第五章『木漏れ日』1/3

さんさんと照りつける太陽。湿気を過分に含んだじっとりとした空気。時折吹く生ぬるい風。エルツ島はただいま絶賛夏である。

高温多湿なこの夏は研究にも学問にも不都合な為、エルツ学園は毎年夏の間の一ヶ月間を中間の連休に定めている。連休中は当番の教職者以外の立ち入りが禁止されており、生徒達は実家又は移動手段の一つである船のある港近くの宿等で過ごすことになる__最初の三日間の当番になっていたらしいベーレンブルッフは苦々しげな顔つきで「忘れ物をしても取りには帰れないから今のうちに何回でも確認をしておけ」と告げた。


そんなわけで夏休みに突入すること四日、うち三日を移動に使ったエンゲルハルト一行__エンゲルハルト、カルステン、クロイツの三人(二人と一匹)と、途中で合流したディモの計四人__は、彼の持つ別荘が立つ避暑地、クレスタラを訪れていた。

避暑地クレスタラは西に帝国でも有数の漁港を持つことでも有名な町だ。街は主に二分されており、港のある西は庶民区、東は帝国貴族たちの別荘が建つ避暑地になっている。そんなに貴族の家を近くに集めて問題は起きないのか、と思わないでもないのだが、なんでも帝国法の一節に中立地域の記載があり、その筆頭がここクレスタラなんだそうだ。そも同じ帝国貴族ひっくるめて皇帝の持ち物であるのだから、勝手は許さないという方針らしい。

エンゲルハルトの別荘が建っているのは勿論東にある避暑地の中でも一等景色の良い場所であり、眼下に見える海や活気のある街は美しく、また大量に設置された固定式法術によって適度に冷やされた空気が有難い。成る程ここは避暑地であると納得した。

そびえ立つ屋敷を見て随分と大きな建物だ、とカルステンは思ったのだが、エンゲルハルト曰く最初にカルステンが連れていかれた本宅よりも少し小さいらしい。

「いや、十二分にでけぇわ」

とはクロイツ談。

出迎えに来たアリとレンカ別荘の管理を任されている狗を横目にカルステンも心中で同意して片眉を上げた。


「さて、」

定期報告といこうか、とディモが言った。エンゲルハルトは、と視線で問うと「殿下は今自室でティータイムだ」とのこと。与えられた一室の荷物整理も終わり手持ち無沙汰だったカルステンが特に異論もなく了承すると、とある一室に通される。

カルステンの部屋よりも一回り小さな部屋は生活感がなく、しかしベッドやクローゼットといった設備はあるようだった。

(空き部屋か?)

首をかしげたカルステンにディモが独り言を言うように「私の部屋だ」と告げる。それなりの大きさのこんな部屋があるなら自分が使いたかった、とカルステンは頭の隅で思考した。


「定期報告だが、当たり障りのない部分については月一で送っている手紙の通りだ」

勧められた椅子に腰掛けながらカルステンが切り出す。月に一度手紙として学園から帝国へ出している報告文は、つい先日の物も含めて四つになる。

「ああ」

軽く頷いて、ディモがスーツの袂から四枚の封筒を取り出す。中からぱらりと垂れる便箋は間違いなくカルステンが送ったものだ。届けられる途中で他人に読まれても問題がないように当たり障りのない事しか書けていないが、日々書き溜めたエンゲルハルトの様子などが簡単に記載されている。

「書けなかった事としては……フェレーナ=ウルレドの事なのだが、途中からエンゲルハルトに一任した為詳しい結果を知らん。何があった?」

「その件についてはまぁ、こちらの方で動いたから特に聞きたいことはない。強いて言うなら、ミスウルレドは彼女自身の敵は少ないが、彼女の関係者・・・・・・は敵が多いということだ」

「あぁ、うん……成る程」

何故だか納得ができる気がしてカルステンは少し遠い目をした。……誰にでも苦労はあるものである。

暫く間が空いて、ディモが気まずそうに「……殿下にご友人は出来ただろうか」と聞いた。

「……出来てたらとっくに報告してるとは思わないか?」

「…………まぁ、そうであろうな」

思わず半目になったカルステンと、残念そうなディモの会話はとても悲しい。哀愁さえ感じると言っても良い。

「クラスメイトに話しかけられたりはしているが、特に誰と仲良く、といった感じではない……というか俺が言うのはなんだとは思うが多分ちょっと引かれてると思う」

(本当に、自分で言うのは、なんだが)

意外と周囲からの評価に心当たりのあるカルステンである。自身がちょっと浮いている事には薄々気づいていた。勿論、カルステンが気づくような事であればエンゲルハルトも気づいてはいるのであろうが。

ディモが眉を下げた悲しそうな顔で緩く首を振った。

「殿下は幼少より今に至るまで何事も一人で成し遂げてしまわれたからな……我らもあの人の隣には居れぬ故、並び立つ距離感が難しいのだろう」

カルステンとて一人暮らしの長い身だ。それも何度も何度も繰り返しているだけあって孤独もよく知っている。

(でも友達を作っていたこともあったぞ)

雇い主が思っていたより残念である可能性が出てきた。

「………………その、なんだ、後期はもうちょっとクラスメイトと関わるようにしよう」

「そうだな、それが良い。お前がそちらにいてくれればきっと殿下も接点ができやすいだろう」

そっと目を逸らして約束をすると、ディモがうぬ、と頷く。普段表情の乏しい男の顔が見るからに明るくなり、それはそれでちょっと引いた。

その気持ちのままに常からの疑問もぶつけてみることにする。

「そういえば、俺も狗になっているわけだが、それにしては仕事が少なくないか? 定期報告くらいしかないぞ」

勉強会には来ないし、カルステンは一人部屋だし(食事は一緒に取るが)、一人で教師の所に行ってしまうし。

思っていたより拘束されない実情が不満なわけではないが、納得がいかないのも確かである。仕事とは。

ディモは少し思案するように目を閉じて、首を傾けた。

「名目上は我らと同じ狗だが、お前の役割は基本的にあの人のものであること・・・・・・・・・・・に尽きる。そこまで気にしなくても良い」

甘やかな声と赤い瞳。そのうつくしい容貌の、お気に入りの絵画を鑑賞するときのようなじっとりとした視線を思い出して少しムッとする。求められるは人ではなくものであると。

「…………まぁ、そう言うならそれでも良いんだが」

解決されたような、されていないような。

「では、私はこれから用がある」

そう言うと、ディモは「え」と間抜けに声を漏らすカルステンをスルーして部屋を出て行ってしまった。

(……普通自分の部屋に他人を置いていくか?)

カルステンがうんうんと唸っていると、コツンと扉がノックされる。

「……はい?」

返事をするとすぐにガチャリと扉が開く。止める間も無く入ってきたのは六人の男女だ。

「私はドルテ。別荘ここの管理を任されているものです。よろしくね、新入りさん」

長そうな赤茶色の髪をひっつめて団子にした女性がそう言って軽く頭を下げる。それを聞いてカルステンは成る程顔合わせか、と呟くと、意図が伝わったことが喜ばしかったのか、ドルテと名乗った女性が「説明の手間が省けるわね」と微笑んだ。

「俺はアリ、さっきも会ったよな。よろしく」

先ほども見かけた少し軟派そうな男がそう言えば、

「私も、さっきぶりね。レンカよ、よろしく」

気の強そうな黒髪の女性が力強く笑う。

「イルマです……よろしくお願いします……」気の弱そうな少女と、

「ダニロだ。ここの庭師としても動いてる」老齢の男性、

「俺はカイ。ここじゃ一番の下っ端だけどお前よりは先輩なんだからな〜〜!」にかりと笑う若者。

「カルステンだ。取り敢えず、よろしく」

先輩達に倣って挨拶をすると、わしゃわしゃと頭を撫でられる。「すまし面しやがって!」

どうやら面倒臭そうな雰囲気の場所だな、とカルステンは溜息をついた。





夕食は淡々と進む。

いつもの様にエンゲルハルトの自室に招かれ、食事を共にする。__余談だが、エンゲルハルトの自室はカルステンのそれの倍以上の広さだ。

カボチャのポタージュにカプレーゼ、サーモンのマリネとローストビーフ。

デザートのプディングを紅茶で流し込んだ後、エンゲルハルトが口を開いた。

「明日ね、お祭りがあるんだって」

同じく、こちらはコーヒーを飲んでいたカルステンは「ほう?」と目を瞬かせた。

「祭りが?」

随分とタイミングがいいな、と思いながら聞き返すと、「本当にタイミングが良いよね」と対面に座った男が言った。まるで頭の中を覗かれている様だとカルステンは一瞬苦々しい表情を浮かべる。そんなカルステンを気にした風もなくエンゲルハルトは彼にしては随分と油断した声色でもって言葉を続けた。

「うん、庶民区の方……港の大通りであるらしいよ」

「そうか。それで?」

心のままに問えば、エンゲルハルトは眩しいほどの笑みを浮かべた。

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