サタデーナイト☆フィーバー!

今回のお題――【アシンメトリィ】 【涙の理由を】 【歩くような速さで】 【次回作にご期待ください】

 

 

 

 

 突然だが、僕の涙の理由を聞いておくれ。

 

 あれはそうだな、いまから一億と二千年前……いや、僕にとっては昨日の出来事だ。

 僕は出版社で働いている。

 割と大手の、他分野に渡る本を出している一流企業……の、かなり窓際に近い平社員だ。

 窓際に近いとはいえ、それなりの福利厚生を保障されているこの出版社。僕はその日、上機嫌で出社した。上機嫌で出社して、上機嫌に仕事をし、上機嫌で日が暮れて、上機嫌のまま残業に突入した。

 福利厚生が徹底していようが、残業はある。それはともかく上機嫌の理由だけれど、実はその日が金曜日だったからだ。

 金曜日。

 花金はなきんという言葉を、知っている人はまだいるだろうか?

 花の金曜日、その週における仕事納め。つまり明日からの土日、僕は休日と相成るわけだ。いまでは土曜も普通に仕事なのだが、僕は今回に限っては有給を執る予定であり、つまりは二連休なのだった。上機嫌の理由も、推して知るべしである。

 さて、ともかく上機嫌のまま激務を終え(正直に言えばこの時点で二日徹夜をしていた。テンションが高かったのはそのせいもあったのだろう)、意識朦朧、ふらふらになりながら帰途に就こうとしたところで、ひょっこりと現れた上司に声をかけられた。

 

「あ。ちょっと、きみ。待ちなさい」

「…………」

 

 うっせーBBA! 行き遅れの三十路のくせに、きみとか呼びとめてんじゃねーよバーカ!カーバ!アッパラパー!

 ……とまあ、そんな風に声をあげられるのなら万年平社員なんてやっていない。

 

「アッハイ」

 

 と素直に応じ、僕は上司に平身低頭しながら歩み寄るしかないのだった。

 

「な、なんでしょうか、課長」

「うん、あのね、実は今日から、わが社では新しい規則が導入されたのだけれど、きみ、きみは知っているかね?」

 

 え、なにそれ。知らないんですけど。

 ここで馬鹿正直に、「あ、知らないです」と答えるのは簡単だ。しかしそれでは、常時万年窓際平社員である僕として立場がない。そんなこと口にすれば、恐らくこの夏のボーナスは大幅カットだろう。

 なので、僕は、知ったかぶることにした。

 

「は、はい。知っています。確か、確かわが社の……その、えー、勤務が――」

「そうそう、勤務勤務。勤務時間の話なのよね」

 

 おお、どうやら適当に言ったやつが的をかすめたらしい。僕は敢えて口を噤み、まるで上司の面子を立てるかのように清聴モードを決め込む。

 その偽装的殊勝な態度が幸いしてか、上司はうんうんと頷き、

 

「実はね、きみ。今日から365日、フルタイム勤務になったのだよ」

 

 と、言った。

 ……ん?

 なんだって?

 ふるた……

 

「すみません課長。いまナント?」

「だから、エブリタイムオールウェイズ全時間労働システムをわが社は導入したと言っているのだよ、きみ」

「…………」

 

 こいつ、気でも狂ったんじゃないだろうか?と、僕は胡乱気な視線で彼女を見る。

 しかし彼女は、至って本気の表情を崩さない。

 いかに常時万年逆転サヨナラ窓際平社員の僕でも、上司が本気かどうかぐらいは見分けがつく。

 つまり――これはマジだ。

 

「課長ぅ。その、フルタイムナントカとはなんでしょうか?」

「うん、愚かなきみ。きみのために説明すると、365日24時間一切の休みなく働くことを強要する規則のようなものだね」

「ふむふむ。24時間365日、常に働くことを強要す――ってそんなの死んじゃうじゃないですか!?」

「だいじょうぶだいじょうぶ、死なない死なない」

 

 いや、死ぬよね? 絶対死ぬよね? 死なない訳ないよねソレ? 人間本当のことを言うときには同じ言葉を口にしないって言いますよ課長!?

 

「いや、本当に死なないんだよ」

 

 怒涛の内心ツッコミのどれかが届いたのか、しかし課長は微笑みすら浮かべてポンと僕の肩を叩く。

 常時万年フォルティッシモ逆転サヨナラ満塁窓際平社員の僕にしてみれば、上司に肩を叩かれるというのは、それはそれは恐ろしいことなのだけれど、その時の恐ろしさは筆舌にし難かったと言えるだろう。

 なにせ課長、目が笑っていない。

 口元だけで嗤っている。

 そっと彼女が僕に差し出したのは、小さな小さな小瓶だった。劇薬とかが入っている類の、中身が見えない茶色の小瓶だ。

 彼女はそれを持ち上げながら、楽しそうにこう言った。

 

「これはわが社の関連企業が開発した新薬で、人間から睡眠欲を抜き取ってしまう素晴らしいお薬なんだ。飲めば飲むほど疲労もポンと飛んで逝く。このスイポンXさえあれば、きみはエブリデイ働けるんだよ!」

 

 あ、服用は社員の義務だから。

 上司は、そんな言葉と共に小瓶を押し付けてきた。

 義務。義務なのである。飲まなきゃ解雇という話なのである。

 なので僕は、その怪しげな薬を受け取らざる得ず、小瓶の中身である虹色の錠剤を、上司の目の前で飲みこむしかなった。

 

 かくして、僕の永久に空けない金曜日が始まったのだった。

 

 ……それが昨日……いや、一億と二千年前だったかな? いや、うん。もう分からない。

 僕の目の前で、エレクチオンしたタコが躍っている。

 二十八本の触手をギコギコと動かしながら書類を捲り、ヒポポタマス型印刷機でペースト状のコピーを量産している。最近はこれがスタンダードだ。

 ……最近っていつだ?

 周りを見渡すと、逆立ちしたセイヨウハナアルキとアシンメトリィーな紋様が吐き気を催す蛾の羽が生えた胃袋が宙を舞い、忙しそうに内分泌性のお茶を配っている。

 その向かい側では作家のナウマクサラマンダー・ノータリンナンダ先生と担当の恐竜的進化を遂げた蓑虫ミノムシが喧々諤々の口論を交わしている。

 あちらこちらに、365年前までは見なかった連中がウゾウゾと蠢いているが、しかし見慣れた光景だ。

 昨日……いや、一億と二千年前……いや、もっと前だったか、あの虹色の薬を服用した僕は、年を取らない体質になった。人間から睡眠欲を奪うと、年を取らなくなるのだ。それだけではなく、不老不死の身体になった。人間は寝ないと不老不死なのだ。抗酸化作用が水素水的アンチマターのおかげでそうなるのだとカ―ブラックホール理論で証明されたのは何時のことだったろう?

 とかく、僕はあの夜から延々と毎日働き続けている。人類が滅び、こうやって別種の生態系が築かれてからも、なお働き続けている。依然、僕の会社は亡びない。スゲー。

 そーいうわけで、僕の金曜日は終わらずに続いている。

 うん、休日はやってこない。

 だって毎日が金曜日なのだから。

 ……なぁ、泣きたくもナルダロウ?

 花金ナンて言葉ハ、死滅してしまっタノだ。

 僕ハ、つまり働き続ケてイルのである。永遠ノ虜囚、無窮の社畜なノデアル。

 アノ夜から、ズット。

 変化シナイ。何モカも変わらずニ、発狂も出来ズに、僕は、ボクハハタラキツヅケテ――

 

「やあ、きみ」

 

 ヤ。イや……いや、変化がなかったわけではない。

 周囲は激変し、僕は不変の存在になったけれど、而して僕の何もかもが変わらなかったわけではない。

 僕に歩み寄ってきたのは、30代ぐらいの女性で、はつらつとした顔でウインクを決めてくる。

 彼女は僕の元上司。

 世界で唯一、僕と同じ不老不死の存在で、そして――僕の伴侶となった女性だ。

 そう、あれからいろいろあって、まあ境遇に互い想うこともあって、僕たちは結婚したわけだ。

 いまではおしどり夫婦として社内外で有名である。オシドリは実は仲良くないというが、いまの時代のオシドリは仲が良いのである。まる。

 さて、その元上司ことわが妻が、とても嬉しそうな顔でこんなことを言う。

 

「じつはね、わが社の薬品部門が新薬を開発してね、これ、人間の性欲を奪い去ってしまう薬らしいのだけれど、きみと私はよく働いているということでね、特別に新薬投与の実験体になる栄誉が降りたのだよ、きみ」

「つまり、それを飲むと僕と元課長は性欲がなくなるわけですね?」

「そうそう。いままでは休養は取らずとも性欲の発散は必要で、私たちはお互いを慰めていたわけだけれど、これからはなんとそれも必要なくなるわけだ。更に会社に貢献できる。やったね!」

「やりましたね」

 

 真っ当な理性など既にポイしている僕らである、いちにもなくその薬に飛びついた。今度の薬は葉っぱの形をしていた。

 

 かくして、僕らは性欲を失――わなかった。

 むしろ性欲が異常に増進し、その日から56億7000万年ほどマグワーイを続けることになった。

 その結果、大地は再び人類が充ちることになり、僕らは創世のアダムとイブとして人々に祭り上げられた。

 もはや何もかも、すべては周囲の人間たちがやってくれた。会社はどうやっても亡びなかった。

 終わらない金曜日は終わり、熱狂的土曜日が過ぎ、そうして漸く、僕らは日曜祝日――つまりは休日を手に入れたのだ。

 僕は隣の妻を見遣り、微笑む。

 彼女も僕を見て、微笑む。

 今までは忙しすぎた。

 これからは、もう少しゆっくりやって行こう。

 妻とそう。

 例えば――

 

「例えば――歩くような速度で」

 

 

 ◎◎

 

 

「という話をね、僕、次の小説でやろうと思っているのだよ、きみ」

「素晴らしいです、先生! タイトルはサタデーナイト☆フィーバー!ですか? これはもう、今月号の煽り文に、こう書くしかありませんな!」

 

 つまりはそう。

 

 

 先生の次回作に、ご期待ください――と。

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