楽園はそこに

今回のお題――【パラダイムシフト】 【命運は君の手に】 【夢見草】


 

 

 私のどこが好きになったのかと彼に尋ねると、「その青白い肌が素敵だね」と彼は言う。

 彼だって透けるように青白い肌をしているけれど、私の方が色味が深いから美しいのだと彼は言う。

 美しい彼。

 優しい彼。

 私に愛していると言ってくれた彼。

 私は。

 榊原さかきばらサクラは。

 

 お前達が、大嫌いだ。

 

††

 

「待ちきれないよ」


 彼は焦れたようにそう言って、私の首元に顔を寄せる。


「駄目よ、もう少し我慢。果実は熟すれば熟すほど、葡萄酒は未開封のまま年を経れば年を経るほど、甘く、重く、美味になるものよ」

「そう。そうだね、そうだ。うん」


 ははは、と、薄っぺらく笑って、彼は離れる。彼の肌は冷たい。なのに、その瞳には獣欲が滾っている。

 人間のそれではない。


「ねぇ、愛してる」


 私がそう呟くと、彼の瞳に渦巻いていた情欲が霧散した。

 かわりにそこには、言葉では表し難い、なんというか、慈愛のようなものが覗く。

 愛。愛? 違うわ、それは――『愛着』よ。


「僕も、君のことを愛している。美しい君を、その心のすべてを愛している。愛しているよ、サクラ……」


 まるで子供のように無邪気に、彼は微笑んだ。


「今日も、いい天気だね」


 微笑みのまま彼は呟き、窓の外を見る。

 ここは地上六十階建ビルディングの最上階。

 そこから一望する世界は――暗雲に満ちていた。

 霧。すべてを覆い隠す、霧。

 春の陽気すら蝕み、太陽を遮り、地上への恵みを全て奪う霧は、だけれど醜いものをも覆い隠す。

 〝奴ら〟が歴史の表舞台に姿を現した瞬間から、その霧と暗雲は、常に世界を覆っているのだから。

 

「そうだ、サクラ。欲しいものは無いか。僕はきみに、ろくな贈り物をしたことがない」

「嬉しいわ。でも、何もいらない。お金は不自由なく貰っているもの」

「それだけじゃ僕の思いの強さを表せないよ。そうだな、いつか君が本当に欲しいものを贈るとするよ」


 言って彼は無邪気に笑った。


「そうね」


 と、軽く受け流しながら、だけれど私はよく理解していた。

 この男が、どれほど私に執着しているか。どれほど内に秘めるその欲望が大きいのか。

 私の〝処女〟を奪う瞬間を心待ちにしているのか――それを、これ以上なく理解していた。

 

††

 

「大切な話があるんだ」


 彼はそう切り出した。


「私も、大切な話があるの」


 私は、決意と共にそう答えた。

 そっと、この日の為に用意した銃把を――握る。

 

 ††

 

「デートをしよう」


 そんな事を、いつだったか言われた。


「ウインドーショッピング! 素敵な響きだ。聊か前時代的だが、そこがいいね」


 浮かれ調子の彼と共に私はあちらこちらのお店を覗いて回った。

 宝飾店では、プラチナや純金、ダイヤにトパーズにアレキサンドライト、ありったけの宝石を贈られた。被服店では、何故だか真っ赤なドレスを誂えられた。花屋さん。彼はことのほか薔薇を愛した。赤い薔薇、青い薔薇、黒い薔薇までもを。

 至る所を連れ回され――その間、私は厭な視線を浴び続けることになった。

 どこそこを歩く者たちが、すれ違うたびに私を見る。

 その瞳は、欲望に滾っている。露骨に涎を垂らす者もいた。男も、女も、子供も、老人も。出遭う者すべてが、私をそんな目で見た。

 恐ろしかった。

 恐ろしかったし、憎たらしかった。

 憎悪が、私を駆りたてた。

 ひとりの男が、狂犬病のような表情で吠えた。そうして私に飛び掛かり、あっと言う間に組み敷く。筋力が違い過ぎる。身体能力が違い過ぎる。

 男の眼は真っ赤に充血し、その口腔の中で、中で――乱杭歯が覗く。


「シャアアアアアアアア!」


 吠えたてる獣となって、私の喉笛に牙突き立てようとしたその男は。

 

「王の裁決を言い渡す――」

 

 その左胸を、背後から貫かれてこと切れた。

 

「――死刑だ」

 

 鮮血の赤に塗れるは、抜けるように白い肌。繊細にして、尖鋭の御手。

 腕が降り抜かれる。

 私の襲い掛かった男は、一瞬でこの世から消滅した。

 

「大丈夫かい、サクラ?」

 

 血塗れの手を、私へと差し出したのは他ならない彼――上遠野かどのアルクそのひとだった。

 呆然とする私の手を無理に掴んで引き立たせると、彼は笑顔で、純真無垢な笑顔で、こう言った。


「きみを、あんな下衆に渡しはしないよ。榊原さくら。きみは――」

 

 上遠野アルク――吸血王の餌なのだから。

 

 世界を支配する吸血鬼、その王様は、そう言って私を抱きしめた。

 

††

 

「待たせたね、サクラ」

「いいえ、待ってない――ウソ。今日と言う日を、待ち侘びたわ」


 夜の公園。

 ネオンサインに彩られた魔都の片隅で、私とアルクは顔を合わせる。

 ライトアップされた夜桜は、今まさに満開であった。

 

「大事な、大事な話があるんだ」

 

 彼は、私の憎む吸血鬼の王はそう言った。

 彼らが世界に姿を現したのはほんの十年前のことだ。

 吸血鬼。

 御伽噺の産物だと思われていた彼らはある日突然現れて、そして僅か一年で世界の支配者の地位に落ち着いた。

 霊長の長になった。

 どうやって。

 人類を、滅ぼして。

 〝私〟以外のすべての人類を殺戮し餌にして!


「大事な、話があるんだ」


 彼は繰り返す。

 その手には、何かが握られている。

 私の手にも、握られている――この日のために用意した拳銃が。

 パラダイムシフト。

 当たり前が当たり前でなくなること。支配が移り変わること。そう、まさに時代は移り変わった。

 彼ら吸血鬼が、世界の盟主となることで。

 人類は負けた。負けて、負けたから――私の家族は殺された。

 生き血を啜られ、肉を食まれ、殺された。

 友達も、上司も部下も、誰もかれもが殺された。餌にされた。その全ての引き金は、この男が引いたのだ。

 それで、憎むなという方が難しい。


「サクラ」


 彼が、私の名を呼ぶ。

 彼が私に与えた名だ。本名ではない。桜とは、本来〝くら〟……つまり豊饒の神や、食物の倉を意味する。つまり、私をそう言うものだと彼は認識している。

 そして、だからこそ今日まで、私は生き延びてこれた。

 私は彼の餌だ。

 彼だけの餌だ。

 だから、他の吸血鬼が手を出すことは許されないし、そんな事をすればいつかの男のように彼によって処刑される。

 私という最後の人類は、彼が最後まで愉しみにしている葡萄酒に過ぎないのだ。

 処女のまま熟れ堕ちる寸前で放置される果実に過ぎないのだ。

 何故なら、吸血鬼最大の好物が、処女の血であるが故に。


「きみに、言いたいことがある。渡したいものがある」

「奇遇ね、私も――あなたに渡したいものがあるのよ!」


 言うなり、私は拳銃を発砲した。

 三点バースト。

 三発の弾丸が真っ直ぐに放たれて。

 その一発も、王の御身には当たらない。


「それでは、僕は殺せない」


 彼が、耳元で囁いた。一瞬で、彼我の距離がゼロになっていた。

 解っている。

 こんな豆鉄砲じゃ殺せない。

 私は〝それ〟を投げつける。


「――!」


 彼の顔色が変わり、〝それ〟を空中で引っ掴むなり、はるか遠くへと投げ飛ばした。

 そして、閃光。爆音。

 閃光手りゅう弾の、その音と光は人の感覚を麻痺させる。

 例え吸血鬼であっても、神経が鋭敏な吸血鬼であるからこそ、それは顕著に効くはずだった。

 だけれど。


「無駄だよ、サクラ……」


 私の目の前に立ち、爆風を背に受けて立つ彼は、哀しげにかぶりを振る。

 自分の指に噛みつく蟻を見るような、哀憫のまなざしだった。

 その眼に、私の怒りが沸騰した。


「ッ!!」


 激情のまま、トリガーを何度も引く。

 何度も。何度も。何度でも。

 その弾丸の一発すら、彼の肌を傷つけることが適わなくとも。

 憎悪のままに引き金を引き続けて。

 ――カチン。

 弾切れを迎える。

 彼は、王は、変わらずにそこに立っていた。


「命運は……きみの手にある」


 それは、素直に降伏しろってこと?

 素直に餌になれってこと?

 唯々諾々と今までの関係に――「ふざけるな!」

 激昂し、私は走る。

 手の中に握るのは、最後の凶器。

 振りかざす最期の狂気。

 銀のナイフ!

 それを、彼の心臓に突き立てようとして。


「……サクラ。僕は、きみを愛しているんだ」


 軽々と、ナイフを払いのけられ、抱きしめられる。

 そうして、


「この瞬間をずっと夢見てきた。その儚さに、焦がれ続けてきた。だから、いいだろう?」


 〝いただきます〟。


 その言葉と共に、私の青い肌に、彼の牙が突き立てられる。

 ぷつんと皮を突き破り、ゾブリと肉を抉り、にじみ出る血液を、彼がその舌で転がすように舐めとる。ゴクリ、ゴクリとその喉が鳴って、私の血液が、私の命が、私の〝想い〟が、彼に吸収されていく。

 


 ――この瞬間を、どれだけ待ち続けたか。


 

「――グッ、カ、ハッ」


 弾かれたように彼の顔が上がる。その口腔から、しゅうしゅうと音を立てて煙が登る。爛れ、融け、消える。

 私は笑う。

 無邪気な彼とは対照的な、三日月のように口角が吊り上った笑みで嗤う。


「知ってる? 銀皮症。人間が長い年月をかけて〝ある物質〟を体内にため込み続ける事で発症する病気なのだけど、そう、主症状として肌の色が青黒くなるの」


 彼が倒れ込む。

 顔だけを起こし、私を見る。血走った眼が、見開かれている。

 ねぇ、ある物質ってなにか解る? ねぇ、アルク?


「〝銀〟よ! あなたたちを滅ぼせる、唯一の物質! 私はあなたの餌になって以来、毎日〝銀〟を服用してきたの! この肌が人ならざる色に染まるまで! ただあなたを殺すために!」


 処女の血は、吸血鬼にとってこれ以上ないごちそうだ。

 そして、それは熟成されればされるほど美味になるとされている。

 だから彼は、私の血を吸うことを我慢し続けた。

 袋の底に残った最後のお菓子を名残惜しむように、ずっと手をつけずに来た。だから、今日と言う日がやってきた! 致死量の銀が全身に蓄積する、今日と言う日まで、たせることが出来た!

 私は哄笑し、問う。


「ねぇ、苦しい? 苦しいでしょう? ねぇ、何とか言いなさいよ、アルク!」


 彼の身体を、憎しみのままに蹴りつける。

 それだけで、簡単に彼の身体は転がった。あんなにも頑強な彼が。

 彼は空を見上げ、腹腔をくるしげに上下させ、全身から煙を立ち上らせながら、そして――私を見詰めた。

 

「知ってたよ」

 

 そう、言った。

 私は首を傾げる。

 この男が何を言っているのか、ちっとも理解できなかったからだ


「知っていた。きみの憎悪も殺意も、企ても。全部、全部知っていた」


 そんなわけ。

 そんなわけない。

 だって、だって知っていたのなら私の血を吸う訳が。


「愛していたから」

「っ!」

「愛していたから、きみのことを。だから、こうなりたかったんだ。ずっと。ずっと」


 彼が、震える手で、何かを差し出す。

 それは、小さな箱。

 小さな、小さな箱。


「受け取って」


 言われるまま受け取り、開く。

 中身は――


「そこに行きなさい。きみの命が長くなくとも、そこがきみの居場所だろう」

「どう、して」

「うん」

「どうして、あなたは」

「だから」

 


 ――愛していたんだよ、きみを。


 

 そう言って、彼は微笑んだ。

 無邪気な、少年のような笑みだった。

 桜が、ひとひら舞い落ちる。

 あとから、あとから舞い落ちる。


「夢見草。桜の別名。夢のように美しく、儚い。きみは、そんな女性だったから。その名を、きみに――」


 その言葉が最後だった。

 それが、吸血王の最後の言葉だった。

 彼は灰になって消え、一滴、何かが私の瞳から流れ落ちた。

 

††

 

 私は、旅をしている。

 目的地は遠い。

 示すのは、小さな箱の中の、手書きの地図だけ。

 そこに何があるのかは判らない。

 だけれど私は――そこを目指す。

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