ポスティーノ!

今回のお題――【パラダイス・ロスト】 【二度目のキセキは】 【NGシーン】 【紋切型】

 

 

 

 

 ハジマリがどうだったかなんて、多くのものは覚えていない。

 きっと、僕らが事態の深刻さを飲みこんだ時、既にすべては、手遅れな領域に陥っていたのだと思う。

 それが――その世界の片隅でひっそりと進行していた異変の兆候が、曲がりなりにも衆目を穢すことになったのは、ある一つの動画がきっかけだった。

 どんな経緯で、それが撮影されたのかは解らない。

 何処を経由して〝暴露〟されたものなのかも解らない。

 ともかく気が付いたらそれは、世界で一番大きな動画サイトで、1億2000万回以上もの再生回数を誇っていた。

 動画の冒頭は、とてもありきたりなものだった。

 旅客機の中から撮影されたと思われる映像だ。

 ひょうきんな青年が自分をカメラに写し、道化じみた滑稽な表情を作る。次に彼は、飛行機の外を窓越しに撮影し始める。

 雲の上の世界。

 何処までも広がる青い空。

 「エクセレント!」だの「ビューティフォー!」だのと、周囲の乗客のことも考えず騒いでいた青年の声が、唐突に途切れる。

 動揺を現すかのように、カメラが揺れる。

 ピントが狂う。

 ぼやけて、遠望、向けられたのは前方。

 映像が焦点を結んだ時、青年の口からは「Oh,my ……」という、絶望の言葉がこぼれ落ちていた。

 

 〝蜘蛛のあし〟だ。

 

 蒼穹が歪む。空間が、まるでガラスをそうするように罅割れる。

 その隙間から――狭間から――巨大な、無数の蜘蛛の肢が、螺旋くれ大空を突き破るようにして姿を現した。

 棘だらけの、毛ばりだらけの、その毛の一本一本が人間の腕よりも太い異形が、ゆっくりと空間を走る。

 実際は、ひどく高速で。だけれどコマ送りのように見えるのは、その図体が途方もない大きさであったから。

 次の瞬間、激しい衝撃が撮影者を襲ったのか動画が上下左右に激しくぶれ、画面外の至る所から「ホーリーシット!」という罵声が吹き上がった。

 そして、そして何かが。

 

 何か、口にする事も、カメラが像を結ぶ事すら拒否する様な悍ましい何かが、旅客機の壁を〝食い破って〟無尽蔵に流れ込み――

 

 ――映像は、そこで途切れている。最後に記録されているのは「ああ、神様!」という祈りの言葉だけだった。

 

 ……それが、きっと始まりだった。

 

 僕たちが無自覚にも知覚した、世界に流出した真実の最初だった。

 その後も、続々と類似した動画が投稿され続けた。

 それは紋切型のパニックホラーや、或いはB級怪獣映画のNGシーンのように、とんでもなく荒唐無稽で、途轍もなく馬鹿らしく、平時ならば失笑を買いかねないそんな出来栄えのものばかりだった。

 チープなCGの寄せ集めのようなそれは、だけれど真に迫って僕らに恐怖を与えた。

 当然だ。

 

 その頃にはもう――

 

 海を行く巨人。

 大地を飲みこむ肉の森。

 虹色に変わった蒼穹。


 何もかも、本当に何もかもが、もうダメだった。

 そう、もうダメだったんだ。

 とっくの昔に、終わってしまっていたんだ。

 僕らの日常は、崩壊していた。

 全部が全部、狂気に呑み込まれていた。

 ……僕の住む街も、魔女の鍋の底のような混沌の中に叩き落とされた。

 初めはみんな、逃げ出そうと足掻いていた。

 だけれど、街から出ようとしたものは〝影〟になった。

 街から一歩踏み出た瞬間、気化燃料爆弾に焼き尽くされたように、地面に焼き付く影になった。

 どんなに速く走っても、車に乗っても、防具を身に着けても、やっぱり無駄だった。

 やがて、誰も逃げ出せなくなって……次は襲撃者に怯えた。

 地の底からそれは来て、住民を恐怖のどん底へと引きずり込んだ。

 外見は、ミミズとナメクジ、それにゴキブリを掛け合わせたような外見で、奴らは人肉を好んだ。人々は次々に地中に引きずり込まれ、骨だけになって地上へ戻ってきた。

 たくさんの、沢山の異常が起きた。

 気が付いたら、街は孤立していた。

 陸の孤島って表現があるけれど、は、いったいなんと言うのだろう?

 文字通りの陸の孤島か。

 潮騒が聞こえるんだ、そうに違いない。

 ……虹と腐肉の色が混ざった空には、鯨のような物体が天衣無縫と飛行している。

 それは時より背中から〝蜘蛛の肢〟を地面まで伸ばし、家屋や森、犬、猫、人間、それ以外……とにかく選り好みせず絡め取って口元へと運んだ。

 それが、奴らの食事のようだった。

 まるで世界の終末がやってきたようだった。

 地獄。

 地獄という言葉が生温いぐらい、混沌としていた。

 人々に情報を配っていたインターネットも、いつしか機能しなくなっていた。

 電話も、無線も、なにも通じない。今更こんな場所に、手紙を取りに来る郵便局員がいるわけもない。

 普通が消えて、すべてが不通になっていた。

 ほとんどの人間が死んだ。

 人間以外も死んだ。

 僕は――生き延びていた。

 だって僕は、ヒキコモリだったから。

 ……外に出ることはなかったし、住処は二階建てだった。だから化け物に襲われることもなかった。

 両親は知らない。一週間前までは食事を運んできていてくれたけれど、いまはもうやってこない。

 僕はネットで買いこんでいた防災グッズとミリタリーグッズ、そこに入っていた非常食で今日まで生きながらえていた。

 必要なことは全部、ネットで調べていた。

 でもそれも、いまはもうない。

 食料も、水も尽きた。

 だから、それを求めて街に出た。

 街の惨状は、目を覆いたくなるようだった。

 至る所に人間の死体が、人間ではない者の死体も転がっていた。

 死臭が酷く、何度も吐いた。

 辛うじてあった胃の内容物を全部吐き出して胃液も吐き尽くして、いよいよ何も吐けなくなって、それでも吐いて。

 長い時間、死んだように蹲っていたけれど、気力が遠ざかるのは感じたけれど、最後には空腹が勝っていた。

 コンビニだった場所に行くと、そこは何故か湖に変わっていた。

 血の色の湖のなかを、見た事もない魚が泳いでいる。

 湖のほとりには、缶詰や包帯、ハサミ、電卓、レジスター……コンビニの残骸が転がっていた。

 僕はそこから必要なものを見繕って、また家に戻った。

 それから、何日過ごしただろうか。

 代わり映えのしない激変する毎日。

 絶望しかない非日常的日常。

 もう長いこと、人間には行き会っていなかった。

 僕一人を遺して、街の人間は全滅してしまったのではないだろうかと、そう思った。

 長い、長い数日間が過ぎた。

 いよいよ。

 いよいよ自殺も考えだしたころ、僕はその人に出会った。

 

 その人は、僕の目の前に、突如として現れたんだ。

 

 全身傷塗れ、血塗れで、突然その場所に――なんというか〝瞬間移動〟のようにして現れたその人は、僕をいきなり殴り倒した。

 そして、残っていた食料をありったけ、大慌てで自分の口の中に詰め込んだ。

 ハムスターのように頬を膨らませて貪り、すべてを噛み砕き飲みこんで、そしては昏倒した。

 僕は呆然としていたけれど、我に返ると同時に彼女の治療を行った。

 本当の事を言おう。僕は。人恋しかったんだ。

 ヒキコモリだから、もう何年も誰とも口はきいていなかった。

 それでもネットがあったから、さみしさは感じなかった。

 そのネットがなくなって、世界がこんな有様で。

 もう一度、もう一度だけ誰かと話せるのなら、なんだってすると決めていた。惨状の痕しかない家の外に出ようとしたのだって、本当は食事よりも誰かに逢いたかったからだ。

 だから、その人を救おうと、僕は頑張った。

 医療系の知識は、以前匿名掲示板でメンヘラの相手をしている時に身に着けた。

 何が役に立つか解らないと自嘲しながら、傷を消毒し、止血し、包帯を巻いていると、その人は目を覚ました。

 一瞬、凄まじく荒んだ瞳が僕を睨んで、次の瞬間何かを理解したようにふと敵意が消えていた。

 それから、僕はその人と話をした。

 その人は自分を〝郵便配達員ポスティーノ〟と呼んだ。

 

「私は、手紙を届けに行くところだ。どこかにいる神様とかいうサディストのクソ野郎に、嘆願書を届けに行くんだ。その為に、沢山の時間を巡ってきた」

 

 僕が何が起きたのかと尋ねると、彼女は少し悩んで「パラダイス・ロストさ」と、皮肉気な表情で答えた。

 

「何のことはない。約束の地は此処だった。楽園ってのは此処だったんだ。なのに人間はそれに気がつけなかった。どんな生き物も理解しなかった。だから、地獄がやってきたんだ。それが楽園だったと、誰しもに理解させるために」

 

 世界は滅んでしまったのかと問うと、そうだろうねとそっけなくその人は言う。

 

「地獄と楽園が一つになって、世界に悪魔が溢れた。サタンがやってきた。こいつはどうしようもない。神様が創ったすべてのすべてが、それがそうだと理解するまで、永遠にこのままさ――だから、私は手紙を届けに行くんだ――〝もう理解しました。元に戻してください〟って、嘆願届けをね」

 

 そんなこと、可能なんですか。

 僕はそう尋ねて、続けて「不可能だ……」と、そう呟いていた。

 だって、できっこない。

 そんなの、そんな不可能事、ただの人間には――

 

「できるさ」

 

 こともなげに、彼女は言う。

 言って、こう、続けた。

 

「二千年前にだって、私の前任者はそれを成し遂げたんだぜ? 私だって、命を賭してやり遂げるさ!」


 そうして、彼女はまた、現れた時と同じような唐突さで、僕の前から姿を消した。

 僕のもとには何も残らなかった。

 何も残らなかったけれど――僕は彼女に、残らずすべてを託した。

 

 

「殴りつけてでも、届けてください。人類の、その切実なる願いの――――」

 

 

 

 

 

 僕は今日も、生きている。

 二度目のキセキは、まだ起こらない。

 僕は待ち続ける。手紙が神様に届く、その福音の訪れを。

 


 この――崩壊した楽園で。

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