第十五章 治子暗躍

 悪友の横山照光に引っ張られるままに校舎の裏の教職員専用駐車場に向かった風間勇太は、数学教師の坂出充とクラス担任で英語教師の新堂みずほが並んで歩いているのを見て仰天していた。

「信じられねえ……。純情可憐なみずほちゃんが、あんなキモい坂出と嬉しそうに歩いてるなんて……」

 奇麗な女性は全員大好きな横山は目に涙を浮かべて悔しがっている。勇太は横山ほど女子に節操がないつもりはないが、担任のみずほがよりによって女子達の嫌いな教師第一位と噂されている坂出と歩いているのにはショックを受けていた。

(みずほ先生、どうしちゃったんだ?)

 疑問がどんどん湧いて来るが、解決する見込みはない。


(私、一体どうしちゃったの?)

 同じ疑問をみずほ自身も抱いていた。彼女は応接室を出て職員室に戻るまでは自分の意志で行動した自覚があるのだが、後から職員室に入って来た坂出を見た途端、別の意志が自分に宿ったとしか思えない行動をとり始めたのに気づいた。今まで一度も話しかけた事がない坂出に自分から声をかけたのだ。

(何がどうなっているの? 私、おかしくなったの?)

 泣きたい衝動に駆られるみずほだが、顔は笑顔だ。別の自分が嬉しそうに坂出に話しているとしか思えない。

「ずっと前から坂出先生とお話したいと思っていたんです」

 どういう仕組みで自分が動かされているのか、みずほは考えた。少し以前のみずほなら見当もつかなかっただろうが、彼女は道明寺かすみから、

「この学校には異能者がいる」

と聞かされていたので、何となくではあるが、想像ができる。

(道明寺さんが言っていた変な力を持った人達の仕業?)

 変な力を持った人達。みずほは真っ先に平松教頭を疑った。

(あのエロ教頭がそうなんだわ)

 推測が確信に変わる。平松に以前から嫌悪感を抱いていたみずほなので、根拠も何もなくても、平松が能力者で決まりだった。

(これから私、どうなるの?)

 坂出という人間を全く知らないみずほは恐怖に身を震わせたかったが、操られた身体は喜びで満ち溢れていた。


(あの方も意地が悪いわね)

 坂出とみずほが車に乗り込むのを二階の廊下の窓から見ていた手塚治子はフッと笑った。

(面白そうだから、坂出先生の始末はもう少し先に延ばしましょうか)

 彼女は身を翻し、廊下を歩く。

(それよりも、あの保健の中里、目障りだわ)

 治子は、保健の先生である中里満智子が取り巻きの一人である片橋留美子との関わりを見抜いたのに警戒心を強めている。

(いくら探ってもあの中里デカブツからは力は感じない。留美子が私に蹴飛ばされた事を話すはずもない。何故あの女は私に辿り着いたの?)

 治子の顔が険しくなった。

(私と留美子の関係をどこまで知っているのかにもよるけど、あの女、確か道明寺かすみとも接触している……。慎重に動かないと、私の力に気づかれる)

 治子は「あの方」から目立つ行動は控えるように言われている。そうでなければ、中里はすぐにでも殺されていたはずだ。

(それなら、別の手段であいつを追い詰める)

 彼女は歩みを速めた。


「ちょっといいか、片橋?」 

 その中里は片橋留美子を玄関で呼び止めていた。

「な、何ですか?」

 欠けた歯を隠すため、マスクをかけている留美子は中里の目に怯えていた。

(この先生、何かを知っている……。治子様に近づいたみたいだし、どういうつもりなの?)

 留美子にとって、中里の存在も恐ろしいが、それ以上に治子の「お仕置き」の方が怖いのだ。

「傷の具合はどうだ? 紹介した歯科医に必ず行くんだぞ」

 中里は微笑んで尋ねる。留美子はその笑みにまた恐怖を感じてしまう。

「はい。ありがとうございます」

 留美子はお辞儀をして逃げるように玄関を出て行った。

「あの怯えよう、妙だな」

 中里は留美子の態度を不審に思っていた。


(未だに信じられない)

 坂出はハンドルを操作しながら、隣で微笑んでいるみずほを視界の端で捉えながら思った。

(ボスの力に改めて驚かされる。新堂先生がまるでずっと前から俺の事を好きだったかのようにしてしまっている)

 そして同時に彼はボスに戦慄していた。

(つまりはいつでも俺を始末できる力をお持ちだという事だ)

 坂出の額を汗が幾筋も伝わる。

「暑いのですか、坂出先生?」

 みずほが彼の顔を覗き込むようにして来る。

「え、いや、そんな事はないです」

 坂出は顔を引きつらせて応じた。

(嬉しいよりつらい方が先立つ……)

 憧れの人を助手席に乗せている。その事実に坂出は押し潰されそうになっていた。


「何の用よ、あんた達?」

 かすみと一緒に下校しているクラスの女子の一団に大通りから一区画入った路地で追いついた勇太と横山は、ずいと前に進み出た五十嵐美由子に睨まれた。クラス委員の桜小路あやねも勇太が一緒なのでムッとした表情だ。他の女子達には何故美由子とあやねがそこまで勇太達を敵意剥き出しで見ているのかわからない。

(様子が変だ)

 かすみは勇太と横山の心拍数と呼吸数を感じ取り、いつもと違うと判断した。

(走って来たからじゃない。何かあったのね、学園で?)

 かすみは勇太と横山を見た。横山はかすみに見られているのに気づき、

「かっすみちゃあん、ごめんよ、浮気しようとして。みずほちゃんは坂出とデートみたいだから、諦めたんだ。やっぱりかっすみちゃんが一番だよ」

 テヘッとおどけて笑ってみせる横山を美由子がポカリと叩き、

「嘘吐くな、エロ山! 新堂先生がキモいでとデートする訳ないでしょ!」

「いってえな、ブ、っと、暴力女! 嘘なんかじゃねえよ。なァ、勇太?」

 横山は涙目で勇太に同意を求めた。勇太は頷き、

「本当だよ。俺達だって自分の目を疑ったほどだけど、他にも何人も目撃者がいるんだ」

 美由子はあやねと顔を見合わせた。かすみはみずほの名前が出た瞬間、彼女が坂出の車で移動中なのを感知した。そして、坂出が発火能力パイロキネシスの使い手だと確信した。

(新堂先生が危ない)

 かすみは坂出を追いかけようと思い、

「ごめん、用事思い出した! また明日ね!」

と言うや否や、まさに風を巻いてその場から駆け去った。

「うおう、かっすみちゃん、速い!」

 横山が身体を傾けたのは、かすみのパンチラを拝もうという下品な考えからであるが、以前と同じく、かすみのスカートはヒラヒラはするが、決して捲れ上がったりはしなかった。

「何してるんだ、変態!」

 美由子が鞄で横山の頭を殴ったので、

「ぐへ!」

 横山は地面に顔から倒れてしまった。

「かすみちゃん!」

 勇太は横山を見限り、かすみを追いかけた。

「勇太!」

 あやねが追いかけようとしたが、すでに二人の姿は路地から消えていた。


「あれ?」

 そして勇太も角を曲がったところでかすみを見失っていた。彼女は瞬間移動したのだ。

(かすみちゃん、力を使ったのか……)

 勇太は危険な状況なのだと悟った。だから力を使って自分が追いかけて来られないようにしたのだと。

(みずほちゃんがやばいのかな?)

 勇太はみずほが坂出にあんな事やそんな事をされるのを想像し、赤面してしまった。

「何一人で顔赤くしてるのよ、変態!」

 追いついて来たあやねが怒鳴った。勇太はハッとしてあやねを見た。

「う、うるせえな、そんな事ねえよ」

 いつもならあやねがもっと食ってかかって来るところだが、

「新堂先生に何かあったの?」

 後ろからゾロゾロ現れた女子達に聞こえないように小声で尋ねて来た。

「かすみちゃん、瞬間移動したみたいなんだ。何かあったのかも知れない」

 勇太も声を落とし、あやねに顔を近づけて応じた。

「そ、そう」

 あやねは勇太の顔が急接近したのでドキッとしてしまい、慌てて離れた。


安倍あべ君」

 治子は三年生用の玄関から出て行こうとしている長身の男子を呼び止めた。

「何、会長?」

 その男子はまるでターンを決めたフィギュアスケートの選手のように振り返り、長い前髪を掻き揚げて治子を見た。切れ長の目に高い鼻、男にしては潤いのある唇。高等部の女子達の多くの憧れの対象である安倍あべ秀歩しゅうほである。彼も生徒会役員で、副会長を務めている。

「会長はやめてよ。今は生徒会の役員会議ではないのよ」

 治子は微笑んで応じる。安倍は肩を竦めて、

「すまない。では治子さん、何のご用ですか?」

 気取って言った。治子は安倍を作り笑いで見上げ、

「お願いがあるのだけど」

と小首を傾げた。安倍の心拍数が跳ね上がるのを感じ、

(好き者め)

 治子は心の中で唾棄した。

「貴方の願いであれば、大抵の事は叶えますよ」

 安倍は治子との身長差を埋めるべく、身を屈めて彼女に顔を近づけた。


(道明寺かすみが気づいたようだな)

 応接室で寛いでいたボスはかすみが動いたのを感知していた。

(まあ、いい。できればもう一匹、大きな魚が釣れればいいがな)

 ボスは正体不明の能力者であるロイドが現れるのを待っているのだ。

(罠と気づいても、道明寺が動いた以上、奴は必ず姿を見せる。その時が坂出の使いどころだ)

 ボスはニヤリとし、応接室を出て行った。

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