魔王からの招待状③




 何をしゃべればいいのか分からず、かといって無言のままも困るので、ぽつりぽつりと今日の法事のことなど世間話を交えながら電車とバスで四十分ほど。


 魔王の言うとおり、辿りついたのは隣の市との境だった。


 緑の多い郊外のバス停で降り、魔王は「少し歩くんだ」とこんもりとした森のような場所を指差し歩き出す。


 緩やかな坂道で先に立って歩く背中を追い、要はしげしげと魔王を観察した。


 格好はどこにでもいる普通の男の人。Tシャツは汚れもなく、よれよれでもない。足元のスニーカーまで適度に綺麗で清潔感があった。ジーパンの尻ポケットから見える財布はブランド物ではなく、かといって安っぽくもない。


 自分が呼び出したからと交通費を払ってくれ、今も要が遅れないよう歩調を合わせてくれている。


(普っ通――――っのめちゃくちゃ優しいお兄さんなんだけど!?)


 世間話をしてみた結果、やはりそういう回答に落ち着いてしまった。


 魔王やお坊さんとしての格好をしていないせいか、「どこにでもいる」という感想しか出てこない。


(なんか人間に擬態しているとかじゃないよね)


 見た感じは要より二つ三つ年上。顔は若いが物腰に落ち着きがある。……あくまで要の女性的な部分が絡まなければ、だが。


(タマは女の人が苦手って言ってたけど……)


 話をしていても、ことさらに女性を嫌悪したり冷たくするような様子はない。おそらく慣れていないという意味なのだろう。


「着いたよ。ここなんだ」


 長い坂道を十分ほど歩き、魔王が足を止めたのは背後に山を置いた大きな建物だった。

 白い壁がぐるりと巡らされた広い敷地には、古い木造の山門がある。中を覗き込めば石畳の参道が続き、灯籠のある庭や瓦屋根の立派な本堂が見えた。


(お寺だ……)


 山門の前には石の門柱があり、そこには『大抄寺』と刻まれている。

 建物は大きいし歴史もありそうだが、初詣に大勢の人が詰めかけるような印象ではない。近所の人達だけがお参りに来るような、地元の大きなお寺という感じがした。


 山門を潜った魔王は参道から外れ、本堂に向かわず脇に逸れていく。

 後を追い、要はごくりと息を呑んだ。


(ここはいったい……)


 本堂の隣には、普通の民家のような一軒の家がある。よく見れば本堂と渡り廊下で繋がっているようだ。


 魔王は躊躇することなく、カラカラと民家の引き戸を開けた。


「ただいまー」


(――ただいまっ!?)


 魔王に家がある。


 日本家屋……というよりもそのまんまお寺で、しかも声を掛けるということは家族がいる。

 数々の衝撃に愕然とする要の前に、家の奥から一人の和服の女性が現れた。四十代後半の、ほっそりとした綺麗な人だった。


「おかえりなさい……あら!」


 笑顔で現れた女性は後ろの要に気がつき、目を見開く。


「あら、あら、あら、あらあららららら!!」


 とりあえずぺこりと頭を下げた要に、女性の表情が歓喜に包まれた。


「まあああっ、いらっしゃい! どうぞどうぞ、上がってくださいな! どうぞどうぞ!!すぐにお茶とお菓子を持っていくわね!」


 ものすごいテンションだ。同じくテンションの上昇を感じたらしく、魔王が慌てて間に入った。


「母さん! 俺がやるから部屋には」

「母さんっ!!?」


(魔王の!?)


 すっとんきょうな声を上げた要を見て、魔王母はバシバシと魔王の肩を叩きまわす。


「ほぉらもおおぅ! 突然連れてきたりするから彼女ちゃんがビックリしてるじゃないの!」

「違うっ、彼女じゃない!!」


 魔王は必死に弁解するが、真っ赤になった顔では逆効果だ。

 魔王母はにやけるのを堪えきれないようで、はしゃぎながら要を招き入れた。


「どうぞどうぞ、お入りになって! もちろん光明さんのお部屋でいいわよね?」


(コウメイさん?)


 魔王の名だろうか。


 魔王は「ごゆっくり~」と台所へ去った母を追うか、要を案内するか悩んでいた

ようだが、要の案内を優先させた。

 そこはかとなく線香の香りが漂う廊下を早足で歩き、奥の一室に要を入れる。


「適当に座って待ってて!」

「あ、はい」


 座布団を手渡すなり急いで出ていった魔王を見送り、要は小さな木のテーブルの前に腰を下ろした。


 扉は襖で床は畳という、今時珍しいほどの立派な和室だ。

 魔王の私室なのか、八畳ほどの広い部屋はきちんと整理整頓されている。勉強机の上には黒いパソコン、大きな本棚には難しそうな本がぎっしりと詰まっていた。


(すごい。お経の本がいっぱ……い…………)


 なんとなく本棚に並んだ背表紙を目で追い、


「……………………」


 要は無言で考え込んだ。


『自分を変える五つの習慣』

『本番に強い人の生活習慣』

『できる! その言葉から広がる世界』『仕草で分かる女性の気持ち』


(…………なんだこれ?)


 居並ぶお経の一角に自己啓発本の類が詰め込まれている。


「お待たせ」


 しばらくして襖が開き、要は慌てて本棚から視線を魔王に戻した。


 魔王母から奪い取ってきたのだろう、お茶と和菓子の載った盆を手にしている。

 相手に正座で座られては、こちらも正座にならざるを得ない。崩していた足を戻し、要はテーブルを挟んで魔王と向かい合った。


 いくらか落ち着いたのか、魔王は表情を引き締め丁寧に頭を下げた。


「まずは、来てくれてありがとう。正直来ないかと思っていた」

「はあ、あの、行かないことも考えましたが」


 いわば敵同士なのだ。

 正直に言うと魔王はうなずき、もう一度礼を言うと顔を上げた。


「突然家に行って申し訳なかった。俺の叔父の寺が君の家の近くで、聞いてみたら檀家さんだって言われて。ちょうど法事があるっていうから連れて行ってもらったんだ。叔父は君の家の菩提寺で副住職をしてるんだけど」


「ボ、ボダイジ……」


 寺っぽいことを言われた。ボダイジなど初めて耳にする単語だ。


「君は俺のことをなんて聞いている? お猫様からドリームピンクをしろと言われたんだろう?」

「オネコサマ!! 誰のことだ!?」


 全力で叫べば魔王は途惑いがちに首を傾げる。


「戦いのとき君と一緒にいた、茶色い毛の」

「まさかと思うけどタマのこと!?」

「タマ? 名前があったのか、知らなかったな」


 魔王に驚かれ、叫びを呑み込んだ要は慌てて座り直した。


「い、いえ、うちの妹が勝手につけたんですけど……。猫、ですか?」


 真顔のイケメンから聞かされる“ドリームピンク”だとか、聞き捨てならぬ“お猫様”なる敬称だとか、ツッコみたいことはいろいろあるが、まずそれが気になった。

 百パーセント猫ではないと思うのだが、魔王は意外そうに目を瞬く。


「君には人間に見えているのか?」

「もちろんです。猫に見えるんですか?」

「いや、今は人間に見えるよ」


(今は?)


 しかし要が口を開くより早く、魔王が更にとんでもないことを言った。


「そのお猫様が俺のところに来て、君の家と名前を教えてくれたんだ。次の戦いの場は中央公園になるって言って」


「はあっ!?」


 思わず脳天から声が出た。


「タマが来てって、いつの話ですか!?」

「三日前の夕方頃かな。新しいドリームピンクを見つけたから、七時半に中央公園に集合って」

「コ、コール出しましたか?」

「コール? ……って?」


 魔王に思い切り首を傾げられ、要は内心で拳を握りしめた。


(あんのバカ猫!! ただの待ち合わせじゃないか――!)


 魔王が現れた、ではなくてタマが魔王を呼び出していたのだ。タマが付きまといの途中で姿を消したときがあったが、そのときに魔王に知らせたに違いない。


 要が怒り心頭に達しているとは知らず、魔王は姿勢を正した。


「挨拶が遅くなったけど、俺はこの寺で僧侶をしている藤堂み」

「コウメ―――――イっ!!」


 なんの前触れもなくスパーンッと音を立てて襖が開き、要は正座したまま飛び上がった。

 魔王もぎくりと身体を強張らせる。


「光明! お前女性を連れて来たそうだな!」


 大音声を上げて部屋に入ってきたのは、藍色の作務衣姿のおじいさんだった。体格のいい坊主頭のおじいさんとバッチリ視線が合い、要は慌てて頭を下げる。


「お邪魔しています。えっと、細川要です」

「要さんといいますか!」


 大仰に繰り返され、要は嫌な予感がした。


(あれが来るか!)


 要には、微妙に根の深いコンプレックスがある。


 それが「要」という女の子にしては少々珍しい名前だ。どうして男の子の名前を? 変わっている……等々。要が初対面の人と接するとき、よく投げかけられる面倒なやり取りだった。


 しかし正座で迫ってきたおじいさんは大きくうなずく。


「素晴らしい名だ!」


 魔王もはにかむように微笑んだ。


「本当だ。いい名前だな」


(あ、あれ……?)


 屈託なく微笑まれ、要はとっさにまごついてしまった。


「ど、どうもありがとう……ございます……」


 男の名前みたいだと言われたことはあっても、初対面の人から褒められたことはなかった。


 要は自分の名前が嫌いではない。いい意味だと思うし、響きも好きだ。だがそれに付随する「男みたい」という言葉にいちいち返事をするのが億劫だったのだ。


(ちょ、ちょっと嬉しいかも……)


 照れた要をどう受け取ったのか、おじいさんは目に力を込めて迫ってきた。


「要さん。このとおり光明は気もきかんし決断力もない優柔不断で煮え切らん男だ。だがな、これだけは覚えておいておくれ。女性を家に連れてきたのは要さんが初めてなのだ!」

「は、はぁ」

「じいさん、ちょっと出てってくれ!」


 真っ赤になった魔王に襟首を掴まれても、「じいさん」は微動だにしない。


「中学高校と男子校、大学はやっと共学になったのに二年間通って女性の“じょ”の字も出てこん! 見てくれは悪いわけじゃないのにどうなっとるんだと心配しておったが、要さんのような可愛らしいお嬢さんと!!」

「じいさん頼むっ、朝の鐘撞きでも塔婆書きでも何でもするから出てってくれっ!!」

「ここ数日本堂で経ばっかり読んどるかと思ったら、木魚を叩き回したり床を転げまわったり赤くなったり青くなったりでおかしいと思っとったのだ! それもこれも要さんという女性に出会ったからだと今分かり」


「出てけ―――――っっ!!」


 魔王の絶叫にもめげず、「じいさん」は未練がましく要の両手を握り、拝むように額まで持ち上げる。


「なにとぞ光明を! 光明をよろしく頼む!」


 選挙活動のようなセリフを残し、魔王によって部屋の外に放り投げられた。

 ゼェゼェと荒い息を吐いていた魔王は、襖を叩きつけるように閉じるなり、要の膝元に飛び込みひれ伏した。額を畳に擦り付け頭を下げる。


「ごめん!! 本っ当にごめん!!」


 魔王に土下座され面食らったが、要は慌てて顔を上げさせた。


「いえ、大丈夫ですから。おじいさんなんですか?」


 おそらくそうなのだろうと声を掛けると、魔王は涙目で顔を上げた。


「祖父でこの寺の住職なんだ」


(ということは、やっぱりこのお寺は魔王の家……)


 しかも住職が祖父ということは、魔王は未来の跡取りらしい。

 平然とした要に落ち着きを取り戻したのか、魔王は改めて正座したももに手を添え頭を下げた。


「この寺で僧侶をしている、藤堂光明といいます」

「みつあき?」


 先ほどから「コウメイ」と呼ばれていたのはなんだったのか。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、光明が微笑んだ。


「僧名だよ。出家したときにもらうんだ」

「出家してるんですか?」


 意外だ。要の中では出家者=お坊さん=髪の毛がない、だった。


「一応は。まだ学生だから大学卒業したら修行に出て、それから本格的に寺の仕事に就くんだ」

「大学生……!」


 先ほどの住職の話で予想はしていたが、改めて聞くと驚愕するものがある。

 悪の魔王は大学生だった。


「細川さんにわざわざ来てもらったのは、例の件で話があって――」


 と、切り出された瞬間、部屋のすぐ外から慌てたような声が聞こえた。


美優みゆちゃん、ダメよ!」

「こらっ、美優! 邪魔をしてはいかん!」


 ものすごく近くから魔王母と住職の叫び声が響き、どたんばたんと何かが暴れる音。

 呆気に取られた光明と要が見守っていると、本日二度目の襖スパーンッがこだました。


 現れたのは制服を着た少女だった。


「美優……!」


 光明が驚いたように膝立ちになる。

 襖の外で盗み聞きしていたのだろう光明の母と住職を背後に置いて、仁王立ちした少女は要を睨みつける。


 茶色のブレザーにチェックのプリーツスカート。ふわふわとした長いショコラブラウンの髪に、パッチリとした大きな目、白い頬と小作りな顔には桜色のアヒル唇――――。


「あ――――――――っ!!」


 要の声に、睨んでいた少女もハッと大きな目を更に大きくする。

 見惚れるほど可愛い少女と要は互いに指差し合い、大声で叫んだ。



「「ドリームピンク―――――っ!?」」



「お、来ましたか」


 その驚きも冷めやらぬうちに、聞き慣れた声が窓際から聞こえた。

 閉ざされていたはずの窓から乗り込んできたのは、見覚えのある茶色い髪の青年だ。


「タマ!?」


 幻ではない。窓枠を越えてきたのは、頭に猫耳カチューシャを装備した、正真正銘光明とは敵であるはずのタマだった。

 タマはのんきに「おかえりなさい、美優さん」と、前ドリームピンクの少女に声を掛けている。

 それだけではない。まるで敬意を表するように光明が座布団から立ち上がったのだ。


「おかえりなさい。早かったですね。俺、今日はもう戻らないかと思ってたんですが」

「光明さんだけで要さんに上手く説明できるか心配でしたからね。超特急で帰ってきましたよ」


(ど……!)


「どういうこと!?」


 目の前の光景をただただ凝視し、要は一人混乱する。

 驚きに口を開くしかない要に、タマはにっこりと微笑んだ。


「いらっしゃい、要さん。ではお話ししましょうか」

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