焚書局 5


「じきに到着だ。全員クスリを打て」

 緊張した空気が車両じゅうに満ちるなか、一足先に平板化した上官が号令をかける。感情の薄まった声にはいまいち覇気がなく、命令されているという感じがしない。

 どこからどう見ても巨大なムカデにしか見えない多脚車両。街中では絶対に見かけないような奇形の貨物列車。その腹のなかに真弓たちはいる。確か、十年前に発掘された設計図から製造されたものだ。謎めいた技術を注ぎ込んでいる割に性能は高くない。造ってみたはいいものの何処も持て余し、様々な機関を転々とした後に焚書局へ引き渡されたのだという。

「今日は怖がらないんだね」

 真弓が耳元に囁くと、舵上の視線が一瞬、泳ぐ。まさか恥ずかしいのだろうか。そんなのは今更だろう。

平板化フラットすればすぐに感じなくなる。そんな感情ものに振り回されるのが馬鹿馬鹿しくなってな」

「ああ、それはそうかも」

 二人して含み笑い。無針注射器を腕に当て、名前も知らない薬剤を静脈に打ち込む。あとは気楽なものだ。腕がずっしりと重くなり、倦怠感がじわじわと全身に広がる。強烈な眩暈を感じたら、それが平板化の合図だ。

 痛くても、苦しくても、。どんな苦痛にも一切の感情が動かない。そんな状態に真弓はなる。

 そのとき、真弓は明らかに完璧だった。今ならなんだってできる、と思った。

「いけそうか?」

 聴こえる声が彼方のように遠い。言葉の細部を反芻できない。けれど、意味はわかったように感じた。

「いけるよ」

 理性が冴えているのか、冴えているように錯覚しているのか、真弓にはよくわからない。わからなくてもいいと思った。そういう薬を打ったからだ。

「バイタル安定。うん、舵上も平気そうだね」

 情報総合端末ターミナルの画面に数人分の脈拍・呼吸・血圧・体温がグリーンで表示され、正常範囲であることを知らせる。

「そりゃ、平板化フラットしてるからな。平気だよ」

 舵上と雑談に興じていると──平板化しているので、実のところあまり楽しくはない──いつものように慣性を感じたあと、徐々に減速して車両が停止する。

「全員降車。以後は各班に分かれて行動」

 やたらと重く頑丈な作りのハッチを開け、兵士たちがぞろぞろとまろび出る。正確には兵士ではないが、まあ似たようなものだ。この時代に、そのあたりの区別を必要としている人はいない。当人であっても。

 多脚車両の装甲は一部がコンテナになっている。そこを開くと、内側には武器弾薬と強化外骨格エグゾスケルトン、救急キットなど、多種多様な装備が満載されている。焚書官たちが思い思いの道具を手にしていく中、真弓も使い慣れたライフルを手に取る。

 あくまで護身用だが、廃墟となった都市には種々の獣が生息している。不測の自体に対処するためには、ある程度の殺傷能力を持つ武器を携帯していなければならない。

 情報総合端末が空中投映した地図を、装備を終えた各班のリーダーが指先でなぞる。すると地図上に線が浮き上がり、各々の進むルートを示した。

 今回の班分けでも舵上とは別行動で、真弓としては大いに不服だったが、異議を申し立ててどうにかなるというものでもない。幸い真弓は平板化しているので、退屈を苦痛に感じる心配はなかった。チームはいつも通り四人で、頭角を示し始めた瀬尾が五班のリーダーとして引き抜かれ、入れ替わりに一人が加わった。要はトレードされたかたちだ。あとは以前同様、梧桐とリーダーの箱崎のふたり。

 信用に足る仲間だ──真弓はこういうとき、少し申し訳ない気持ちになる。自分が彼らを信用しているように、きっと彼らも真弓を信頼しているだろう。その信頼の陰で、真弓は物語探しに精を出している。

 そもそも真弓は、自分の行動が正当なものなのか、よくわからない。少なくとも法的に問題があるのは確かだ。両親の死を引き寄せた物語に対して、自分がどんな感情を持っているのかさえ……真弓にはさっぱりわからなかった。

(ただ、気になるんだ)

 昔なら、物語のあった時代に生まれていたら違ったのかもしれないが、真弓には正常と異常の区別ができない。そんな概念が実在するのか、疑わしく思うほどだ。つまり真弓は、常識というものがわからない。それは両親を早くに亡くしたからかもしれなかったし、舵上に言わせれば、それは他人への興味が欠如しているに過ぎなかった。

 そんな調子だから、自分の感情が自然なものなのか、真弓には自信がない。もしかしたら、自覚症状がないだけで既に狂気に陥っているのではないか……そう思えることもある。

 前方を歩く箱崎や梧桐は、そんな風に思い悩んでいるそぶりを見せたことがない。真弓はそれが不思議だった。

「現着だ。各員、異常はないか」

 箱崎が右手を挙げて停止を命じたので、すっかり惚けていた真弓は梧桐の背中に顔面を叩きつけることになった。

「うわ、大丈夫ですか?」

「ああ、うん、大丈夫……ごめん、ぼんやりしてて」

「いいですけど、作業はちゃんとしてくださいね。危ないので」

 しっかりと釘を刺される。真弓としても、手を抜くつもりはなかった。それが物語であれば、回収した品を横領することはありうるが。

「じゃあ、作業を始めるぞ」と箱崎が言い、脊髄直結付属義肢アペンデージを展開する。梧桐の背中から顔を出すと、真弓はそびえ立つ建造物の大きさに圧倒された。朝陽が逆光になって、細部を陰に呑み込み、遠近感を失わせていた。この、増改築を繰り返し歪に繋がり合った巨大な箱の中で、かつては日夜研究が行われていたのだ。

「でかいですね。これ全部調べるんですか」

 梧桐も唖然として見上げている。当たり前だ。部屋を覗いて周るだけでも、いったい何日かかるのか見当もつかない。

「前回の探索チームが四階まで調査している。俺たちは四階から上を探すことになるな」

 そう聞くや否や、一、二、と指を差しながら、梧桐がフロアを数え始めた。二十を超えたあたりから、ほおがぴくぴくと引きつっている。

「平板化しているとはいえ、さすがにうんざりしますね、こりゃ」

 うんざりする自分を直接感じることはできないが、「普段ならこう感じる」を擬験エミュレートするのも平板化の作用だ。真弓の擬感情エミュフィールは確かに肩をがっくりと落としていた。

「そう言うな。これだけ大きな施設なら、成果は間違いなく上がるさ」

 箱崎に促され、一同はエントランスに踏み込んだ。

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