7.君というアクセサリー


 朝、紘登が席に着くと、クラスメイトの女子が二人、紘登の席に近づいてきた。


「沢田、ちょっといい?」


 腕を組んで仁王立ちしているお団子頭の女子・日山ひやまの無愛想な声に顔をあげると、その後ろにクラスのマドンナの小町こまち 涼子りょうこがいた。紘登の背筋に、麗哉と向かい合ったときとは違う種類の緊張が走る。あの小町が自分に一体何の用だろう。


「……なに?」


 紘登は平静を装い、日山に言葉を返した。日山のお団子の付け根にピンクのリボンの髪飾りがついているが、彼女の素朴な顔立ちには似合っていないなぁと思った。


「沢田ってさ、最近 楠くんと仲いいじゃん?」


 紘登はわずかに胸の奥が奮えるのを感じた。自分と麗哉は傍目に親しく見えるのか。なんだか照れくさくて、誇らしい。


「まあ、それなりに話すよ」

「女子の話とかする?」

「……え?」

「クラスの女子で誰が一番可愛いとか、そういう話はしないの?」


 日山の丸々とした顔が近づいてくる。光の灯らない重たげな一重まぶたに見つめられて、紘登は怯んだ。思わず目をそらすと、日山がフンと鼻を鳴らした。そんな日山の肩に小町が手を置く。小町は愛らしい相貌が崩れない程度のしわを眉間に寄せている。


「リナ、やっぱりいいよ……沢田くん、困ってるし」

「よくないわよ! 楠くんと話もできないまま中学生活が終わっていいの!? 涼子が相手なら皆も納得するし、涼子が一番楠くんにお似合いなんだから!」


 まくし立てる日山の唾が紘登の顔に飛んだ。勘弁してほしい。手の甲で拭うと、日山が再びフンと鼻を鳴らした。ぽっちゃりした体型もあいまって、鳴き方がサマになっている。麗哉だったら、簡単に「やめろ豚」とか言ってしまうんじゃないだろうか。


 そういえば、安藤から聞いたことがある。ある日の英語の授業前のことだ。自由な着席が認められている英語の授業で、小町は教室の一番端の席に座る麗哉の隣の席に教科書を置いた。その場にいたクラスメイト達は、マドンナと孤高の一匹狼の接触に息を飲んだという。


「お隣に座ってもいいかな?」


 麗哉は返事をしなかった。小町は席に着いて長い髪を耳にかけた。麗哉は目線を読んでいる本に向けたまま顔を上げない。頬杖をついて、片手で本のページを捲っていた。


「いつもなにを読んでるの?」


 パラリ。返事の代わりにページがめくられる。小町はぱちくりと瞬きをして、少し声量を上げて麗哉の腕を人差し指で突っついた。


「楠くーん。おーい」


 その場面を見ていた安藤によると、とても可愛らしい声で、愛くるしい仕草だったらしい。しかし、麗哉は小町の手を払い、冷たく睨んで静かにこう言った。


「触るな、ビッチ」


 キーンコーンカーンコーン。


 場が静まる間を与えないように、空気を読んだかのようなタイミングでチャイムが鳴ったらしい。

 小町は愛らしい口を半開きにしたまま、しばらく動かなかったそうだ。小町はその後も茫然自失といった様子で授業を受けていたという、なんとも気の毒な話だ。


 その出来事がきっかけで、小町ほどの美少女が玉砕するならば……と、他の女子も麗哉に近づくことをやめた。「楠ラッシュ」は、こうして幕を閉じたのだった。


「あんなに可愛い小町をビッチ呼ばわりするなんて、何様のつもりなんだ!」と、安藤は激怒していた。自分が小町に近づけないものだから男子は麗哉を妬んだし、妬むのと同じくらい強く羨んでいた。


 紘登がそんなことを思いだしていると、小町と目が合った。彼女は軽く苦笑した。


「ごめんね、沢田くん。変なこと聞いちゃったね」

「う、ううん。そんなことないよ」

「そうよ、謝ることないかんね! まだ何も話聞いてないじゃない!」


 日山がギロリと紘登を睨む。小町と話せるのは嬉しいけれど、日山のことはかなり苦手だと思った。


「えーと、女子のことは、特に何も言ってなかったけど……」


 紘登がそう言うと、小町が悲しげにうつむいた。それを受けて日山がより強く紘登を睨んだので、紘登はなんとかフォローの言葉をちぐはぐと紡いだ。


「僕たちそういう話はしないから、麗哉が何を考えてるか、まだ僕もよくわからないんだよね……」

「へえ。じゃあ、いつも何の話をしてるの?」


 小町にそう問われて、紘登は閉口した。説明したところで、二人には理解できないだろう。自分と麗哉の間で成立しているものは、自分と麗哉が理解していればそれでいい。他人に理解は求めない。説明を求められる筋合いもないはずだ。何より、麗哉が好きなものを他人に語りたくないし、軽んじられたくなかった。


「もしかして、本の話?」


 小町が続けて問うた。自分と麗哉の繋がりを言い当てられてドキリとした。誤魔化しようがなくて頷くと、小町は柔和に笑った。


「やっぱり。沢田くん図書委員だもんね。楠くんって難しい本ばっかり読んでるのに、話が合うなんてすごいなあ。羨ましい」

「あー、なんか外国の本ばっかり読んでんでしょ? アンタもあんなの読んでんの?」

「それなりに…………」

「ふーん。まあいいや。涼子、行きましょか」


 日山は小町の手を引いて、紘登の元を去った。小町は去り際に軽く会釈をしてくれた。


 初めて小町と喋ったな。あと、麗哉と親しいことを羨まれた。麗哉と対等に本の話をしていることを称えられた。その満足感。充実感と言ったら……。この場に誰もいなければ、拳を高く突き上げていたことだろう。


 小町と日山が去ってから少し間をあけて、遠くから様子を見ていたらしい田中と安藤が興奮気味に紘登の席にやってきた。小町がお前に何の用だったんだ、何の話をしたんだ……投げられる問いを「大したことじゃないよ」と一蹴して、紘登は席を立ち、廊下へ出た。歩きながら考える。


 少し前まで、あいつらと一緒にクラスの隅っこの陰に身を置いていたのにな。


 麗哉と親しくなり始めてから、紘登の世界が変化した。周りが紘登を見る目が変わった。麗哉が紘登の存在価値を上げているようだ。「麗哉と仲の良い自分」という認識は、紘登の自尊心をくすぐった。麗哉と親しいことを一種のステータスのように感じ、感じたことをすぐに恥じ、図書室の扉を撫でた。


 小町のような可愛い女の子でも、麗哉の心は得られなかった。麗哉は何に心惹かれるのだろう。麗哉は何を求め、何を選び、何を望むのか。問うてみたら、麗哉は何と答えるだろうか。

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