第四章『来たる』3/3

「弁明は早くしたほうがいいよ、カルステン」

にこり、と目を逸らされないまま笑われて息がつまる。赤い目がぎらりと光って見えて、身が竦んだ。

「おいおいおいおいおい」

未だカルステンのリボンを掴んだままのクロイツは「何あいつ」と困惑したように目を瞬かせた。

(なんだろう、これは)

カルステンは首を傾げた。なんだか浮気の現場を取り押さえられた亭主の気分だ__勿論カルステンには浮気どころかそもそも結婚の経験もないけれど。

「僕のものであるお前が、見知らぬ男と仲睦まじく顔を寄せ合っている理由はなんだ?」

「いや、仲睦まじくはない」

咄嗟に口にした言葉が何故か二重に聞こえたのが不愉快でカルステンが横を見ると、クロイツも不愉快そう同じように眉を顰めていた。

「そう、じゃあその男は誰だ? 僕に無断で人に会うなんて……学園外の者を中に手引きしたのはお前か? カルステン」

室内の温度が急に下がった。少なくともそう、カルステンは錯覚した。

(殺気、だろうか)

エンゲルハルトからして見れば、自分の子飼いであるはずの男が見るからに不法侵入者である人物と顔を寄せ合って(事実無根ではあるが)仲睦まじげにしていたのだ。最近誘拐事件もあったことを考えると、簡潔に言って非常にまずい状態である。

「例の犯人を入れたのは俺ではない。…………この状況だとお前からしたら信憑性は低いだろうが」

つ、と背中を嫌な汗が流れていく。ここで死ぬことがないのはわかっていても殺気を浴びるのが楽しいことなわけではないし、折角の特異点イレギュラーからの信頼を失うのはそれなりの痛手でもあった。

「僕のものが僕に背くとどうなるか、先にみっちりと教えておいたほうがよかったかい? ねぇ、カルステン」

いっそ怒鳴り声にならないのが不思議なくらいの怒りを込めた言葉が投げつけられて、カルステンはこくりと唾を飲んだ。わかってはいたがこの男、本当に怒っている。

「答えろ、カルステン」

「つか、俺が先に話してたんだから終わるまで待っててくんない?」

緊張した空気の中へらりとしたクロイツの声が響く。

「君は少し黙っていろ。今は僕が、カルステンと話しているのだから」

「だぁから、そもそも俺のが先にこいつと話してたんだから、待つならテメェだろっつってんの!」

口元だけはにこやかに、しかし目には笑いの一欠片もなくただ真っ直ぐにカルステンを見るエンゲルハルト相手に、クロイツが噛み付く。

(……言っていることは確かに同意できるものではあるが、今のエンゲルハルトこいつには聞こえないのではないか)

カルステンの限りなく他人事に近いぼやきは届くはずもなく、依然二人は睨み合う。

(何かエンゲルハルトを言いくるめられるようなものがあればいいが……)

まぁ、あったらとうに何とかしているわけだが。カルステンが思考を巡らせていると、痺れを切らしたのか、エンゲルハルトが動いた。


「【聖火フェリガ=ラ=フィア】」

「【魔雨アク=ル=ディエルモ】」


まずはじめに、図書室ここでそれをやるのか、とカルステンは思った。それから、流石にこれは危ないかもしれない、と。

目の前に迫る見慣れた・・・・白い炎の眩しさに思わず目を瞑る。光を近くで見たせいで視界はホワイトアウトするし、目の奥が少し痛い。__そんなことより、とカルステンは瞼を閉じたまま訝しげに眉を寄せた。聖火フェリガ=ラ=フィアは、勇者のみが使える法術だったはずだ。

(十三回目にして初、が多過ぎるな)

折角のアドバンテージが全く活かせそうもない現状に舌打ちしたい気持ちと諸手を挙げて歓迎したい気持ちがせめぎ合って、少ししてカルステンは目を開けた。ホワイトアウトした視界はもう正常に戻っていた。

炎の威力により吹き飛んだかに思われた図書室は何事もなかったかのように変わらず存在しており、またカルステン自身や隣にいたクロイツも無事であった。唯一変わったことといえば先程までと比べて室内の湿気が増したことくらいであるが……、

(そういえば、あの時、クロイツの声も聞こえたな)

疑問に思って視線をクロイツに向けると、当人はピタリと固まった状態で口を引きつらせて「ヒョエ〜〜」とこぼすのみ。全くもって使えない。

「僕の法術を打ち消した……?」

ぽつり、と落とされたエンゲルハルトの言葉に、固まっていたクロイツがわなわな震えたかと思うと次の瞬間吠えた。

「っっっぶねぇな!!! 普通んなとこでデケェ法術使うか?! 打ち消してやったことに感謝しろマジで!! こンの考え無し!!」

「えっ、あ、うん」

勢いに飲まれたように目をぱりくりとさせるエンゲルハルトからは怒りが消えているようで、関心がカルステンの容疑から他に移ったのかもしれない。

「魔術、だよね。今君が使ったのは。魔族か? カルステンお前魔族と繋がってたのか」

……全然移ってなかった。

この世界では魔族と繋がっている事はそれだけで大罪だ。今この場で問答無用で首をはねられても文句が言えないくらいの。だからこそその手先と言われる悪魔と契約していたカルステンは過去に何度もその身を焼かれたのだから。

(エンゲルハルトはどうするだろうか)

カルステンは思案する。何故かは知らないが気に入りの部下が大罪人だと知ったら、普通どうするのだろう。


カルステンは知っている・・・・・・・・・・・この後・・・どう・・転んでも・・・・自分が・・・死なない・・・・事を・・


そうなるように出来ているのだ。まるで世界が望んだみたいに。

過去のすべての人生達がその証明で、だからこそカルステンは今ここにいる。

それでも、覚悟はするべきだろうか。この特異点イレギュラーとの別れを。


「何のことかわっかんねぇけど、俺を魔族みてぇな下位種族と一緒にすんな。

俺様は、ディエルモだ!」


考え込んだカルステンと、彼を疑り深く視るエンゲルハルトとの間に落ちた沈黙を破ったのはまたしてもクロイツだった。

「だから、悪魔ディエルモなんだろう?」

「ちーがわい。悪魔あれは職業名的なもんだっつの」

憮然とした面持ちのクロイツにエンゲルハルトが問いかけると、ゲェっと吐くようなジェスチャーをして首を振った。

「一色単にして妙なルビ振りやがったのはヒト族の馬鹿だろーが。愛し子の教育もままなりません〜〜ってか」

唇を尖らせたクロイツは「最近のガキは教育がなってねぇ馬鹿ば〜っかり」などとすっかり憤っていて、今度こそエンゲルハルトは毒気を抜かれてしまったようだった。

「彼はなんなんだ? カルステン」

改めて問われて、少し返答に困った。繰り返す人生面倒臭いアレコレについて詳しく話す気がカルステンにはさらさらなかった為、どこまでの情報開示が妥当であるか検討が必要だったのだ。

「まぁ、そのだな。……契約の時にした話を覚えているか?」

「あぁ、二十歳になる前に死ぬ呪いのことだろう」

半年前にカルステンがついたをどうやらちゃんと覚えていたらしく、エンゲルハルトはそれで?と続きを促した。

「そうだ。その件で、少し、呪いを解く手掛かりを探す上で出会ったんだ。その手の方面にとても強い奴でな」

「あ? 何を」

明らかに余計なことを言おうとするクロイツをきつく睨むと、カルステンの言いたいことがわかったのか、「ま、そうだな」なんて言って口を噤んだ。

「へ〜え?」

疑いの目は晴れない。

「繋がっている__というかまぁある方面において協力してもらっている、という言い方が正しい__が、中に手引きしたのは俺ではないぞ」

「はっ、俺を誰だと思ってんだ。こんなとこ入るくれぇあっさ飯前だっての!」

「……ちょっとお前黙っててくれないか。兎も角、今開示した情報がお前の判断材料になり得るかはわからないが、俺は手引きには関与していない。……こいつも、素性は怪しいし本人は煩いが、実力はあるし口は堅い。信頼はできないが信用はできる」

言いながら、カルステンは真っ直ぐにエンゲルハルトの目を見た。これまでの付き合いで、エンゲルハルトが何故かカルステンの目に弱い事を知っていたからだ。じっと見つめ合って、沈黙する。カルステンは隣でつまらなさそうに欠伸をするクロイツをなるべく視界に入れないように努めた。

__静かな睨み合いは永遠にも思われたが、終わりは唐突に訪れた。

はぁ、とエンゲルハルトが溜息をつく。

「わかった。お前を信頼しよう、カルステン」

手引の件にお前の関与があるかないかくらいこちらで既に調べはついているからね、とエンゲルハルトは肩をすくめた。

「呪いの件に関係のある人物なら僕も近くに置くことに異論は……まぁあるにはあるが、許そう。今、ここで、天使の子フェリガ=ラ=ドールのエンゲルハルトの名の下に許可する。……おかしな判断だと笑うなよ、カルステン。僕はお前が思うよりお前が大切なだけだから。最低限契約終了時までは僕のものでいてもらうし、それまでは如何なる理由でも逃さない」

そうは言うものの依然として疑いの目は強いが、なんとか納得させることができたらしい(余計な言葉も多かったが聞かなかったことにした)。カルステンはほ、と短く息を吐いた。

「ん、ありがとう」

「どういたしまして」

改めて握手を交わしていると、二人の足元でにゃあ、と猫が鳴く。

「おい、術解いたからぼちぼちこっちにも人が来るぜ」

男二人でおてて繋いでると目立つんじゃねーの、と黒猫が笑う。

(どう考えても猫が喋ってる方が目立つだろうが)

隣で同じ事を考えていたらしいエンゲルハルトが「いや、なんで猫?」と呟いた。

「堂々と居座るんなら不審者よりペット扱いの方がこっちとしても都合が良いからな! 有り難く思え」

踏ん反り返る黒猫に「そうかい」と苦笑するエンゲルハルトを横目で見て、カルステンは溜息をついた。

(有り難く思うのは俺とお前だ、馬鹿)

結局のところ、エンゲルハルトは誤魔化されてくれた・・・・・・・・・のだ。彼の方にも何かしら思惑はあるのだろうが、それでもなかなか稀有な判断の筈だ。

(やはり、と言うべきか)

死ななかったな、とカルステンは思った。繰り返すようだが、魔族側の者と繋がりを持つことは極刑に処されても文句が言えないほどの重罪だ。過去のカルステンも、悪魔と契約していた所為で勇者に殺されている。

(まだ二十歳の誕生日が遠いからか……? 前々回の人生でも、悪魔と契約していることがバレたのは十八の時だったのに、結局死んだのはいつも通りだった……)

単純にカルステンが死ぬことではなく、カルステンが二十歳の誕生日の前日に死ぬことに意味がある、ということだろうか。

わからないことは多い。しかしこの謎を解き明かさねば同じ事の繰り返しだと理解していたから、カルステンは思考を切り替えた。

(目下の謎は、エンゲルハルトが誤魔化されてくれた訳と、何やらちゃっかり居座る気でいるらしいクロイツが結局どうする気でいるのか、だな)

「カルステン、」

甘やかな声に呼びかけられて顔を上げると、エンゲルハルトが繋いだままの手を引いた。

「なんだ」

「彼の扱いをどうするにしろ、取り敢えずはペット扱いが妥当なのは僕も賛成だ。そしてこの学園では申請すればペットの飼育が認められている」

「ああ」

そういえば入学前にそんなような事を言っていたな、とカルステンは頷いた。……実を言うとあまり覚えていなかったのだが。

「先生方に話を通しておくから、申請書はお前が出しなさい。いいね?」

「わかった」

そのまま手を引かれて、図書室を出る。クロイツはペタペタと歩いて付いてきていたが、如何せん歩幅が違う所為か、見ていて大変そうだった。カルステンは少し考えて、黒猫を抱き上げる。てっきり暴れるなり抵抗されるものかと思って身構えたが、クロイツは素直にカルステンに身をまかせることにしたようだった。

職員等へ向かう道筋、耳元で小さく猫が鳴く。

「報酬回収の件、俺ァまだ諦めてねーからな」

うげ、と眉をしかめたカルステンを見て、猫は満足そうに今度はにゃあと鳴いた。






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笑い猫来たる

__(愛玩__動物だ__って?__)(とん__でもな__い!)________

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