第五章『木漏れ日』3/3

「お兄さん、ちょっとあっちでお話ししようか」


重なった手とは反対側の手でバスケットを持つ手を取られ、カルステンはマントを纏った少女にズルズルと引かれていく。カルステンは慌てて代金を店主に向かって投げ渡した。

「あの、ちょっと、……ッ」

人混みを、腕を取られた状態で引きずられるというのはかくも体勢的に不安定なものかと呻きながら__そもそも一人で歩いていた時にも十二分に歩きにくかったのだから当たり前といえば当たり前である__、カルステンは先行く小さな少女に声をかけた。

「……」

(む、無言…………)

現実は非情である。カルステンの声を無視したままに少女はずんずんと進んでいく。


引きずられるままに辿り着いたのは街の外れにある小さな広場だった。中央にこれまた小規模の噴水があり、跳ねる水が心地よい音を立てている。

噴水の縁に腰をかけて、少女は久方ぶりに口を開いた。

「お兄さんは何者かな?」

じろり、とカルステンを見る目が厳しい。まぁ正直な話カルステンとしても下手を打った自覚はあったので然もありなんという心境である。

(魔王が、恐らくは変装?までして街に潜入?しているのに、それが見ず知らずの明らかにヒト族の男にあっさりと正体がバレたらそれはまぁ、そういう反応にもなるだろうな)

というか、もっと取り乱していてもおかしくはない状況である。何せここは帝国領内。中立地域とはいえそれも帝国内での話だ。当たり前だが魔族には適用されない。そも、現皇帝はどこに出しても恥ずかしくない魔族嫌いで、領土内で魔族はサーチアンドデストロイが基本だ。そんな国で正体がバレているのだから、さっさとカルステンを殺すなりなんなりすべきだろうに……とそこまで考えてカルステンは嗚呼と頷いた。

(成る程、殺すにしてもあの人だかりではな。何の目的でここにいるのかはわからんが、秘密裏に来たということは何かなすことがあるということだ。であるならばなるべく場を乱さない方が良い……目撃者が出ないように街の外れで殺す方が理にかなっているな)

「あのね、お兄さん。 私の質問聞いてた?」

「アッ、はい」

ごほん、と咳払いをして仕切り直す。

「俺は人間です……貴女と同じ」

自身が敬意を払う少女へ向けて出来うる限りの真摯さでもってそう言って、隣に座る彼女の顔色を伺うと、少女は「はぁ、」と溜息をついて手に持っていた林檎を袖で拭いた。

「一個貰うよ」

少女が林檎に齧り付くと、しゃくり、と気持ちのいい音がする。カルステンもつられてバスケットの林檎を齧った。

「私と同じ、ね」

赤い林檎を思いがけない速さで食べきった少女はその芯をぽいと放りながら呟いた。次いでもう一つの林檎を自身が被っていたマントの中から取り出すと、今度は断りもなく食べ出した。

(見つからなかった最後の一つは既に彼女が拾っていたのか)

一応七つ分の料金を支払ってきて良かったと心の中で安堵して、カルステンは少女の言葉を待った。

「お兄さんさぁ、気づいてるよね? 私が魔族だって」

「……そうですね」

「さっきも"陛下"なんて呼んじゃってさぁ……なんでその場ですぐ騒ぎ立てなかったの? この国は魔族はサーチアンドデストロイが基本って聞いてたんだけどな」

「そうですね。でもまぁ、そこは基本ってだけですから」

「魔族が怖くない?」

「特には」

「そう……ふぅん」

つまらなそうに相槌を打って、少女はカルステンの方を見た。マントのフードの下から覗く金の目にかち合って、それが何故か痛くて、カルステンは誤魔化すようにバスケットから取り出した林檎を少女に差し出した。

「お兄さんはさ、綺麗な目だね」

「?」

なんでもない、と微かに微笑んで、少女は視線を何処か遠くへやってしまった。

「まあ、もういいよ。私もお忍びだしさぁ。お互いオフレコね」

その言葉に安堵して、カルステンは「わかった」と頷いた。

ところでさ、と少女が笑う。

「お兄さんが私みたいな女の子相手に敬語って変じゃないかな?」

「変だと思われますか?」

思いがけず問われて、カルステンは首をかしげた。カルステン自身は変だとは思わないけれど、この少女がそう思うならそうなのだろうと思った。

「うーん、別に」

聞いてきた割にあっさりと否定する少女に、カルステンは言葉を続けた。

「ではお気になさらず。俺が勝手に、貴女を敬いたがっているだけですから」

「そっか」

そういうと本当に気にした風もなく、少女は林檎を齧った。蜜のたっぷり入った林檎は小気味良いリズムで咀嚼されていく。

「……あのさぁ、独り言、言ってもいいかな」

三つ目の林檎を食べ終えた少女が、ぽつりと呟いた。

「お兄さんみたいにさ、私が魔族だって知っても怖がらない人が……怖がってもいい、違うってだけの理由で殺そうとしないヒト族がもっと沢山いれば、もっと生きやすいのにって、思うんだ」


「確かに魔族私達とヒト族とは違う」「魔族の方が術を使うのは上手いし、耳も尖っているし、髪の毛は鮮やかで瞳は金だし、肌の色も違う」「住んでいるところも、信じている神も」「でもそれって、悪い事かな?」「当たり前のことじゃないか、魔族仲間内でだって意見が食い違うんだ。それくらいの差がなんだ」「私達は言葉が通じる」「話し合うことができる」「魔族もヒト族も、生きている。同じ、この世界で。だからきっと、」


「私達は分かり合えるはずなんだ」


(あの時・・・も、同じことを考えていたのだろうか)

吐露された心の叫びが胸に刺さる。


現時点で、魔王軍はヒト族の領域に進軍していない。多分、実際に軍が動くのは後一年程後の話だ。現在ヒト族と交戦しているのははぐれ・・・の魔族達。元来交流の浅さに反して対立の根深い両族は、民間レベルでの争いが常だ。現に魔族領と近い地域では、昔から小競り合いが続いている。実力主義社会の魔族領の、そのトップにさえ抑えきれない程の因縁がそこにはあって、恐らくはきっかけさえ覚えている者はいないのに、戦い続けていた。ここで引いては祖先に顔向けできん、という気持ちは、カルステンには共感出来ないが、一般論としてわからなくもない。

最後まで魔族の総意として軍を出すことに渋っていた魔王は、しかし結局民意に押されてヒト族の領土へ進軍を始める。それは勿論魔族側の積年の恨みだけではないとある問題の所為ではあるのだが、彼女の小さな肩に乗せられた重圧は如何程だろう。

当時のカルステンは、彼女の思いなどこれっぽっちも知らなかったけれど。それでも少女が何かに耐えて、王の顔を崩さなかったことは知っていたから。


嗚呼だからこそ、カルステンはこの少女を、ヴィルヘルミーナを尊敬している。




ゴーン、ゴーン、と鳴り響く鐘は日が沈む合図だ。

「すっかり話し込んじゃったね」

あは、と少女が笑う。

「私はこの後もう少しお祭りを見て……それからこっそり帰るつもりなんだけど、お兄さんは?」

問われて、カルステンはふむと頷いた。話し込んでいた所為で全然祭りを見て回っていない。しかし、まぁ、

(俺が行きたがったわけではないしな)

何故かエンゲルハルトは己を祭りに行かせたがっていたが。

「俺は日が落ちるまでに帰らなくてはならないので、そろそろ帰ろうかと」

「そう」

少女はすっくと立ち上がって、マントをばさりと払う。何となく気になって暑くないのかと聞くと、「今それ言うの」と笑われた。

「……じゃ、もうバイバイだね」

「そうですね」

花火は夜かららしいが、詳しい打上げ時間もわからない上に(そもそも聞いていなかった)、現在の時間もわからない以上、早めにエンゲルハルトの元に行く方がカルステンとしても安心できる。例えカルステンが花火に遅れてもエンゲルハルトは怒らないだろうが、その代わりに何を言われるかわかったものではない。そう言った点においてある意味信頼が置けるのがエンゲルハルトという男である。

カルステンはバスケットに残った林檎から一つ取り出して差し出した。

「せっかく貴女に会った記念に、林檎をどうぞ」

「はは、貰っとくね」

少女は気軽にそれを受け取って、にかりと笑う。

「次会う時には名乗るから、お兄さんも名前教えてよ」

そう言って、カルステンを置いて少女は歩き出す。振り返らぬまま付け加えられた「林檎のお礼もするからさ」という言葉が耳に届いて、カルステンは何だか眩しいものを見たような気持ちになって目を細めた。

「はい、その時は、是非」

小さな背中は振り向かないまま港の方へと消えていった。




「林檎、買ったんだね」

「ああ、まぁ、うん」

しゃくり、と林檎を二人で齧りながら話す。自分も食べている癖に事実を確認するようなことを言うエンゲルハルトにカルステンは曖昧に頷いた。ディモは林檎を切り分けて食後にでもと提案したが、それを断ってベランダの手すりに体重をかけるように肘をついて林檎を丸齧りする。食事を終えた後の腹に丸一個はちと重いな、とぼんやり思考した。

屋敷のベランダから見える景色は日が落ちてもやはり壮観で、カルステンはほう、と息を吐く。

その内、ドォン、ドォンと音が響き始める。

「始まったよ」

隣で林檎を齧るエンゲルハルトがふ、と笑う気配がした。

光が弾けて夜空に舞う。集まって流れてきらめく。音が心臓に響いて、眩しくて、目の奥がチカチカした。

(そういえば、花火、というものをちゃんと見るのは初めてか?)

無駄に何回も繰り返しているので存在は知っていたし、遠目に見たことはあったのだけれど。

「花火がとても綺麗だね、カルステン」

こちらを見もせず、彼にしては珍しく本当に感じ入ったような声色でエンゲルハルトが呟いた。

「綺麗だ、本当……」

何故だかわからないけれど、カルステンは隣でエンゲルハルトが泣きそうな顔をしたような気がした。



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木漏れ日から日常を愛す

__(あかく__てまる__くて)(__あまく__てそれ__で、)________

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