(2)

◎◎



 この屋敷――総部屋数65部屋とか言う訳の解らない広さのお屋敷だ――を、美鳥嬢は〝巣籠館すごもりかん〟と呼んでいた。

 本来はそう言う名前ではなかったらしいが、彼女が幽閉されるようになってからそう呼ばれるようになったらしい。

 パッと見、国会議事堂クラスの広大な面積の建造物ではあるのだが、此処に住んでいるのは現時点でわずかに五人だという。


 一人は、当然主たる紅奈岐美鳥。

 その執事である壮年の男性、鳥羽瀬とばせしゅう

 メイドの、三田みた恵理子えりこ

 庭師の楽田らくだ英輔えいすけ

 そして――超常犯罪者、形川リナ。


 この五人だ。

 美鳥嬢は、私が形川リナに会うことを、今日一日は禁止した。

 曰く、まだ客人だからと言う理由だった。警察の権限で押し通すことも出来たかもしれないが、そうしてそうするべきなのが正しいのことは解っていたが、美鳥嬢が仮にも紅奈岐ファウンデーションの人間であるというのが、ネックになってしまった。

 財政界に幅の利く、一時は首相の進退にまで関与していたと言われる一大財団だ。警察としても正面切って向うにはまわしたくないのが本音である。

 美鳥嬢は、絶対に件の女優を部屋から出さない事。

 明日になれば身柄を明け渡すこと。

 そして紅奈岐に属するすべてのものが形川リナに一切の協力をしないことを確約して見せた。

 上司とは、持参した衛星回線の送受信機で連絡を取り相談した。その結果、明日の夜明けを待つことになった。


 理由は、三つある。

 一つ目は先に述べたとおり紅奈岐財団を敵に回したくないから。

 二つ目はこの真子島から本土へ戻るための方法が紅奈岐財団の有する――つまり私の乗ってきたクルーザー以外に存在しない事。移動手段が酷く限定されており、そしてそれを美鳥嬢が絶対に提供しないと約束してくれたから。

 三つ目は、どうやら形川リナが、現在その超常犯罪を可能とする状況下に無いという事。これは既に警察の方でも把握済みだった。どうやら状況証拠から、彼女の犯罪はある特定の条件がそろわないと再現できないらしい。

 ……ああそうだ。

 理由は三つと言ったけれど例外的にもう一つ。

そして、現状それこそが最たるものだった。


「……すごい天気ですね」


 私は巣籠館であてがわれた自室の窓から外を眺め、鬱屈とした言葉を漏らした。

 そう、外はとんでもない天気だった。

 荒天と言えばいいのか、暴風が吹き荒れている。

 海は逆巻き、大空にはイカヅチが走り、正直どうしようもない天候になっていた。


「こうなってしまえば、如何に紅奈岐財団の所有する最新鋭クルーザーと言えども、出航することは適いません。港を出た瞬間に転覆してしまいます」


 そんなバリトンのボイスを背後から掛けられて、私は「ですよねー」と応じつつ振り返った。


 立っていたのは柔和な笑みをたたえた壮年の紳士だった。

 ロマンスグレーの髪に、漫画の様な見事なカイゼル髭。執事服を纏った彼は、この島唯一の執事、鳥羽瀬愁さんだった。


「この度はお嬢様の不躾なお願いを聞き届け、この島を来訪してくださり、恐悦至極でございます」


 彼はそう言って頭を下げてみせる。

 不躾なお願い、ねぇ。仮にも主に向かって随分な言い方をするものだと、私は苦笑するしかなかった。そして、それは自分の身にも跳ね返ってきた。超常犯罪者達が架空の存在の用に奇妙なら、今の私もきっと、ミステリー小説の無能な警察と同じぐらいダメダメに違いない。美鳥嬢のお願いを聞いてしまった時点で、それは確定的だった。

 だから、その事を包み隠さず彼に告げると「だからでございます」と鳥羽瀬さんは畏まってみせた。


「こんな無理難題を聞き届けて下さるような柔軟な刑事様は、日本をどれだけ探しましょうと貴女様しかおられないかと」

「……それ、褒めてます?」

「もちろんでございます」


 ロマンスグレーの頭が下がる。

 私は頬を掻いて見せる事しか出来なかった。

 暴風雨に窓ガラスがガタガタと鳴っている。

 こんな台風染みた天気になるとまでは思っていなかったなぁと私は漠然と思う。この仕事は荒れるだろうとか、嵐のように大変なことになるだろうとか、上司である御手洗みたらい部長が言っていたのは確かだけれど。


「天気予報って、こうでしたっけ」

「はい、今日このような天候になることは、大凡一週間は前から明らかでございました」


 ……つまり、やっぱり私は無能な刑事だったという事である。

 ――馬鹿だとしか言いようがない。

 何故なら。

 だってその女優は。

 あの事件の――


「それでは、御予定の通り、この館の使用人たちを紹介してもよろしいでしょうか。と言いまして、皆職務の途中で御座いますから、斑目様に御足労願うことになってしまうのですが」

「壬澄でいいですよ」


 斑目と言う姓は、正直嫌いだから。


「では壬澄様」

「ええ、案内してください。ついでに歩きながら、鳥羽瀬さんの役割なんかも教えてください」


 畏まりましたと頭を下げて(良く頭を下げる人だ。執事と言う仕事が堂に入っている)、鳥羽瀬さんは今日だけ限定で私の私室となった部屋の入り口を開け、横にどいて見せる。

 なるほど、執事ってこう言うものか。わるくない気分で、部屋から出ると、鳥羽瀬さんが扉を閉めて、私の前に出る。


「こちらへ」


 渋い声とともに、促され、私は彼の後に続く。

 はい、エスコートも完璧ですね。執事欲しいな、私も。

 そんなあったぼこしゅもないことを考えていると、鳥羽瀬さんは私の要望の通り自分の仕事について語ってくれた。

 彼の主な仕事は美鳥嬢の執務の補助だった。

 美鳥嬢は紅奈岐家から半ば断絶状態にあるが、だからと言ってその関係性がすべて絶たれている訳ではない。あくまで半ば。彼女が担い、彼女にしかできない案件も存在する。


「大きな声では言えませんが、例えば本日のような事がそれに当たります。紅奈岐家が必要とするとき、紅奈岐家がいつでも切り離すことができるお嬢様のもとへ何らかの問題がある要人を隔離――いえ、保護するという名目で御座います」


 紅奈岐ほど巨大なファウンデーションならば、それも必要な事なのだろうとは、私のような人間にも簡単に想像できた。私は警察組織の人間だが、むしろ、だからこそ権力や財力と言うものが如何に社会に対し影響力を持つか知っている。罪を犯せば人は罰せられるが、その罰の執行を引き延ばしたり逃れる方法も存在するという事だ。


「世の中世知辛いですね」

「美しいとは言えませんな」


 そう言った美しくない仕事の処理を、彼は担当していることになる。

 もちろんそれだけではなく、館の掃除だの備品のチェックだの一般的な執事の業務は何でもござれらしいが、それにしたってもっと有能なメイドがいるという事で、そのかた任せになっているらしい。


「それが彼女――三田恵理子で御座います」


 紹介された女性は、かぐわしい匂いと共に厨房らしき場所にいた。

 髪を左右に三つ編み、丸い眼鏡をかけてメイド服。表情は冷たいが真剣。三十代と思しき三田さんは、恭しくスカートを持ち上げると私に向かって挨拶をしてくれた。


「三田で御座います。食事、掃除、身の回りの御支度、何かありましたらご遠慮なくなんなんりとお申し付けください」

「それはどうも。ちなみに、夕食は何ですか?」

「メインは近海で取れました真鯛のポワレとなっております。失礼ですが、鶏卵にアレルギーなどはございますか?」


 そんなものは無い。

 というか、庶民の私が卵にアレルギーがあると辛すぎる。

 そう答えると、彼女は真剣な表情で頷き「では、ウフ・フリットも用意いたします」と言った。

 なんだ、ウフ・フリットって?

 卵料理なんだろうけど、私、日本語以外は英語とドイツ語ぐらいしか解らないぞ? そのどれも出もない言語の料理は、私にとって完全に未知だった。

 フリット?

 揚げ物?

 私の頭に浮かんだ?マークは、次の人物と会うまで、会っても消えちゃくれなかった。


「自分は、楽田英輔と言います!」


 それまでの二人とは打って変わって意気よく元気よく声を上げたのは、オーバーオール姿の短髪の青年だった。

 楽田英輔。

 確か庭師だったはずだ。


「そうっす。自分はお嬢様のもとで庭師をやらせていただいてるッす。ですが、庭園の世話だけでなく、裏の畑や家畜の世話もやっているっす!」

「畑? 家畜? そんなものまでこの島では育てているんですか?」


 彼はうっす!と答え胸を張った。

 それ以上、何も言ってくれなかった。

 困惑し隣を見遣ると、鳥羽瀬さんがコホンと咳払いし、説明を続けてくれた。


「真子島は遠洋に近い位置にあります。何らかの事情によって本土と連絡が取れなくなった場合を想定し、最低限の自給自足が出来るようになっております。勿論、あまりお嬢様に負担をかけます様な動植物は育てられませんので、家畜と言いましても十数羽の鶏ぐらいですが」


 いるのか、鶏。

 いや、鶏いたら朝とか騒がしいんじゃないのかな?

 美鳥嬢、案外苦労しているのだろうか?

 そんな私の心配などどこ吹く風、終始楽田さんは胸を張り、鳥羽瀬さんは青年の拙い説明を補足してくれていた。




 ……一応頼んでは見たものの、やはり形川リナには会うことが出来なかった。

 代わりの彼女が今いるという部屋を、少し距離を置いて見せてもらった。近づくことすら禁止という扱いだったからだ。

 見えたのは、扉。

 それは、錆の浮いた鉄の扉で、さしずめ〝独房〟のようだった。



◎◎



 夕食も滞りなく済んで(ウフ・フリットは揚げ卵だった)私は宛がわれた自室へと戻った。

 慌ただしい一日だったと思いかえすが、よく考えれば普段の職務と大差がなかった。私は、だいたいこう言う役回りだ。

 早朝、不可能犯罪者の所在が知れ、その一時間後には紅奈岐の関係者と会い、更にその一時間後には船上の人だった。

 昼過ぎにはこの島へと辿り着き、美鳥嬢と対談。

 天候が崩れ、夜へかけてこの館の住民たちと一通り対談。

 あの女優にはまだ会えていないが、それもあと数時間の辛抱だ。

 日を跨げば――0時を過ぎれば、私は彼女と顔を合わせることができる。あの事件、マーダ―サーカス事件の――私と同じ生き残りに会える。

 その思いを胸に、私はベッドに横になった。

 スーツのまま、少しだけ休むつもりだった。

 そのつもりだったのに――














――!!?」























 巣籠館に響き渡ったのは、品性などと言うものは欠片も存在しない恐怖の絶叫。

 悲鳴。

 劈くような悲鳴!

 いつの間にか眠っていた私は、発条仕掛けのようにベッドから跳ね起き、私室から飛び出した。

 走る。

 走る。

 毛足の長い絨毯を切り刻むように踏みつけ、意匠の凝らされて大層な階段を蹴破る勢いで駆け上がり――走る!

 呼気が荒いのは、寝起きだからでも全力疾走しているからでもなかった。

 それは嗅ぎつけたからだ。

 私が知るその臭い。


 ――どうしようもない、今の世界に満ちるその臭いを。


 辿り着いたのは、他の部屋よりもいっそう豪奢な扉の部屋。

 開け放たれた扉の前に腰を抜かしたように後ろ手をついて座り込んでいるのは、肩までの髪の、化粧の厚い女――その背格好には見覚えがあった。事件の調書で見ている。


「形川リナ!」


 恫喝するようにその名を呼ぶ。

 彼女は肩を跳ねあがらせ、びくついた様子でこちらを向いた。

 つくりものめいた色合いの黒い瞳が怯えを孕んで私を見た。

 彼女の手が上がり、震えながら室内を指差す。


「っ!」


 私は、飛びこむように室内へと踏み込んだ。


 


 ――気品に満ちた部屋を染め上げる、黒ずんだ赤の飛沫、模様、異様。

 

 ――流血の海。


 ――散乱するのは、あまりに鮮烈な茜色の髪の毛。


 ――そして。


 ――そして。




 百を超える――それは卵。

 無数の、異常な数の、狂気じみた、卵の群れ。

 鶏卵。

 足元で、その一つが割れている。

 中から零れ落ちているのは、ぐちゃぐちゃの、まるで血抜きをしなかった家畜の屍肉のような色合いの――

 這い上がる怖気を御しながら、震える手で私は卵を一つ拾い、割る。


「――――」


 手の中に落ちてきた〝それ〟と――


「――嗚呼」


 赤みのかかった瞳孔。

 その眼球に、私は確かな見覚えがあった。

















 ――紅奈岐美鳥と思われる/判別しようのない無数の肉片が、その卵の中すべてに詰まっているのだと、私は直感した。



◎◎



 これが、のちに世界の暗部でハンプティ・ダンプティ事件と呼ばれる惨劇の、その始まりだった。

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