第七話

 馬が疾走していた。まさに全速力。力を絞りつくす走りだ。馬の全身は大量の汗でぬめり光っていて、蒸発した汗が低い気温で白い煙となっている。

「伝令! 伝令!」

 馬に乗った鎧姿の騎士が叫ぶ。町の入り口の門を警備していた騎士は目を向いた。

 門が間近に迫り、騎士は手綱を強く引いて急停止させる。すでに体力の限界だった馬は満足に勢いを殺すことができず、速いそくどのまま倒れこんだ。騎士も投げ出される。

「おい! 大丈夫か!」

 門を警備する騎士たちが慌てて投げ出された騎士へ駆け寄り、倒れた体を抱き起こす。

「どうした、何があった!」

「りょ、領主様に……緊急事態が……帝国が……イヴュル帝国が攻めて来た……」

「な、何だとっ!」

 あまりのことに騎士は絶句した。


「こっちか!」

「ハイ!」

 城の廊下を二人の騎士が走っている。一人は普通の鎧。もう一人は装いが違った。鎧は赤色で、縁取りが金色の赤いマントを身につけていた。そして性別も違い、女性だ。

 二人が走る廊下の先に人影が現れた。それは疲れ果て今にも崩れ落ちそうな騎士と、それを支えて運んでいる騎士だ。支えている騎士が二人の姿を見つけて叫んだ。

「ネルゴット様!」

「その者かっ!」

 ネルゴットと呼ばれた女性騎士は、さらに走る速度を上げるとぶつかるような勢いのまま彼らの目前で停止した。ボロボロの騎士の肩へ手を置いて揺さぶる。

「何があった! 言ってみろ!」

「ネルゴッド様……帝国、イヴュル帝国が侵攻……規模は三千……急なことに対応できず、騎士も少ないため恐らく全滅すると隊長が……私一人が伝令のため……」

「わかった! お前は休め! 各団隊長を集めろ! 緊急会議だ、全員招集! 戦時装備! 馬車に食料をつめろ! 傭兵達も片っ端から連れて来い!」

「ハッ!」

 ネルゴッドの言葉を聞いた騎士が走り去る。それを確認することも無く彼女は踵を返して走り出す。時間がなかった。

「いったいなぜこの時期に侵攻してきたんだ? すでに冬となり、いつ雪に閉ざされるかわからないのに」

 そう言ったのはルカール・エル・トイ。ボラス王国エル地方領主だ。この会議室に集まった人間の上に立つ人物。

 重苦しい会議室に集まったのは領主であるルカール。妻でありエル地方騎士団総隊長であるネルゴッド・エル・トイ。四つある騎士団の各団長。領内の政務を扱う政務局局長だ。他の領ではさらに人が増えるだろうが、辺境であるエル地方ではこれだけで十分だった。

 すぐに口を開いたのはネルゴット。

「だからこそかもしれません」

「どういうことだ。それではやつらは雪のせいで敵国内に閉じ込められてしまうぞ?」

 ネルゴットにそう返したのは第二騎士団の団長だ。他の団長たちも頷いている。

「イヴュル帝国は北を塞ぐ大山脈の向こうです。山脈を抜けるには細い山道しかなく、冬には大量の雪で完全に塞がれてしまいます。今は冬。いつそうなってもおかしくない」

「そうなってしまえば帝国側からの援軍も支援も不可能です。そうなるとゆっくり飢え死ぬか、集結した我らボラス王国の大騎士団で踏み潰されるかしかありません」

「報告によると敵軍は三千。エル地方領騎士団は八百と少ないですが、この町は強固です。十分篭城できるでしょう。三千ではなく五千なら厳しいでしょうが、それでも援軍が来るまでは十分守れます」

 それぞれの騎士団団長が発言する。長年この地方を守ってきているので、その言葉は全く正しい。それならば彼らがボラス王国へ攻めてくるのは自殺に等しい。だというのに帝国はやってきた。だからこそ誰もが頭をひねっているのだが、ネルゴットは違うようだ。

 夫であるルカールは妻の目が確信に光っていることに気付く。

「ネルゴット、どういうことかな」

「普通の侵攻ならその目的はこの町と城、ボラス王国へ繋がる道を塞ぐフタを占領することです」

 会議室の全員が頷く。それは言われるまでも無い共通認識だからだ。

 ここエル地方はボラス王国の北東にある辺境だ。領地は狭い。長大に連なる山脈の切れ目にある、折れ曲がった線のようなわずかな土地だけだ。実際はその周辺の山々も領地だが斜面ばかりで開墾に向かず、標高が高いうえに冬が長く年中気温が低く作物が育つには適さない。そんなまさに辺境だが、この町を囲む岩壁と城は非常に強固な造りをしていた。

 なぜなら山脈を越えてすぐ北には敵性国であるイヴュル帝国があるからだ。帝国とは百年以上前から敵対している。さらに帝国は完全な武装軍拡主義で常に周囲と戦っていた。それは帝国のある場所がかなり北で、食料となる作物を多く生育できないことも原因である。自国でまかなえないなら他の国から奪うしかないからだった。

 その魔の手はボラス王国へ伸びる。しかし届くことは無かった。

 まず山脈自体が巨大な防壁と機能し、道も狭く崩れやすい山道しかないので大軍の移動が難しかった。そして冬となれば自信の背より高く雪が降り積もり、その道も閉ざされる。では春や夏に侵攻しようとしてもその期間は短く、また農作物の収穫時期でもあり農民を大量に徴兵することも不可能だ。

 それでも過去に何度かボラス王国へ侵攻したことはある。が、その度に手痛い敗北をしていた。その原因がエル地方領主城だ。

 エル地方は上空から見るとWを右斜め上に向けた形をした地形に見える。その折れ曲がった線以外の場所は全て山だった。右の先端がイヴェル帝国へ繋がり、左端がボラス王国へ繋がる。ボラス王国側の先には肥沃で広大な平地があった。その土地を帝国は狙っているが、それを邪魔するフタがエル地方領主城。平原へ繋がる道を完全に高い岩壁で遮っているのだ。迂回して山を進もうとしても急峻な山肌は人間の行く手を阻む。どうやっても平原へ出るにはこの岩壁を乗り越えるか突き破るしか無かった。

「しかし今回の手勢では不可能。しかし侵攻してきたということは、この城を落とすことを諦めている。もしくは、目的が城ではないということ」

「では、一体何が目的で……」

「政務局長。イヴュル王国で異変があったはずです」

 ネルゴットが視線を向けると、政務局長である男は目を瞬かせた。

「異変、ですか? 反乱軍が国家転覆をしようとはしていませんし、民衆の暴動も……冷害で餓死者が出ることもいまさらですし……」

「それです。冷害による食糧難。それを乗り切るには略奪しかない。つまり狙いはこの城より北にある村々の食料」

 会議室の面々は納得、困惑、呆れとそれぞれ違った表情を浮かべた。

「たしかにそうかも知れませんね。多くはないでしょうが、それぞれの村には備蓄食料もありますし、それらを全て奪えばそこそこの量になるでしょう」

「こちらに攻めてこないならば村の住民を城へ避難させればいいのではないだろうか? 雪が降り積もる前に帝国の者どももいなくなるだろう。その後帰せばいい。まあ、食料はいくらか持っていかれるだろうが」

「戦闘になる可能性は低そうですね」

 どこかほっとした雰囲気なる会議室だが、ネルゴットは一人厳しい顔をしていた。それを見るルカールの目も鋭く光っている。

「ネルゴット。何か考えがあるようだね」

「はい。恐らく帝国の狙いは食料だけではありません」

「それは?」

「村人です。村に住む人々を攫うつもりでしょう」

 その言葉に誰もが棒を飲んだような顔になる。

「村人を攫う?」

「帝国で冷害が起こり餓死者が大量に出ることも、それでなくとも餓死者が出ることはたしかにいつもの事と言えるでしょう。しかし帝国にとって他人事ではありません。何しろ国の要である食料を生産する人間が減るのです。知ってのとおり帝国は武力至上主義です。何があっても軍の人間を減らすことはないでしょう。そのしわ寄せがそれ以外の人間にいくわけです。農民がいくら飢えようが気にしない。死のうが気にしない。しかしそれが限界をむかえたら……」

 低く重いネルゴットの声に、誰かがごくりとのどを鳴らした。

「限界とは……」

「農民の数が軍を、国を維持するために最低限の食料を生産するだけの人数を下回っていたら、帝国はどうすると思います」

「軍を削減し食糧生産を促進……させないだろうな……」

「ええ。あまりにも頑固で猪突猛進の軍拡主義。発言は侵略と略奪せよ、のみ。そんな彼らが農民が足りないとなると、他国から奪おうと考えるはずです」

 空気が重い。ネルゴット以外の人間は冷たい汗がでていることを感じている。彼女だけが涼しい顔で男達を睥睨していた。

「おそらく……今も食料だけでなく、村人達を略奪品として袋につめているのでしょう」

 室内の空気が動いた。重く冷たい空気が熱を帯び、見えず感じることもできないがそれは確かに荒れ狂っている。それは怒り。

 村人達は彼ら騎士が守るべき者たちだ。それは義務だけでなく、人間として根源的にある人を守りたいという神聖な想い。それを汚し踏みにじり、好き勝手に略奪する。

「そんなこと、許されるはずもない」

「人は物ではない。ましてや帝国の山賊どもの略奪品でもないわ!」

 全員の目がルカールへ向けられる。騎士団に命令を下せるのは、領主である彼だ。一度伏せ、開かれた目は燃えるように輝いていた。

「打って出る! 相手はまさか我らが城から出てくるとは思っていないだろう! 奇襲だ! 一撃で倒す!」

「「「「御意!」」」」

 弾けるように騎士たちが会議室を出て行く。ルカールは領主であり、戦が得意なわけではなかった。彼は全て騎士団に普段からまかせていた。両手を組み神へ祈る。妻の、騎士たちの、民の無事を。それを静かに見つめ、音もたてず政務局長は部屋を出た。

 城が一気に慌しくなる。至る所で男達が殺気立ち叫んでいる。金属の鎧と、剣や槍がガチガチと硬い音を鳴らす。

 イヴェル帝国側の扉の前にある広場へ、続々と騎士たちが集まる。しかし混乱は無く、厳しく訓練されている事が見て分かった。それとは別にまとまりが無い集団がいる。騎士団とは違い装備が統一されていない。身奇麗な者も少ない。秩序的な騎士とは違い、誰もが暴力的な雰囲気をまとっている。傭兵達だ。

「ったく、急に呼びやがって。せっかく飲んでたのによ」

「気の毒だな。まあ報酬は弾んでくれるみたいだし、前金も貰えたしな」

 傭兵特有の刹那的で、だからこそ明るいやり取り。しかしそういった者たちは少数で、大多数はなぜか暗い光を目に宿していた。人の背筋を撫で上げるような歪んだ笑みを浮かべる者もいる。彼らは皆、騎士たちを見ていた。

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