1章

二つの姿を持つ娘①




 十八年に及ぶリーフィアの人生は、ちょうど十歳を境として二つに分けられる。

 そのうち最初の十年が彼女の人生の最高潮だったのだと、今にして思う。残りの八年はいわばどん底人生だ。


 そう、リーフィアの人生は十歳で終わったも同然なのだ。



 リーフィアは美形一家として名高い名門貴族、ウェインティン伯爵家の長女として生まれた。

 美男美女カップルとして名高い両親の、これまたいいところを継いだらしく、わずか九歳にして将来は当代一美人になること間違いなしと謳われていた。


 ちなみに四歳年上の兄リードや三歳年下の弟レインもこれまたキラキラしいまでの美形だ。彼ら一家はどこに行っても目立っていた。その美形兄妹の中でも特に注目を浴びていたのがリーフィアだ。


 極上の絹糸のような白銀の髪に、宝石を思わせる紫の瞳。長い睫が影を落とす頬は滑らかでシミ一つない。細い鼻梁にピンク色の小さな唇。その姿はどこから見ても愛らしく、完璧で、芸術品とまで称されていた。


 彼女の輝くような笑顔は誰をも魅了し、リーフィア自身もそれをどこか当然だと思っていた。自分の容姿に驕っていたつもりはなかったが、みんながリーフィアに注目しその容貌を褒めそやし、特別扱いするのが当たり前になっていたのだ。


 ――そんなリーフィアの順風満帆だった世界がひっくり返ったのは、十歳の誕生日だった。


 母方の実家であるアーゼンタール侯爵夫妻はその日、十歳を迎える孫娘のために屋敷で大々的なパーティーを開いてくれた。リーフィア一家はまだ当時赤ん坊だった妹のフィランを除き、全員でそのパーティーに出席していた。そこであの忌まわしい男に遭遇してしまったのだ。


 祖父母は親しい友人らを招いたそのパーティーの余興として、旅芸人の一座を雇っていた。その中にあの男――イェルド=エクレフがいた。

 

 一座は中庭で曲芸やナイフ投げ、舞踊などの芸を次々と披露し、招待客を大いに沸かせた。十歳になったリーフィアも彼らの技に夢中になって手を叩いて歓声をあげたものだ。


 一座の最後の見世物として出てきたのは、一人の男だった。まだ若く、至って普通の外見で、取り立てて何か披露できる技があるようには見えなかった。けれど彼が手を振り上げて何かを唱えた次の瞬間、中庭に突然大きな虹がかかり、人々は感嘆の声をあげた。


 男は魔法使いだったのだ。


 魔法を扱う人間はそれほど多くはない。魔法を教える学校があるわけではなく、弟子を取って教えるのが一般的だからだ。その中で才能のある者は王城に雇われて、国専属の魔法使いとなる。そうでない者は市井に交じって魔術で生計を立てたり、薬を売ったりしている。


 イェルド=エクレフと名乗る魔法使いは、旅芸人一座に身を寄せ、簡単な術を芸として披露する道を取ったようだった。


 魔法などめったに見られる機会がない招待客は、彼の技に大いに沸いた。

 魔法使いは虹を出し、花を降らせ、光る幻影の蝶たちを舞い上がらせた後、このパーティーの主役であるリーフィアの前に来て、跪いて言った。


「誕生日おめでとうございます、美しいお嬢様。私からお嬢様に贈り物をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 もちろん否やがあるわけない。リーフィアはにっこり笑って承諾した。人々はあの魔法使いが今度は何を披露してくれるのかと期待に満ちた目で二人を見守った。


「お嬢様。お嬢様はとても美しい。その無垢なる愛らしさは稀なる至宝です」


 男はリーフィアの美しさを褒め称える。当時のリーフィアにとっては聞きなれた賛美だった。だから彼女を見る男の目が妖しく輝いていることに気付かなかった。


 おかしいと思いだしたのは男が続けてこう言ってからだ。


「けれど、やがてお嬢様のその無垢さは消えていき、世俗に汚れ、醜い大人の雌になっていくことでしょう。お嬢様、私はお嬢様のその汚れなき美しさが損なわれていくことに耐えられません。よってその愛らしい姿をずっと留めることのできる魔法を贈らせていただきます」


 言うなり男の口から不思議な呪文めいた言葉が流れた。そのとたん、リーフィアの身体に雷に打たれたような衝撃が走る。けれどそれは一瞬だけですぐに消え去った。


 衝撃の後、リーフィアの身体には何の変化も起きなかった。けれど、呆然としながらもリーフィアには分かった。


 ――何かされた。


 それは確信にも近い思いだった。

 男はリーフィアを見て満足そうに笑う。


「これであなたのその美しさが損なわれることはありません。……ああ、でも、その美しさを愛でるのは私だけでいいかな?」


 男の言葉と何も起こらなかったことに対して、見守っていた人々がざわめき始める。リーフィアと同じく男の言動に呆然としていたリードがハッとなった。


「リーフィア、下がって! そいつ何かおかしいぞ!」


 リードは妹を庇うべく前に飛び出した。けれどその時はもう遅かったのだ。男の口から呪文が放たれる。


 ――直後、リーフィアは再び雷に打たれたような衝撃を感じた。けれどそれもすぐに収束する。


 ……先ほどと同じように身体に何も変化はないように感じられた。けれど、そう思ったのは彼女だけだった。



「……リーフィア……?」



 リードが仰天したようにリーフィアを見ていた。リードだけではなく、両親も祖父母も、招待客もみんな呆然とリーフィアを見ていた。


 そんな中リーフィアだけはみんなの反応に目を瞬かせ、何がおかしいのかと不思議そうに自分を見下ろしてみる。その際に、髪の毛が頬の両脇にかかり、そこでようやく自分に起きた変化に気付いた。


「髪の毛が……!?」


 リーフィアの髪は母親譲りの美しい白銀だった。銀と金を混ぜたような淡い金色で、月の光のようだと賞賛されていた。その自慢の髪が濃い茶色――褐色に変化していたのだ。


 けれど、リーフィアの変化は髪の毛だけではなかった。


「きゃあああ! 私のリーフィアが……!」


 リーフィアの母親の悲鳴が中庭に響き渡る。固まったままだった人々はその声でざわめき始めた。


「ああ、なんということでしょう」

「むごいことを……」


 人々の視線がリーフィアに注がれる。それは今までとは違って驚愕と動揺と哀れみの視線だった。


 男が変えたのは髪だけではなく、リーフィアの容姿も変えていた。白銀の髪はよくある褐色の髪へ。宝石のようだった紫の瞳は黒に近い茶色へ。尖った鼻先は角をなくした。


 絶世の美少女と称された美貌は、どこにでもいる平凡な姿へと変えられていたのだった。



 ――その後に起こった大騒動は、あれから八年経った今でも思い出すのが辛いほどだ。


 招待客は騒然となった。母親は半狂乱になり、ウェインティン伯爵は動揺が激しい妻を宥めるのに忙しい。リードも突然姿を変えたリーフィアにどうしたらいいのか分からずに遠巻きにしている。


 そしてリーフィアは――ただただ立ち尽くしたまま困惑していた。自分の身に起こったことがまだ信じられなかったのだ。


 そんな中、リーフィアの姿を変えた魔法使いイェルド=エクレフは人々が大騒ぎをしているうちに姿を消した。


「また会いましょう。愛しいお嬢様」


 そう言い残して。


 祖父が使用人たちに命じて捕まえさせようとした矢先のことだった。魔法を使ったのか、使用人の手が男に触れる直前、その姿がかき消えるようにいなくなったのだ。


 すぐに周辺を捜索させると共に、祖父は同じく起こった出来事に呆然としていた旅芸人の一座を捕らえた。


 アーゼンタール侯爵はあの魔法使いをこの屋敷に招き入れたことに責任を感じて、何としても捕らえて孫娘を元に戻すのだと決心していた。だが、旅芸人一座に魔法使いの居所を吐かせようとしても、彼らはイェルド=エクレフがどこに行ったのかまったく知らなかった。心当たりもないらしい。なぜなら件の魔法使いはほんのひと月前、隣国での興行中に一座に加わったばかりだったからだ。


 更に問題があった。


 誰も具体的に魔法使いイェルド=エクレフの顔が思い出せないのだ。侯爵も、一ヵ月共に暮らしていたはずの旅芸人の一座も、リーフィア自身もあれだけのことをされたのにまるで男の風貌を覚えていなかった。


 若かったのは覚えている。髪の色も瞳の色も、よくある茶色で、容姿も取り立てて目立つところがなかったのは覚えている。けれど、具体的に思い出そうとしてもその顔はやはりぼやけていて、まるで形にならなかった。似顔絵を描かせるのも苦労したほどだ。


 おそらく男は魔法を使って自分に関する記憶を消したのか、それともはじめから認識を阻害する術を己にかけていたかのどちらかなのだろう。いずれにしろ、その場限りの思いつきの犯行ではないことを窺わせた。


 一方、リーフィアはショックで寝込んだ。熱が下がった後も、自分で自分を認められなかった。鏡を叩き割り、ベッドにうずくまって泣く日々が続いた。そんな彼女を家族もどう扱ったらいいか分からなかったようだ。


 母親はリーフィアの姿が平凡な姿に変わってしまったことを嘆き、父親は娘を守れなかったことを悔やみ続けた。リードも幼いレインも姿を変えてしまった姉妹にどう接したらいいのか分からないようで近づいてこなかった。


 そんな家族の態度がリーフィアをさらに傷つけた。でなければもっと早く現実を受け入れることができただろう。


 誰でもいい。嘆くリーフィアを抱きしめて「姿が変わろうがお前は大事な家族だ」と言ってくれたらどんなに彼女の心は慰められたことだろう。けれどようやくその慰めが与えられた頃にはすでにリーフィアの心はねじれまくっていた。


 ――私の中身は何も変わっていないのに。やっぱり大事なのは外見なのね。


 もちろんリーフィアは家族を愛していたし、家族が自分を愛していることを知っていた。けれど、もう前のように無邪気に無償の愛を信じることはできなかった。


 更にリーフィアの心をねじくれさせたのは、平凡になった自分への周囲の反応だった。ちやほやされていた前と違い、今は誰に注目されることもなくなった。笑顔一つで特別扱いされることを享受していたリーフィアにとって、その態度の落差は堪えた。


 ――彼らが認めていたのは私の外見だけ。中身ではないのだわ。


 それでも姿が変わってしばらくは元に戻れると信じていた。イェルド=エクレフが捕まればリーフィアにかけられた魔法は解くことができる。そうすれば何もかも元通り、そう信じていた。ところが姿が変わって半年後、リーフィアの元にもたらされたのは、件の魔法使いイェルド=エクレフが事故で死んだという知らせだった。


 父やリーフィアの祖父が放った追っ手から逃れるために隠れ住んでいた小さな街で、馬車に轢かれて亡くなっていたのだ。潜伏していた場所を特定し、捕まえようとしたほんの矢先の出来事だった。


 もう、元の姿に戻る方法は失われたのだ。


 祖父はイェルド=エクレフの行方を追わせている間、別の魔法使いにリーフィアを診てもらっていた。魔法というのは術をかけた当人以外でも方法さえ分かれば解くことができるからだ。


 けれど誰もリーフィアの術は解けなかった。ツテを辿って何人もの魔法使いに診てもらった、みな言うことは同じだった。


『ご令嬢にかけられた魔法は一般的な魔法ではなくかなり特殊なものです。今までこんな術は見たことがない。いえ、術自体がはっきり見えないのです。何の魔法が使われたのかも分からない以上、解くことはできません』


 となれば、イェルド=エクレフの命が失われたことは、すなわちリーフィアが元の姿を取り戻せる希望が潰えたということに他ならなかった。

 リーフィアやその家族をはじめ、彼らに協力する貴族たちも肩を落とした。


 けれどわずかな希望も残っていた。侯爵の古い知り合いで、かつて宮廷魔法使いだったという老人がリーフィアを見て、何の魔法であるか特定してくれたのだ。


 それによると、どうやらリーフィアにかけられた魔法は「月魔法」と呼ばれる古くてとうに廃れた魔法だったらしい。けれど、今では月魔法の詳しい全貌を知っている者は、古代魔法の研究者でもいるかどうかあやしい。そして老人も、それが本当に月魔法であるか確信がないのだという。


『おそらく件の魔法使いは独自に古代魔法を研究していたのでしょうね。その資料が残されていればあるいは……』


 けれど、イェルド=エクレフの遺品はリーフィアの絵姿のみで研究資料はなく、彼の足跡や出身地、誰に魔法を習ったのかすら定かではなかった。


 そんな中、リーフィアは姿が変えられたことなどたいした問題ではなかったと思い知らされる事実を突きつけられた。


 イェルド=エクレフがリーフィアにかけた魔法は二つだった。姿が変えられたのはイェルド=エクレフが放った二度目の魔法のせいだろう。だったら初めの魔法は?


 その答えは嫌な事実と共に数年後に明らかになった。


 ――リーフィアの姿は十歳からまったく成長しないのだ。リーフィアはいつまで経っても少女の姿のままだった。


「奴の言っていたことはこれか……」


 リードが唸る。リーフィアを前にイェルド=エクレフが話していた言葉から、彼が幼児性愛病者ではないかと疑っていたのだが、奇しくもこれで証明される形になった。


 あの男はあろうことかリーフィアの成長を止め、永遠に十歳の姿のまま留めるという魔法をかけたのだ。おそらくは一度目の、何も変化がなかったかに見えたあの

魔法がそうだったのだろう。


 リーフィアにとっては美貌を損なう以上にこれが大問題となった。平凡な姿になるのはまだいい。元の姿をそもそも知らなければ今のこの容姿でもいいと言ってくれる相手と幸せになることもできたかもしれない。


 けれど自分は永遠に十歳なのだ。

 こんな自分を相手にしてくれるのはそれこそ幼児性愛病者なくらいなものだろう。


 だが幼児性愛病者と結婚するなど冗談ではない。そもそもこうなった原因が幼児性愛病者の変態魔法使いのせいなのだから。



 ――幼児性愛病者ロリコンは滅びろ!



 毎晩のように吐き捨てているリーフィアに、かつての美少女の面影はもうなかった。


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