第十三章 揺れる天翔学園高等部
瞬間移動能力と予知能力を併せ持つ能力者、道明寺かすみ。彼女は通学する天翔学園高等部内に潜む幾人かのサイキックの気配を感じ、その上、彼女を執拗につけ回している謎の能力者のロイドの気配も感じていた。
(ロイド、ここへ乗り込んで来るつもり?)
かすみは校門の近くでこちらの様子を伺っているロイドに意識を集中させたが、まるで城壁並みのロイドのガードのせいで彼の思考は読めなかった。
(まだ勝てない?)
彼との能力差を思い知り、歯軋りしそうになったかすみだが、教室内であるので、思い止まった。
(横山君がずっと私を見ているからなあ)
苦笑いしてその横山照光を見ると、投げキスをして来る。かすみは顔を引きつらせ、俯いた。
(何だろう、彼? ロイドとは別の意味で思考が読めない……)
かすみの隣の席の桜小路あやねは、気が気ではない。
(勇太の奴、また懲りもせず道明寺さんを見てる!)
クラス委員という立場も忘れ、嫉妬剥き出しで幼馴染の風間勇太を睨んでいる。かすみはあやねが誤解をしているのを感じていたが、話したところで何とかなる様子がないのがわかるので、何も言わない。
「このバカ、セクハラだって言ってるでしょ!」
横山がかすみに投げキスをしたのを見逃さない五十嵐美由子が彼の頭を拳骨で殴った。
「いてえな、何するんだよ!?」
横山は涙目で美由子を睨んだ。しかし美由子は勝ち誇ったような顔で、
「セクハラするからよ。天誅よ」
「テンチュウ?」
横山にはその言葉の意味がわからない。実は言った美由子もよくわかってはいない。
「ほら、席に着け」
そこに姿を見せたのは、かすみの護衛を「ボス」に命じられたサイキック教師の坂出充だった。彼は二年生の数学の担当である。あやねの号令で起立し、型通りの挨拶はしたが、横山始め、多くの男子達は私語をやめない。生徒達が騒ぐのをあまり気にしない坂出は教壇に立つと教科書を開いた。
「今日は前回のおさらいから始めるぞ」
坂出はお喋りしている生徒達の存在を無視するかのように黒板に数式を書いた。
(坂出先生、気が弱いのかしら? 注意すればいいのに……)
かすみは坂出の正体を知らない。だから彼に同情していた。
「桜小路さん、男子を注意した方がいいと思うんだけど?」
かすみはあやねに小声で話しかけた。するとあやねはかすみを見て、
「何度も注意したけど、先生があれでしょ? 男子達、坂出先生を舐め切ってるのよ。無駄ね」
あやねは打つ手なし、という顔で肩を竦めた。
「そうなんだ」
かすみは改めて坂出を見た。
(この先生、生徒が騒いでいても関係ないのか。可哀想だと思ったけど、酷い先生なんだな)
それでも、授業態度があまりにも悪い横山達をこのまま放置する事はできない。かすみは意を決して、
「うぎゃ!」
思ってもいないものが頭の上から落ちて来たので、騒いでいた五人の男子達は呆然としてしまった。その中の一人である横山はかすみが能力者である事を知っている。彼はすぐにかすみの仕業だと気づいたのか、彼女を見た。
(かすみちゃんがやったの?)
横山は声を発さずに口だけ動かしてかすみに尋ねた。かすみはニコッとして応じた。横山は餌を欲しがる鯉のように口をパクパクさせながら、鞄を机のフックに引っかけた。他の男子達は何が起こったのかわからなかったが、怖くなったのか、私語をやめ、鞄をフックに引っかけると教科書を開いた。
「道明寺さん、今のまさか……」
隣のあやねが小声で言った。かすみはあやねを見て微笑んでみせた。あやねは息を呑み、教科書に目を落とした。美由子も、横山達に降りかかった災難を見て、かすみの事に思い当たり、横山やあやねにかすみが微笑んで応じているのを見て、事態を把握した。
(かすみちゃん、凄い……。やっぱり、あの妙な外国人と戦ったのって、夢でも幻でもなかったんだ……)
かすみとロイドの戦いを直接目撃している勇太でさえ、彼女の力が本物なのを再認識させられた。
(何だ、今のは……?)
板書中だったので、直接見てはいなかったのだが、坂出はかすみが瞬間物体移動能力を使ったのを知り、驚愕していた。恐らく教室の中で彼が一番驚いていたろう。
(道明寺かすみ……。手塚治子が狙う理由はこの
坂出の手に力が入り、チョークが砕けてしまった。しかも、砕けたチョークはほんの少し焦げていた。
「わ!」
一番前の席の男子と女子がそれに驚いて声をあげた。
(え?)
かすみは微かだが、坂出が思わず発してしまった能力を感じた。そして、板書をする坂出の背中を凝視する。
(道明寺に気取られたか?)
一瞬手が止まった坂出だったが、再び板書を開始した。
(坂出先生、まさか……)
かすみは坂出が
(何をビビッているのよ、坂出先生)
高等部の生徒会長であり、学年トップの成績の持ち主でもある手塚治子は、英語の授業を受けながら、かすみの発した瞬間物体移動能力も、坂出が図らずも発してしまった発火能力も感知していた。
(そろそろ消えてもらうわね、坂出先生。あの方は急がなくてもいいとおっしゃったけど、私にはもう貴方は目障りでしかないから)
治子は楕円形の黒縁眼鏡の奥の目をギラッと光らせた。
治子の「あの方」であり、坂出のボスでもある人物は、ある部屋の窓から校門のそばに立つロイドを見ていた。しかし、ロイドにはその人物の視線は感知できない。彼は別の方を見ていた。だが、それが感知できない理由ではない。ボスの能力はロイドを遥かに凌駕しているのだ。だからボスは、まだ高みの見物をしようと考えていた。
(治子、焦る必要はないのだ。坂出はロイドへの咬ませ犬でもある。奴にはもう一働きしてもらうつもりなのだからな)
ボスは窓から離れ、椅子に身を沈めた。
(道明寺かすみ……。ロイドはどういうつもりであの女に執着するのだ? 単に身体が目的とは思えんが)
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
ノックに応えると、
「失礼します」
ドアをそっと開いて中に入って来たのは、かすみ達のクラスの担任である新堂みずほだった。みずほは顔を強張らせて後ろ手にドアを閉じた。
「火急のご用と聞いて参りました」
みずほの目に警戒心が浮き出ている。
(何なのよ、この人? 用件は会った時に話すって……)
敵意を発しているつもりはなくても、その人物はみずほが自分に良くない感情を抱いているのを見抜いている。
「まあ、おかけなさい、新堂先生」
「はい」
みずほは部屋の奥の大きな背もたれ付きの椅子に理事長の天馬翔子が座っているのに気づいた。
「理事長先生、お疲れ様です」
みずほは自分が嫌な顔をしているのを翔子に見られたのではないかと思い、緊張した。彼女にとって、翔子はまさしく理想像なのだ。
「新堂先生、硬くならなくていいのよ。お仕事の話ではありませんから」
翔子は場の雰囲気を和ませようとしているのか、微笑んで言った。みずほは翔子の心遣いが嬉しくて、涙ぐみそうになった。
「ありがとうございます」
みずほは翔子に頭を下げ、ソファに近づいた。
「理事長のおっしゃる通りですよ、新堂先生。お呼びしたのは、貴女の今後の人生設計に関係する事なのです」
みずほには下卑た笑みにしか見えない顔で、教頭の平松誠は言い、みずほの向かいのソファに座った。その隣に椅子から移動して来た翔子が座る。心なしか、平松が嬉しそうなのがわかり、
(このエロ教頭、噂通り、理事長を狙っているのね?)
みずほは作り笑顔でソファに座った。
「時間が勿体ないので、単刀直入にお訊きしますが、新堂先生にはお付き合いしている方はいらっしゃいますか?」
平松はみずほを嘗め回すように視線を動かして尋ねて来た。みずほは吐き気がしそうになったが、
「いえ、お付き合いしている人は今はおりません」
翔子が同席していなければ、即座に席を立って退室していたはずだ。
(何なのよ、一体?)
みずほには訳がわからなくなりそうだ。すると平松はニヤリとして、
「それは好都合です。実はですね、貴女に思いを寄せている人がいるのですよ」
いつからこの学園は男女交際まで首を突っ込むようになったの? みずほは逃げ出したくなっていた。
「どなたでしょうか?」
時間を短縮しようと思い、みずほは尋ね返した。平松は翔子に目配せしてから、
「坂出充先生です」
平松は、みずほの反応を確かめたいのか、瞬きを惜しむように彼女を見つめている。みずほは意外な人物の名前を告げられ、目を見開いた。
(坂出先生が? だってあの人、いつも私と目を合わせてもくれないのに……)
それは坂出がみずほを好き過ぎて、顔を見られないからだとは思い至らない。
「突然のお話で驚いたでしょうが、どうでしょう、一度お見合いという程ではないのですが、こちらで席を設けます。お付き合いを念頭に入れての食事をしてはもらえませんか? もちろん、新堂先生のご了解が大前提ではありますが?」
銀縁眼鏡をクイッと上げながら、平松は断わるのは許さないという顔つきでみずほを見る。
(どうしよう?)
隣の翔子の顔をチラッと見ると、彼女もこの件に乗り気なのが見て取れ、みずほは困ってしまった。
校門の近くにいたロイドは、ボスの強力な波動を感じ、冷や汗を掻いていた。
(おかしい。奴はこれほどの存在なのか? 数ヶ月前、挨拶程度に仕掛けた時は、こんな凄まじい波動を持ち合わせてはいなかった……)
彼は踵を返すと、校門から離れた。
(まだ時期尚早だというのか……。忌ま忌ましいが仕方ない)
ロイドはチラッと高等部の校舎を見上げ、その場を去った。
(ロイドの気配が消えた?)
授業中ではあったが、かすみはロイドの放っていた圧迫感のようなものが薄らぎ、やがて全く感じられなくなったので、拍子抜けしていた。
(今日は仕掛けて来ると思っていたのに……)
かすみはひとまず安心し、授業に集中した。
しかし、彼女の知らないところで、別の陰謀が渦巻き始めようとしていた。
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