●13. 責任取ってよね

 その晩、堀川から電話がかかってきた。メッセではなく、いきなり電話なんて珍しいな――そう思いながら電話に出たら、さらに驚かされた。


「いまからログインできる?」


 囁くようなその声は、確かに涙声だった。


「……分かった」


 いますぐ問い質したかったけれど、それらの疑問をいまはぐっと飲み込み、すぐさまS.Oにログインした。

 俺が――フライド豚まんが降り立ったのは、ここ二日ばかり定位置になっているアルジュ東隣マップの城壁沿いだ。

 堀川はすでにログインしていた。


『ごめんね、急に呼び出して』


 俺の隣に座った堀川が――ココロが、前を見たままチャットで発言する。


『いや、気にしないで』


 俺は少し迷って、一番当たり障りのないことだけ言った。

 鼻声なのを気づかれたくないのなら、携帯のメッセでもいいはずだ。それなのに、どうしてS.Oで? キャラを通してじゃないと話せないくらいショックなことがあったのか? まさか、狩りがしたいわけじゃないよな?

 ……聞きたいことは山ほどあったけれど、言葉にはできなかった。堀川から切り出すのをじっと待つくらいのことしか、俺にはできなかった。

 沈黙は思いの外長かったけれど、とうとうココロが言葉を発する。


『放課後、皆元くんと話したの』

『うん』


 と返してから、


『ランク三になったら話しかけてみる、と言っていたっけ』


 そのことを思い出して、そう付け足した。

 堀川はまたしばし無言でいたけれど、ぽつりぽつりと雨垂れのように時間をかけて言葉を紡いでいった。要約すると、こういうことらしい。

 ――堀川は放課後すぐ、俺が桜川さんに「一緒に帰ろう」と迫られているうちに教室を出て、一足先に帰ろうとしていた皆元を捕まえた。


「皆元くん、あのっ……わ、わたし最近、S.Oを始めたの。皆元くんもやっているって聞いたから、もしよければ今度、一緒にやってみない……ですか?」


 しどろもどろながらの誘いは、しかし素気なく断られた。


「無理」

「今日が無理なら、明日でも明後日でも……」

「……無理。ずっと無理だから」


 皆元は最後、突っぱねるように言って走り去ってしまったという。

 その後のことを堀川は詳しく語らなかったけれど、先ほどの涙声を鑑みても、皆元を追いかける気力もなく帰宅して、この時間まで枕を涙で濡らしていた――というところだろう。


『同じゲームを遊んでいると知ったら、もう少しくらい興味を持ってくれると思ってたんだけどな』


 ココロはジェスチャーひとつ交えず、チャットの文字を浮かべるのみだったけれど、寂しげにそう締めくくった。


『あんまり落ち込むことないって』


 ココロを通して伝わってくる堀川の落ち込みっぷりが見ていられなくて、俺は慰めの声をかけていた。

 実際、皆元は俺と桜川さんのことで頭がいっぱいになっていて、堀川のことに気を回す余裕なんてなかったのだろう。でも、俺はそのへんの事情を知っているけれど、堀川は違う。皆元と桜川さんに接点があるなんて思いもよらぬことだろう。堀川にしてみれば、勇気を出して話しかけたのに鬱陶しそうに突き放された、という事実があるのみなのだ。

 皆元と桜川さんの事情について勝手に話すのはどうかと思うけれど、俺に言える範囲内で元気づけるくらいのことはしてやりたいと思う。


『皆元はきっと、他に何か考え事があって余裕がなかったんだよ。また日を改めて声をかけてみればいいさ』


 皆元と桜川さんの仲は、皆元が謝れば解決するはずだ。そうすれば、堀川の誘いも真面目に聞いてくれるだろう……というか、なりすまし計画が実行されずに終わったとはいえ、俺に落ち度があったわけではないのだから、皆元には「話しかけられたら真面目に聞く」という約束を実践してもらいたいものだ。

 二人が仲直りしたら、どちらかからでも俺に報告してくれそうなものだし、そうしたら「あの約束、守れよ」と念押ししておくとしよう。


『無理だよ』


 ココロが言う。前の発言から間が開いていたため、文脈を理解するのに少し時間がかかった。


『皆元に日を改めて声をかけるのが無理ってことか?』

『そうよ』

『すぐにやれ、とは言わないよ』

『すぐにじゃなくても無理よ』

『じゃあ、二度と話しかけないのか?』


 俺のチャットに、ココロの答えはない。俺は続けてチャットを打ち込んでいく。


『それでもいいと思うぞ。どうせ今日まで一度も話しかけたことがなかったんだし、明日からもそうするってだけだろ。それならそれでいいんじゃないのか。これからもずっとこれまで通りでさ』


 ココロはまだ何も言わない。

 もっと言ってやろうかと発言欄に文章を打ち込んでいたら、ココロの頭上にやっと発言が浮かんだ。


『やだ』


 ただ一言、たった二文字。でも、それで十分だった。十分すぎるほど伝わってきた。


『本当に好きなんだな、皆元のことが』


 そのチャットに返事はなかったけれど、沈黙は表情豊かだった。


 ……なんでそんなに皆元のことが好きなんだろう?


 常々から疑問に思っていたことだけど、改めて気になった。素気なくされて夜まで泣いたり、それでも話しかけたいほど好きというのは、どうしてなのか? 一目惚れなのか、はたまた好きになる切欠があったのか……?


『堀川さん、聞いてもいい?』


 返事はないけど、先を続ける。


『堀川さんはまだ皆元が好きなの?』


 ……あれ? 何か違った意味合いの質問になってしまったような……?


 俺は自分で自分の打ったチャットに驚いてしまった。この発言だと、堀川を責めているみたいになっていないか? 俺にそんなつもりはない。そんなことが言いたいわけじゃないんだ。早く訂正しないと――と慌てている間に、ココロの頭上にぽんっと吹き出しが跳ねた。


『ずっと好きよ』


 その一言を皮切りに、ココロの頭上でチャットがぽんぽん飛び跳ねる。


『小学二年生の、助けてくれたあの日から、ずっと好き。毎日好き。一日ごとに好き。ずっと話したかったのに、できなくて、勇気がなくて言えないままで……だから、言うの。好きって。じゃなきゃ諦められない。だから、まだ諦めない。頑張る。好きって言うし、あと言わせるし。それまで頑張る。まだ全然、頑張るもん!』


 恐るべきタイプ速度で打ち出されていく五月雨のチャット。俺は割り込むこともできず、見ていることしかできなかったけれど、もとより俺の相槌なんて必要なかったようで、堀川は一人で捲し立てて、一人で答えを見出したのだった。

 さすが、皆元と並び立つ孤高ぼっち。天晴れな一人上手っぷりだった。皆元のことはまだよく知らないけれど、自己完結が得意なところは堀川と似ているのではないかと思う。でも、ぼっち同士の場合だと、「似たもの同士でお似合いですね」よりも、「不倶戴天、同属嫌悪。N極とN極」だとかのほうがしっくり嵌る気も……。


『ありがとう、山野くん』


 ずっと前を見たままだったココロが、俺に向き直って言った。


『俺、本気で何もしてないけどな』


 肩を竦めた豚まんに、ココロはいつものガッツポーズだ。


『すごく助かったわ。愚痴を聞いてくれる友達がいるって良いね』

『そっか』


 ……素っ気ない返事になってしまった。友達という単語に、不覚にも胸が高鳴ってしまったせいだ。

 今朝のやり取りを思い出してしまう。あのときの堀川がその場の雰囲気で頷いただけとは思っていなかったけれど、いま改めて、友達と思ってもらえているんだな、と実感できた。

 なんというか……自分の口で言ったときは緊張しまくりだったけれど、相手から言われてみると、嬉しさと恥ずかしさで顔が変なことになるな。

 よかった、チャットで。このアホみたいな顔を見られなくて済んだ。それに、チャットなら『友達』の二文字を何度でも見返せる。


『愚痴を聞いてもらったらスッキリしたし、わたし、落ちるわね』


 言うだけ言って満足かーい! ……と余計なツッコミを入れたくもなったけれど、どうにか自重した。


『それがいいか。泣くのって体力要るもんな』

『泣いてないわよ!』


 ……結局、余計なことを言ってしまったようだ。


『それよりも、』


 堀川は誤魔化すように言ってくる。


『山野くんがまた話しかけてみろって言ったんだから、今度皆元くんに話しかけて無視されたら責任取ってよね!』


 えっ、責任!?


『ええと、それはどういった意味の責任で……?』


 聞き返した俺に、ココロは少しの間を置いた後、ガッツポーズしたり小首を傾げたりしてから、ぷんぷんっと煙のような吹き出しを出して怒るジェスチャーをした。


『えっち馬鹿スケベ変態!!』

『え、なんでそういう反応になるの? 詳しく聞かせてほしいな』

『するわけないわよ! 責任取ってまた愚痴を聞きなさいよーって言ったのよ!』

『あー、なんだ。了解。そういうことなら全然いいよ』

 パソコンの前でにやにや笑いながら、そう返事を打ち込む俺。ちょっとキモい。

『豚くん、気持ち悪い顔禁止』

「えっ!?」


 ココロの発言に、リアルで声が出た。咄嗟に周りを見回したけど、いつの間にか部屋に誰かがいたりするホラーな展開はなかった。


『びっくりした。いつの間にか俺の部屋に忍び込んできてるのかと思ったよ』


 安心した弾みで打ったチャットに、


『え、本当に気持ち悪い顔してたの?』


 チャット越しでも分かるドン引きした様子で返された。わざわざ起ち上がって、フライド豚まんから離れたところに座り直すという茶番までされた。


『パソコンに座って気持ち悪い顔してる山野くん……』

『想像しなくていいから! ってか、もう落ちるんだろ!?』

『そうだった。明日まで腫れが残らないように、しっかりお風呂で温まらなくちゃだわ』

『うんうん、そうしてくれ』

『……』


 もう本当に早く落ちればいいのに、ココロはわざわざ『……』と発言してくる。


『なんだよ?』

『えっち』

『なんで!?』

『どうせ、わたしがお風呂でどこから洗うのか想像したんでしょ、えっち!』

『まったく想像してなかったのに、いまのでしたよ!』

『えっち!!』

『理不尽だ! ってか、これ終わらないだろ。早く落ちたら?』

『ひどい!』


 べつに酷くないだろ、むしろ親切だろ――とチャットを返す暇もあらば、ココロは両手で目元を拭って滂沱するジェスチャーをしながら消えた。ログアウトしたのだった。


「言い逃げかーい……」


 俺はリアルで呟き、溜め息を吐く。でも気づいたら、口元は半笑いになっていた。実際やっぱりキモいかな、と自嘲しながらフライド豚まんくんにもログアウトしてもらっていると、携帯がメッセ着信を告げて震える。堀川からだった。


『けっこう元気出た。ありがとう』


 に続いて、熊が手を合わせて感謝しているスタンプ。

 相変わらずの熊好きだな――と思っていたら、続きのメッセが。


『首の後ろからよ』


 ……何が? と、しばし悩んでから理解した。きっと、お風呂でどこから洗うのかの話だ。

 わざわざそんなことを後から言ってくるあたり、いつもより無理してはしゃいでいるようにも感じる。でも、空元気だって元気の内だ。少しは友達らしいことができた……と思っていいんだよな?

 俺にだって教室内でいつも話すオタク友達がいるけれど、女友達なんてものは堀川が生まれて初めてだ。いまいち距離感が掴めないというか、セクハラと友情の境目が見えないというか――とにかく緊張するのだ。意識していないつもりでも、会話が終わると肩がすっと軽くなるのを感じる。友達付き合いって難しい。


「それにしても……これは既読スルーでいいんだよな」


 俺は股間から洗うよ、なんて明らかにセクハラ確定のメッセを返すのは止めにして、万能感の半端ない冷や汗苦笑いスタンプを返すだけにしておいた。


 それからようやく、今夜はひとつ勉強しておくか、と殊勝なことを考えながらパソコンの電源を落とそうとしたときだ。PCメールのほうに新着ありと知らせる通知が出ていたことに気づいて、メーラーを立ち上げた。

 皆元からのメールだった。


『S.O引退するので資産を譲る。本日中に返信されたし』


 ……勉強はまた今度になった。

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