魔王からの招待状④



「いろいろなことが重なって、要さんのところに戻るのが遅くなってしまいました」


 要と差し向いに座ったタマは、すみませんと殊勝に頭を下げた。


 タマ、魔王である光明と前ドリームピンクの少女、そして要がいるのは、山門から正面に見えていた大抄寺の本堂の中だ。

 濃密な線香の香りがするそこは、百人ぐらい入ろうと思えば入れそうなほど広い。


 何畳あるかも分からない畳は、紋入りの縁が真っ直ぐに伸び、中央奥には金色の天蓋が吊り下げられている。据えられた木魚も華瓶も燭台も、個人の家の倍以上ある大きさだ。

 巨大な観音開きの厨子の上にも金色の天蓋が掛かり、その前に置かれた大壇の上には様々な仏具が並べられている。


 慣れない空間に妙に緊張しつつ、要は正面に座ったタマの顔を上げさせた。


「いや、遅くなったとかはどうでもいいけど、何がどうしてこうなってんの?」


 ここにいるのは世界をどうこうするほどの魔王、魔王から世界を守る人物を探すタマ、そして世界を救うドリームピンクに選ばれた少女…………が二人。


「まったくわけが分からん!」

「要さん、心の声出てますよ」

「ピンク二人で、すでにドリーム6なんだけど!?」

「色と数は私の直感なので、ピンクが二人でもレッドが三人でもなんでもいいんですけどね。とにかく、まずは自己紹介を。光明さんはいいでしょうから、要さんと美優さん」


 タマに目を向けられ、きっちり背筋を伸ばして正座していた美少女が不服そうに要を睨んだ。


「光明が女連れて来たって聞いたけど、あんたのことだったんだ」

「それが自己紹介かっ」


 思わずツッコむと、美優の隣にいた光明が焦ったように割って入った。


「美優、失礼なことを言うのはやめなさい」


 父親のような説教に、前ドリームピンクは面白くなさそうに唇を尖らせる。


「笠井美優。あんたは?」

「……細川要だけど」

「要? 男みたいな名前」

「うぐっ!」

「こ、こら、美優!」


 さっくりと予想どおりの返しを受けてしまった。

 光明の叱るような声音もどこ吹く風だ。そっぽを向いた美優にため息をつき、光明が代わりとばかりに頭を下げた。


「うちの親の知り合いの子で、ここで下宿してるんだ。ごめんな、態度が悪くて」

「……どーいたしまして……!」


 光明の手前なんとかかんとか笑顔を作ると、タマが感心したように拍手する。


「要さん、思ったよりも大人ですね。さて、今日はそんな要さんにお願い事が一つ」

「イヤだ」

「やってくれますか、ありがとうございます!」

「話を聞け!!」


 どうせろくでもないことに違いない。


「そもそもなんで魔王とタマが知り合いなの! 敵同士じゃないの!?」


 敵じゃないなら、要は何のために戦わされたのかさっぱり分からない。

 魔王の呼び名に、光明が一気に赤面する。恥ずかしいのはよく分かる。要が自分を「ドリームピンクです」と名乗るほど恥ずかしい。


「えーと、魔王っていうのは、その……! お猫様に、分かりやすい悪役になれって言われてやらされているだけで、俺は全然そんなのじゃないんだ……!」

「んじゃタマが悪いわけですね」

「要さん、あなた全ての犯人を私にしたいんですね」


 当然、と言いかけたとき、興味なさそうに聞いていた美優が口を開いた。


「ねぇ、タマって? お猫様の名前なの? 名前あったんだ」

「あったというか名付けていただきました。美優さんも呼んでくれていいんですよ」


 にこやかなタマの返事に、要は「ん?」と首をひねった。


(……猫?)


 引っかかったが、美優とタマは普通に会話をしている。光明同様、現在も猫に見えているわけではなさそうだ。


(最初は猫に見えてたってこと?)


 しかしゆっくり考える間もなく、タマが話を戻す。


「それで要さんにお願いというのはですね、光明さんの」

「だからイヤだってば! だいたい光明は――っと! すみません!」


 うっかり呼んでしまい、要は慌てて口をつぐんだ。


(名字なんだっけ!?)


 ど忘れしてしまい焦っていると、光明が優しく笑ってくれた。


「いいよ、そのまま光明で。俺もそのほうが落ち着くから」

「すみません! ごめんなさい!」


 年上の人にかなり失礼なことをしてしまった。恐縮し、要は頭を下げる。


「じゃああたしのことも要って呼んでください。で、美優? だっけ?」

「あんたに名前呼ばれる筋合いないわよ!」


 吠える小型犬のような美優を制し、要は真顔でタマを見返す。


「まずは、なんであたしや美優が光明と戦わされるのか教えて」


 自分が何をさせられているのかも知らずに、タマのお願いだけを一方的に聞くつもりはない。


「美優はこのお寺に下宿してるんだよね? 光明が無理やり魔王をやらされてるって知って、戦うことになって……って、アレ? 美優は戦いのときまで光明が魔王って知らなかったってこと?」


 一緒に住んでいるのにそれも妙な話だ。頭のこんがらがった要だが、光明も美優もなぜか言いよどむように互いに沈黙してしまった。


「……私が光明と会ったのは偶然だから」

「え?」


 きょとんとした要に、美優はやや言葉を選ぶように口を開いた。


「本当は都内の高校に通うために、三月の終わりから親戚の家に住む予定だったの。それで上京したついでに光明に会いに行ったら、途中でお猫様……タマに声をかけられて……」


 なんとなく消えがちになった美優の言葉を引き継ぐように、タマが難しい顔で唸った。


「これは私の不明と致すところですね。お二人が知り合いだと知らずに、美優さんをドリームピンクに選んでしまったんですから」

「知らずに選んだ!? それって逆にすごくない!?」


 偶然が過ぎて作為的だが、タマも光明も美優も真顔だ。

 三人とも嘘をついている様子はなく、要は半信半疑でタマを見た。


「じゃあ魔王としての光明に会ってから、美優はこのお寺に移ったの?」

「ええ、そうです。私が街で美優さんをドリームピンクとしてスカウトして、戦い

の場に連れて行ったらそこで初めて知り合いだと判明したわけですよ。仕方ないので美優さんのステッキは取り上げ、他の人を探すことになりました」

「じゃあ美優が魔王に寝返ったんじゃなくて、タマが勝手にドリーム5から外したってこと? なんで知り合いだとダメなの?」

「本気の戦いになりませんからねー」


 ため息をついたタマに代わり、美優が答えた。


「私達は練習なのよ。光明の」

「練習?」

「タマに選ばれて光明と戦うの。私達は戦いで平常心が保てない光明の、実地訓練用に選ばれてるのよ」

「……ということは、光明は別の何かと戦ってる?」


 要達ドリーム5以外の何かと。

 光明はうなずき、居住まいを正した。


「細川さんは物が突然燃えだす事件のことを知ってるかな? この町とか細川さんの住んでるところで起こってる……」

「知ってます。犯人はまだ捕まってないんですよね?」


 光明の言う発火事件とは、要の住む湊山市で多発している原因不明の火災事件だ。

 火事の規模自体は大きくない。ゴミ袋が燃えたり、建物や植物に小さな焦げ目がつく程度だが、その頻度と特異性から全国紙に取り上げられるほどの事件になっていた。


 人が被害にあったわけではないのに、なぜ大々的に取り扱われるのかといえば、犯人とされる人物が全くいないことだった。

 発生場所も時間も燃やされる物も全てがランダム。目撃者は一様に、火の元のない無人の空間から、突然火の手が上がったと言っている。


 時限装置がついているとか、遠隔操作だとか、化学物質の燃焼、集光による自然発火、果ては心霊現象――などなど、理由は未だに解明されていない。


「事件が取り上げられ始めたのはここ最近だけど、本当は四カ月前から始まっているんだ」


 光明は立ち上がり、簡単な柵で仕切られた本堂の内陣に入っていく。

 何気なくその様子を見ていた要だが、光明が最奥の大きな厨子を開いたとたん、目を瞬いた。


「……何もない……?」


 暗い厨子の中には、当然納まっていると予想した仏像がなかったのだ。ぽっかりと空いたそこには、虚ろな暗がりが広がっている。


「この寺の御本尊様は不動明王なんだ。見てのとおり、今はないんだけど」

「不動明王……」


 名前は聞いたことがあるが、どんな仏像かと聞かれると答えられない。おぼろげに姿形がイメージできるぐらいだ。

 そんな要の考えが顔に出ていたのか、光明は一冊の本を持ってきてくれた。


「これが俺の家の御本尊様と一番似た形かな。歴史とかは全然違うけど」


 写真は京都の有名なお寺の仏像だった。


 背中に燃え盛る火焔をまとい、半裸の肉体に肩から斜めにたすきのような布を掛け、襞のある腰布を身に着けている。睨みつけるような顔は、要が持っていたイメージどおり怒りの表情だ。右手に剣、左手に光明が戦いの際に使っていたような縄を持った、木造の坐像だった。


 への字のような口許から鋭い牙を見せる像に、要はポンと手を叩く。


「あー、見たことあるかも。よく門のところに二人で立ってない?」

「それは金剛力士像! 仁王でしょ!?」

「え、そうなの?」


 違いがよく分からない。我慢できずに入ったらしい美優の訂正に首をひねれば、光明は苦笑しながら説明してくれた。


「どっちも忿怒相ふんぬそうだから似てるね。金剛力士は天部……仏法を守護する神様で不動明王は仏だけど」

「フンヌソウ?」

「怒りを表す顔だよ。金剛力士は敵を退散させるため、不動明王は仏の教えに従わない人や悪を懲らしめるために怖い顔をしているんだ」

「へええ~」


 素直に聞き入れば、光明は笑顔を消した。


「信じられないかもしれないけど、四カ月前、うちの御本尊様が炎の塊になってこの本堂から飛んで行った」


「…………」


 自分がドリームピンクでなければ、すぐさま「なんだそりゃ」と答えただろう。

 だがドリームピンクをやらされた今では、ありえないことではない――と思えた。


「四カ月前にお猫様が来て、この寺の仏は危ない、魔障に堕ちるかもしれないって言いだしたんだ」

「マ、マショウ?」

「基本的には仏道修行者の邪魔をする存在だよ。悪魔の障害っていう意味だ」

「ああなるほど、それで“魔障”……」


 言葉の意味は分かるが、話の意味は全く分からない。タマが話を継いだ。


「仏像など信仰の対象となるべく人の手で生み出された物が、長い年月で戦火や悪意などの穢れにさらされ、災いを成すものに転じること。それを私は魔障に堕ちると呼んでいるのです」

「光明の家の不動明王は、その魔障になったからこのお寺から飛んで行った?」

「そう。そして街を徘徊し、それが原因で火災が起こっている」


「え!?」


 もしやそれが……と問うまでもなかった。光明は真剣な表情でうなずく。


「いま騒がれている事件のことだよ。魔障は普通の人には見えないから、自然発火とされてしまっているんだ」

「……!」


 犯人が見つからないはずだ。ある意味心霊現象の見解は正しかったといえる。


「人的な被害が出てないからいいってわけじゃない。炎に驚いた人が怪我をするかもしれないだろう? 警察に言おうかと思ったけど、お猫様にそんな暇があるなら魔障の捕縛に努めろって言われて……」


 心苦しそうな光明の言葉に、タマがもっともらしく首肯する。

 確かに、警察だろうが消防隊だろうが自衛隊だろうが、人智を超えたものに対処はできないし理解もされ難いだろう。


「俺と祖父と父とで市内に結界を張ってるし、お猫様が魔障の現れる場所を特定してくれるから、被害は最小限に食い止められているけど」

「タマ何者!?」

「フハハハハ、崇めるがいいのですよ! 私こそは神に遣わされたこの世の救世主なのです!」


 得意気に満面の笑みを浮かべたタマに、美優がぼそりと冷めた声でつぶやく。


「だったら魔障も一撃で片づけてくれればいいのに」

「それとこれとは話が別なので……ちょっ、要さんまで露骨に見下すのはやめてください!」

「役に立たないなー。よく考えたらタマよりも光明とおじいさん、お父さんの方がすごいよね」


 悪を片づけられない救世主よりは、市を囲む結界が張れてしまう一般人の方が驚きだ。


 少女二人にいじめられて嘆くタマを、たった一人光明だけが

「そんなことないです、お猫様はすごいです」「俺はすごく助かってますから!」 と必死で慰めている。要は密やかに、光明はこうやってタマに騙され魔王をやらされたのだろうと確信した。


 同じ気持ちなのかタマをうんざりしたように見つめ、美優は長い髪をかきあげる。


「私がこのお寺に来たのは四月だからよく知らないけど、最初は誰もタマの話を信じなかったみたいよ。おじいちゃんなんて化け猫呼ばわりだったっていうし」

「そうなんですよ。誰も彼も寄ってたかって私を追い出そうとして……よよよよ」


 よよよなんて嘘泣き以外の何物でもないのに、光明は身の置き所がなさそうに縮こまる。


「お猫様、本当にあのときはすみませんでした」

「でもそれだけ疑ってたのに、なんで信じることになったの? 化け猫、ってことは光明の家の人達には猫に見えてたんだよね?」


 放っておくと、延々と光明がタマに遊ばれそうだ。要は話を促した。


「今は人に見えてるの?」

「ああ。人間の姿で話もしてるよ。でも最初が猫だったし、それがしゃべるもんだから、お猫様の話じゃなくてお猫様自体を信じることができなかったんだ。でもあまりに何回も御本尊様が危ないって言われて、念のため交代で夜通し本堂に詰めることになった」


(お寺の本堂に夜通し……)


 なんとなくゾクリとするが、光明にとっては自分の家だ。平気なのかな……と思ったが話す光明の顔はやや青ざめていた。


「最初の数日は何事もなかったんだよ。祖父も父もあんまり信じてなかったし、仕事もあるしで、だんだん俺一人が見張りをやらされるようになって……。俺も半分寝ながらやってたら……ある夜、辺りが真っ赤になってて目が覚めた」


「え!?」


「飛び起きたら本堂の中で炎が波打ってて……。厨子の中の不動明王が赤くなっていくんだよ。見る間に動いたかと思ったら、炎を引き連れて障子をすり抜けて消えていった」


「ひ、ひえぇぇ……」


 自分の家だから平気とか言えるレベルではなかった。完全な怪奇現象だ。


「それで話を信じざるを得なくなって、お猫様に選ばれた俺が力をもらって御本尊様を追うことになったんだけど……」

「タマに選ばれたって強引に? それともこのお寺の人だから?」


 要のように問答無用だったのか、それとも責任を取ってという意味なのだろうか。

 光明が答えるよりも早く、タマがきっぱりと言い切った。


「両方です。この寺に私の目に適う人物がいなければ他を探しましたが、運よく光明さんがいた。捕縛できるだけの力があると見て、私が選びました………………が」

「勝てない、と?」

「ううっ!」


 要がズバリと言えば、光明は頭を抱えて苦悩した。


「今は仏像の修復と洗浄っていう名目で檀家さんに説明してるけど、長引けば怪しまれる。修復用の寄付もお断りしたから、その時点で不思議がられたし……!」


 事件発生からもうすぐ四カ月が経とうとしているのだ。そろそろ限界だろう。

 光明は心底申し訳なさそうにきつく眉根を寄せた。


「せっかくお猫様に選んでもらったのに、がっかりさせてばっかりで……!」

「光明、素直だね……」


 隣でタマが勝ち誇った顔をしているとも知らずに。

 おそらく自分の言うとおり動いてくれる光明が嬉しいのだろう。要に向かって「どうですか!」と言わんばかりに目で訴えてくるのがこの上なくウザい。


(あたしにも見習えってか? まあ、光明の場合は自分の家の仏様だけど)


 だが魔障捕縛の力をくれるタマは、やはり大抄寺にとって特別な存在なのかもしれない。光明は土下座しそうな勢いだった。


「本当にすみません。俺の力が足りないばっかりにこんなに長引いて……!」

「力が足りないせいではないですよ。あなた本当は強いんですけどね。どうしてここまで本番で力が出せないのか、それをあなたに知ってもらいたいんですが」


「……すみません」


 何も答えられず、光明は恥じ入ったようにただうつむく。

 タマは困ったように微笑むと、ふいに要に向き直った。バッチリと目が合い、要が身構えた瞬間。


「そこでお願いなんですが、要さん」


「イッ」

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