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 翌日曜日の朝、おれはコンビニへ行き、香典袋を買った。そのあと支度を整え、昼前に自宅を出た。

 路地を抜けて商店街を歩く。

 駅から離れているせいもあって、北王子商店街は年々人通りが減っているように感じる。シャッターが下りたままの店も増えた。

 近所に大きなスーパーがないため、平日の夕方こそ八百屋や魚屋、惣菜屋あたりに人は集まるが、大半の店が休みの日曜だと、ゴーストタウンかと思うくらい閑散としていた。

 ラーメンいわ田の先に電器屋が見える。ここは日曜でも開いている数少ない店だった。一時は差し押さえか何かで店の商品がごっそりなくなり、つぶれるのではないかと噂されたが、なんだかんだで持ち直したらしく、いまもまだ続いている。小柄で髪の薄い電器屋の主人が店から出てきて、軽トラックにせわしなく乗り込む。スターターの音に続き、軽自動車特有の乾いたエンジン音が響くと、どこかへと出かけていった。

 商店街から再び路地に入り、本村の家の前に着いた。三階建ての、この界隈ではかなり大きな家だった。

「はい」

 インターホンに本村の母親が出た。

「あの、すみません。本村くんの同級生だった並木です。突然で失礼だとは思うのですが、弔問に伺わせていただきました」

「え、並木くん……」

 それだけで、インターホンは切れた。すぐに玄関口に来てくれるものだと思ったが、なかなか出てこない。もう一度インターホンを押そうか逡巡していると、ようやくドアが開いた。

「どうぞ」

 玄関口に入ると、本村の母親がいた。

 会うのは中学のとき以来だが、記憶よりもずっと老けこんでいた。もともと本村は高齢出産らしく、両親の年齢は高めだったが、目はくぼみ、生気すら失われているように感じた。

 母親の背後には本村の父親もいた。だが、暗いところにいるせいもあって、視線がことさら冷たく感じる。

「すっかり遅くなってしまったのですが、このたびは誠にご愁傷さまでした。葬儀に参列出来ず申し訳なかったのですが、せめてお線香をあげさせていただけたらと思いまして」

 歓迎されていないことを察したが、いまさら何もせずに引き返すのもおかしいので、できるだけかしこまってそういった。

 だが、「仏壇はない」と本村の父親の返事はにべもなかった。

「じゃあ、御香典だけでも」

 おれはショルダーバッグを開け、香典だけでも渡そうとすると、「お上がりになって」と本村の母親に促された。

 本村の父親を見ると、何もいわずに一階奥の部屋へと消えた。

「すみません、おじゃまします」

 靴を脱いで上がると、二階のリビングに通された。

「いまお茶を淹れますね」

 本村の母親がキッチンへ下がる。

 ゆったりとしたリビングには、革張りのソファーと木製のテーブルが置かれ、正面に大型の液晶テレビ、横には重厚な戸棚があった。

 戸棚の上のガラスケースには、丸い皿と長方形の皿、湯呑茶碗が飾られており、その脇には『北大路魯山人作』という金属製のプレートが置かれていた。

 思い出した。二年ほど前、北王子商店街の街おこしを考えるため、商店会の会議が行われたのだが、地元出身のフードライターであるおれもその会議に半ば強制的に参加させられた。

 その会議で何を思ったか、金物屋のおやっさんが「きたおうじ」と「きたおおじ」って読みが同じだからよ、美食家の北大路魯山人で街おこししたらええ、などといいだした。大半の人は魯山人なんか知りもしないくせに、なんとなくそれはいい案なんじゃないかと安易に賛同し、やってみることになった。

 とはいえ、縁もゆかりも火星の水ほどもないのに、どうするんだと思っていたら、誰かがどこかから、本村の家に魯山人の器があることを聞きつけてきた。

「よし、協力を頼みに行こう」

 さっそく商店会の役員数人が本村の父親に協力をお願いに行ったのだが、「断る」と取りつく島なく一蹴された。本村の父親には露ほどのメリットもないんだから、そらそうよ、とおれはそのとき思ったものだ。

 魯山人計画はそれであえなく水泡に帰したわけだったが、そのときの器がこれだった。たしかに造形は目を引くし、色味にも味わいがある。

 どのくらいの値がつくのだろうと考えながら器を眺めていると、本村の母親がテーブルにお茶と最中を置いた。

「召し上がってください」

 おれはソファーに座り、茶をひと口飲んでから切り出した。

「事件のこと昨日はじめて聞いたんです。その時期しばらく留守にしていたもので。あまりにも突然で、悲しい出来事で、その、なんといっていいのかわからないのですが……ご愁傷様でした」

 おれは頭を下げた。

「そうでしたか」

「本当は葬儀に参列したかったのですが、これ借りていたもので」

 おれはバッグから虹メモと香典を出した。

 本村の母親はこの状況にはいささか虹色すぎるソフトを一瞥した。

「それは並木くんがもらってください。私どもに返してもらっても使い道ありませんし」

 たしかにそれは、至極もっともな意見だった。

「では」

 おれは香典だけを手渡し、虹メモをしまった。

 すると、話すことがなくなった。

 仏壇はなぜないのですか。あるいは事件はどのように起こり、どのような状況だったのですか。そのような質問を思い浮かべはしたが、どう考えてもこの場で話すには適切でなかった。

 かといって生前の話も、何をどう話せばいいのかわからず、おれは立ち上がって挨拶をすると、早々に自宅へと戻った。


「本村さんのところへ行ってきたのかい?」

 自宅へ戻ると、母親が昼食の支度をしていた。

「行ってきた。仏壇もなかったし、歓迎って感じじゃなかった。特に親父さん」

「そっかい。むごい亡くなり方だったから、そっとしておいてほしいのかもね。それにあそこのご主人、剛くんとうまくいってなかったから」

「そうなんだ」

「一年ほど前かしら、剛くんを家から追い出そうと揉み合いになって、ご主人怪我して入院したのよ。救急車が来てそりゃもうひと騒ぎだったわよ」

 商店街界隈では、噂が広がるのが恐ろしく早い。霞ではなく噂話を食べて生きているような老婆が毎日何やら仕込んできては、八百屋前で拡散している。

「そういやさ、商店街の電器屋ってつぶれそうになったとき、本村の親父さんに資金援助してもらったんだっけ?」

「そうよ。信金から融資断られて、最終的には本村さんが支援したみたい。本村さんは資産家で、電器屋さんとは、はとこだか、またいとこだか、もともと親戚らしいわよ」

「へえ、そうなんだ」

 なるほど。いまの話を聞いて、おれのなかでひとつのストーリーが練り上がった。

 すぐに健さんに電話をかけて会いたい旨を伝えると、また夜にWATABEでということになった。

 昼食の焼きそばを食べると、おれはバッグから虹メモを取り出した。夜まで予定もなかったし、ひさしぶりにこのゲームをやってみることにした。

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君から借りた恋愛ゲーム しーもあ @seymour

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