リスカ女、鈴木美鈴

17 被虐心

胸の中にさざなみが立った。小さな波紋が一面に広がり、鈍色の空が水面の揺れに反射する。乱れた灰色の光が私の心を照らし出す。どんよりと湿っぽい気持ちがこみ上げてくる。胸の中を焦燥が掻き乱す。孤独が大挙して押し寄せてくる。

 この目だ。

 わたしは、この目が嫌い。

 嫌い。嫌い。嫌い。

 怖い。怖い。怖い。

 誘拐犯の目は僅かに濁っていて、薄っすら白んだ光を放っていた。呆れたような、哀れむような、そんな目。冷たい視線。わたしはこの目が嫌いだ。

 お父さんは毎晩、終わったあとにわたしをこの目で見下ろす。絶望を抱いたこの目で、わたしのことを蔑むように、じっと見つめる。瞳孔が収縮して、何も見ようとしていない目。焦点が合っていない離れた瞳で、見るともなしに、ただじっと。お父さんはわたしを見下ろす。わたしはその目が大嫌い。

 それと同じ目を、誘拐犯がしている。わたしはきっと、この誘拐犯にまで愛想を尽かされる。たった一日前には、お互いの事を何にも知らなかったわたしたち。今でもほとんど知らないままだけど、一晩をともにして、少しは分かり合えた。甘い匂いのする頭皮、ちょっと酸っぱい臭いの脇、蒸れた匂いがするお腹。誘拐犯が寝ている間に嗅いだから、わたしはそれを知っている。わたしはそれを愛おしく思っている。

 それなのに、誘拐犯はわたしに愛想を尽かしそうとしている。昨日はわたしのことを賛美してくれたのに。あれだけ慈しんでくれたのに。いまの誘拐犯の目には、失望がありありと浮かんでいる。わたしを煩わしく思っているのが伝わってくる。

 お願い、わたしを愛して。

 お願い、わたしを慰めて。

 お願い、わたしを許して。

 お願い、わたしを抱いて。

 お願い、わたしを殺して。

 お願い、誰か、わたしを、助けて。

 わたしは誘拐犯にそう訴えかけながら、彼の目をじっと見つめた。しかし、彼はため息混じりに首を横に振った。

 どうしてわたしを嫌うの?

 お母さんとそっくりだから?

 あなたの理想の天使じゃないから?

 ふしだらな女だから?

 いやらしい人間だから?

 手首を切ったから?

 それなら謝るから。どんな事でもするから。あなたが望むのなら、わたしはあなたの奴隷でもいい。だからお願い。

 ねえ、わたしを許して。

 ねえ、わたしを抱いて。

 ねえ、わたしを犯して。

 ねえ、わたしを辱めて。

 ねえ、わたしを壊して。

 ねえ、わたしを殺して。

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