第11話「未来」

 俺は炒った豆を右手に残った三本指で器用につまむと口中に投じてゆっくりと咀嚼した。


 ミーシャが、がたごと揺られる馬車なかで似合わぬ上等な服を着たまま、不思議そうに少なくなった俺の指のなめらかではない動きをジッと見つめている。


「おとーしゃん、ゆび、ないよ」

「ミーシャ。お父さまはお国のためにご苦労なされたのですよ。これからは私たちで労わらなければなりません。ね」


 ドレスを着てどこからどう見ても貴婦人にしか見えないユリーシャがそっといい聞かせると、ミーシャはくしゃっと顔を歪めて、傷口も新たな指にちっちゃな手を絡ませてきた。


「おとーしゃんは、おてていたいたいですか?」

「ん。まあ、もうどうってことないよ。心配するな」


 ミーシャはなにか納得がいかないといったような顔で、頭上の犬耳とお尻のしっぽをぴこぴこ動かしている。


 それにしてもユリーシャが持たせてくれたこの炒り豆、美味くもなんともないが、妙にあとを引くというかなんというか。


 ふと、見ると股の間に立っていたミーシャが俺の持っている袋にそそがれている。


「ミーシャ。あなたのぶんは別にありますから」

「いや、いいって。ほら、ミーシャ。あーんして」

「あーん」


 ミーシャはうれしそうに顔をくしゃっとさせて、尖った犬歯を見せて赤い舌を伸ばす。


 ぽいぽいと豆を放り込むと「んー」と上機嫌で再びユリーシャの膝の上に戻っていった。


 今、俺たちは王都行きの長距離乗合馬車に乗っている。こうしていると、三月ほど前、国境を越えてユーロティア軍と激闘したことが遠い昔のように思えてならない。


 実際、あの日、俺とユリーシャはいっしょに死ぬつもりだった。ゆるやかな自殺とでもいえようか、最後の突撃をすると決めた次の日の早朝、思ってもみなかった援軍が敵ユーロティアの腹背をモロに抉ったのだった。


 援軍は、ロレムスからではない。なんと、ミーシャと同じ亜人である戦狼族ウェアウルフの一団だった。


 ここでも俺はツキに恵まれていたというのか、ミーシャを連れてレイジニアに向かう途中だった旅商人のハリーは偶然にも途中で戦狼族ウェアウルフの大長老でミーシャを捨てた娘の実父であるリューロペに出会ったのだった。


 あの日、〈ティスタリア〉の村に捨てられたミーシャと駆け落ち者だった娘を探してリューロペは長い旅を続けていたらしい。


 不幸にもリューロペの娘はすでにこの世のものではなくなっていたが、戦狼族ウェアウルフは仁義に篤く孫娘を拾って育ててくれた俺たちを一族と認め、その日のうちに周辺の一族七千を掻き集め、ユーロティア軍の横っ腹を抉ってくれたのだ。


 戦狼族ウェアウルフはロムレスに従わない蛮族として恐れられるだけあって、個々の戦闘力は人間の数十倍にも達するが、基本的に国同士の争いには加わらないのが常だった。かつて、王軍十万が数千の戦狼族ウェアウルフの戦士に蹴散らされたという逸話もあったが、彼らはとにかく精強だった。


 こうなると、敗亡の色濃い怨敵を城に籠って見ているほどロムレスの貴族たちも目端の利かない者ばかりではない。


 絶対に動かないレイジニアのコンラート将軍は勝ち馬に乗らずにはいられないとたちまち周辺の兵士を糾合し、十万近くに膨れ上がった軍団は浮足立ったユーロティアの第三軍を押し返し、ついには混乱のさなか敵将カール・バティーンまでも討ち取ってしまったのだ。


 そんなこんなで、もはや幸運の女神にベタ惚れされているとしか思えない俺たちは奇跡的に生き残って、生きる伝説となった。


 軍の上層部も、“火神”ジラルドと“戦女神”ユリーシャの大功を握り潰すこともできず、ついに俺はこの七年間望んでもかなわなかった王都へと余りある栄誉を衣に着て、戻ることを許されたのだった。


 詰め所の部下たち。ハンナやチャーリーたちは泣き喚いて別れを惜しんでくれたが、またいずれの再会を固く誓って村を出ることにしたのは胸に染みた。


「どうしたのだ。浮かない顔だな」

「そういうおまえはうれしそうだな」

「そうかな? くふふ」


 ユリーシャは俺が栄達すると聞いてから酷く上機嫌だった。ああ、そういえばコンプレックスが霧散したのか、夜の生活も絶好調になってしまった。ミーシャのことはいろいろ考えた末、祖父であるリューロペの許可も取って正式に俺たちの養子とすることにした。


 彼も王都に屋敷を構えているらしいので、孫にはすぐ会えるということもあり、快く了承してもらったのはなにはともあれ重畳といったことか。


 妙なくすくす笑いを見ると、ユリーシャはミーシャを抱っこしたまま、上機嫌に鼻歌まで出る始末だった。


 意外だったな。あれほど持ち上げられていた軍での栄誉を捨て去って俺の元に嫁いできたというの、そんなに栄転がうれしかったのだろうか。こいつはそういことあまり気にしないタイプだと思ったんだが。


「なあ、ユリーシャ。そんなに王都に戻るのがうれしいんか?」

「ん? 違う違う」

「じゃあ、俺が出世したから?」


「そんなのはどうでもいい。ジラルドが凄い男であるということは、世界で私が一番よく知っている。私がうれしいのは――やっとジラルドの名誉が回復されたからだ。本当に、よかった」


 なんというか。じんと胸に来た。俺はそっと顔を近づけると、きめの細かいユリーシャの白い肌がポッと赤く染まるのを見、指を伸ばして髪を梳きながら目を細めた。


「ジラルド……」


 感情が高ぶるまま口づけようと動くと、抱かれていたミーシャが不思議そうな顔でちょんちょんと俺の胸をつつき、あたりを指差した。


「やべ」


 向かい側には俺たちのやりとりを微笑ましそうに見守っている老夫妻と、若い娘を連れた困ったような顔をした中年紳士があった。


 そうだ。ここは貸し切り馬車じゃなかった。

 バツが悪いことこの上ない。


 慌てて咳払いをすると、ミーシャが唇を突き出しながらうーっと唸っている。


 こら。女の子がそういうことするんじゃありません。

「ちゅーしないの?」

 ミーシャががっかりしたような顔で問うた。


「しないよ」

 とりあえず、今はね。


「ジラルドの、ばか」


 そんな悪態もどこかいとおしいのだ。


 場が持たなくなって、腰のスキットボトルを取り出しキャップを外す。

 ユリーシャはしょうがないなというふうに小さく笑うと無言で人差し指を一本立てた。


 結局酒はやめられていない。


 俺は無暗に嫌って遠ざけるのではなく、節度を持って接するのが正しい愛し方だと最近思うようになった。


 それは方便なのだろうが、ときには自分を偽って許さないと、世のなか息が詰まってなにごとも苦しいだろう。


 俺は至高の甘露をカップにそそぐと噛み締めるように味わって、夢幻の世界にたゆたうような酔いが訪れるのを、ゆっくりと待った。

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酔いどれジラルド 三島千廣 @mkshimachihiro

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