2 遭逢

 蝿と二人きりの部屋で、僕がすることはゲーム、睡眠、食事、排泄の四つだ。この中で一番大変なのが食事である。先月までなら食事は一日三回、部屋の前に置かれていた。しかし、このアパートでは自分の食事は自分で用意しなければならない。

 僕の食事はほとんどがカップ麺だ。日に二三回カップ麺を食べ、たまに野菜ジュースを飲む。その合間にポテトチップを食べたり炭酸飲料を飲んだりもする。

 外出は極力しない。ゲームの世界の方が大切だからだ。トイレの二分も惜しいというのに、外出なんてしているヒマはない。

 週に一度、近くのコンビニに行き、できるだけ多くのカップ麺と野菜ジュースを買ってくる。その日だけはコンビニ弁当で生っぽいものを食べる。

 別に三食カップ麺でも僕は構わなかった。だから、コンビニに出かけるのが面倒でしかたない。だが、今日も出かけなければならない。さっき食べたカップ麺で貯蔵していた食料が尽きたためだ。

 僕はしぶしぶゲームを中断し、席を立った。何日かぶりに重力を感じる。くらくらっと立ち眩みし、パソコンデスクに片手をつく。息を整えて、もう一度体を起こす。今度は立ち眩みがなかったので、そのまま玄関口へ歩き、靴を履く。

 扉は要塞都市ようさいとしの巨大な城門のようにやたらと重たかった。全身の体重を腕に乗せて、ドアをえいっと押し開く。すると、まぶしすぎる光が差し込んできて、僕は目をしばたたかせた。

 久しぶりの日光は、オレンジ色でも白色でも無かった。色と言うよりも、痛みだった。刺すような痛みに襲われ、僕は両手で目を覆い、短くうめいた。しばらくすると、光に慣れてきて、ようやく目を開けるようになった。

 ボロアパートの正面には高層ビルが立っている。この時間は外に出ると西日が眩しいが、昼間はビルのせいで日差しが届かず、アパートはいつもじめじめしている。

 アパートの外には細い路地がある。路地の両脇にはコンクリートブロックの壁があり、圧迫感を覚える。路地の先は国道と交差している。国道には片側二車線の車道があり、その両端に歩道がある。車道と歩道の間にはツツジの植え込みがあるが、この時期はまだ花をつけていない。刈り込まれてスカスカになった枝が物悲しく秋風に揺れている。

 国道は駅まで続いている。その駅の手前にコンビニがある。コンビニの窓には色紙で作られた紅葉や芋が張られており、自動ドアの手前には「おでん始めました」ののぼりが立っていた。

 僕はレジカゴを両手に持ち、カップ麺のコーナーに立っていた。棚を物色して、当面の食料を選んでいた。僕の後から入っていた客がカップ麺を探しに来たが、僕の隣に立った途端に眉間に皺を寄せ、弁当コーナーへと歩き去ってしまった。なんだろう? 僕は首を傾げたが、思い当たる節はすぐに見つかった。そう言えば、もう三日も風呂に入っていない。もしかすると、僕が臭かったのかも知れない。

 カップラーメンを七個、カップ焼きそばを五個、カップうどんを三個、カップそばを二個、僕はカゴに入れた。カゴから落ちそうなほどのカップの山が出来た。それから、冷蔵コーナーへ行き、弁当を物色する。先ほどそのコーナーに行った客は、僕が近づくと逃げるようにして、今度はカップ麺コーナーに走っていった。

 僕は焼肉弁当とタルタルチキン弁当をそっとカップ麺に重ね、野菜ジュース五本をカゴの隅に詰め込んで、レジに向かった。

 レジにいたのは高校生くらいの女の店員だった。幻惑げんわくしそうなほど白い肌が魅力的で、優しそうな顔つき、柔らか味のある腰つきに現れる流麗りゅうれいな曲線が美しい。僕はついそれに見とれそうになったが、どうにか思い留まった。僕のような人間に見とれられるのは、彼女にとって屈辱でしかないだろうと思ったから、僕は目を伏せた。冷たそうな床を見下ろした。こうして地面を見下ろしているのが、僕にはお似合いだ。

 少女は僕のカゴを見て目を丸くしながら、レジ打ちを始めた。ピッピッピッピッと手際よく、バーコードを読み込んでいく。

「合計、五千六百六十五円です」

 カップ麺ばかりでも一週間分と言うとかなりの値段だった。

 僕は六千円を支払い、おつりの小銭を受け取った。三袋に分けて入れられたカップ麺たちを持ち、そそくさとレジから離れようとした。なんせ、僕は非常に臭いはずである。長居してはレジの女の子がかわいそうだ。いくら仕事でも、臭いを我慢し続けるのはつらいに違いない。

「あの、お客様」

 レジの女の子が僕を呼び止めた。

「は、はい。ななな、なんでしょう?」

 母親以外の女性と話すのなんて久しぶりだったので、緊張して声が震えた。

「そのカップラーメンはお一人で召し上がるんですか?」

「は、は、はい。そっ、そのつもりです」

「インスタントばかりだと体に悪いですよ、気をつけてくださいね」

 その優しい言葉に、僕は打ち抜かれた。

「はっ、はい。ああ、あ、ありがとうございます」

「いえ、確か先週も一杯カップラーメンを買ってたでしょう? それで、つい心配になっちゃって。ごめんなさい、失礼な事を言ってしまって」

 僕の目の前にいる少女は、きっと天使に違いない。

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