第十四章 操り人形 新堂みずほ

 新堂みずほはいきどおっていた。彼女は教頭の平松誠に呼び出されて応接室に行き、理事長の天馬翔子立ち会いの下、同僚の坂出充との交際を前提にした食事を告げられた。教頭と理事長の頼みを断われるほどみずほは破天荒ではないし、子供でもない。

(どうして私なのよ……)

 みずほは混乱していた。坂出とは挨拶をする程度で、言葉をかわした記憶がない。それくらい彼女にとって印象がない男と食事をするように言われた。仕事は関係ないと言われたが、理事長と教頭に言われるのは業務命令と同じだ。みずほは決して気性の激しい性格ではないが、腹が立ってしまい、冷静ではいられないほどだった。

(教頭の奴、自分だけだと私が断わると思って、理事長を巻き込んだんだわ)

 みずほは生徒達が奇異な目で見ているのに気づく事なく、ムッとした表情のまま、職員室に戻った。


 一方の当事者である坂出は授業を終え、廊下を歩いていた。

(道明寺かすみに気づかれたと思ったが、何も仕掛けて来なかったな)

 坂出はかすみに自分の力を気取られたと感じていたので、授業が終わると逃げるように教室を飛び出したのだ。彼はかすみの態度をいぶかしんでいた。

(何を企んでやがるんだ、道明寺め……)

 その時、ジャージのポケットの携帯電話が振動した。彼は慌てて周囲を探ってから携帯を取り出し、誰もいない美術室に入った。

「はい」

 相手はボスだ。坂出は緊張しながらボスの言葉を待った。

(いよいよ手塚と戦えという指示か?)

 彼の額が汗でジットリと湿って来る。ところがボスの話は意外なものだった。

「お前への褒美の手筈てはずを整えた」

「は?」

 坂出には一瞬何の事かわからなかった。

「新堂みずほだ」

 ボスが念を押した。坂出は目を見開いた。

(本当に新堂先生を?)

 ボスの力を疑うつもりはないが、そこまでしてくれるとは思っていなかったのだ。

「どうした、嬉しくないのか?」

 ボスが意地悪な質問をする。坂出は顔を引きつらせて、

「いえ、そのような事はありません。光栄です、ボス」

「そうか。それなら良かった。健闘を祈るぞ」

 ボスは声を低くして言い添えた。

「はい」

 坂出は携帯を持つ手に力を入れて応じた。通話はそこで終了し、坂出は美術室を出た。

(新堂先生……)

 顔もまともに見られないほど好きな相手が自分の恋人になる。例えボスの力で操られていようとも、坂出には気にならなかった。彼は妄想を膨らませ、顔を紅潮させた。

(あの形のいい唇が俺のものになるのか……)

 彼はみずほの顔を想像し、悦に入った。


 道明寺かすみは、教室の中で坂出が微かに発した発火能力パイロキネシスを感知したが、本人を問い質すのを躊躇してしまった。

(もし、坂出先生があの能力者だとしたら、不用意に問い詰めるのは危険だ)

 眉をひそめて考え込むかすみの目の前に横山照光が顔を出した。

「かっすみちゃーん、お顔が怖いよお。笑顔、笑顔」

 横山はニヤニヤしてかすみに顔を近づけたが、

「こら、この動くセクハラめ!」

 五十嵐美由子にポカンと頭を殴られた。

「いてえな、ブ、っと、何するんだよ!?」

 横山は危うく「ブス」と言いかけ、先日かすみにそれをたしなめられたのを思い出し、言い直した。美由子はムッとした顔で横山を見上げ、

「学習能力がないあんたには、身体に覚えさせるのが一番なのよ!」

「うるせえ!」

 二人は醜い罵り合いを始めた。しかし、それどころではないかすみは気に留める事なく、再び考え込んだ。

(ロイドの事で頭がいっぱいなのに、坂出先生が発火能力者だなんて……)

 眩暈めまいがしそうなかすみである。

「道明寺さん、具合でも悪いの?」

 隣の席の桜小路あやねが尋ねた。彼女は幼馴染みの風間勇太を威嚇しながら、かすみに近づいた。かすみは心配そうな顔のあやねを見上げて、

「ううん、大丈夫。心配してくれてありがとう、桜小路さん」

と言ってから、

「えっとさ」

 あやねの方に向き直った。あやねはかすみのプリンのように揺れる豊満な胸と弾けそうなムチムチした太腿にギクッとした。

(か、勝てない……)

 ついそう思ってしまった。

「な、何?」

 あやねは自分の顔が引きつっているのがわかる。かすみはニコッとして、

「私達、友達だよね?」

「あ、うん」

 唐突にそんな事を訊かれたので、あやねは口をうまく動かせなかった。それを聞きつけた横山と勇太がかすみとあやねを見比べる。

(何が始まるんだ?)

 美由子はあやねがかすみを敵視しているのを知っているので、

(あやね、ここは大人の対応をしようよ)

 妙な心配をしてしまう。ところが、

「お互いに下の名前で呼び合うの、抵抗ある?」

 かすみの思ってもみない提案にあやねはポカンとしてしまった。

「どうかな?」

 あやねが無反応なので、かすみは念を押すように言った。すると、

「うん、いいよ。私もそうしたかったの」

 あやねは微笑み返して告げた。横山は何か起こるのではと期待していたので、肩透かしを食らった感じだ。勇太もそこまで想像していなかったが、あやねがかすみにいい感情を抱いていないのはわかっていたので、ホッとしていた。

(あいつ、胸の大きい子には敵意剥き出しになるからなあ。何もなくて良かった)

 勇太はあやねがかすみを敵視する原因が自分だという事を知らない。

「私もその仲間に入れて」

 美由子が口を挟んだ。すると雪崩を打ったようにその近くにいた女子達が合流した。

「うん、いいよ」

 かすみは少し涙ぐみながら応じた。嬉しかったのである。

(あやねさんと美由子さんには私の力の事を話しているから不安だったけど、良かった……)

 目を潤ませるかすみを見て、横山と勇太はキュンとしていた。

(かすみちゃん、可愛い……)

 そんな二人をあやねと美由子が睨んでいた。

(鈍感過ぎるぞ、横山君と勇太君は)

 かすみは呆れ顔になった。


 三年生で生徒会長の手塚治子は廊下をクラスメートと一緒に歩いていた。すると反対側から保健の先生である中里満智子が歩いて来た。治子達はすれ違いざまに会釈して通り過ぎようとした。すると中里が不意に立ち止まり、

「手塚治子、ちょっといいか?」

 治子は表情を変えずに微笑んだままで中里を見た。彼女はクラスメートの女子達に目配せして先に行かせた。そしてもう一度中里を見た。

「何でしょうか、中里先生?」

 中里はそれには応えずに治子に近づくと、クンクンと鼻を鳴らせて彼女の身体を上から下まで嗅いだ。

「どうしたんですか、中里先生? 私、臭いますか?」

 治子は表面上は微笑んだままだが、

(このババア、何のつもりだ?)

 心の中で中里の行為を疎ましく思っていた。

「同じ臭いだな、間違いない」

 中里は不思議な言葉を吐いた。

「え? どういう事でしょうか?」

 治子は作り笑顔のままで尋ねた。すると中里はクルリときびすを返し、

「二年一組の片橋留美子が階段から落ちて歯を折る怪我をしたと言っていた。片橋は結構な量の血を流したんだ。それと同じ臭いが、お前からするんだよ、手塚」

とだけ言うと、手を振りながら去ってしまった。治子は鼓動が速くなるのを感じていた。

(何なのよ、あのババアは!?)

 彼女は中里の事を能力者ではないかと疑った。


 かすみは名前で呼び合おうと言った一言でクラスの女子達との距離を詰められた事が嬉しくて、皆で一緒に帰る事にした。横山と勇太がそれに加わろうとしたが、

「男子禁制!」

 美由子とあやねが猛反対して却下されてしまった。

「かっすみちゃーん」

 嘘泣きまでしながら、横山はかすみ達を見送った。

「よおし、こうなったら、みずほちゃんと一緒に帰ろうか、勇太」

 横山はみずほを探しに行こうとした。

「バカだな、お前って……」

 勇太は呆れながら靴に履き替え、玄関を出る。すると先に出て行った横山が血相を変えて戻って来た。

「どうしたんだ、横山?」

 勇太が尋ねると、横山は無言のまま彼の腕を掴み、引っ張って行く。

「どこに行くんだよ、横山?」

 勇太は呆れながらも横山について行った。

「勇太、見て、あれを見て!」

 横山は校舎の裏にある教職員の専用駐車場を指差した。

「何?」

 面倒臭そうにそちらを見た勇太は驚きのあまり目を見開いてしまった。

「ええ!?」

 そこには、みずほと並んで歩く坂出の姿があったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る