第五章『木漏れ日』2/3
大通りは活気に溢れていた。
庶民区と
「明日はお祭りに行っておいで」
にこり、と笑うエンゲルハルトに虚をつかれたようにカルステンは目を瞬いた。
(てっきり一緒に行くように言われるとばかり思っていたが)
「一緒に行きたいのは山々だけどね、」
エンゲルハルトの声に苦いものが混ざって、心なしか困ったような顔をした。
「僕はこれでもこのルビウス帝国の第三皇子だからね。流石にそこまで気軽に下には降りられないし、僕が予告もなしに突然現れたら最悪庶民区で何人か死んでしまうよ」
「……そういうものか」
カルステンは首をひねる。そういう割にはエンゲルハルトのフットワークは軽いように思われたからだ。
「僕がただの第三皇子でもそれなり以上の問題があったろうけどね、その上僕は
成る程、と今度はカルステンも首肯して納得した。そういう意味での面倒臭さには心当たりがあった。
「でもせっかくタイミング良くここを訪れたのにお祭りを見ていかないのは勿体無いだろう。お前だけでも見ておいで」
「良いのか、それで」
「うん、その代わり夜には花火が上がるらしいからそれまでには帰ってこい。一緒に見よう」
それくらいなら特段否を言う事でもない。「わかった」とカルステンは頷いた。
そして今に至る。
クレスタラの市民区は、高等民区との境から港を直線で繋ぐように一本大きな道が通っている。後の道はそこから細分化されるように伸びており、本日行われているお祭りでも、多くの露店が大通りに出されていた。なんでも事前にエンゲルハルトに聞いた分によると、高等民区から見て手前側にはアクセサリーやペイント、洋服などの露店が、港に近づくと魚を用いた料理の露店が多くなっていく構成らしい。カルステンはあまりアクセサリー等には興味がないので、取り敢えずは港を目指すことにした。
「……暑い」
固定式法術の効果範囲から離れ大通りを進むにつれ熱気が押し寄せる。気候自体はカラッとしているのだが、何せ人口密度が凄い。
「よぅ、にいちゃん。ジュース買ってくかい?」
眉間にしわを寄せて唸っていると、果物を絞ったジュース専門の露店から声がかかった。カラカラになった喉を潤すには良い機会だったので応と頷いて、金銭とジュースの入った容器をトレードする。
ごくり、とまず一口飲む。柑橘系の甘酸っぱさが口の中に広がって、溢れた唾と一緒に残りを一気に飲み干した。
「美味かった」
飲み終わった後の容器を露店に返却しながらカルステンが感想を告げると、店主が「そりゃ良かった」とにかりと笑った。
気候の所為だろうか。この町の人は気のいい人が多い、ように思われた。大通りの端々で大声で笑い合う人々や、町中を流れる軽やかな音楽を受けて、カルステンは思考する。
(うちの村も悪くはなかったがな、全員身内のような感覚で)
なんとなく心の中で一人張り合いながら、カルステンはまた人混みの中へ戻っていく。
歩いて、歩いて、歩き進めるうちにカルステンははたと気が付いたのだが、大通りは港に近づくにつれ混み合っているらしい。
(港で何かしらのイベントでも行われているのか……?)
一応、各々注意はしているのであろうが、お祭りで盛り上がった気分のままに緩慢になった脳みそではそれも無いも同然で、道行く人はざわめき、見知らぬ人同士で肩を組み、押し合いへし合う。つまり何が言いたいのかというと、大通りは大変混雑混乱渋滞していた。
そんな中を縫うようにして歩を少しずつ進めいてたカルステンは、不意に見知らぬ通行人の一人に強く押し出された。他意はなかったのであろう彼は、「すまん」と軽く手を挙げると波に飲まれて見えなくなってしまう。それは別に良い。問題は押し出されたカルステンが体のバランスを取り戻す前に次の波が来た事だ。__一瞬、カルステンの足が僅かに宙へ浮いた。ぞわり、とあまり嬉しく無い類の感覚が背中を伝っていってカルステンは咄嗟に目の前にあるものを掴んでしまった。
途端、ごろり、と音がしてそれは道に転がり落ちた。
「あっ」
ごろり、ごろりと転がるのは赤々とした林檎。己の手を見ると掴んでいたのは露店の売り物を並べる台に敷かれた一枚の布。しまったと思い、露店の店主を見上げるとまぁそういう事もある、というかのように苦笑する姿に罪悪感が募る。
「すまん…………」
少し項垂れて、落ちてしまった林檎を拾う。道にあまり傾斜がなかったことに安堵しながら、(これはもう落とした分は買うしかないな)と溜息をつきながら、一つ、また一つと拾っていく。
(代金はまぁエンゲルハルトから事前に渡された分で足りるだろうが、問題はどう消費するかだな)
カルステンとしては、出来ればあまりエンゲルハルトには知られたくない。カルステンの反応を見る為か普段から妙な言い回しを好む男なら、きっとこの失態を怒ることこそしないまでもその代わりと絶対に揶揄われる。絶対に。カルステンは妙な信頼感でもって確信した。しかし落とした林檎はそこそこの数があるし、持って帰ればすぐにバレるだろう。
考えながら淡々と林檎を集めていく。沢山の人で溢れかえっている癖に、人の波はそれで一つの生き物であるかのように器用に足元の林檎を避けていく。拾いやすくなって大変有り難いのだが、それなら誰か拾うのを手伝ってくれても良いのでは? と思わないでもない。
落とした林檎は七つ、のはずだ。カルステンが見間違えていなければの話だが。
拾い始めた時に露店の店主から渡されたバスケットの中には現在五つの林檎が入っている。あと二つはさて、何処か……とカルステンが目を皿にして見回すと、露店の台の足元に一つ赤い影が見えた。屈みこんで手を伸ばす。__その時、横からスルリと伸びてきた小さな手がカルステンよりも先に林檎に触れた。
「あ、」
思わず声が漏れて、伸ばしていた手も止めようと意識が回る前に林檎に辿り着いてしまう。……つまりは、その小さな手の上に。
「む」
微かに少女の声が聞こえて、カルステンは重なった手から順に視線を上げていった。
赤みのある小さな手。ヒラヒラとした黒のフリルが覆う、しかしその上からでもわかる華奢な腕。ウェーブを描く黒い髪。小さな卵型の顔。ちょこんと飛び出た八重歯。その金色の瞳__。
「え、あ」
余りにも
(そんな、え、こ、こんな所で?)
大通りのざわめきが遠くに行ってしまったように錯覚して、気温のせいではない汗がどっと噴き出るのを確かに感じた体がぶるりと震えた。
「へ、陛下…………」
何を隠そう、このカルステンが落とした林檎を拾おうと手を伸ばした少女の名はヴィルヘルミーナ。その肩書きは現魔族領総統閣下、要するに今代の
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