4話 お巡りさんの目撃情報

 暫く歩いた先に、的場町交番はあった。

 あたしは幽霊の想像を打ち消して的場町交番に駆け込むと、あの話が作り話であることを願いながらガラガラと戸を開けた。


「こんにちはあ」


 声を張り上げる。

 交番の中には長いテーブルが一つあって、その向こうにおまわりさんが一人腰かけていた。いつも朝になると交番の前に立って挨拶をしてくれる人だ。あたしたちの学校の生徒なら、たぶんかなりの確率で知ってるはず。

 といっても交番の中に入るのなんてはじめてだ。壁にはたくさんのポスターや犯罪をなくそうといったチラシが張られている。

 今日の死傷者はゼロ、事故もゼロ。とっても平和だ。


「おや、こんにちは。どうかしたのかい?」


 ――そういえば、なんて説明すればいいんだろう。


「ええっと……」


 あたしがまごまごしていると、アキト君がにこりと人の好さそうな笑顔を浮かべた。


「今度、学級新聞で怖い話の特集をする事になりまして。それで、実際に幽霊を見たという証言を集めてるんです」


 アキト君の言い方に、あたしは瞬きをした。

 色々言いたいことはある。そんな嘘がさらっと出て来るのもそうだし、どうして幽霊屋敷の調査だって言わないんだろう。そんなあたしを制して、アキト君はあたしを一瞥した。


「ああ、その話か……」


 おまわりさんは遠くを見るように言う。


「確か、おまわりさんの名前はマツイさんでしたよね?」

「ん? ああ、そうだよ。よく知ってるね」

「お話は多少聞いていますが、事実なんですか?」

「そうだなあ。事実といえば事実かな。最初は驚いたんだけどね、どうせだったら子供たちが無暗に入るのを防げるかな、と思ったんだよね」

「……よければ、事の次第を教えてくださいませんか? お時間が許す限りでいいので」

「ああ、まあ……いいよ」


 おまわりさん――松井さんは時計を見上げた後に言った。


 アキト君はランドセルをおろすと、中から素早くノートとエンピツを取り出した。まるで前もって準備していたみたいな速さだ。

 あたしはぽかんとしながらも、その様子を見守るしかなかった。


「あの日はいつだったかなあ、二月くらいだったかな。夜の見回りの途中だった。あのお屋敷は目立つけれども、火でもつけられたら大変だからね。見る時はちょっと気にして見ておこうっていうのが決まりだったんだ」

「凄いですね。夜って、何時頃なんですか?」

「さあ、十二時とか、一時くらいだったかな?」

「オレたちが寝てるお時間にもお仕事なんですね、ご苦労様です」

「そうなんだ、大人は大変なんだよ」


 松井さんは大仰にうなずいた。ちょっと嬉しそうにも見えるけど。そういえば、おまわりさんとかっていつまでお仕事してるんだろう?

 密着番組とかがたまにやってるのをテレビで見たことあるけど、たいていは夜だ。いったいいつ寝てるんだろう。

 あたしが関係のないことを思っている間にも、二人は話を進めていた。


「とにかくそれぐらいの時間だったかな、あの幽霊屋敷の前を通りかかった時だ」

「それは、門のある通りですか、それとも裏側?」

「裏だったけど、そんな事まで聞くのかい」

「気になったので。すみません、続けてください」

「まあいいや。その裏を通りかかった時に、チラッと一階の窓から、白い光が見えたような気がしたんだ。何かゆらっと移動するようなね。それで、もし誰か忍び込んでいたなら大変だと思って、裏口から入って屋敷の窓に近づいてみたんだ」


 松井さんがおどかすように言うから、あたしはそっとアキト君の後ろに隠れてしまう。


「白い光? 人影ではなく?」


 でも、アキト君は気になったことがあったのか、こわがるそぶりもなく尋ねた。


「あっ……そうそう、白い人影だよ。それで、そおっと荒れ放題の庭を突き進んだんだ。窓の中は一か所だけカーテンが開いていて、ゆらゆら揺れていてね。たぶん隙間風でも入ってたんだろうなあ」


 あたしはうなずいて、それでそれで、と息をのむ。


「僕は意を決して、懐中電灯で中を照らしてみた。だけど、不思議な事にそこには誰もいなかったのさ。大きくて不気味な人物画がこっちを睨んでいるだけだった……」


 松井さんは静かな口調で言った。


「これが全部だよ」


 なんだか、オバケが直接出て来たわけでもないのにぞくぞくする。


「最初に話した時はもうちょっと盛ってたけどね。何か聞きたい事はある?」

「ええ、いくつか」


 アキト君がうなずいた。

 あたしから見ても、アキト君はぜんぜん怖がってない。むしろ、気になる事が増えたみたいだ。


「そのお話そのものは、ほんとうですか?」

「ははは、なんだい、怖いのか? そりゃあ、まあね。気になって入ったのは本当だよ」

「裏口は開いてたんですか」


 笑っていた松井さんがきょとんとした顔になる。


「誰もいない家ですから、裏口も施錠してあるはずですよね。鍵などを預かったりしているんですか?」

「ああ、えーっと……預かっているというか……」


 松井さんは少しだけ渋い顔になった。


「開け方自体を聞くわけではありませんよ。確認です」


 アキト君がフォローするように言ったけど、松井さんはまだ渋い顔をしていた。


「鍵を預かってるわけじゃないんだけど。ま、きみのいう通り。開け方を知ってるだけだよ」

「えっ、し、知ってるんですか」


 あたしは思わずびっくりする。


「そりゃあね、火事なんかあったら大変じゃないか。それに、別に不正に知ったわけじゃないよ。元の持ち主の人に聞いただけさ。いざとなったら壊すしかないけどね。昔の建物だから、色々ガタもきてるし」

「じゃあ、鍵を持っているわけではないんですね。玄関の鍵だとか」


 松井さんは肩を竦めた。


「さすがに、建物の鍵を預かったりはしてないよ。一応確認はしていたけど、玄関は閉まってたな」

「その時、窓は開いてましたか? カーテンは開いてたんですよね」

「窓は軽く確認したけど、中から施錠されてたね。先に言っておくけど、確認したのはその時だけだよ、僕はね。でも、普通だったらいつも鍵をかけておくんじゃないかな」

「……そうですか」

「さあ、これでもういいかな?」


 松井さんは時計を確認した。

 あたしもちらっと扉を確認したけど、人影はない。


「いえ、すみませんがあと少しだけ。白い人影というのは、嘘ですよね?」


 アキト君が言いだしたことに、あたしはびっくりしてしまった。


「ええ? ははは、どうして僕が嘘なんか」


 松井さんはそう言って笑ったけど、すぐに真面目な顔になった。


「……と思うだろう? 本当は白い光だったんだよ」


 あたしは目をぱちぱちと瞬かせた。


「え、な、なんでですか? どういうことですか?」


 混乱して聞き直したけど、松井さんが答える前にアキト君が横から割って入る。


「言い直した事もそうだし、白い光よりも、白い人影の方が話としては恐ろしいから、避けると思った。子供たちが無暗に入るのを防げるかもしれない、そう思ってのことですよね?」

「ははは。まあそんなところだよ」


 逆に興味を持つと思うけどなあ。

 あたしは逆効果という言葉の意味を考える。


「でも、ちょっと逆効果だったと思うんだよね」


 やっぱり。


「幽霊が出るって噂があっという間に広がっちゃったみたいでね。今思うと軽率なことをしたと思うよ。それ以来僕は話してないんだけど……」

「最初に話したのは何人くらいなんですか?」

「話したのは最初の一週間くらいかなあ。それも二、三回くらいだよ。五、六人くらいに脅かすつもりで話したんだけど、いや、凄いね。あっという間に広がってさ」


 松井さんは苦笑しながらも感心したように言った。


「それで、話すのをやめたんですね?」

「それもあるけどさ、ほら、気のせいだったかもしれないし」

「気のせい?」


 あたしは首をかしげた。


「誰もいない屋敷に光がともるわけないだろう? 目の錯覚、ってわかるかい。考えれば考えるほど、気のせいだったような気がしてきてね。それに、幽霊よりも泥棒だった方が大変だろう」

「でも、白い光を見たのは本当なんですよね?」

「それは、まあ……そうだけど」


 ――どっちなのよう!


 あたしは思わず叫びそうになった。


「はっきりお願いします」


 それでもアキト君は粘る。

 松井さんはちょっと面倒臭そうな顔をしてあたしたちを見た。


「きみたち、僕も暇じゃないんだよ」


 急に怖い顔になったかと思うと、脅すように言ってくる。

 こういう時、大人は汚い。


「松井さん」


 だけど、アキト君は冷静に言った。


「誰だって、自分の家に幽霊が出るだの、何かおかしいだの、変な噂はたてられたくありませんよね。それが作り話だというなら認めてください。作り話じゃないなら、それはそれでいいんです」

「きみの家が、何か関係あるのかい?」

「ありますよ。幽霊屋敷は、今オレたち一家が借りてるんです」


 それまで訝しんでいた松井さんは、ぎょっとしたようにアキト君を見た。


「ああいや、その……」


 あの幽霊屋敷に住んでいる人間が目の前にいる。

 目の前にいるのは少年だけど、その話はいずれ彼のお父さんやお母さんに知れ渡ることになる。もし警察官が悪い噂を流したなんて言われたら、どんなことになるか。


「し、白い光のようなものはあったよ。でも、反射だとかそういうのも考えられるだろう? 本当に幽霊かどうかはわからないけど、ほら、何かに反射したのかもしれないな」


 松井さんは慌ててそう付け加えた。


「……そうですか。これで終わりです。お忙しい中、ありがとうございました」


 アキト君はお礼を言って頭を下げた。

 松井さんは反対に、ほっとしたようだった。


「僕が言ったのは人を遠ざけるためだからね。きみのご両親にもよく言っておいてくれるかな」


 松井さんは諭すように言った。

 大人の汚い面を見た気がするけど、アキト君は「そうします」とそっけなく言っただけだった。


「行こうか、土原」

「もういいの?」

「ああ」


 アキト君はメモをしまった。ちらりと見ると、びっしりと細かい文字で埋まっていた。

 あたしは交番の扉に手をかける。


「あ、きみたち。ちょっと待って」


 呼び止められて振り向くと、松井さんはデスクの上を探って、緑色の紙を手にとっていた。


「幽霊はわからないけど、空き巣や泥棒にも気を付けてね。このところ増えてるんだ」


 そう言うと、緑色の紙をあたしに手渡してきた。

 紙には大きく、〈空き巣に注意!〉と書かれている。


 近頃、この区域で空き巣・泥棒被害が多発しています。

 お出かけになる際や就寝時はしっかりと鍵を確認しましょう。

 また、対策などは……


 ――なるほど。

 大人にとっては幽霊よりも、ドロボウの方が現実的なモンダイというわけ、らしい。

 あたしたちは二人して交番を出ると、緑色のチラシを畳みながら家の方に足を向ける。


「今の話で、何かわかったの?」

「大体。まあ、外の窓から絵が見える部屋は一つしかないから。それは今度、オレの家に来た時に見せるよ」

「……うん」


 チラシを片手でもてあそびながら、あたしはうなずくしかなかった。


 調査は、土曜日。

 あたしたちはついにあの幽霊屋敷に乗り込むことになったのだ。

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