第六話

 話を聞き終えたエインが最初に言ったのは「ふうん」と気の抜けた相槌だった。

「大変だったんだね」

「それだけですか?」

 エインの無反応に近い態度に、アイリーンの目が細められる。

「だって、イヴェル帝国のやつらはネルゴットさまたちの騎士団がやっつけるんでしょ。なら心配ないし」

「私たちのことはどうなんですか。馬に乗った騎士に追いかけられたんですよ。何とも思わないんですか」

「だから言ったじゃないか。大変だったねって」

 エインは不思議そうに言う。

「どうして私達を追いかけてきたのか気にならないのですか」

「ぜんぜん。だって追いかけたのはアイリーンさんたちをでしょ。僕じゃないし」

「なんて態度ですか! 酷いと思いませんかお嬢様! 私たちのこと全く心配していませんよ!」

 怒りで声を荒げるアイリーンに、ネミールは曖昧な顔をするだけだった。

「え、えっと……」

「さっき知り合ったばっかりの人の心配なんかするはずないし」

「そ、そうだね……」

「ああ、こんな暴言に心痛めることなく、こんな冷血で失礼な少年を広い心で許してあげるとは! さすが大天使ネミールお嬢様!」

 意味のわからない理屈でネミールを賞賛するアイリーン。目は現実ではなく違う次元を見ているかのように奇妙な光が渦巻いている。一体何が彼女をそうさせるのか。

 それを無視するエイム。

「もうそろそろ寝ようと思うんだけど。ベッドはこっちだから」

 テーブルに置いてあった燭台を持つと、炊事場へつながるのとは別の扉へ向かう。あまりにマイペースな行動に、アイリーンの動きは停止した。

「あなた……」

「だって、ネルゴットさまに追いつくには朝早く出ないといけないでしょ? 朝までには吹雪もおさまるだろうから。そうしたら出て行くよね」

 そのあまりにもそっけない言い方は、ネミールたちのことを考えて言っているのかどうか一切読み取れない。普通の少年とは明らかに違う態度に、ネミールとアイリーンは顔を見合わせる。

「どうしたの。来て」

 何とも言えない表情で二人はエインのもとへ向かう。

 その部屋はベッドが三つ並んだだけで一杯の部屋だった。暖炉などはないので寒い。

「ここが寝室。僕は左を使ってるから、二人はそっちを使ってね」

 エインは片隅にあった粗末な台に燭台を置くと、寝室を出て行ってしまった。

「ど、どうしよう」

「……エインの言葉通りに吹雪がおさまるのでしたら、たしかに日の出とともに出発したほうがいいでしょう。騎士に追いかけられたおかげで遅れてしまっています。少しでも早く行かなければいけません。そういうことで寝ましょうお嬢様」

「わかった」

 ネミールは右側のベッドを使うことにした。普段彼女が使っている天蓋付きの大型ベッドと比べるまでも無い大きさだ。しかし小柄な彼女なら問題ない。しかし柔らかいクッションなど無く、固い木に布を敷いただけで、さらに毛布のかわりに獣の毛皮だ。暖かそうだが、毛皮からは微妙に臭いがする。

 しかし贅沢は言っていられない。ネミールは固いベッドに入り毛皮を被る。小鳥はベッドに入る前に消した。魔法は意識していないと消えるので、寝ればどうせ消滅してしまう。

「……寒い」

 城の寝室には暖炉がある。おかげで暖かくして眠ることができた。それがここには無い。

 ベッドに入る前にアイリーンから「一緒に寝ませんか」と誘われた。しかしベッドはさすがに二人で寝るには小さく、また一緒に寝るなど子供っぽくて嫌だったのだ。しかし今となってはそれを後悔していた。二人で抱き合っていればいくらか暖かいだろう。

 胎児のように体を丸めてきつく毛皮を巻きつけていると、エインが寝室に入ってきた。彼は寝ているネミールへ近づいてくる。何だろうかと目を開けた。

「これを抱いて寝て。暖かいから」

 それは布で何重にも巻かれた、暖炉で焼いた石だった。

「あ、ありがとう……」

 受け取ったそれを抱くとたしかに暖かかった。背中や足が冷たいのは仕方が無いが、それでもさっきまでとは雲泥の違いだ。

 エインはアイリーンにもそれを手渡すとベッドへ入る。聞こえるのは吹雪が家を揺らす音だけになった。

「お母様はどうしているのだろう……」

 離れた場所にいるネルゴットのことを思っていると、やがて疲労した体は睡眠の海へ沈んでいった。燭台の短いロウソクが全て燃えるより、三人が寝入るほうが早かった。

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