第17話セバスチャン

【サイド・セバスチャン】

 裏切られた男っていう立ち位置も、案外、悪くはないものだ。

 ローラにしてやられたと思ったのも、つかの間。俺は一気に狭い世界から駆け上がった。

 あの日の夕方、ズタボロになった自尊心を引きずって現れたクラリス。その目に宿った熾(おき)火(び)のような光を俺は忘れない。

 この女なら、やる。

 こうと決めたら、人殺しでも、なんでも。

 そう、直感して接近したんだ。そして様子を眺めていた。

 いつしか、なぜかアップルパイを持ってきて、ローラには秘密だと言ってくるようになったじゃないか。いや、パイは好みじゃなかった。裏庭で何度、野良犬の匂いを嗅いだことか。

 しかし、秘密か……様子がおかしかったのは憶えてるが、あのけんつく親父が怒鳴りこんできたとき、馬車の中に見覚えのあるスカートが垣間見えたんだが……。それも秘密なんだろうか?

 まさか。

 あんな田吾作(かかし)みたいな、ドレスを着た女など、連れて歩く男の趣味がしれないと当時は思ったさ。気づかれてないと思い込んでいる、かわいくて、自分で気が付かない、かわいそうで馬鹿な女。

 大して気にしてなかったが、ローラが突如としていなくなり、その頃からクラリスが頻繁に店に出入りして、俺の仕事を知りたがった。今までの女で一番食いつきがよかった。

 ローラのことはお気の毒だわだの、私気づかなくてだの、おためごかしな、俺にとってはハテナハテナなごたくをならべたっけな。

 だが、下町で人ひとりがいなくなるなんてことは、今どき珍しくもなんともない。

 そしてあの女は野心家で……そこらの洗濯女とは違って、さまざまな知恵、情報。もとい、教養を身に着けていた。

 俺だって、いつかはと思っていた。あんな店は出てってやると。

 だが、それには資金がいる。

 あの女は、俺の欲しいものを次々と与えてくれた。

 そうやってみると、細っこい姿が輝いて見えるじゃないか!

 ふりかえってみれば、容色(ようしょく)の衰え始めたローラと違い、ピンクの肌をして、いつも微笑んでいる。

 放っておく手はない。

 そうだ、そうだよ……俺の求めていた女だ。

 クラリス。

 俺はそういう女を求めていたんだよ。

 頭がよくて、打算的で、割り切ってつきあえる……。

 貢いでくれ、尽くしてくれ、便宜(べんぎ)をはかってくれ……。

 あまり賢(かしこ)くなくていい。

 そんな聡(さと)くなくていい。

 そのうえ、便利で使い勝手がいいとくれば文句なしだ。

 いつまでもそうして、かわいらしくしてりゃいい。

 おまえのような、都合のいい女を待ってたぜ……!

 俺はもう、女にしっぽを振るような男じゃないんだ。かつてのしがない仕立て屋見習いなんかじゃないんだ。

 クラリスがいる限り!

 この世は俺の天下だぜ!


END

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アップルパイの罠 水木レナ @rena-rena

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