●14. 決闘だ

 俺がS.Oに再ログインしたのは結局、風呂に入ってからだった。皆元のメールには既に、この時間にログインするから待っていろ、と返信してある。

 もうすっかりお馴染みになった感のある城壁沿いの隅っこに降り立つと、ヒダリがそこに待っていた。べつに待ち合わせ場所をここと決めていたわけではなく、ログインしてからウィスパーで連絡を取ってどこかで落ち合うつもりだったのに、どうしてここにいるのだか……ああ、前回のログアウトからいまログインするまで、一度もログインしていなかったとか?


『相変わらずの名前だな』


 俺のログインに気づいたヒダリが、肩を竦める仕草を付けて言ってくる。


『いいだろ、今更だ。それよりも引退って何だよ?』

『一番良いのは、このアカウントを丸ごと譲渡することなんだが、それは規約に抵触するからな』

『は? なんの話だ?』


 いきなり関係ない規約の話を始めたヒダリに、俺は画面の前で苛々してしまう。それを無視するように、ヒダリはチャットを重ねていく。


『自分はあれから考えたんだ。そして結論に至った。ヒダリというこの肉体の支配権をおまえに譲り渡そう。それが最上の策だと。ゆえに、自分は資産の一切をおまえに譲渡し、消えよう。そして願わくば、おまえには我が名を引き継いだ新たな写し身を創造してもらいたい』

『……もっと簡単に言ってくれ』

『つまり――』


 もう一度続けられたチャットは、やっぱり冗長な長広舌だった。おかげで理解するまでに、何度もログを読み直さなくてはならなかった。


『皆元はつまり、俺に二代目ヒダリになれ、と言ってるわけか』

『肯定だ』


 ヒダリは胸の前で両手を組んで鷹揚に頷くジェスチャーをする。いや、そんな格好付けて言うことじゃないだろう……。

 皆元が言いたかったのは、俺にヒダリという名前のキャラを作れ、ということだった。


『そうすれば、ヒダリは名実共におまえの写し身ということになる。アズヘイルも余計な気を遣わなくて済むようになり、八方丸く収まるというわけだ』

『収まるか!』


 皆元はもう少し理知的なやつだと思っていたが、勘違いしていたようだ。ただの打たれ弱いヘタレだった。


『もう一度言うけど、収まるわけないだろ。何が最上の策だよ。考え得るかぎり最低の策だよ。アホか? アホだ!?』

『ほう、反語か』

『知るか! とにかく、引退とか二代目とか、そんな馬鹿は却下だ。いいからさっさと桜川さんに謝っておけ。それで全部丸く収まるんだから』

『山野よ、おまえは分かっていないのだ』


 ヒダリは肩を竦めるジェスチャーをする。


『アズヘイルは既に自分を拒絶した。自分は見限られたのだ。アズヘイルは我が半身とも言っていい存在……その者に拒まれた以上、自分はこのまま生きてはいられない。生まれ変わる以外、道はないのだよ』

『もうどこから突っ込んでいいのか迷うが、とにかくまず、桜川さんはおまえを拒絶してない。むしろ、おまえのほうが拒絶したんだろ!』

『アズヘイルは皆元ではなく山野を相方にすると宣言した。それが自分に対する拒絶でなくして、なんだというのだ』

『そう言わせたのは、おまえが、っていうか俺とおまえが桜川さんを騙そうとしたからだろ。それを謝らないでいたからだろ!』

『つまり、騙そうとした上に謝らなかったから見限られた――そういうことだろ』

『そうじゃねーよ』


 ああっ……! チャットを打つ手がどんどん荒くなっていく。皆元のやつ、どんだけ子供なんだよ? ひょっとしたら自分は頭が良いみたいなつもりで言っているのもしれないけれど、おまえのそれはただの中二言葉だからな。むしろ幼稚で痛いだけだからな!

 ……くそ! 胸の内が煮えたぎりすぎて、ただの罵倒にしかならない。さっきからチャットの入力欄に書いては消してばかりいる。これがチャットでよかった。発言する前に書き直せるチャットでよかった。


『了解したよ、山野。おまえの意思は尊重しよう』


 チャットを発さずにいた俺に、ヒダリがそんなことを言ってくる。何を了解したんだよ、と訊く前に続きの発言がポップした。


『自分が今日まで心血を注いで築き上げてきた資産だ。できれば、おまえに受け取ってほしかったが、どうしても嫌だとあらば仕方ない。我が身と共に電子の藻屑へと還そう。それもまた一興というものか』

『何も尊重されてねーじゃねーか!』


 あああっ! やっぱりこいつ全然分かってねええぇッ!!

 ――もうこれ以上、この分からず屋とまともに話すつもりはなかった。


『決闘だ』


 口から自然と漏れるように、そうチャットを打っていた。

 ヒダリは惚けたような間を開けてから、肩を竦めるジェスチャーをしやがった。


『決闘? 失礼だが、自分とおまえのランク差では勝負にならんぞ』

『決闘にもルールがいくつかあったはずだ』

『ふむ、ラッシュ・アンド・ガードならハンデも付けやすいし、まあ勝負にならなくもないか』


 わざわざ顎に手を添えるジェスチャー付きで言ってくるヒダリに苛立ちを覚えつつも、俺は、


『じゃあ、それでいい』


 と答えて、対象指定メニューから決闘申請をクリックした。


『この決闘に何の意義も見出せんのだが、まあいいだろう』


 ヒダリはわざわざそう前置きをつけて、俺からの申請を受諾した。


  ●


 S.Oには対人戦闘コンテンツがいくつか用意されているけれど、そのひとつが決闘だ。

 合意した二者間でのみ、互いの攻撃が当たるようになる。死亡時のペナルティなどは、その場に依存する。つまり、街中でならペナルティは発生しないけれど、いま俺たちがいるようなフィールドでは発生するというわけだ。

 そして、決闘には複数のルールが用意されていた。もしルールが「先に相手の耐久力をゼロにしたほうが勝ち」しかなかったら、火力ビルドしか決闘というコンテンツを楽しめなくなる。そこで支援職や盾職でも楽しめるように、単純な殴り合い以外のルールも用意されているというわけだ。

 ラッシュ・アンド・ガードというのは、盾職向けのルールである。決闘する二者のうち一方が攻撃側、もう一方が防御側となり、指定した試合時間内に攻撃側が防御側を倒しきったら攻撃側の勝ち、試合時間が過ぎるまで倒されずに生き残ったなら防御側の勝ち、というルールだった。

 試合時間や何本先取にするかといった細かいルールは、俺が決めた。


『一試合十秒で三本先取か。ふむ、妥当だろう』


 皆元もそう言って了承したのだから、後から文句は言わせない。


《決闘開始まであと五秒》


 という表示が、城壁沿いの草原で相対するフライド豚まんとヒダリの間に表示される。

 カウントダウンは淡々と進み、


《開始!》


 の表示でゴングが鳴ったのと同時に、ヒダリが一気に迫ってきた。

 ヒダリのランクは現在の上限値である八だ。基本能力も、発動できる技の強さも、ランク三になったばかりの俺とは桁違いで、大技を一発でももらえば俺は即死するだろう。


 ……実際、一本目はそうなった。


 ゴングと同時に踏み込んできたヒダリの剣技一発で、フライド豚まんの全快だった耐久ゲージは真っ黒にされたのだった。白く発光する大剣を大上段に振りかぶりながら高々と跳躍し、五倍ほどに巨大化した光の刀身でもって前方直線上の敵を両断する剣技【パニッシュメントソード】だ。

 一歩も動けず、開始一秒で負けてしまった……って、このくらいは計算内だ。俺が設定したルールは三本先取で、試合間の休憩はなし。そして、耐久力は一試合ごとに全快されるが、スキルの効果時間とクールタイムは継続される設定だ。つまり――もう既に始まっている二試合目に、いま使ったばかりの【パニッシュメントソード】は来ない!

 巨大化した光の刃で断ち割られたフライド豚まんの耐久力が尽きたと同時に、その耐久力が全快。俺はすぐさま、俺は標的に盾を叩きつける盾技【シールドチャージ】でヒダリを後方へ押し退けた。ルール確認が等閑だったのだろうヒダリは、吹っ飛ばされてから次の行動に移るまでに少しの間が空く。俺はその間に防御と回避の向上、遠距離攻撃に対する怯み無効の自己強化スキルを発動させた。

 そこへ打ち込まれる光魔術【セイントアロー】の光弾。しかし、遠距離属性を持っている光弾を受けても、フライド豚まんは仰け反らない。足を止めることなく、逃げる。ヒダリはフライド豚まんが光弾を食らって動きが鈍ったところに追いついて剣技で仕留めるつもりだったようだが、その前に十秒が経過した。


《二試合目、防御側の勝利》


 システム表示と同時に、二試合目終了と三試合目開始のゴングが重なって打ち鳴らされる。俺は二試合目から足を止めず、逃げたまま。ヒダリは戦術を変えて、遠距離からの魔術連打で強引に仕留めようとしてくる。【セイントアロー】のような低級技はクールタイムがなく、連発できるものが多い。ヒダリは魔術より剣技のほうが得意みたいだが、そこは最高ランクのキャラだ。俺も光魔術【ヒール】で回復しながら耐えたけれど、光弾の弾幕で削られる量のほうがはるかに多い。

 とうとう削りきられる――というところで十秒が経過した。


《三試合目、防御側の勝利》


 やった、リーチだ。あと一本取れば――!


 ……油断だった。

 ヒダリの姿が消えた。


「え……」


 思わず画面の前で呻いた直後、フライド豚まんの真正面に現れたヒダリが、豚まんのライフを大剣の一撃で六割強も削り取っていった。ヒダリは光魔術【インジビリティ】で透明化して近付き、防御無視の剣技を叩き込んできたのだった。

 ゴングが鳴って油断したところを狙い撃ちしてきたというより、ゴング直前に決めるつもりだったのが一拍遅れてしまったというところだろう。結果的には、その一拍遅れが見事に俺の隙を突いたわけだった。


 耐久力の半分以上を奪う大ダメージを受けたことで、フライド豚まんは大きく仰け反る。そこへ連続で剣を打ち込まれて、三秒と待たずに倒されてしまった。せめてもの救いは、最後の最後、倒される直前に攻撃モーションを取って、カウンターを取られる形で倒されたことだ。

 【金属鎧装備】には仰け反りや吹き飛ばしに対する耐性も含まれているけれど、カウンター発生でのダメージでは耐性が働かない。結果としてフライド豚まんは大きく吹き飛ばされることで、距離を取りながら最終勝負の五試合目を迎えることができた。距離を詰められたままだったら、五試合目もそのまま取られていただろう。

 とはいえ、ヒダリが呑気に突っ立ったままでいてくれるわけがない。五試合目開始のゴングが鳴る中、ヒダリは俺に向かって大剣を大きく薙ぎ払った。刀身が当たる間合いではなかったけれど、その一振りで生まれた竜巻が唸りを上げて俺に迫ってくる!

 でも、竜巻の速度はそれほど速くない。俺は素早く盾を翳して【ガード】を発動させる。発動中は攻撃と移動ができなくなる代わりに、防御性能が飛躍的に向上するようになる盾技だ。

 竜巻は俺の耐久ゲージを二割ほど削って消えた。ガードしていて二割も削られるって、遠距離攻撃のくせに強すぎだろ! 五発食らったら死ぬじゃないか! ――って、五発も連発できるわけがない。たぶん一発撃っただけで長めのクールタイムが発生するはずだ。

 俺の推測を肯定するように、ヒダリが突っ込んでくる。竜巻は俺にガードさせて足止めするためのものだった。どんな攻撃で仕掛けてくる? ガードを維持するべきか、解除して距離を取るべきか!?


 猶予は一瞬だった。俺はガードの解除を選んだ。ヒダリの狙いが、防御無視攻撃か、もしくは防御しても無意味なほど大威力の攻撃だと直感したからだ。

 直後、ヒダリが跳んだ。大上段に構えられた大剣が発光しながら巨大化していく。一試合目の開始直後、一撃で俺を仕留めた大技【パニッシュメントソード】だ。前回の使用から経過した時間はおよそ二十五秒だから、クールタイムが終わったと同時に使ってきたのだろう――いや、このタイミングでクールタイムが終わるからこそ、竜巻を放って俺を足止めしたのだ。全て、ヒダリの計算通りということだ。だが、俺の計算通りでもある!



 S.Oの中でヒダリを初めて見た後、大剣も格好いいな、と思った俺は、大剣技についてもウィキで一通り調べていた。だから【パニッシュメントソード】のことも知っていた。

 大剣限定の剣技【パニッシュメントソード】は、技の熟練度をどれだけ上げてもクールタイムが短縮されない。二十五秒固定である。闇魔術にはクールタイム短縮の魔術があったけれど、ヒダリが使えるとは思えない。だから、ずっと心の中でカウントしていたのだ。最初に【パニッシュメントソード】を食らってからここまでの二十五秒を。



「来た!」


 俺はヒダリの発光巨大化した大剣が振り下ろされるよりも一瞬早く、その魔術を発動させていた。

 【パニッシュメントソード】の巨大な斬撃が叩きつけられる。その軌跡が白い衝撃波となって、地面を削るエフェクトを発生させながら直線上を駆け抜けていく。余波を受けただけでも耐力ゲージの二割強を持っていかれる大威力だった。


 そう――俺は余波しか受けなかった。大剣が振り下ろされる直前、俺は中級の風魔術【ブリンク】を使っていたのだ。これは左右一セルから三セルまでのランダムな距離を瞬間移動する魔術で、緊急回避のための魔術だった。

 俺は風魔術を修得していないし、そもそも【ブリンク】はランク三で使える魔術ではない。だが、「装備すると【ブリンクLv1】が使用可能になる」という効果を持つアクセサリー【瞬きの護符】というのがある。

 ココロが【バーニングハート】を買ったあのとき、俺は別行動している最中にこの護符を買っていたのだ。防御の弱いココロにぴったりだと思って買ったものだったけれど、渡しそびれたままになっていた。それがまさか、ヒダリの裏を掻くための秘策になろうとは。


 ――まだ終わらんよ!


 ヒダリがそう言ったような気がしたけれど、いいや、もう終わりだ。俺の作戦は、おまえの大技を躱すことだけじゃないからな。

 俺たちが決闘しているのは、街中ではない。普通にそこらをモンスターが闊歩しているフィールドだ。ここは最初の街に隣接した最低難度のフィールドだけど、それでも一匹、少しだけ厄介なのが徘徊しているのだ。


 BOT対策なのかマンネリ防止なのか不明だが、ほとんどのマップに存在している場違いな一匹。エラントモンスターと呼ばれる高レベルの魔物。数時間置きにしか沸かないために、いま出没しているのかは賭けだったけれど、いてくれた。俺がフィールドをひたすら走り続けたのは、ヒダリから距離を取るためだけでなく、こいつを探していたからだ。

 鋼鉄製のダンゴムシみたいなそいつは、【パニッシュメントソード】の衝撃波が駆けていく進路上を呑気に這っていた。

 衝撃波がダンゴムシの尻尾を轢いた。ダメージを食らったダンゴムシが驚いたように飛び跳ねて、くるっと丸まり、攻撃者であるヒダリに向かってボールのように突撃していく。

 ウィキ情報によれば【パニッシュメントソード】の衝撃波部分は距離によるダメージ減衰が大きいというけれど、ランク八の剣士が放った一撃を受けて生き延びてくれるかは、これもまた賭けだった。でも、このダンゴムシは最序盤フィールドに出てくるエラントだけあって、攻撃よりも防御に特化したモンスターだ。一発なら耐えてくれると期待していた。そして、こいつは期待に応えてくれた!


 鋼鉄ダンゴムシの肉弾突進が、大技を放って動きの止まったヒダリに命中。与えたダメージはたぶん微々たるものだけど、ぎりぎりカウンターのタイミングで入ったようで、ヒダリの身体が大きく仰け反る。


「ここッ!!」


 これ以上ないというこのタイミングで、俺はとっておきの大技【シールドバッシュ】を発動させた。ぐっと腰を捻って振りかぶった盾を相手の頭部に勢いよく打ちつける、という技だ。ダメージは極小だし、発動からダメージ発生までの隙も大きいけれど、当たれば高確率でスタンの状態異常を付与させられる。

 ガンッと重たい効果音がして、ヒダリの頭上に星がぐるぐる踊るエフェクトが出る。スタン成功だ。最大で二秒しか続かないけれど、スタン中は一切の行動が取れなくなるし、おまけに回避率もゼロになる。つまり、どんな大技でも当て放題ってことだ。


 だから俺は――逃げた。


 鋼鉄ダンゴムシがヒダリにごんごん体当たりしているのを尻目に、ヒダリから思いっきり距離を稼いだ。二秒経たずにスタンは解けたけれど、十分だった。

 その後の展開は二試合目、三試合目を踏襲するものになった。ヒダリの追撃を逃げ切って、時間切れで俺の勝ちだった。

 三本先取のラッシュ・アンド・ガードは俺の勝ちだった。

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