焚書局 4


 現代において、多くの科学技術はされるものだ。


 ブリーフィングルームに集められた二十人の焚書官は、簡単な説明とともに発掘を命じられた。廃棄区画に打ち捨てられたままの施設やオールド・ネットから、失われた研究や技術を回収する仕事だ。持ち帰ったそれらはユグドラシルのサポートのもとで再現され、有用であるか吟味される。

 付属義肢や情報総合端末も発掘された技術の成果であるし、あるいは戦後初期にユグドラシルが見つかったように、第二第三の人工知能AIが発掘される可能性も捨てきれない。

 発掘はもはや必要ない、と言う者も少数だがいる。確かに社会は、一時に比べればその機能をかなり回復した。諸外国と比較しても、人工知能を得た日本は生活水準がかなり高い。国民の大半が生活する六大都市では市民の幸福度も非常に高いことが知られており、まさに理想郷の名を冠するに相応しい。しかしわずかな面積しかない六大都市の外側には、無残に荒廃した世界が広がっている。廃棄区画と呼ばれるそこに人間の居場所はない。人類は戦前に比べて、圧倒的に不自由になった。

 ユグドラシルの徹底した安全・衛生管理により事故や疾病こそ少ないが、医療技術のは深刻だ。建築やエネルギー、遺伝子工学、食料生産……人類が再び手にするべき技術は山のようにあり、そのどれもが完全には復古していなかった。現状を維持するにせよ、新種の感染症や災害、そして──どんな種類の脅威であれ、有事への備えが不足していることは事実で、それは明らかに問題だった。

 戦後日本は首都機能の一極集中から脱するべく、旧東京を放棄し、その機能を六つの都市に分割した。物語が蔓延していた当時、首都の汚染は国家の崩壊を招く危険があったからだ。

 しかし、それから二十年が経過した今でも、ユグドラシルのメインフレームだけは旧筑波の地下に安置されたまま、何の対策もとられていない。戦争の間に、数多くの技術がロストテクノロジーと化した。基礎研究が失われたせいでブラックボックス化している技術も少なくはない。人工知能AI技術には今なお謎めいた点が多く、分解して運び出そうものなら、再び組み立てられる保証はない。耐用年数すらも定かではない。無論のこと、修理や複製・増産などできようはずもない。いまの社会は、市民の大半が信じているよりも、遥かに脆い足場の上に立っている。

 発掘は現在の体制を維持するうえでとても重要な仕事だ。にもかかわらず、発掘は遅々として進んでいなかった。なぜなら、有用な情報が残っているのは主に旧都市部で、当然ながら物語がそこかしこに転がっているおそれがある。オールド・ネットは言わずもがな。

 つまり、これは危険な仕事だった。焚書官にしか務まらない程度には。

 しかし真弓からすると、その仕事はいたって安全であるように思えた。



 ブリーフィングが終わって、部屋の空気はほどよく弛緩していた。流石にあくびをするのは真弓くらいのものだったが、談笑する声が聞こえてくる程度には皆リラックスしていた。作戦は三日後で、彼らが口も利けないほど緊張するまでには多少の猶予がある。

 スクリーンには拡大された地図が映っていて、当然だが、真弓にはそれがどこなのかさっぱりわからない。広大な廃棄区画のどこか……少なくともかつては都市として栄えていた場所。それが真弓の持つべき、最低限かつ最大限の知識だった。

「やれやれ、会議ってのは肩が凝るな」

 肩周りの筋肉をぐるぐるとほぐしながら、舵上が言う。腕の筋肉が盛り上がって、いかにも力がありそうという感じだ。真弓はそれが少し羨ましい。

「そうぼやくな。必要なことだ」

 いやにはっきりとした物言いをするのは瀬尾の癖だ。もう慣れたが、彼の歯に衣着せぬ言動には随分と振り回された。なんとなく場を仕切られてしまうのは、彼にリーダーの素質がある証左かもしれない。

 いろいろとあって、真弓は同期の三人とつるむようになっていた。一緒に仕事をすることが多いので、当然の成り行きではある。彼らは基本的に親切で気のいい同僚だったから、真弓は三人のことが好きだった。

「しかし、ふつう配属一年でこんな危険な仕事させますかね。人材不足は本当なんだな」

 そう漏らす梧桐の口調はぞんざい極まりない。椅子に逆座りして、背もたれに腕と顎を預けている。気力のなさが伝わってくる。

 ここ第二東京機能都市に同期が四人しかいない、というのも異常と言えば異常だったが、四人という数が例年と比べても決して少なくはないという事実が、彼を必要以上に皮肉屋にさせているようだった。

「それより俺はな」と舵上が口を開く。「これは焚書局の仕事じゃない、と思うんだ」

「ですね。俺もそう思います」

 実際、焚書局という名前はほとんど形骸化していた。ここ二年ほどは例外的に多いらしいが、現代における物語とは、稀にしか現れないいわば潜在的な脅威だ。焚書局の発足から十年以上が経過した今、生活圏はほぼ完全に浄化されている。年に二、三度ほど、書物を隠し持っていた者が見つかる程度だという。

「市民にとっちゃ、焚書なんてとっくに過去のものだ。俺たちだって、都市の拡張にあわせて廃棄区画を浄化していくだけ。改名したほうがいいんじゃないかね」

「僕は就職するまで、焚書局の仕事内容なんて知らなかったよ?」

 真弓があくびを押し殺しながら口を挟むと、いつものように二人が微妙な顔をする。呆れられているのだろうけど、嫌な気はしない。舵上が髪を撫でてくれるから、むしろいい気分だ。もっとしてくれ。

「リソースの無駄遣いだって言い切る奴がいるくらいですからね。ま、一般の人の認識はその程度でしょう」

 就職してくる人が知らないってのは斜め上ですが、と梧桐が付け加えたので、真弓は頬を膨らませてみた。

 口には出せないが、真弓は、物語に触れる機会がありそう、という理由だけで焚書局に就職した。焚書の機会がここまで少ないのは手痛い誤算だった──結論から言えば、真弓は書物の1ページさえ手に入れることができずにいた。

「誰だ、その罰当たりは」

 真弓を撫でる手を止めて、舵上が冗談交じりに憤ってみせる。サービスは終わりらしい。

「俺の両親です」

「…………」

 途端に空気が澱んだ。耐えかねて、真弓は適当に話題を振ってみる。

「物語がその辺に放置されてるのはいつものことでしょ? がいないぶん、今回は気楽だし平和じゃない」

 真弓は高揚を隠せなかったが、誰もが真弓の奇癖──なぜか物語保持者に同情的なところ──を知っていたので、舵上も梧桐も訝るようなことはなかった。実のところ真弓は、物語に触れる機会を得たことを喜んでいるだけなのだが。

「あいかわらず呑気だな……」と舵上がぼやいた。「触れる機会が多ければ、危険も増すだろ」

 そうだそうだ、と部屋中の焚書官が頷いた……ような気が、真弓にはした。

認知誘導カウンセリングは受けるんだよね?」

 真弓は首をかしげた。何を心配することがあるのだろう。真弓と違って、彼らは認知誘導の恩恵を受けられるというのに。

「当たり前だ、馬鹿」と言ったのは瀬尾だった。

「む……馬鹿ってなんだよ、座学の成績はそれなりによかったんだぞ」

 真弓がむくれて言い返すと、瀬尾はあからさまに面倒臭そうな顔をした。

「あのなあ、カウンセリングが完璧に人間を物語から保護してくれる技術だという確証はどこにもないだろうが」

「うん?」

「確かにカウンセリングの手法が確立されてから、任務中に物語の汚染を受ける焚書官はいなくなったな。だが前例がないというだけだ。怖いに決まっているだろう」

 真弓は目をぱちぱちと瞬かせた。この間から、同僚に驚かされてばかりだ。意外なほどに、彼らは社会や技術を盲信していない。そんな彼らがなぜを疑わないのか、真弓は奇妙に思った。物語は正式に研究されてさえいないのに。

「お前がそこまで考えなしだとは思わなかったよ」

「なんだよ、考えなしって……」

 拗ねた風を装ってそう言うと、瀬尾はやはり露骨に顔を顰めた。呆れているのか怒っているのか、微妙なところだ。

「俺たちが困るんだ、お前が物語に汚染されたら。チーム全体が危険に晒されるんだぞ」

 まあ、それは確かにそうだ。物語に侵された者は物語を複製し広めようとする。しかしは、わざわざ物語を知ろうとはしない。注意したところで仕方がない。

「カウンセリングに存在しうる不具合の話、じゃなかった? だったら僕が気をつけたところで、どうにかなるってものじゃないよ」

 む、と瀬尾が唸り、バツが悪そうに目を逸らした。

 たぶん、彼も八つ当たりしたい気分だったのだろう。彼の優秀さには普段から世話になっているし、別に悪い気はしない。それに、瀬尾は想像もしていないだろうが……真弓は物語を積極的に探すつもりでいるので、当然ながら反論できる筋合いではない。

「ただ、勝手な行動はするなよ。危険に首を突っ込むのは、馬鹿のやることだ」

 君子危うきには近寄らず。そういうことらしかった。


 しかしこういう言葉もある──虎穴に入らずんば虎子を得ず。

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