二つの姿を持つ娘②


 月魔法について何も情報が得られないまま時だけが過ぎていった。


 十八歳になった今もリーフィアの姿は相変わらず十歳当時のままで、「リーフィア・ウェインティン」の名前は貴族社会では事実上存在を抹殺されたも同然になった。姿を変えられただけならまだ社交界に出ることは可能だったかもしれないが、この子ども姿のままでは永遠に不可能だ。


 表向きリーフィアは病気になり、遠い地で静養中ということになっている。リーフィアの姿が変えられたことを知る貴族たちは、平凡な姿のままでは恥ずかしくて出て来られないのだろうと考えているようだが、状況はもっと悪かったのだ。


 ――見た目のことはいい。さすがに八年もの間毎日見続けてくるといい加減にこの容姿にも慣れる。むしろ昔の姿に戻った方が違和感を覚えるかもしれない。だけどこのまま年を取らないのだけはごめんだ……!


 リーフィア自身も年を重ねるごとに焦ってきていた。三歳下の弟にはとうの昔に追い抜かれ、今度は事件当時まだ赤ん坊だった妹のフィランがそろそろ十歳になろうかという年になってきている。あと数年もすれば追い抜かれてしまうだろう。


「姉さま、姉さま」


 と舌っ足らずな声で自分を慕ってくれる可愛いフィランにも抜かれ、そのうち「姉さま、可愛い。大丈夫よ、姉さま。姉さまは私が一生守ってあげるから」などと言い出したりしたらきっとリーフィアは死にたくなってしまうに違いない。


「大丈夫だよ、姉さま。一生僕が面倒見てあげるから」


 最近とみに成長著しい弟のレインにも、そっくり同じ言葉を言われている。


「って、冗談じゃないわ。妹や弟に子ども扱いされて世話されるくらいなら修道院に行った方がまし。いいえ、絶対にその前に元の姿を取り戻す……!」


 ……とは言うものの、ツテのツテを辿って探してもらっても、月魔法のことを詳しく知っている人物はまだ見つかっていなかった。


 そんな折、情報は意外なところからもたらされた。


 リーフィアの兄リードは軍に所属している。彼は今首都を離れ、二年間の期限で国境警備団の団長としての任についていた。その兄が先日、短い休暇で屋敷に戻ってくるなり言ったのだ。


『筆頭魔法使いラディム=アシェル様が月魔法のことをご存知かもしれない』と。


「国境警備についている部下の一人に、魔法使いとして弟が城に勤めているという者がいたんだ」


 その部下の弟が何かの折に言っていたことをリードに語ってくれたのだという。

 筆頭魔法使いであるラディム=アシェルは、彼の前に筆頭だった師匠から〝古代魔法の研究を受け継いでいる〟と。更に師匠の研究をまとめた書物が城の図書館のどこかにあるのだと。


 それは八年目にしてようやく掴んだ有力な情報だった。


 けれど、相手が魔法使いの筆頭であるラディム=アシェルというのが問題だ。

 彼の名は魔法に明るくないリーフィアでも、最年少で筆頭――すなわち長の座についた、天才魔法使いだということで知っていた。相当な人間嫌いで、人前にめったに姿を見せないということも。


 祖父母である侯爵のツテを頼ったとしても、彼と繫がりを持つのは難しいと思われた。フォルシア国の魔法使いの頂点に立つラディム=アシェルを動かせるのは、おそらく王族だけだろう。


 事情を説明して内密にリーフィアを診てもらう――そんな普通の魔法使い相手なら簡単にできる依頼が、ことラディム=アシェルにだけはかなり困難であることは想像に難くなかった。


「大丈夫だ。兄さまにまかせておけ。国境警備の任務期間があけたら、近衛団に入ることが決まっている。近衛団は王族方の身辺警護を担当しているから、ラディム=アシェル様と会う機会もきっとあるだろう」


 兄のリードが、肩を落とすリーフィアを慰める。

 けれど、リードの国境警備団への派遣期間が終わるのは一年半も先の話だ。リーフィアはそんなに待てなかった。


 ――ようやく見つかった元の姿を取り戻す重要な手がかり。それが、あの城の中にある!


 だが、招待されていない人間が用もなく簡単に城の中に入ることはできない。

 手をこまねいて悶々とする日々を過ごしていたある日、意外なところから突破口が見つかった。

 祖母である侯爵夫人が母を訪ねてきて、こう切り出したのだ。


「システィーナ王女が、遊び相手になりそうな貴族の子女を侍女見習いとして探しているそうなの。条件はある程度高位の貴族の出で、王女様のお歳である十二歳より年下、だそうよ。それでね、フィランなんかどうかしらと思って」


「フィランを?」

 母親は目を丸くする。祖母は頷いた。


「ええ。そろそろ十歳になるあの子なら条件にピッタリじゃない? 王女様の侍女を務めたとなると、将来結婚相手を探す時も有利になるわよ」


 どうやら祖母は妹のフィランに、システィーナ王女付きの侍女見習いになることを勧めるために訪ねてきたらしい。


 祖母に挨拶するために出向いたリーフィアはたまたまその話を聞いてしまい、「これだ!」と内心叫んだ。


 システィーナ王女の侍女になれば、ラディム=アシェルと顔を合わせる機会もきっとあるだろう。それに、休日や休憩時間に城の図書室に行って例の研究書を捜すこともできる。


「でも、お母様。ご存知のとおり、あの子は年のわりに幼くて、とても王女様の遊び相手にはなれないわ。きっと粗相をしてしまう」


 母親はその美しい眉を寄せて困ったよう言った。

 確かに妹のフィランはもうすぐ十歳になるというのに、存外幼かった。甘えん坊で姉のリーフィアにべったりなのだ。きっと自分にも原因はあるのだろうとリーフィアは思う。


 あの事件当時は赤ん坊だったために、唯一リーフィアの元の美貌を知らず、あるがままの姿の姉を純粋に慕ってくれるフィラン。そんな彼女をかなり甘やかした自覚はあった。


 それでも同じように甘やかされ、ちやほやされて育った十歳当時のリーフィアよりも、フィランの言動は幼い。母親が危惧するのももっともだった。


「お母様、やっぱりこの話はなかったことに……」

 リーフィアは二人に向かって口を挟んだ。


「私がフィランとしてシスティーナ王女様の侍女見習いになるわ」


「リーフィア!?」


 母と祖母がぎょっとしたようにリーフィアを振り返る。そんな二人にリーフィアは笑顔を向けた。


「外見は十歳だから問題ないわ。それに中身は十八歳ですもの。フィランが行くよりずっとうまくやれるはずよ」


「そ、そりゃあ、あなただったら粗相はないでしょうけど……でも……」

 母親はオロオロとしながら言う。驚きから立ち直った祖母がその言葉を継いで、真剣な眼差しでリーフィアに問いかけた。


「でも、リーフィア、新月の夜はどうするの? 誰かに見られでもしたら?」


 ――そう、それが唯一の問題だ。


 リーフィアはそっと唇を噛む。

 十歳の頃のまま成長の止まったリーフィアだが、実は月に一度だけ元の姿を取り戻すことができる。


 新月の日没後から日が昇るまでの約半日。その夜の間だけリーフィアの姿は年相応の姿に――白銀の髪に紫の瞳の、美しい造形に戻るのだ。


 理由は分からない。けれどリーフィアにかけられた魔法が「月魔法」であると老魔法使いが判断したのは、この事実があったからだ。彼は新月の間だけリーフィアが元に戻れることから、月の満ち欠けと何か関係があるのだろうと考えたようだった。


「その間だけ、どこかに隠れていればいいわ。十歳の侍女見習いを夜の間まで働かせるとは思えないもの」


 リーフィアは考え考え言った。彼女はどうしても城に行って、自分の力で事態解決の糸口を探したかったのだ。


 この八年もの間、リーフィアはただ引きこもっていた。誰もそれを止めなかったし、むしろ増長させていた。家族は最初の戸惑いから立ち直ると、すっかりリーフィアに対して過保護になっていたのだ。そんな彼らにとって引きこもりはむしろ歓迎するべきことだった。


 リーフィアはそれに甘んじて過ごしてきた。家に引きこもって朗報を待つ。自分から動いたことも働きかけたこともなく、常に受身のままだった。


 それがいつから変わったのだろう?


 たぶん、リーフィアが家に引きこもっている間に家族は確実に時を重ねて、自分は置いていかれる一方なんだと身にしみたときだ。弟や妹の成長は嬉しい。けれど、辛かった。


 引きこもって助けを待っているだけじゃ何も変わらない。この先もずっと置いていかれるだけだと悟ったとき、それは嫌だと思った。

 ……だったら、いい加減に自分を哀れむのはやめて、殻から出ないと。


「私に行かせて、お母様。お祖母様」


 リーフィアは二人に、やがて父と祖父も加わり、渋い顔をする四人に訴えた。四人は当然反対したが、リーフィアの熱意と説得にとうとう根負けして、一年間だけという条件付きで許可を出してくれたのだった。それだけなら成長しないことがバレないですむだろうと。


 幸い、一番反対するであろう兄のリードは国境警備からしばらく帰ってこない。シスコンを拗らせつつある弟のレインも寄宿学校に入っていて、戻ってくるのは次の夏休みになるだろう。


「姉さま、行っちゃイヤ!」


 意外にも説得が大変だったのは妹のフィランだったが、三ヵ月に一度は帰省すると約束すると渋々頷いてくれた。


 その三ヵ月に一度の帰省も、自分の身が危ないと思ったらすぐに暇を願い出て帰ってくることも、城に行くにあたり両親たちが出した条件だった。


 リーフィアはこれを聞いた瞬間、痛いほど自分に対する愛情を感じた。暇を願い出たりしたらウェインティン伯爵家の印象は悪くなるし、推薦した祖父母の顔にも泥をぬることになるだろう。それでも帰ってこいと、名誉や家名よりもリーフィアが大事だと示してくれたのだ。


 ――皆に絶対迷惑はかけまい。そして元の姿を取り戻して帰ってきてみせる。そうリーフィアは心に誓った。


 侯爵家の推薦が効いたのか、思いのほか簡単に「フィラン・ウェインティン」はシスティーナ王女の遊び相手に決まる。


 こうしてリーフィアはフィランとして城にあがることになったのだった。

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