小話④
【別荘での一日の話】
狗達の朝は早い。
「太陽だとてまだ完全に登っているわけでもなかろうに……」
カルステンが溜息と共にぼやくと、近くで窓を開けていたレンカが苦笑いする。
「ま、仕事ならたくさんあるからね」
この別荘地は固定式法術があるとはいえ暑く、熱がこもりやすい。故に朝一番に空気を入れ替える必要があるのだ。屋敷中の窓を順に開け放ち、室内の淀んだ空気を外の固定式法術で冷やされた空気と交換していく。これはこの地へ涼みにきた貴族達を健やかに過ごさせる為の知恵の一つだ。
「ほら、次は一階のホール! 行った行った!」
空元気で促すように「おー!」と拳を突き上げるレンカをシラっとした目で見て追いかけた。
「今日の朝飯はトーストと野菜のスープ。後ミルクはそこの容器から入れて飲めよ」
空気の入れ替えが一通り終わると、朝食をとりにキッチンへと向かう。エンゲルハルトは普段は朝食を取らないタイプの人間らしく、更に昼は昼でやる事があると言って自室に引きこもっているので、カルステンが食事を共にするのは専ら夕食の時だけだ。
キッチンに備え付けられた食事用のテーブルに朝食を運んで、席に着く。それとなく手を合わせると、向かいに座ったレンカが目を丸くした。
「それ、殿下もやるのよね……お祈りか何か?」
「食前食後の何とかって言ってたけどな」
仕込みが終わったのか自身も朝食を持ってテーブルまでやってきたアリが記憶を思い返すように言うと、「そりゃ食前食後にやってるんだからそうでしょうよ」とレンカが肘でついた。
「エルツでは食物や調理に携わった人間に感謝を捧げる風習があるらしくてな。何となく、癖になった、か?」
「いやそれを俺たちに聞かれても」
「面白い習慣よね」
朝ごはんが終わると次は屋敷内の掃除に入る。空気の入れ替えのために開けていた窓を閉めて、一部屋ずつ綺麗にしていく。ポイントは角を丸く掃かないこと、らしい。なんでもこの別荘には"掃除の鬼"なるものがいて、角を丸く掃いたり、水をしっかりと切らないままの雑巾で窓を拭くと、どこからともなく現れてきついお説教と共に掃除のやり直しをさせられるらしい。
「まぁ、ドルテさんの事なんだけどね……」
はは、と薄く笑うレンカの表情は苦く、過去何かしらやらかしたのであろうことが窺いしれる。
「怒られないようにしっかりお掃除! ヴェーラーくんもサボっちゃダメよ!」
「はぁ、」
カルステンは曖昧な返事を返して雑巾を手に取る。屋敷の窓は高い位置にある為、二人のうち比較的身長の高いカルステンが任されていた。
「届かないところがあったら言えよ」
隣ではひょろりと背の高いアリがのんびりと窓を拭いている。
「あ、ちょっとアリ! アンタお昼の仕込みは?」
「ちゃんと大まかには終えてから来てるよ。……そんなに時間かからないし」
「へぇ、今日は何?」
「いつものパンと人参のマリネ、サーモンのソテー、オニオンスープ……かな」
「お〜、かなりのスパンでくるわね、人参のマリネ……一昨日も出なかった?」
「夕飯でな」
「そうそう」
「殿下が割とお気に召してるようだったから……今年の人参は出来がいいって聞いたし」
「別に嫌なわけじゃないから気にしなくていいわよ、アンタ料理上手いし」
「そうですね、アリはとってもお料理が上手で……羨ましい限りです」
淡々と手を動かしながらお喋りを続けていたレンカとアリの声が突然ピタリと止む。そういえばここにいないはずの人の声がしたな、とカルステンが声の方に視線をやると薄く開けられたドアからドルテがひょこりと姿を現した。
「ど、ドルテさん」
「お掃除をしている時にお喋りなんて、随分と余裕があるんですのね」
「えっ、あっ、ちが」
「だいたい角にはまだ埃が残ってますし、雑巾の絞りも甘い! アリ、貴方もですわよ!!」
「ひぇえ」
話しているうちにどんどんと語気は強まり、ドルテの眉間にはシワが寄っていく。普段は優しいお姉さんの様なのにかかる圧が凄い。
(普段優しい人を怒らせてはいけない、とかそういうアレだろうか……)
カルステンがなんだかズレたことを考えていると、ちらと視線を合わせたアリに、ジェスチャーで庭へ行けと指示をされる。説教に巻き込まれてはたまらないカルステンとしては願ったり叶ったりだったので謹んで承ってそっと部屋を抜け出した。
「よっ、どうした? レンカさんと一緒にお掃除の時間だったんじゃねーの?」
別荘の庭は流石は国主の息子が持ち主なだけはあるのか、素晴らしい出来と言えた。しかしまぁ、些か華やかさにかける様に気もするが、そこは
何故かそこにいたカイににこやかに話しかけられ、カルステンは先ほどの出来事を掻い摘んで話す。……最も、掻い摘む必要があるほど内容のある話でもなかったが。
「は〜〜ん、またやってんだあの人達」
「また?」
呆れた様に片眉を__カイの片目は前髪で隠れているので実際どうかはわからないが__上げるカイに首を傾げると、カイはにやと笑った。
「俺もさ、結構ここにきて日が浅いんだけど……週に二回くれぇのペースでやってるぜアレは」
「それは……かなりの頻度だな」
「だっろ」
談笑しているとまたしても背後から気配がする。エンゲルハルトの本宅にいた時も思ったが、彼の狗達は基本スペックとして気配遮断でも身につけているのか、気を張っていないと容易に背後を取られそうになる。その中でも特に長けているのが
「……ダニロ」
現れたのは老齢の男性。
「おお、坊主達。何を戯れているのか。薪割りでもせんか」
ダニロはシワの多い顔でにこやかに笑いながら手に持った鉈を体の前でパシンパシンと叩いてみせた。
「ははは、俺まで坊主に含めやがってこのジジイ……」
「なーにを言うか。貴様なんぞまだまだ坊主で充分だろう」
二人の間で火花が散る錯覚をカルステンが見た時、柔らかな声が降ってきた。
「ダニロさぁん。薪割りはイルマのお仕事ですよ〜〜」
次の瞬間、イルマが何処からともなく降りてきてその制服のスカートを軽やかに翻して着地する。
(…………いや、何故上から)
「なんで上から来るのイルマちゃん……」
「散歩してましたです」
「散歩……」
微妙な空気が流れるが、イルマは我関せずとダニロから鉈を受け取っている。
「イルマ、お前ももう
「そういうのはレンカさんとアリさんで間に合ってるのです。それにイルマはお仕事と結婚するので問題がないのです〜〜」
ダニロの苦言は右から左に流され、イルマはそのまま軽やかなステップで薪を割りに姿を消してしまった。
「……なんだったんだ……」
カルステンが半ば呆然として呟く隣で、カイが肩を竦めて苦笑いする。
「イルマちゃん、年上だけどあの謎のノリさえなきゃ俺が貰ってあげるのになぁ」
「イルマもお前に貰われたくはなかろうよ」
「んだと」
鼻で笑うダニロにカイが噛み付いて、それが妙に息ぴったりだったので、カルステンはおきまりのパターンなのだろうなと一人思案した。
「仲がよろしくて大変結構」
「ほわっ」
「うっわ」
何の脈絡もなく不意に気配が一つ増えた。全く、これだからこの屋敷は。
唐突にその場に現れたディモは腕を組み、長い足をピタリと地面から垂直に伸ばして立っていた。
「ダニロ、貴方は今日の分の手入れは終わったのか? カイ、お前は暇そうだから仕事をやろう。買い出しに行ってこい。それからヴェーラー、もうすぐ夕食の時間だ。殿下を待たせるなよ」
「ああ」
「へーい」
「了解した」
淡々と出される指示質問に各々返事をしながら、カルステンは己が昼食を食いっぱぐれたことに思い至った。
(……そんなに長いこと話していただろうか……)
幸か不幸か、言われて初めて空腹に気づいたくらいだったので特に問題もなかったのだが、その分の食料が無駄になっていないかどうかだけは気にかかった。食料は貴重なものであるし、
食は数少ない娯楽の一つだ。ああ、全く、
(勿体無いことをした)
エンゲルハルトの自室に赴くと、既に準備が整った__後は料理が運ばれてくれば万全__状態の食卓を前に席につく室主が笑って出迎えた。
「やぁ、カルステン。今日の夕食のメインはサーモンのシチューだそうだよ」
「そうかそれは、うん、楽しみだな」
アリのシチューは美味しい。煮込まれて溶け出した野菜の旨味と、時間差で入れられた人参やジャガイモの食感、口に入れると滑らかにとろけるサーモンが素晴らしい配分で纏められているからだ。想像すると胃が刺激されたのか、カルステンの腹がぐぅと鳴った。
「そうだね、カルステン」
虫の音を聞き届けたのかくすくすと笑いながらエンゲルハルトがカルステンを席に着くよう促す。羞恥からか、む、とほのかに眉をひそめたカルステンは、けれども素直に勧められるままエンゲルハルトの正面に腰を下ろした。
運ばれてきた食事を口に運ぶ。暖かくて繊細で、優しい味だった。
食事が終わるとエンゲルハルトの湯浴みの時間になる。カルステンの仕事は他の狗達が準備をしている間のエンゲルハルトの相手だ。チェスやカードゲームをすることが多いが、あまりにも勝負にならない__勿論エンゲルハルトの圧勝という意味だ__ので、最近は専ら読書の時間になってしまっている。幸いこの別荘には誰が集めたのか様々なニーズに応えられるだけの蔵書がある。聞けばエンゲルハルトもまだ網羅はしていないようで、「まぁちょうどいい機会ではあるけれどね」と笑っていた。カルステンは気に入りの、少年少女の冒険活劇を読みながら湯浴みの準備が終わるまで待つ。カルステンはエンゲルハルトの後に湯浴みをする事になるので、その為の準備も忘れない。
浴室は(無駄に)広く、清潔で暖かくほかほかしている。学園で風呂といえば固定式法術を用いたシャワーが一般的だったが、こちらではサウナと呼ばれる温室とたっぷりと張られた湯船がメジャーだ。まず、体に香料が混ぜ込まれた油を塗り込んでサウナで汗と共に流す。それから布で軽く拭って、湯船に浸かる。エンゲルハルトに教わった通りに肩まで湯に入れるのが、カルステンは未だどうにも慣れない。しかし村にいた時の、川で水浴びか、濡らした布で拭くくらいでしか身を清潔に保つすべがなかった頃から考えると大きな躍進である。カルステンは目を閉じて、ほ、と息を吐いた。
袖を通したシルクの肌触りの良さに毎度のことながら感動しつつ、カルステンは同時に苦い気持ちにもなる。今着ている寝間着や学園の制服もそうだが、カルステンが現在所有している服は全て
(どうにも"お客様扱い"を受けている気がしてならんな)
はぁ、と溜息を吐けど現状は変わるはずもなく、待遇を下げろと直訴するのも馬鹿らしく感じてスルーし続けた結果が今なのだとカルステンは実感せざるを得ない。人生時には諦めが肝心とはよく言ったものだ。カルステンはもう一度短く息を吐いて、瞼を下ろした。
明日もまた同じように日が巡るのだろう。それでもきっと繰り返した日々よりは新しく美しいに違いないのだから、カルステンは今日も進んでいくのだ。
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