小話③

【ペットの話】





「かわいい!」

押し付けられる豊満な胸。すり寄せられる美少女の頬。圧が苦しいのか顔を歪ませてこちらに助けを求めるクロイツを、カルステンは災難だなと憐れむべきか、役得だなと笑うべきかで一瞬悩んだ。

「……苦しそうだから、放してやるか、それか手を緩めてやってくれないか」

結局可哀想になってそう言った。フェレーナはぱちりと目を瞬かせた後、恥ずかしそうに目を伏せてクロイツを床に下ろした。

「す、すみません。私その、動物が好きなんですけど、力加減がわからなくて……申し訳ありません」

力加減、と言われるとカルステンにも適切なラインはよくわからない。

(うちは動物を飼う余裕なんてなかったからなぁ)

床で毛づくろいをしているクロイツに目を合わせる為にしゃがみこむ。

「…………大丈夫だよな?」

にゃあ、と鳴いてみせたクロイツに、隣でフェレーナがホッとしたように息を吐いた。


「何やってんの」

「わ」

突然声をかけられて振り返ると、エッダがこちらを覗き込んで首を傾げている。事情を説明しようとした時、エッダの更に後ろから歓声が上がった。

「ね、猫だ〜〜」

「猫?!」

集まってきたのはフレルクとベルディとアマンド。それから一人分の上ずったような声が聞こえたが、気の所為だろうか?

「なになに、誰のペット?」

フレルクがエッダに尋ねる。その場にいた人間の中で一番場を把握していそうな人間に尋ねたのだろう。普段なら的確な選択であったが、今回は例外、レアケースだ。肩を竦めるエッダではなく、フェレーナが答えた。

「ヴェーラー君のですって」

キラキラと目を輝かせるフェレーナに少し頬を赤らめて、フレルクは「そう」と微笑んだ。

それまで黙って流れを見ていたアマンドがカルステンに問いかける。

「へえぇ、ヴェーラー猫飼ってたんだ?」

「先日、ちょっとな」

カルステンがこくりと頷くと、ベルディが「いいな〜〜」と言って、クロイツを抱き上げる。嫌がっていたクロイツも、ベルディが体を撫でると気持ち良さそうに喉を鳴らした。

「あたしも二年になったら連れてこよっかな」

「うちは大きすぎて無理だなぁ」

「うちもうちも!」

「何飼ってるんだ?」

どうやらみんな何かしら飼っているらしい、と思い尋ねると、それぞれ思い思いに話し始める。

「うちは家に犬がいるぞ」

そう言ったのはフレルク。

「騎獣を何頭か。うちは商家だからね」

こちらはエッダ。「あー、なるほど」「いつもお世話になってるわ」等と話していると、フェレーナがおずおずと口を開いた。

「私はドラゴンを二頭ほど。……父と弟のものですけど」

「ど、ドラゴン〜〜」

「さっすが貴族」

「さっすが侯爵家」

うわぁ、と声が上がる。

「ドラゴンって飼育出来たのか」

「いやいやいや!」

「偶にヴェーラーって妙なこと言うよね?!」

「ドラゴンの飼育は第四次宗教戦争、別名紫の十日間の末の『シトリン条約』のドラゴンに関する項目で双方共に五頭ずつでわけられて、」

「帝国側は皇族で三頭、残り二頭は其々当時の侯爵二人に一頭ずつ下賜した」

「って、大陸史の授業だと来年くらいにやるよ!」

純粋に疑問に思って問うたことに対して一斉に返事が返ってきたことに驚き、カルステンは「そ、そうか」と少し引いて頷いた。

「ほんと、ヴェーラーって妙なところで世情に疎いね?」

そうだろうか、とカルステンが首を傾げていると、ベルディがからりと笑った。

「蝶も花もってやつかな?」

「それを言うなら蝶よ花よ、だろ」

「なーるー」

すかさず訂正を入れるアマンドはベルディの令嬢らしからぬ物言いに慣れているのか、片眉をピクリとだけ動かしただけに留めた。


「殿下は?」

各々のペットの話で盛り上がる輪から抜けてぼんやりしていると、フレルクがきょろきょろと周囲を見渡しながら問うた。基本的にいつも一緒にいる為、偶に別行動をとると不思議そうな目で見られるのだ。

「詳しくは聞いていないが、エンゲルハルトは職員党に用があるらしいぞ」

「へぇ」

少し気に掛かっただけで特段興味があったわけでもないのだろう、フレルクは軽く頷いてからまたペット談義へと戻っていった。


窓の向こうを見て、カルステンは吸った息を吐いた。これがなんてことない日常。とある日の午後。

足元に寄ってきた黒猫がにゃあ、と鳴いた。






***

【食事の話】





ぐぅ、と盛大に腹が鳴る。カルステンは我慢の効かなかったらしい己の腹を抑えて、バレてやしないかとちらりと周囲を伺った。その一寸後に遅れて斜め後ろからもぐーぐーと鳴り響く。見ると、エッダもまた自らの腹を抑えている。フレルクに小突かれてぺろりと舌を出したエッダに、クラス中からささやかな笑いがおくられた。

(どうやらバレていないらしい)

ほ、と息を吐いていると、午前授業の終了を告げるチャイムが鳴った。



エルツ学園の食事時には、主に三つのパターンが見られる。

一つは一回の端にある食堂で学食を食べるもの。エルツ学園では毎日日替わりのランチセットが二つ用意されており、その内のどちらかを選択することができる。美味しいと評価こそ高いものの、食堂は全校生徒が入るには狭過ぎるため、その席はいつでも早い者勝ちとなっている。

二つ目は、お弁当セットを食べるもの。こちらは食堂の席取り競争に敗れた生徒達や、景色の良い場所で食事をしたいものなどが利用する。

そして三つ目は、学園内のシェフに作ってもらった食事を自室までメイドに届けてもらう、というもの。エルツ学園は基本的に学費免除等平民でも法術を学べるよう措置がとられている為学食やお弁当はタダなのだが、この方法だけは別途に料金を取られる仕組みになっており、利用するのは主に帝国の上流貴族や神聖公国の巫女達くらいなものである。


いつもの様にエンゲルハルトの部屋で二人座って待つ。カルステンは、というよりエンゲルハルトは大勢で食事を取ることを好まない為、自室まで持ってきてもらうのが常だ。それならば別にお弁当セットでも良いのでは、とカルステンは思わないでもないのだが、エンゲルハルト曰く積極的に学園にお金を落とすことで回るものもあるんだよ、だそうだ。

扉の外から足音が近づいてきて、コンコン、とノックされる。

「殿下、ヴェーラー様、お食事をお持ちしました」

「入室を許可する」

エンゲルハルトから許しを得て中に入ってきたのはいつも食事を運んでくれている黒髪のメイドで、ロングスカートをゆらりと揺らしながら台に乗せてきた今日の昼食を二人の前に配膳していく。

本日の昼食。海老のカルパッチョ。特製ドレッシングのかかった緑色サラダ。それからクリームソースパスタ。

念のため一通りカルステンが先に毒見をしてから、胸の前で手を組む。十秒ほど女神に食前の祈りを捧げてから、今度はぱちりと手を合わせた。

「いただきます」

「いただきます」

どうやらこの島特有の文化であるという、食物その他料理に関わった全てのものに感謝を捧げる不思議な行為を済ませて、それからやっと食事に取り掛かる。

黙々と食事を進めていると、正面に座っているエンゲルハルトの皿がぐいと突き出された。

「…………なんだ」

訝しんで尋ねると、エンゲルハルトはにこりとわざとらしく笑う。

「授業中にお腹が鳴ってしまうくらい腹ペコなカルステンには僕のサラダを分けてあげよう」

(…………バレていたのか)

授業中はまるで気づかなかったように板書をしていたというのに、しっかりと聞いていたらしい。しかもこの確信具合からいって、エッダと間違えているのではなく、真にカルステンが腹を鳴らしていたことを知っていた様だった。

ぐっと押し黙ったカルステンの皿に、エンゲルハルトが自分の皿からサラダを移そうとしているのを見て、手でガードした。

「いらん……おい、俺の皿に乗せるな」

「遠慮しなくていいんだよ」

「するわけがない」

にこりと笑われ即答すると、エンゲルハルトは神妙な顔をして首を捻った。

「そこは普通するところだと思うよ、カルステン」

溜息をつきながらもサラダを移そうとする手を止めないエンゲルハルトに「おい」と再び声をかける。

「良いじゃない、大きくなれるよ」

「既にお前よりは大きいぞ」

むっと突き出された唇を見て呆れたように言う。そもそも、出会った当初からエンゲルハルトがカルステンより大きかった事実はないのだが。

「生意気だなぁ、お前……あげるったら」

少しイラついた様な口ぶりのエンゲルハルトに、イラつきたいのはこっちだ、などと思いながら、カルステンは短く息を吐いた。諦めた、とも言う。

「…………わかった、わかったから、もらってやる」

カルステンの了承を聞くと途端にエンゲルハルトの目が輝く。ほっとしたような色さえ伺えてカルステンは内心首を傾げた。

「うん、よかった。僕、緑色のもので好きなものは一つしかないからさ」

「は?」

そんな話、ディモから聞いただろうか。カルステンが頭の上に浮かべたクエスチョンマークが見えたのか、エンゲルハルトは微笑んで首を横に振る。

「んー、んーん。気にしないでも良いよ」

「はぁ」

それならまぁ、と二人は食事を続ける。カルステンは緑が嫌でサラダを食べないのなら、今度からはそれ以外の色になるように作ってもらう必要があるな、と随分と量の増えたサラダを食みながら思考した。


二人のやりとりを見ていたらしい黒猫が嘯く。

「仲がよろしいことで」

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