第1話/4(jack the ripper.)


/2 事中(1)




 遅くなってしまった。早く帰らないといけない。


 だいたい夕実ゆみのヤツがいけないのだ。彼氏と別れたからってヒトを酒盛りの相棒にするだなんて、なんというかやる事が王道すぎる。



 寒い冬の笹姫町ささひめちょうを、少しだけ火照ほてった体で歩いている。


 時刻は午前二時過ぎ。終電も止まってしまい、健康的なこの街はタクシーすら呼ぶのを躊躇ためらわれる。





 飲み会は主に酒と涙を等価交換で出し入れする夕実の相槌を打つくらいのことしかしていなかったので、こちらはそう酒を入れたわけではない。


 なのでこの歳になって千鳥足で帰ります、なんていう羽目の外した行動を取るわけでもなく、いたって正常な精神で帰路を急ぐ。



 取り留めのない事が浮かんでは消えていくのは、それでもやはり少しだけ酔っているからだろう。



 他人事だけど。夕実の彼氏はそう悪い人間じゃあなかった。

 バンドで言うならば音楽性の違いとかで別れました、とかそんな感じ。自分に至っては二十歳もとっくに過ぎちゃって少しは焦れ、みたいな事を言われたり自問しちゃったりしてるのだけれども、今は今でそれなりに満たされた人生だと思っているし、

 

 お腹を空かせているだろう腐れ縁さんが家で待ってたりするのだし。


 街灯を潜り抜ける。すっかり夜中はさびれてしまったけど、冬の夜は少し好きだ。街灯に虫がたかってないこととか良すぎる。虫が嫌いな理由なんてどうでもいい位に虫は嫌いだ。



 嫌いなもの。そういう負のイメージの連鎖だろうか。


 足を速める。どういった経緯があって、街がこんな風になってしまったのか。


……ああ、嫌だ。せめて雪でも降ってくれれば、少しはロマンチックな気持ちで帰り道を歩けたというのに。


 無人の街を歩いている。


【殺人鬼の特産地・K県笹姫町】


 いま、ちまたを騒がせている殺人鬼は、女の子を狙う、バラバラ殺人トンデモ野郎なのだそうだ。


「………。……ばか」


 嫌なイメージを首を振って掻き消す。


 そんなモノに怯えて暮らすなんてまっぴらだし。


 早く帰って餌をあげないと、また不機嫌になってしまう。



――それでも、人口が十万人を余裕で超えてるこの街で、独りになってしまっていると錯覚する。


 おかしな話だ。通り過ぎていく商店街の奥や、この先の住宅街の家々にだって、ちゃんと日常を送って寝たり夜更かししている人がちゃんといるというのに。



 息を吐く。白い布みたいに揺れて空に消えていく。



 どるるん。どるるるん。


「――――、っ」


 息が引きつった。


 ワリと馴染みの音だ。


 怖いのは最初だけだった。独りであるのが不安だったのだ。


 どるるん。どるるるる……どっどっどっどっど… …


 だから、次の瞬間にはバカみたいに安心して、ため息をついてしまった。


「こんな時間に工事かぁ……ガテン系は、怖くないのかなぁ」


 そう、これはエンジン音だ。


 どっどっどっどっどっど


 機械の鳴らす鉄とオイルの心音に、少しだけ勇気付けられて、足取りが軽くなった。



 信号が赤になって、横断歩道の前で止まる。



――よせば良いのに、それでも振り返ってしまった。でも、そう。


 後ろに何もいない、って安心したかったのだ。私は。



「…………」


 後になって(後っていつ)思う。




 どうせ、信号なんて律儀に待っていなくたって。


 車とか通らないだろう。私の馬鹿。



「…………」


 振り返った先には、何もいない。当たり前だ。靴音は自分の物しかなかったし。


 こういうのなんて言うんだっけ。えーっと、追跡妄想?


 誰かに追われているような、とか。



 そんな自分に呆れて、ため息をついた。


 どるるるるるるるる。


 ドリルか何かを一生懸命どこかで使っているガテン系お兄さんに笑われた気がした。



 後になって反省する。





 、私の馬鹿。






 えっと、信号が青になったから、渡らなきゃ。





 だから、お兄さん、どいてもらえませんか?



 どるるん。どっどっどっどっどっどっ



 ねぇ、ソレ。木、とか切るアレだよね。









 ぶうういいいいん。







(だから、後っていつ。)

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