間章『古代種』
暖かい日差しが差し込む窓辺で、クロイツはぐぐぐっと背伸びをした。猫の姿でいる時は、好きなだけ寝ていても誰にも注意されないのがいい。
ガチャリ、とドアを開けて入ってきた部屋の主を悠々とした動作で振り返った。
「よォ、愛し子サマ。俺になんか用があんだろ?」
「察しが良くて何よりだ黒猫」
にこり、と温度のない笑みを浮かべる男は顔にあどけなさを残しており、年齢的にいってもその華奢な体躯からいっても、まだ少年と評するべきなのかもしれない。しかしそんな、子供がこのような目をするだろうか。こんな、まるで、
(獣みてぇな目ェしやがって)
つい先日、初対面の時に……つまり
「僕の質問に答えろ。正直に」
そんなこったろうと思った、と首をぐるりと回す。
「嫌だっつったら?」
一応断る理由はないのだけれど、素直に聞いてやる理由もないのだから、クロイツからしたら妥当な反応だろう。
「君に選択権があると思わない方がいい。妙な事をしてみろ。僕を含め全員が困ったことになるぞ」
「脅し方が斬新ね?」
へらりと笑って見返すと、貼り付けたような笑顔さえ無に帰すほど温度のない目がそこにあって、クロイツは毛を逆立てた。
「…………それマジで言ってる?」
さぁどうだろう、と目を細める男は相変わらず読めない。何をしでかすかわからない辺りが核兵器並みに厄介だ。
「僕はとても真面目な人間だからね。冗談は苦手なんだ」
(ハッ、それこそ冗談だろうよこのクソガキ)
毛を逆立てたまま、クロイツは思考する。メリットとデメリットの話だ。何か話してやったところでクロイツにデメリットはなく、話さないと逆に何が起きるかわからない。クロイツはこの男が何者か知らないけれど、その見た目からして、彼が
「……いいだろう、答えてやる。何が知りたい?」
改めて問うと、男は口を開く。最初から決めていたのだろう。迷いは一欠片も見当たらなかった。
「君のことを」
「あ?」
意図を読み取れずまたしても首を傾げると、男が言い直す。
「
「あらやだぁ、この前の俺の発言気にしちゃったのねぇ?」
相変わらずの命令口調に苦笑いして、それから気を取り直すように肩を竦めた。
「ま、いいぜ。だが俺は優しくねぇから、テメェの知らん単語が出てきても一々解説はしてやんねーから心して聞け」
「ふん……まぁいいだろう」
これは前の時代の住人たち、所謂古代種達の話である。
昔、世界にはたくさんの種族がいた。
その一つ。四陣営の中で亜人型が最も多く、一番の人数を誇っていたのが黄色陣営こと、ディエルモだ。
…………あ? この前悪魔ってのは職業みたいなものだって言ったろって?
そうだ。確かに言った。
じゃあ前提を直そう。
__俺たちは昔、一つの種族だった。便宜上人と呼ぶがな、
もうずっと前になくなっちまったみてぇだが、昔、とある神殿があってな。どんな神殿かって? 急かすなよ。聞いて驚けその名も『転職の神殿』。人からそれ以外のものへ成る為の神殿だ。……いやまぁ今思えばそりゃ転職ってより転生の神殿とかのがしっくりくるような気もするがな? 当時はあまり、そこに大差はなかった。職を変えることはそれまでの人生を手放すことで、生まれ変わることと同義だったからな。
そんで、俺は成った。悪魔に。
つまり俺は悪魔である前に
……戦争の終着点がどうあったのか、それを俺は知らない。ちょうど抜けてた時だったからな。帰ってきてみたらもうもぬけの殻。だァれもいやしねぇ。ログ読んでも大した情報も拾えねぇし。大人しく本に戻って、ダラダラしてた。
そんな時に、
「じゃあ君は、本当に自分が古代種であると?」
クロイツが口を閉じてから数秒間を空けて、エンゲルハルトが問うた。訝しむようでいて、何処か期待を含ませた声色だった。
「
答えればまた数秒の間。エンゲルハルトは溜息をついて首を軽く横に振った。
「本当は、君のことを、というよりは君とカルステンの関係についてちゃんとききたかったんだけどね。やっぱり話してはくれないか」
残念そうに言われる。
「テメェが
「……そうだったね」
白く長い睫毛が、その赤い瞳に影を落とす。相も変わらず愛し子達は美しく出来ていやがる、などとクロイツは頭の片隅で思考していた。
不意に、空気が動いた。
フェリガを思わせる瞳が、己のそれを__ディエルモの象徴たる金の瞳を貫いて、クロイツは知らずのうちににやりと口角を上げた。呼び起こされる記憶は戦場のもの。何度、この瞳と対峙し、この身に宿る炎を振るっただろう。焼ける臭いは気を高揚させ、火力はさらに上がる。穿つ炎は__
「何を想像しているのか知らないけれどね、君のその顔、とても不愉快だからやめてくれないか?」
瞬間現実に引き戻される。言葉とは裏腹に澄ました表情を崩さない男は唇の動きだけで「き・も・ち・わ・る・い」と零した。
「ンだよ。テメェがちったァ見れる顔してやがるから何かと思っただけだろーが。まだなんか用件があるならさっさと言え」
ち、と舌を打つと、男に「器用なものだね」と肩をすくめられる。
「そう、でもまぁ、そうだね。用は、まだあるかな」
視線を逸らして、少し考え込むように吐息を漏らした。
「なんだ」
「悪魔がディエルモなのではなく、ディエルモの中には悪魔という種族……職業に後天的になったものもいた。君は悪魔であるけれども、僕たちの言うそれとは違う。ここまでは合っている?」
「おう」
短く相槌を打つと、男は考え込むように黙り込んだ。暫く眉間に手を当てて俯いていたが、脱力したように深く息を吐く。
「
おそらく、カルステンがこの場にいたら「お前がな」とつっこんだであろうが、生憎と彼は今フェレーナと一緒に図書室での勉強会の最中であり、また彼の心情を把握している者もいない為、何事もなかったかのようにその発言は流された。
「君は、カルステンの敵ではないんだね?」
これは確認である、とクロイツは知っていた。図書室での二人の会話を殆ど最初から聞いていたのだ。険悪さは嗅ぎ取れど、その上の言葉のいらぬ親密さと、
敢えて鷹揚な態度で首肯した。
「敵ではねーわな。目的はある。ばっちりあるが、それが奴の害になるこたァねーよ。俺の用があンのは
クロイツは緑色の目の少年を思った。奴自身に恨みがあるわけではないけれど、契約が成された以上は、履行された以上は報酬を支払う義務が奴にはある。
「複雑な関係みたいだね?」
妬けるな、とは誰に向けたものだか。ジリジリと射殺すような目で見られれば言葉遊びにもならない。
「複雑ってこたねぇ。俺ァ気が長い方だが、食の恨みは深くてな? ご馳走掠め取られっぱなしじゃ名が廃るってだけさ」
低く笑うと、視線が少し和らぐ。わかりにくい男だと思っていたが、存外弱いところはあるものらしい。
「そう……そうであるならば」
呼吸を整えるように、男が言葉を紡ぐ。
「僕と契約しろ、炎十字の悪魔。内容は僕への最大限の協力。報酬は
言われると思っていた言葉のままを告げられて、思わずクロイツは苦笑した。苦笑ついでに茶化すのも忘れない。
「意味わかって言ってるか? 愛し子サマ」
「わかっているさ。どういう意味かは、ね」
オーバーなリアクションで肩を竦められる。何かを決めたような男の目に溜息をつきたい気持ちになって、クロイツは投げ出すように「オッケ」と呟いた。
了承を合図に術式が組まれていく。クロイツにとっては見慣れた契約の証だ。それが、前脚……人で言うところの右手首のあたりに巻き付いて、馴染む。
同様のことが起きていたらしい男がこれから共犯者になる己に向けてにこり、と微笑んで手を差し出した。
とっくの昔に関与していたアレソレに、明確に今、
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