


 僕が白江から借りたのは、これまでに2回だけ。1回目は、僕の関心ストライクな内容だった。『ドラゴンの末裔?アフリカ奥地で、新種のトカゲ見つかる!』と言う題目だ。もう1つはUMA。未確認生物…って意味だけど、ドラゴンやグリフォンなどを言うのではなく、雪男やネッシーのような、近年に発見された正体不明の動物の事を言う。

 脱線するけどこの記事に、考えさせられる事がある。恐らく…動画や写真のような媒体がない時代に、当時はUMAだった『ドラゴンやグリフォンに似た動物』が見つかり、それが伝承になって、非現実的な内容が盛りに盛られて今に語られる姿になった。未確認が、幻想へと変わったのだ。小百合ちゃんの母親の話を聞き入れる傾向にある僕だけど、それでも今の話が真相ではないか?と思っている。


 話を戻して…彼女が超能力に興味を持ったのは、父親が見せてくれた昔のテレビ番組がきっかけだと言う。父親…。僕にはピンと来るものがあった。

 彼女が幼稚園の頃、父親が荷物の整理をしていると番組の録画テープが見つかり、2人して一緒に見たらしい。父親は、幼かった橋本を驚かせたかったのだろう。しかし父親の予想以上に、彼女は超能力に魅入ってしまった。

 最近はテレビでも頻繁に、超能力を扱えると自称するエンターテイナーを見る。目の当たりにすると、手品だと直ぐに分かる超能力だ。橋本はそんな輩達が気に入らないらしく、その反発心もあって本物の超能力への感心が強まったとの事。同感出来る話だ。昔の超能力者なら、何かをする時に精神を集中して、1時間ぐらいの時間を掛けて物を動かしたり、未来を予知したりしていた。だけど最近の自称超能力者は、それをいとも簡単にやってのける。そして数ヶ月後には彼らが見せた能力が、手品グッズとして売られるのだ。手品の先進国であるアメリカでは手品として扱われ、型落ちして日本に来た時には超能力として扱われ、それに世間が驚く。橋本は、そんな世間の流れを毛嫌いしていた。このままでは、本当の超能力は忘れ去られると思っている。

 彼女は超能力の存在を信じている。そして自分も、その力を身に着けたいと思っている。


ベンチに座って、既に1時間以上が過ぎた。僕は相変わらず聞き手のままだ。


「井上君は、超能力を信じる?」


 橋本が何気に、しかし返事を期待するかのように尋ねる。


「…信…じるよ。意外と。ドラゴンや妖精よりも、存在する可能性は高いかな?と思う…かな…?」


 橋本は返事を聞くと安心したように、嬉しそうに笑った。


「今日はありがとう。そろそろ…電車に乗ろっか?」


 彼女が清々しい顔で誘う。これまでに溜まっていたストレスを、一気に解放したのだ。


 彼女が降りる駅までの20分、僕らは補修授業の不満で盛り上がった。ただ橋本のテンションは落ち着き、口調も静かなものに変わっていた。(補修は受けているものの)才女と言う言葉が似合う面立ちをしていた。


「それじゃ、私は次の駅だから…。今日はありがとう。また明日ね。お願いだよ?今日の事は、他の人には内緒…。」

「白江の件も心得たよ。」


 約束を再確認した彼女は電車を降り、その数分後、僕も電車を降りた。


(他の皆も、意外とオカルトに関心があって、時として信じているのかも知れない。)


 駅を出たら自転車に乗り、坂道を登る事15分。その道中で考えた。これまでラグビーに身を捧げていた僕の友達と言えば、むさ苦しくて無骨な連中ばかりだ。交わす話は猥談と、ラグビーに関する事ばかり。クラスでは慣れない相手に、もっぱらテレビや漫画の話ばかりをしている。だから『同じ興味を持った人はいない』と思っていたけどそうではなく、彼らの趣味や興味を知らないだけなのかも知れない。

 ともあれこの日以来、クラスの友達は2人になった。そしてこの日以来、僕は橋本と下校を共にするようになった。ちょっと照れ臭かったけど、彼女がそうしたいと願った。僕に好意があった訳ではなく、彼女には目的があった。これまでに溜めていたストレスはなくなったものの、『意欲』が湧いたのだ。ちなみに白江は、間もなく開かれた他の補修の為、午後からの授業に精を出していた。


 橋本の態度は、相変わらず補修授業と下校後とで真逆だった。1日に50分を2セット。その授業と休み時間は殆ど黙っていて、基本的には誰とも話さない。第一印象とは怖いものである。初めて会話を交わした時の印象のせいで、その姿がどうも慣れなかった。


「そんなんじゃ駄目!井上君、『出来る』って信じてる?」


 今日も下校後に、彼女と念力の訓練を行なう。いや、訓練は僕が行い、彼女はそれを見守る教官だ。これが、橋本に湧いた意欲である。

 彼女の訓練は怖かった。結構なスパルタ主義だ。この時の彼女は、いつよりも冷たく厳粛だった。その姿は他の誰かさんを思い出させた。だけど…それを楽しんでいる僕もいた。


「石を見て、『動け!』、『動く!』って思ってる?」


 訓練は、途中下車した駅の近所にある、人気がない公園で行われた。意識を集中させ、近くに落ちている石ころに『動け』と念じる。数回チャレンジするけど、当然動く気配はない。なかなか前に進まない訓練を打ち切るかのように、橋本が怒鳴る。


「あのね、念じる前から『石は動かない』って思ってたら、どれだけ念じても絶対に動かないよ?その時点で念力は働かなくなるの。『信じる』事が大切なの。既存の概念に捕らわれないで、石は『念じれば動くもの』って思わなきゃ。」

「………。」


 橋本の言葉に苦い顔をつくる。


 「ほらっ、もう1回!」


 それでも訓練は続く。これまでに2回、今日で3回目の訓練だけど、進展は全くない。大体、彼女に出来ない事を僕にやらせる事がおかしい。


「駄目!もう1回!」

「何だよ!それじゃ、橋本が手本を見せてくれよ!」


 少し癇癪を起こした。橋本が顔を膨らませる。話が脱線するけど、僕はこの顔が好きだった。学校では見られない彼女の一面だ。


「見てなさいよ!」


 橋本が、石に目を向けて意識を集中する。僕は、緊張した表情で彼女を見守った。

 時間にして15分が経過。僕らは動かず、声も出さない。石も同じように、音も出さずに動かない。


「ほら~!橋本に出来ない事を、僕にやらせるのは酷いよ。」


 止まった時間を元に戻すかのように声を上げる。


「姿勢が違うの。私は、『石は動く』って信じてる。だから後は能力の問題なの。私にはまだ力が足りないだけ。でも井上君は能力が多い少ないの前に、『動かない』って思ってるでしょ?」


 彼女は石を動かせなかった事を謝るどころか、説教を始めた。彼女も負けん気が強い。


「思ってるさ。でも、動かないじゃん?」


 反論するけど、それに被さるように彼女も反論する。


「ほら!今『動かない』って言った!それが駄目なの。井上君は自分で自分の姿が見えてないけど、私は隣で見てるの。だから分かるの。井上君は念じている間も、『まさか…』って顔してるもん!」

「………。」


 そう言われると反論出来ない。鏡でもない限り、僕は自分の表情を確認出来ない。鏡を見たところで、集中していた意識は散り散りになる。この説教は卑怯な手段だ。


「井上君って、100メートルを何秒で走る?」


 橋本が突然、奇妙な質問を投げ掛ける。


「えっ?僕?僕は…部活を止めたし…それでも14秒以内で走れるかな?」


 呆気に取られたけど、返事に時間は掛からなかった。


「それじゃ…頑張ったら10秒で走れるようになるかな?」


 彼女は更に質問したけど、『それは無理』だと返した。すると橋本は『何故?』と打ち返し、こう話し出した。


「だってオリンピックじゃ10秒で走る人、いっぱいいるよ?」

「それはプロだからだろ?鍛えて頑張って、素質もある人達だからだろ?」

「それでも同じ人間でしょ?あの人達に出来て、私達に出来ないって事はないんじゃない?」

「……。」

「あの人達が、自分自身に素質があるって気付いたのはいつかな?素質がなくても、努力で速くなった人もいる訳よね?井上君とあの人達の違いはただ1つ。あの人達は、『出来ると信じて練習した』。井上君は、『出来ないと思って、始める前から諦めた』。それだけよ。」

「………。」


 新しい町に越してから、女性から教えられる事が多くなった。何も言えなかった。反論が出来ないくらい、彼女の言葉に支配された。


「なぁ、橋本…。妖精って…いると思う?」


 返せない返事の代わりに、僕はそんな質問をした。彼女の、率直な意見が聞きたかった。橋本は他の人とは違って何でも話せる同い年の友達であり、唯一の相談相手だと思えた。(申し訳ない…と思う事なく、白江に相談しても、まともな返事はもらえないと思っている。)言葉を続けるのには、少し時間が掛かった。僕の事はとにかく、もう1人の、いや、複数の人が変に思われるなら申し訳ない。


「家の近所に…妖精は実在するって信じる小学生がいるんだ。」


 小百合ちゃんの事を教える。一緒に冒険に出掛けた事も、週末には勉強会を開いている事も…。そして彼女の母親や深川さんに関しても、少しだけ話をした。

 橋本の顔を伺う。返事が気になった。


「井上君は信じてるの?」


 しかし彼女は、期待したものとは違う返事をくれた。いや、答えは出さずに同じ質問を返してきた。


「私がさ、『信じてる』って言ったところで井上君はどうするの?私を変な人だと思っちゃう?でも私はもう、超能力の話をしてしまったんだよ?」


 そして残念そうに話を続けた。


「私が『信じていない』って言ったら、井上君は安心したのかな?それとも悲しんだのかな?井上君が信じているなら悲しんだよね?でもそれって、大切な部分じゃないよね?」

「……。」

「私が信じようが信じまいが、井上君には関係ない事でしょ?私が信じるから自分も信じる…って、それは単純過ぎるよ。」

「……。」

「私は、超能力の存在を信じてる。身に着けたいとも思ってる。話は、そこから始まるんじゃない?」

「……。僕は……」


 そこまで言って、続きの言葉は言えなかった。怒られると思った。


「そんなんじゃ、超能力は無理ね。」


 橋本は心を読み取ったかのように溜め息をついた。


「……。」



 訓練は打ち切られ、公園から駅まで、そして電車に乗って橋本が降りる駅に到着するまで…僕らに会話はなかった。橋本の表情を伺う。口を利いてくれない彼女は、怒っている様子ではない。ただ寂しそうな顔をしていた。それだけに僕の心は沈んだ。


「っ!?」


 橋本が降りる駅で電車の扉が開き、手を振ろうとしたその時だ。彼女が僕の腕を掴み、外へと引っ張り出した。そして戸惑う僕を見ながら、悪戯な笑顔をつくった。


「…信じてみなよ。そしたら気持ちがもっと楽になるし、楽しいよ?信じたら、次に自分が何をしたいか、何をすべきなのかが分かるから。」


 そして、より大きな笑顔で僕の顔を見て返事を待った。電車の扉が閉まり、逃げ場がなくなる。僕は、何らかの回答を迫られた。


「……。」


 時間を掛けた。安易な返事はしたくない。橋本は、そんな僕を待ってくれた。


「『信じる』って、今言ったら…嘘になるよね?でも…努力してみる。色々と調べて、確信を持てるようになって、そしたら『信じてる』って、言えるようになると思う。橋本が思う順番じゃないだろうけど、キチンと信じられるようになる。」


 精一杯の、嘘でない答えだった。橋本は口を尖らせていた。でも、少し笑ってくれてもいた。


「明日も訓練しよ!?私、早く念力使えるようになる!そしたら井上君は、もっと『信じる人』に近づけるよね?」


 その返事に、詰まっていた息が流れる。冗談も返せるぐらいに気が楽になった。


「そうだぞ!橋本に掛かってるんだぞ!?早く見せてくれよ。じゃないと僕、いつまで経っても信じられないから!」

「あーっ!そんなのずるい!自分も努力しなさい!」


 …奇妙な人間関係が、また増えた。引越ししてからは、おかしな人ばかりと、おかしな会話ばかりしている気がする。でも…それで良かった。


「それじゃ、また明日。今日は…ありがと。」


 次の電車が来るまで、橋本は側にいてくれた。電車に乗り、彼女に手を振る。扉が閉まると僕はそこに背中をもたれさせ、車内を見渡した。向かい側の床に、ボールペンが落ちている。心の中でにやりと笑い、念じてみた。頭の中では橋本が、厳しい目線でこっちを見ていた。


(転がれ…転がれ…転がれ…。)


 時間にして2~3分。周囲は僕を、おかしな人だと思ったに違いない。確認はしていない。意識を集中させていた。だから、車内アナウンスも耳に届かなかった。


「…っ!……???」


 驚くべき光景が目に飛び込んだ。床に落ちているボールペンが、ころころと転がったのだ!

 何故かは直ぐに理解出来た。転がるボールペンを見ながら、僕の体が傾くのを感じた。電車が急ブレーキを掛けたのだ。


(これも超能力……かな?)


 だけど結果的に、ボールペンは転がったのだ。僕は何故か得意げに、電車を降りて家に向かった。

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