焚書局 3


「そりゃあ大事だな」

 ソファの舵上が顔を顰めて言う。

「かつて復興に沸く東京機能都市に現れた謎の物語。事の顛末はおろか、媒体や出所に関する情報さえない。やばいんじゃないか?」

「やばいって、何が?」

 ただの臆病風じゃないだろうな……先日の怯えようが思い出される。ベッドに寝転がったまま、舵上が買ってきたハンバーガー(ピクルス入り。おいしい)を齧りながら、一応訊いてみる。

「何ってお前、局内の記録も大半が封印されてるような事件だぞ。どう考えても変だ」

 なるほど、封印という観点はなかった。

「戦後すぐだから、記録を紛失しているって可能性は?」

「ありえん。八十二年なら、ユグドラシルはとっくに稼働してるはずだ。無くすわけがない」

 意外に博識だ。弛まぬ努力で細身の体を鍛え抜いたこの男は、学問でも真弓の上を行く。不真面目な真弓はただただ感嘆するばかりだ。まあだいたいそんなことを言うと、これは中学校で習うことだと苦々しげな顔をされてしまった。

 あの後、ユグドラシルにどう訊いても、簡潔な経過報告書以上のものは出てこなかった。もともとは付属していたはずの資料も。これでは手のつけようが無いので、帰ってきた舵上に話してみたのだ。もちろん動機など口にはしない。

「でもそんな話、聞いたことないけど」

「だから隠されてるんだろ。先輩方が何かやらかしたか、それとも事件について知ること自体が危険なのか」

 危険。それはたとえば。

「報告書が物語になってたとか?」

「かもな」

 ありうる話だ。物語は感染した者の手で複製される。それは元の物語と完全に同じであるとは限らない。そういう意味で最もタチが悪いのはテキストで、気付かないうちに感染した職員が報告書に物語を盛り込んだことで、部署が丸ごとひとつ浄化ファイアされた事件はよく知られている。それ以来、報告書はユグドラシルが検閲することになった。

「教科書に載ってたあれが実は二度目だったと」

「我らが焚書局は大層無能であらせられるからな。ユグドラシルが提案してくれなきゃ何もできやしない」

 舵上は社会の信奉者に見えるが、焚書局の人間を信奉しているわけではないようだ。正しい姿勢だと思う。

「ユグドラシルは確かに偉大だよ。彼……いや彼女かな、姿アバターは女の子だし。彼女は戦後いちばんの功労者じゃない。とびきり優秀な。何もかも任せたくなっても、それは仕方ないさ」

 実際のところ、同じ立場なら真弓だってそうする。彼女ユグドラシルは人間よりよっぽど優秀だ──むしろ比べるのがどうかしている。自分が何日もかけて出す案の完全な上位互換を、彼女ならば2分で提出するだろう。考えるのが馬鹿馬鹿しくなるのはよくわかる。

「それならユグドラシルに全権委譲すればいいんだ。無能な人間が間に噛んでるから、仕事もいちいち面倒になる」

 舵上は不機嫌そうに唸って、コーヒーで唇を湿した。

「昔は、コンピュータが発展したら、知的作業が人間の最後の砦になる、って言ってたらしいけど」

「全く真逆になったな。ま、人間にゃ知的作業は向かんだろ。なんといっても想像力がない」

「今の社会はどこもそうだよ。長い間人間の心を育んできた〈物語〉が絶滅一歩手前のいま、人類の想像力なんて風前の……いや、枯れる寸前だ」

 直せてないぞ、と舵上が笑う。この社会は物語を嫌うあまり、古事成語や諺といった、バックボーンとして物語性を持つ言葉を弾圧している。比喩表現は微妙なところだが、公の場で使うのはあまりよろしくない。

「壮大な話だな。世界は平和になったろ」

「人類の財産と引き換えにね。物語は人を狂わせるかもしれないけど、素面のままじゃ進めない道もあるだろう」

 空想の力なしに進むには、この世界は過酷すぎる。信仰が無ければ、未踏の地をひとり往くのは辛すぎる。きっと人類には、物語が必要だった。

「それで、今の世界はどこに向かっていると思うんだ」

 特に気分を害してはいないようだ。真弓はほっとして、けれどできるだけ神妙な顔で答える。

「袋小路に」

 舵上は少し考え込んでいたが、結局は首を振りながら、長い息を吐いて言う。

「もとは人類の宝だったとしても、猛毒が入れられた酒は飲めん」

 意外な答えだった。もっと頭の固い奴だと思っていた。考えを改める必要がある。

 ……さすがに、秘密を口にする気にはなれないけど。

「比喩なんか使って、上に聴かれたら怒られるんじゃない?」

 そう真弓が茶化すと、舵上は苦笑して言った。

「そこまで杓子定規じゃないよ、俺は」




美味うまかったか?」

「うん、おいしかった。ありがと」

 ごちそうさま、と揃って唱えるのはいつもながら妙な気分だ。真弓はいつも、むずがゆくて目を逸らす。ほっと息をついて正面に向き直ると、舵上は肘置きに頬杖をついて、訝しげな目で真弓を見ていた。

「しかし、なんだってそんなことを調べてたんだ? 俺たちの仕事じゃないだろ」

 細められた眼にどきりとする。そこまでストレートに訊かれてしまうと、どうにも答えようがない。物語を探していた、などとは。

「し、仕事じゃなくて。ほら、プライベート? だよ」

 そして墓穴を掘った。毎度のことだが、自分の失言には頭が痛くなる。嘘くらいまともに吐けというのだ。

「いや、まあ、なんでもないから。興味本位って感じでさ」

 追及される前に部屋を出る──頬にキスするのも忘れない。ハンバーガーのお礼だ。ほんとうに美味しかった。


 ばたん、とドアが閉まる音だけが部屋に残った。

「……興味、ね」

 すっかり有耶無耶にされた舵上はため息をついて、真弓が残していったコーヒーを啜った。

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