第十六章 両雄激突開始

 応接室を出たボスはその能力を遺憾なく発揮して、坂出充と新堂みずほの動き、その追跡を開始した道明寺かすみの様子、そして新たな陰謀を企てようとしている手塚治子の心の内を見透かしていた。

(これほどまでの私の能力を以てしても、ロイドの居所がわからない。奴はどこに潜んでいるのだ?)

 ボスは歯噛みして苛立ちをあらわにした。

(いずれにしても、道明寺かすみが動いた以上、奴は姿を見せるはず)

 ボスはニヤリとし、廊下を歩いた。


 手塚治子は同じ生徒会の役員で副会長の安倍秀歩を玄関で呼び止め、校舎の裏に誘った。治子に下心がある安倍は鼓動を高鳴らせて彼女に付き従っている。

(この耽美主義者ナルシシストめ、お前の下卑げびた考えはお見通しさ)

 治子は安倍に微笑んでみせながら、心の中で彼をさげすんでいた。

「こんな人気ひとけのないところに連れて来て、どういうおつもりです?」

 安倍は多くの女子を魅了している長い前髪を掻き上げる仕草を交えて、治子を見る。治子は全身総毛立ちそうなほど気持ちが悪かったが、何とか堪えて微笑みを絶やさず、

「実は安倍君にある女性を誘惑して欲しいの」

「は?」

 思ってもいない事を言われ、安倍は間抜けな顔をしてしまった。

「ええと、意味がよくわからないのですが?」

 安倍はポカンとしてしまった自分の顔を想像してすぐさま修正し、治子を見つめる。落とすつもりなのだが、治子は全く気に留めていない。

「中里先生を誘惑して欲しいの」

 逆に治子が潤んだ瞳で楕円形の眼鏡越しに上目遣いで見つめ返して来たので、安倍の方が落とされそうだ。しかも、治子は自身の能力である千里眼クレヤボヤンスを応用して安倍の心を揺さぶっているので、安倍はもはや落とされたも同然である。

「はい」

 安倍は治子のためなら何でもできる下僕になっていた。治子は安倍の支配が完了したのを知り、ニヤリとした。

(中里は少年趣味パイデラスティアだという噂がある。それを利用しない手はない)

 治子は中里を学園から追い出すつもりなのだ。

「貴方は世界中の誰よりも、中里満智子先生を愛しているの。その熱い思いを先生にぶつけなさい」

「はい、治子様」

 安倍の目は光を失い、操り人形と化していた。治子は満足そうに笑い、安倍を引き連れて校舎に戻って行った。


 みずほを乗せた坂出の車は町外れの一車線の道路を走っていた。対向車もほとんど来ない。

「もうすぐ到着よ、坂出先生。いえ、充さん」

 助手席のみずほはニッコリして坂出を見る。坂出はみずほに言われるままに運転しているので、自分達がどこに向かっているのかわからない。

(何をさせるつもりなんだ?)

 坂出にはみずほを操っているボスの考えが理解できなかった。

「ほら、見えて来たわ」

 みずほが前方を指差した。それに釣られて視線を向けると、そこにはあるホテルの看板が見えた。女性と付き合った事がない坂出でも、そこがどんなホテルなのかくらいは知っている。

(まさか……)

 坂出の心臓が途轍もない速さで動き出す。汗が噴き出し、顔からしたたり落ちる。

「私、初めてなんです。リードしてくださいね」

 みずほは恥ずかしそうに坂出を見る。

(私、何を言ってるの? 何をしようとしてるのよ!?)

 本当のみずほはパニックになっていた。全く想像すらしていない事が口から出るたびに、彼女は眩暈めまいがしそうだった。

(何を言わせているんです、ボス? 俺は新堂先生とそんな事をしたくはない……)

 坂出も焦っていた。彼はみずほと付き合いたいと思っていたが、そこまで求めていた訳ではなかった。彼は半ばみずほを神聖化しているので、彼女にキスできるだけで光栄だと思っているのだ。

「いや、ダメです、新堂先生。私達はそこまでの関係じゃない。ダメです」

 坂出は車を路肩に寄せて停止した。するとみずほは坂出の左腕を掴んで、

「充さん、私の事が好きじゃないの? 憧れているって言ってくれたのは、嘘なの?」

 彼女の口調は非難めいていた。目も怒気を帯びている。坂出はどう対処したらいいのかわからなくなっていた。

「いた!」

 坂出の車の数十メートル後方にかすみが瞬間移動で現れた。彼女は車に向かって走り出した。


 ボスはかすみが坂出に追いついたのを感知していた。

(何故そこで躊躇ためらう? 好きな女を抱けるのだぞ? 坂出め、つくづく使えない男だ)

 ボスは苛立ちを増し、廊下を足早に進んだ。


「む?」

 坂出は抗議しているみずほをなだすかそうと話していて、ルームミラーに写るかすみに気づいた。

(道明寺? 追いかけて来たのか?)

 ボスが操っているみずほも、ドアを開いて路肩に降り立ち、かすみを見た。

(道明寺さん、どうやって……)

 本当のみずほはそこまで考えて、かすみが能力者だという事を思い出した。

(助けに来てくれたの、道明寺さん?)

 みずほの目から涙が零れる。操られてはいるが、反射で起こる事まではボスにも支配できないのだ。

「新堂先生!」

 かすみは自分の声に予知能力を乗せて放ち、みずほにぶつけた。そうやって彼女を操っている力を打ち破ろうとしたのだ。しかし、かすみの力はボスが築いた強固な壁に阻まれ、砕かれてしまった。

(ダメなの?)

 かすみは舌打ちをしながらも進んだ。すると運転席から坂出が出て来るのが見えた。

(坂出先生……)

 かすみは坂出が発火能力パイロキネシスの使い手だと確信しているので、思わず立ち止まって身構えた。

「道明寺、新堂先生を連れて帰ってくれ。私はこれからやらなければならない事がある」

 坂出はかすみと戦うつもりはないとばかりにそう言った。彼はボスに付き従うのをやめる決意をしていた。

(新堂先生をここまでもてあそぶあの方にはもうついて行けない。例え殺される事になろうとも……)

 その時、坂出の心変わりを感知したのか、ボスがみずほを使って喋り出した。

「坂出、いい度胸だ。私に逆らうつもりか?」

 みずほの顔は彼女の顔ではなくなっていた。目が吊り上がり、髪が逆立っている。

「ボス、もう貴方には従えない。俺の大事な人をそこまで操って、何をしようというのですか?」

 坂出は震えながら反論した。かすみも坂出の様子の変化とみずほの表情の変化に気づき、また駆け出した。

「え?」

 駆けながら、彼女は視界の端に新たな登場人物を捕捉した。

「カスミ・ドウミョウジ、お前も俺をおびき出す餌なのか?」

 黒いフロックコートを身にまとったロイドだった。彼は改修工事をしている下水道を挟んだその向こうの路地に立っている。

「ロイド……」

 かすみの顔が引きつった。ボスが操るみずほがニヤリとしてロイドを見やった。

「来たか、化け物。待っていたぞ」

 坂出はロイドの出現に驚愕していた。

(まさか、俺はこいつを釣るための餌だったのか?)

 そして、戦闘態勢に入る。彼の身体が灼熱の炎に覆われていく。

(やっぱり、坂出先生が発火能力者だったのね)

 かすみは、炎の輪を身体の周囲に回してゆっくりとロイドに近づく坂出を見た。

「今日はお前とじゃれている暇はない。俺は高見の見物をしようとしているお前のボスに用があるのだ」

 ロイドは何も見ていないような目で道路の反対側にある民家の屋根を見上げた。

「え?」

 その途端、みずほが崩れ落ちるように路肩に倒れた。

「新堂先生!」

 かすみは慌ててみずほに駆け寄った。坂出もみずほを気遣うように見たが、ロイドの視線を追って民家の屋根を見た。そこにはボスがいた。

「ボス……」

 まさかここまでボスが出て来るとは思っていなかった坂出は自分の死を覚悟した。

「ボス?」

 かすみも以前感じた事がある力を放っている人物を見た。そして目を見開いた。

「教頭先生……」

 そこには全てのものを見下すような顔で平松誠が立っていた。

(教頭先生が組織のボス?)

 かすみは訝しそうな目で平松を見上げた。

「坂出、お前には失望したよ。もうお払い箱だ」

 平松はそう言ってからロイドを見た。

「さて、化け物、今日は逃がさないつもりで来た。覚悟はできているか?」

 平松はフワッと屋根から地面に降り立った。それを見てかすみは息を呑んだ。

(教頭先生、いえ、組織のボスは、重力を制御できるの?)

 かすみの額を幾筋もの汗が伝わる。彼女にとってそれは想像を絶する能力なのだ。

「お前こそ覚悟はいいのか、影武者?」

 ロイドが言った。

「影武者?」

 かすみと坂出は図らずも異口同音に呟いた。

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