少女戦隊ドリーム5②




 駅から自転車で十分。

 こじんまりとした二階建ての細川家に着くと、猫耳男は驚いたように目を丸くした。


「ここが要さんの家ですか? 普通の家じゃないですか」

「…………普通じゃない家ってどんなのよ」

「そんなどんよりした声出さないでくださいよ、細川要さん」

「表札を読むな! ローマ字じゃなくて漢字にしとけばよかった!」

「失礼な、私は細川でもHOSOKAWAでも细川でも読めますよ」

「中国語!?」

「フフフフフフフ」


 含み笑いが心底ウザかったが、もう口を開く気力もない。要は暗澹たる気持ちで自転車を自宅の小さな庭に止めた。


(けっきょく家までついてこられてしまった……)


 必死に自転車をこいで、綾香さえ置いて逃げたのに猫耳男は悠々と走ってついてきた。これはいかんと思い交番に駆け込んだら、おまわりさんに

「懐いてるね。本当に君の家の猫じゃないの?」

などと言われた。挙句に逃げる途中で猫耳男の姿が消え、

「撒いた!」

と油断して家に帰ると、背後からひょっこり現れたのだ。悲鳴を上げると近所のおばさんが出てきてくれたが、男を怒鳴りつける要に

「猫ちゃんに怒っても分からないわよ!」

と笑われてしまった。


(本当にあたし以外には猫に見えてんの?)


 そんな馬鹿なことがあるのだろうか。

 睨み上げれば、猫耳男は意に介した様子もなく笑顔だ。


「要さん、ご両親は何をされているんですか?」

「……普通のサラリーマンと母親は雑貨屋のパートだけど?」


「…………」


(……なぜ沈黙する)


 特に教えても問題はないだろうと思ったから答えてやったのに、男は納得いかないというような顔をしている。


「その制服、聖カタリナ女学院のものですよね?」

「なんで近隣の女子高の制服に詳しいの」


 気持ち悪いという意味で言ったのに、猫耳男はふふんと得意気に笑った。


「私はこの市内全域でアイドル猫としてお嬢さん方に可愛がられてきたのです。だいたいの学校や内部の先生の交友関係までも知っていますよ」


 小学校にはもう恐くて入れませんけどね……と遠い目をする。子供たちの小(?)動物に対する愛が過激すぎたのだろう。


「ところで、聖カタリナということはキリスト教徒なのですね? 神の愛に目覚めたのですか」

「いや、制服可愛くて近かったから。キリスト教なんて全然知らなかったよ」


 週一回の礼拝はわりと寝てる。聖書の授業は組み込まれているが、そこまで宗教宗教しているわけじゃない。いたって普通の女子高だ。

 周りもキリスト教徒ではない女子ばかりだが、尋ねた猫耳男はあ然として要を見つめていた。


「なに? どうしたの?」

「……いえ、清々しいほど日本だなと思っただけです……。ところで要さんはおいくつですか?」

「あたしの個人情報はもういい!」

「制服に初々しい感じがないから高校二年生ぐらいですかね?」

「うが――――――ッ!!」


 湧き上がる殺意に身をまかせようかと思ったとき、背後から声が掛かった。


「要、今帰ったの? 今日は遅かったわね」


 振り返れば、買い物袋を提げた母が立っていた。


「ママ……!」


 とっさに固まってしまった要にかまわず、猫耳男は慌てることもなくにっこり微笑む。


「おかえりなさい。要さんのママさん」

「ちょ、ちょっと……!」


 素で会話を始めた男にぎょっとしたが、要の母はなんの躊躇もなく口を開いた。


「猫ちゃんもお散歩から帰ってきたの? 早くお家に入りなさい」

「ママ!?」

「お腹空いたでしょう? 今日は猫缶買ったかしら」


 買い物袋を調べ始めた母に呆然としていると、猫耳男は人差し指を唇に当て、内緒話のようにささやいた。


「大丈夫ですよ、細川家の飼い猫ということにしましたから」

「飼い猫!? 冗談じゃない、早くどっか行って!」

「こら、要」


 母は叱るような顔つきになった。


「なんてかわいそうなこと言うの、あんたが拾ってきたんでしょう? ちゃんと面倒見なさい」

「あたしが拾った!? いつよ!?」

「去年の梅雨に増水した隅田川を段ボールに入れられて流されてるのをあんたが泳いで助けたんじゃない。忘れたの?」

「死ぬわ!! 誰がそんなアクティブなことするかっ! しかもこの男が段ボールに乗って!?」


 本当だとしたらそれはもはや段ボールではない。段ボールという名のボートだ。


「ふふふ、中年女性は感動的な話がお好きでしょう? 火曜サスペンス劇場風と迷いましたが」

「! あんたのせい!?」


 この猫耳男が母に暗示をかけたとでもいうのか。

 まさかそんなことがあるはずないと思いたいが、母は完全に男を細川家の飼い猫と認識してしまっているらしい。


「いつもおりこうさんねぇ!」


 母にのどをくすぐられ、猫耳男はやる気のない顔で口を開いた。


「にゃーん、ごろごろ」

「口で言うな! 猫だと言い張るならちゃんとのど鳴らせ!」

「ぐぅるるうっ、う……うっ、ゲホッ」

「無理して鳴らすな!!」

「なんですか、せっかくリクエストに応えたというのに」


「ただいまー!」


 要と猫男の応酬に突然元気のいい声が割って入り、見ればテニスラケットを肩から提げたショートカットの少女が立っていた。

 要の三つ年下の妹、茜だ。セーラー服姿の茜は玄関先で立ち話をしている母と姉に目を瞬く。


「お姉、なにしてんの? 猫に怒って変ー」

「変なのはあたしじゃない!」


 アンタらの方だ! と訴えたかったが、猫耳男と目が合った茜はぱっと微笑んだ。


「タマちゃんただいまー」

「タマ!? ついに名前までついた!?」

「おかえりなさい、たぶん要さんの妹さん」

「えへへー、いまタマちゃんがおかえりって言ってくれたの聞こえたよ」

「言ってる! ホントに言ってるんだってば!」


(茜まで!)


 夢でも幻でもない、要にはこんなにもはっきりと人間の姿が見え、声が聞こえているのに。


「お腹空いたー。ママ、きょうのご飯なにー?」


 さっさと玄関へ入って行こうとする茜の襟首を捕まえ、要は鬼気迫る表情で詰め寄った。


「ちょっと、茜! 本当にコレが猫に見えてんの!?」

「えー、お姉が拾ってきたんでしょ? 血痕に残ったDNAから真実を暴く女監察医が」

「設定変わってる、しっかりしろ! どこどうやったら捨て猫と結びつくんだ!?」


 たまらずツッコむと猫耳男はグッと親指を立てる。


「いえ、せっかく考えたのでやはり火曜サスペンス劇場風も使いたいな、と」

「どっちかにしろ!」

「要、家の前で怒鳴るのはやめなさい。DNAの螺旋の中を段ボールで渡ってる中を助け」

「混ぜるな!!」


 要の手刀をひらりとかわし、猫耳男は不敵に笑った。


「さあさあ、私を中に入れてくれないなら延々とこの場でこの会話を続けますよ!

 ママさんと妹さんはご近所からどんな目で見られるでしょうね!」

「脅す気!?」

「ほらほらボリュームも上げちゃいますよ!」


 女監察医が~隅田川の段ボールが~と声高に訴え始めた母と茜に、要は悲鳴のように叫んだ。


「全員家に入れ!! 今すぐに!!」

「はいはいー! お邪魔しますよー!」

「あーお腹空いたー!」

「ご飯の用意するわね!」


 示し合わせていたのではないかと思うほどスムーズに入っていった三人に、やり場のない怒りがこみ上げたが発散のしようもない。


「お姉、ご飯までゲームしようよー」


 洗面所からのんきに言われ、要は猫耳男のジャケットをわしづかみにして叫び返した。


「ごめん、ちょっとやることある!」


 ええー、という茜の不満そうな声を背中で聞き、男と一緒に二階の自室まで駆け上がる。


「妹さんと仲良いですね」

「うるさい、余計なこと探るな!」

「探るというか単純な感想ですが」


 ドアを後ろ手に閉め、どうにか心を静めた要は猫耳男と向かい合った。


「とにかく、話! あんた何がしたいの!?」


 立派な付きまといと脅迫だ。しかし猫耳男は興味深そうに六畳フローリングの部屋を見渡す。


「意外と片づいてますね。あなたの性格からして雑かと思いましたが」

「出てけ!」

「冗談です、素直に綺麗な部屋だと言いましょう。若いお嬢さんで突然の来客に対応できる部屋の持ち主は少ないですよ?」

「…………」


 それなりに綺麗好きの自覚はあるので、ほんの少しだけ機嫌が直った。

 話を聞く姿勢を見せた要に、正座をした猫耳男はぺこりと頭を下げる。


「改めまして。わたくしタマと申します」

「いや、それさっき茜がつけた名前じゃない」

「よいのですよ、私は人の数だけ名を持つ身ですから。安易ですが猫ならやっぱりタマでしょう。うちのタマ知りませんか、ってね」

「ごめん、元ネタが分からない」

「チッ」

「舌打ち!? もういいから本当に出てけ!」


 二階の窓から放り出したいが、タマはさっと話題を変えてくる。


「私が何をしたいのかは最初に言いましたよ? 要さんに世界を救っていただきたいのです」

「だからその意味が分かんな……!」


「私は人の意識や行動を操れます」


 真っ直ぐに指を突きつけられ、要は言葉を呑み込んだ。


 にわかには信じがたい。

 だが母と茜の言動を見る限り、簡単に否定することもできなかった。


「……だったら何が目的? あたしのことも操るつもり?」

「いいえ。そんなことをしても意味がない。あなたには自我を持っていてもらわないといけませんから」


 真剣な声で言い、タマはすっと表情を引き締めた。


「あなたに、少女戦隊ドリーム5の一員として悪の魔王と戦っていただきたいのです」

「却下」

「引き受けていただけますか、ありがとうございます! では変身ステッキを!」

「話を聞けっ!」


 激情のままにドンと足を踏み鳴らせば、タマはこれ見よがしに面倒そうな顔をする。


「まったくもう、何が嫌なんですか?」

「何もかもだよ!!」


 まずネーミングがいやだ。


「なにドリーム5って!? 悪の魔王とかそんなもの本当にいるわけないし、なんであたしが戦わないとダメなのよ!」

「選ばれたからです」

「誰によ!?」

「私ですよ」

「私、って……!」


 まるでそれが絶対のことのように、タマは誇る様子も驕る様子もなく言い放つ。


「私があなたを見込んで選んだのです。大丈夫、あなたに危険が及ばないよう私がサポートします」

「じゃああんた一人で戦えばいいじゃない!」

「私にそんな力はありません。魔王を倒せるのはあなた達であって、私はあくまでサポートです」

「あんた何者!?」


「人間ですよ」


 タマは穏やかな、真顔のようにも笑顔のようにも見える表情で口を開いた。


「あなた方と同じ」


 見つめ合っても、タマの表情は動かない。

 瞬きすらしないタマの綺麗な顔を眺め、要は眉を寄せた。


(………………最高に嘘くさい)


 宇宙人だと言われた方がまだマシだったかもしれない。

 だが催眠術や暗示の類を使う人もいるし、タマの見た目は完全に人間だ。

 とりあえず否定をやめ、要は半眼で腕を組んだ。


「それで? あたしは少女戦隊に入って悪の魔王と戦うの?」

「はい」

「無理だから」

「やる前から無理とか平成生まれは根性がないですね」

「はあぁ!? どう見てもあんたも平成生まれなんだけど!?」

「私は紀元前ですよ」

「うそっ!?」

「うそうそーははは…………えー、では概要をお話しいたします」


 怒りを感じ取ったのか、タマはコホンと咳払いして真顔になる。


「あなたは魔王と戦う力を持つ選ばれた戦士、ドリーム5の一人なんです」

「もうそっからして胡散臭いけど、“5”って言うからには他の人もいんの?」

「はい、看護師、OL、女子大生、保育士で構成されております」

「少女を選べ!」

「かつては皆、少女でありました」


 遠い目をしたタマに「それは詐欺だ」と言ってやりたかったが堪えた。


「まあ、そのお姉さん達が昔からやってたら仕方ないだろうけどさ」

「結成は二カ月前でございます」

「少女を選べ!!」


 ハリセンがあれば間違いなく振りかぶっていただろう。


「その中でドリームピンクが欠番なのですよ。あなたにその役をお願いしたいのです。ピンクは美少女と相場が決まっておりますから」


 参加するつもりは全くないが、美少女と言われれば悪い気はしない。


「……べ、別にそんな美少女じゃないけどさ」

「そうですね、よいしょしました」

「だったらそのまま上げとけ! 下げるな!」

「いいじゃないですか、あなたも子供の頃は魔法少女に憧れたでしょう? その夢が叶っちゃうんですからこれは大ラッキーですよ!」

「大人になって叶ったら嬉しい夢と叶っちゃいけない夢があるの!」


 魔法少女は間違いなく叶えてはいけない夢である。もう賞味期限が過ぎている。せいぜい中学生までだ。

 しかしタマは取り合わず、どこからか一本の杖を取り出す。チアリーディングのバトンのような結構長い棒で、どこから出したのか本当に全く見えなかった。


「まあまあ、一回戦うだけでいいですから。はいじゃあこれが変身ステッキです。肌身離さず持ち歩いてくださいね」

「なんの嫌がらせだ! 一回だけだって嫌に決まってる!!」

「ほんとに一回ですから。ステッキはアルトリコーダーだと思わせておけばいいじゃないですか、高校生の定番ですよ」

「そんなもん学校に置きっぱなし! こんな長くないし!」


 無理やり渡された真っピンクの杖の先には、予想どおり透き通るライトピンクの多面体の飾りがついている。キラキラと光を反射し、まるで本物の宝石のように輝くそれは――。


「スワロフスキー製ですよ」

「ウソつけっ!!!」


 どや顔でのたまうタマの額に手刀をかまし、要は眉を吊り上げた。


「だいたいあたしはやるなんて一っ言も……!」


 抗議しかけたとき、タマの表情が変わった。ハッと真剣な顔をし、耳を澄ませる。


「コールだ! いきますよ、要さん! 魔王が現れました!」

「コールなんてぜんぜん聞こえないんだけど!?」

「つべこべ言わずに行きますよ! ママさーん! ちょっとコンビニ行ってきますよー!」

「暗示使えるんだったら使えっ! つか嫌だ!! 行きたくない――!!」


 だが力では勝てない。引きずられるままドタドタと階段を駆け下りると、台所から母の驚いたような声が聞こえた。


「要、もうすぐご飯よ?」

「帰ってから食べます!」

「なんであんたが答えるのよっ!」


 間髪容れずに返したタマを怒鳴りつけ、要は手を引かれるまま玄関を飛び出した。

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