5話 いざ、幽霊屋敷!

「おお~」


 土曜日。

 幽霊屋敷ことアキト君の家に着くと、あたしを含めたみんなが似たような声をあげた。

 最初は学校でおち合う案も出たけれど、結局みんな場所を知っていたおかげで、直接家まで来ることができた。


 家の方は、まだ手入れもされていないようだった。

 雑草はボーボーだし、蔦はまだ這っている。相変わらず不気味だ。

 確かにこの家なら、急に悲鳴がしたり窓から白い影が覗いていてもおかしくないかもしれない。二階の窓を眺めると、今にも白い人影がそっと通りすがりそうだった。まだお昼だというのに、背筋に冷たいものが走る。

 ナツキ君たちも最初こそ物珍しそうに見てまわっていたけれど、暗い雰囲気にそわそわと落ち着かない。

 ぎっ、という音にぎょっとしてそっちを見ると、入口からアキト君が出てきたところだった。


「やあ」


 アキト君は軽く声をかけると、あたしたちの方にやってきた。


「意外と早かったね。中に入ってよ。ジュースでも出すから」

「あ、ありがとう。でもいいの、ほんとに?」

「いいよ、べつに」


 アキト君の返答は素っ気なかった。

 それにしても、幽霊屋敷と呼ばれていた家の中にこうして堂々とやってこれる日が来るなんて思わなかった。

 家の玄関に向かって、ゆったりと道が伸びていた。ちぐはぐに埋められた煉瓦の隙間から、雑草が元気よく顔を出している。左手の道路側には樹があって、日差しと外からの目線を防いでくれている。

 右手側には、芝生と雑草の混ざったような緑が広がっている。所々土が見えているけど、そういう地面に直結したところだと、今も生き延びた花が咲いている。ハーブか何かも植わってるみたいで、ちょっといいにおいがする。庭だけは、一つの風景として完成されてるように見える。

 ただ、ちょうど家のど真ん中にある玄関に向かう短い石階段を登ると、その両側に、園芸用のツボみたいなものだけが寂しく転がっていた。元々は何か植えてあったのだろうけど、今はしなびた草が見えていて、ちょっと可哀想だ。


 ――もともとは、英国庭園みたいな綺麗なお庭だったんだろうなあ……。


 それだけがちょっと惜しい気がする。今後もし手を加えるつもりなら、真っ先にお庭をなんとかしてほしかった。

 とうとう幽霊屋敷の入口にやってきた。アキト君が玄関のノブに手をかけて、雰囲気のある軋んだ音をさせる。


「わっ…」


 あたしは思わず声をあげてしまった。

 さすが西洋の様式で作られているだけあって、普通の家って感じじゃない。

 玄関ホールは広くて、焦げ茶色の落ち着いた空間が広がっていた。真ん中から大きな階段が二階に伸びていて、左右に別れている。一階部分はそれぞれ右手側に二つ、左手側に三つ扉がついている。奥の行き止まりからは、部屋数の少ない右手側に通路が伸びていた。

 今にも、二階からキラキラしたドレスを着た、金髪の女の人でも出てきそうだ。


「靴は脱いでいいよ。中はさすがに日本と同じ造りだから」

「はあ? 何言ってんだお前?」

「ナツキ君、外国は靴のまま入るんですよ」


 シュンスケ君が言うと、ナツキ君はあわてて両手を振った。


「そ、それぐらい知ってる!」


 ――こういうのが異国情緒っていうのかも……?


 あたしは一人でうんうんうなずいた。

 それにしても……。こんなおうちに住んでるのに、これだけ落ち着いているアキト君はやっぱりどこか不思議だ。


「しっかし、すげえなぁ。どこ行きゃいいんだ?」

「こっち、ここが居間なんだ」


 アキト君は、右手奥の扉を開けた。

 ナツキ君がそれに続いて入ると、すぐに声があがった。


「こんなのある家初めて見た!」


 あたしも後から続いて入ると、やっぱり見た事ない景色があった。

 正面には向こう側に大きなアーチ型のくもりガラスの窓がいくつも並んでいて、真ん中にはテーブルを挟んでソファが四つ並べられている。右手側の壁には暖炉があって、マントルピースの上には大きな鏡もあった。隣には薪まで綺麗に積み上げられている。

 足元は赤いじゅうたんが敷いてあって、少しすり切れているけどずいぶんとりっぱだ。


「この窓とか、このまま出られるんじゃねえか?」

「開けれるの?」と、あたし。

「開けれるよ。こっち側はみんなすぐそばに柵があるから、出ても身動きが取れないと思うけどね」


 アキト君が答えたその隣で、シュンスケ君がソファに座り込んだ。


「フカフカですよこのソファ!」


 座ってはまたお尻を浮かせて落とすのを繰り返すシュンスケ君を、あたしはジト見する。


「シュンスケ君、お行儀悪いよ……」


 あたしが言ってる横で、ナツキ君が同じ事をしていた。


「お?」


 そのナツキ君は、すぐさま立ち上がってソファをすり抜けて右手側の壁に近付く。

 ものすごく忙しない。


「すっげえ、暖炉だ!」

「わ、ほんとだ凄い、暖炉!」


 部屋をきょろきょろしていたフユが叫んだ。

 こんなにテンションが上がったフユははじめてだ。


「暖炉っていっても、これはレプリカ、飾りだよ」

「そうなの?」

「覗いてみればわかるけど、上側は塞がってるだろ?」


 フユが覗く前に、ナツキ君が窓からすっ飛んで来た。


「マジかよ」


 ナツキ君が暖炉の中に頭を突っ込む。コンコン、と天井を叩く音がする。

 あたしも覗いてみたけど、確かに上は塞がっていた。

 このままじゃ、オオカミどころかサンタさんだって入ってこれない。


「しっかし、使えねーのにわざわざこんなん作ったのか」

「薪は置いてあるんだけどね」

「使えないのにか?」

「雰囲気じゃないかな。前の持ち主が、家具もそのままにするように言ったらしいんだ」

「ふうん」


 じゃあ、薪も前の住人が置いたものって事か。

 さすがに暖炉は作れなかったんだって考えても、ここまで凝るなんて。あたしなんて自分の部屋ですら好きなようにできないのに、家ごと作ってしまうオトナはすごい。


「じゃあもしかして、テレビとかもねーのかよ」

「でも、ゲーム持ってきてるんでしょ」


 あたしが言うと、ナツキ君はにやりと笑った。


「あとで対戦しよーぜ!」

「その前に! 家の写真とか撮りたいんですけど、いいですかね?」


 シュンスケ君が取り出したのは、白いデジカメだ。


「お父さんの借りて来たんですよ~!」

「デジカメに幽霊って映るの?」


 幽霊って、むしろデジカメとかより普通のカメラとか、古いものに映るイメージだ。単純に、デジタルと幽霊って相性がいいのかっていう疑問があったんだけど。


「映るんじゃないですか?」

「お前、適当だなあ……」

「適当っていうのは、適切に当たると書くんですよ! つまり、問題ないってことです」

「どーゆーリクツだよ」


 ――ヘリクツかな。


 あたしは心の中だけで思った。


「それじゃあ、カメラを撮る役目はシュンスケに任命してやろう。アキトは案内、青野は館の地図、土原は探索!」

「ナツキ君は?」

「俺はリーダー!」


 それ、役割じゃないし。

 あたしたちの冷たい視線をものともせず、ナツキ君はふんぞり返る。


「それじゃあ、案内は任せてくれ」

「もうとっくに探し尽くしたとかねえよな?」

「ないよ。土日に調査するっていうから、今日まであまり何も触って無かったんだから。ともかく、最初は人影が目撃された部屋に行こうか」


 って、いきなり!

 フユがあたしの方を向いて、ひそひそ声で話し始める。


「……朱雀君て、実は楽しんでる?」

「……そうかもね」


 あたしはちょっとした不安を覚えながら答えた。

 はしゃいでいる男子は二人だと思ってたんだけど……実は三人なのかもしれなかった。

 荷物を置くと、あたしとフユはそれぞれバインダーに白い紙を張り付けて、ペンを片手にくっついて行った。


「そういえばアキト君、あのおまわりさんが言ってた部屋、わかったの?」

「そりゃあわかるよ」


 ナツキ君が鋭くこっちを向いたので、あたしとアキト君は、他の三人に交番での事を説明した。


「ちぇっ、なんだよお前ら、もう調査始めてやがったの」

「だから、まだだって。それでも、特定しておいた方がやりやすいだろう?」


 居間を出て案内されたのは、隣の部屋だった。

 玄関右側の手前側の扉を入る。


「ここが白い光が目撃された部屋。たぶん、書斎だったと思うんだけど」


 中は、やっぱり西洋風にまとめられていた。

 足元にはワインレッドの敷物があって、足音がぜんぶ吸収されてしまう。

 入って右手側の壁はみんなガラス窓があって、庭が一望できるようになっている。カーテンはみんな開けられていた。どれも灰色に薄汚れてしまっているけど、今は日の光が入っているからか、それほど怖いとは思えない。でも、幽霊が出た部屋だと思うとちょっと不気味だ。

 左手側には、庭を一望できる配置で書き物机があった。黒い皮張りの重厚なイスまで置いてある。こんなの、そうそう見たことがない。

 隅の方には引き出しが三つあるきりの小机が一つ置かれていて、その上には古めかしい小さな銅製のランプが鎮座していた。

 その後ろの壁は一面、大きな木製の本棚で埋まっていた。左右に広がった本棚に挟みこまれるように、真ん中――ちょうど書き物机のイスの後ろ側だ――に位置する部分は装飾になっている。上下に分かれた下半分は装飾が施されていて、上半分にはどこかで見た事のある絵が飾られていた。馬に乗った騎士のようだけど、教科書で確か見たような……。

 それにしても、見た事もない部屋の連続で、あたしは既に別の国に来たような気分になっていた。

 あの〈幽霊屋敷〉の中がこんな風になってたなんて、思いもしなかった。


「すっげー、なんだこの棚!」

「本棚だよ。中の本だけは、あれ以外はみんなこの館の今の持ち主が持って帰った」


 ちょうど向かって左上のところに、茶色の、同じ装丁の本が並んでいる。たぶん、百科事典じゃないかと思うけれど、日本語じゃないみたいで読めない。並びの右端は十二巻目。でも、左端に目をやると、一巻が抜けていた。あれっと思ってじっと見つめると、三巻もない。並びに違和感があるから、他にも抜けているみたいだ。


「今のこの館の持ち主って……?」


 フユが聞いたので、あたしはぱっとそっちを向いた。

 そういえば、そんなことも言ってたっけ。


「この館は借りてるだけなんだよ――今はね」

「賃貸ってことですか?」

「ああ。家具に関しては全部当時のままだ」

「なあ、この真ん中の奴、どっかで見た事ないか?」


 言葉の途中で、ナツキ君が首を傾げた。

 アキト君も言葉をとめて、真ん中の肖像を見上げる。

 崖のような場所で白馬に乗り、青い服とオレンジ色のマントを纏い、ぎゅっと握られた右手の人差し指は、天を指し示しているようでもあった。ただし、この部屋においてはちょうど百科事典のあたりを指し示しているようで、あまり格好良くない。

 それにしても、確かにどっかで見たような絵だ。


「何言ってんですか、ナツキ君。これ、ナポレオンですよ?」


 シュンスケ君があきれ返ったような声で言う。

 あたしは最初からわかってた、というような空気を醸し出した。


「ナポレオンって、教科書にのってる奴か! なんでこんなとこに?」

「フランスの有名人だからじゃないかな。フランスの英雄にして皇帝にまでのぼりつめた人。失脚もしているけど」

「なるほど、元は〈フランス館〉だったな、ここは」


 アキト君は窓の方へと歩くと、そこからナポレオンの絵を見上げた。


「松井さんが見た絵は多分これだね。目立つから、外からでも見えるはずだ。こっちからだと庭園が見える」


 あたしも窓の方へ行くと、すぐそこに外の庭園が見えた。


「……どうやら、この家を作った人は、相当なフランスびいきだったみたいだね」


 アキト君がわかりきったことを言うので、あたしは首をかしげた。


「まあ、〈フランス館〉っていうぐらいだし……」

「ナポレオンっていうのは、イギリスに戦いを挑んでいるんだよ」

「えっ、フランスってイギリスと戦ったんですか?」

「当時の話だよ。ナポレオンはイギリスやロシアなんかの同盟国と戦ったんだよ。有名なのは、トラファルガーの海戦かな。負けたけど」


 教科書の内容を思い出そうとしたけど、今思い出すのはやめておいた。


「ここでお勉強の話はやめろよ。しかも、負けてるし!」

「でも、意味はある気がするんだよな」

「どうして?」


 フユも同じ疑問を思ったらしく、アキト君に尋ねる。


「この館の名前、〈フランス館〉だろう? それなのに、庭だけは英国式に見えるんだよ」

「英国式?」


 今覗きこんだ庭園をもう一度眺める。


「フランス式の庭園っていうのは、整形された……つまり、左右対称にしたり幾何学模様を形作ったり、区画整備されたところが多いんだってさ」

「あ、うん、それ、わかる気がする」


 フユがうなずいた。


「英国式のハーブ園になら行った事があるから。日本のだけど……」

「へえ、そんなのあるんですか」

「時間が経ってるから、伸び放題になっちゃったんじゃなくて?」

「英国式は、いわゆる自然に近い感じで、風景画めいたところがあるらしい。枯れてはいるけど、ハーブやらが結構生き延びてるから、何があったのかは大体わかるんだけど……比較的そういった自然に近い感じがするんだ。といっても、日本だと西洋式庭園ってことで、要素を混ぜ込んだ庭を作る事も多いらしいけど」


 ――それはそうだ。


 今の今まで西洋の庭園が国によって違うなんてこと、あんまり深く考えもしなかった。

 あたしは白い紙に、『フランス館なのに、庭は英国式。庭に面したショサイにはナポレオン。トラファルガーの海戦を意識?』と書きこんだ。

 隣で、フユも白い紙に庭と書斎の位置関係と、『ナポレオン?』と書きこんでいた。


「わざわざ家に〈フランス館〉なんて名前をつけて、庭に面したこの部屋にナポレオンの肖像までこさえて、庭だけを英国式にする理由はなんだろう、ってね。まあ、庭だけは英国風が良かった、と思えばそれまでなんだけど……」

「よくわかんねえけどさあ、ナポレオンはイギリスと戦争したんだろ? ひょっとしたらナポレオンでも気取ってたんじゃないか、そいつ!」


 ナツキ君は勢いよく机の椅子に腰を下ろした。


「椅子に座れば背景がナポレオンになるわけだろ?」


 確かに、決まってる。座ってるのがせめてナツキ君じゃなければ。


「……そうかもね」


 アキト君はちらりと庭を見てから言った。


「でも、幽霊は多分女の人ですよね。甲高い悲鳴って、女の人の叫び声でしょう? ってなると、その持ち主の妻とか娘とか……そういう人ですかね?」


 シュンスケ君が話をもとに戻す。

 そうだ、そういえば幽霊を探しに来たんだった。


「わかんねえぞ、こんなでかい家だし、メイドとかいたんじゃねえの」


 確かに、いてもおかしくなさそうな家だ。大きさってよりも、雰囲気の方が近いけど。


「書斎にメイドですか。ううーん、禁断の関係がありそうななさそうな……」

「シュンスケ、何言ってんだお前?」

「ほら、よくあるじゃないですか。館の主人がメイドさんに手を出したとか!」

「小説かなんかの読みすぎじゃねぇの?」


 さすがのナツキ君もあきれて返す。

 当のアキト君は話には加わらずに、窓の方に歩いていった。

 外をじっくりと眺めて、何かを確認している。


「庭の左側、あそこが裏口か。だから、白い光が見えて、大きな絵がにらみつけているといったら、おそらくこの書斎。絵はナポレオンの事……」


 全員がアキト君の方を向いた。アキト君は、ちょうどナポレオンの肖像の正面にある窓を示す。


「開いていたのはこのカーテンかな。ナポレオンを正面から見れそうな窓というと、ちょうどこの窓。窓のカギはみんな古くて、緩んでる。だから……」


 アキト君は窓を掴んで少し動かした。


「ある程度振動させたり、中から普通に開けば開くかもしれない。……けど、少なくとも父さんが此処を下見に来た時は書斎には鍵がかかっていた。中から鍵をかけるにしても、ここからどうやって出たんだ?」

「松井さんは、鍵は閉まってたって言ってたね」


 ということは、この書斎は完全な密室だったってこと?

 急に何か冷たいものが背中に走る。

 幽霊の存在が、急に現実味を帯び始めたのだと思う。


 それからしばらく、みんな無言で部屋の中を探ってみたけれど、特にこれといったものは見つからなかった。あたしもちょっとだけ隅の小机をこそっと開けてみたけれど、何も入ってなかった。奥の方に傷があるのが見えたから、だいぶ古い机みたいだった。

 ランプの方もおかしいところは何もない。

 ごく普通の書斎って感じだ。


 最後にシュンスケ君が写真を撮るのを待って、あたしたちは書斎を出ることにした。

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