第1話/5(Murderer-Killer.)



/2 事中(2)



 エンジンを切ると、そこで彼の意識は再生した。


 夜の笹姫町は静寂を取り戻した。それなのにこんなにもうるさいのは何故か……と、起きたばかりの自我が考えている。


 まるで野犬の群れに囲まれているような、生臭い吐息のリズム。



 はっはっはっははっはっはっはっははっはっはっはっは。



 それが自分が犬みたいにだらしなく舌を出しながら発しているモノだと、白く吐き出された息が視界に入ってやっと気付いた。




――目の前には女の死体がある。


 飛び散った肉片は、スーパーで売られている牛と豚の合挽き肉を連想させた。





――女の死体は凄惨な有様だ。


 着ていた厚手のコートごと、の字を描くように右の肩から始まって乳房の間を通り、右の腰の上で止まっている断裂。


 人間というのはどうしようもない理不尽に遭遇するとこんな顔をします、というのを自分自身で証明したような女の死体。



 右腕が重い。まだ、ソレを握っている。


 全長70cmあまりの木工用チェーンソウには、まだ血液やらなんやらがこびり付いていた。




 彼の頭を占めるのは、深い後悔の念だけだ。


 人間は簡単に死んでしまうことを知っている。


「……なのに」


 奥歯が噛み合わずにガチガチ鳴っている。


 寒さのせいだけではない。



 信号機の色が変わり、青になったのを確認してから横断歩道を渡る。


 雪が降り始めていた。刃がコンクリートと当たり、足音がからからと鳴っているよう。


「……はは。なんだ、馬鹿じゃないのか」


 からから。





 どうせ車の一台も見えないのに、律儀に信号を守る自分が滑稽こっけいすぎて笑える。


 つい今しがた、そんな事よりも重大な事をしでかしたというのに。


 心が重い。腹の中に鉛を入れられたみたいだ。


 ああ、でもこの女を、とても気は進まないが、――しないと。


 からからと横断歩道を渡って、一度振り返る。




 からん。



――――女の死体の傍に、誰かが立っていた。



 どうして?


 浮かんだ疑問が何に因るものかを確認せずに、彼は駆け出す。




 横断歩道の向こう側から見えた人影と視線が合った。


 走りながらチェーンソウのエンジンを入れる。


 早鳴りの駆動音が、そのまま自分の心臓の鼓動に変わっていく。




 ドッドッドッドッドッドッドドドドドドドドド。









――目の前には女の死体がある。


 飛び散った肉片は、スーパーで売られている牛と豚の合挽き肉を連想させた。





――女の死体は凄惨な有様だ。


 着ていた厚手のコートごと、の字を描くように右の肩から始まって乳房の間を通り、右の腰の上で止まっている断裂。


 人間というのはどうしようもない理不尽に遭遇するとこんな顔をします、というのを自分自身で証明したような女の死体。



 どうやら俺は別のくじを引いてしまったらしい。


 けたたましいエンジン音を引き連れて横断歩道を渡ってくる男に視線がいき――あぁ、そこは守るのな、と信号機の色を確認。



 で、ちょっと待て。持ってるのってチェーンソウか。今日って13日の金曜日だっけ。素顔丸出しのジェイソンとか太っ腹すぎる。



 ぶういいいいん。


 問答無用で振り上げられる回転ノコギリ。


 ソレはそんな風に使うモンじゃない。バックステップで回避。


 どうにも大振りなのは、重量があるから仕方がなかろう。……む。


「……どうして」


「は?」


 地面すれすれに刃を下げ、俺を睨んでくる今夜の殺人鬼さん(ほぼ断定)。


 いや、どうして避けたかっていうのを問われたら、ソレで切られたら死んじゃうからですよ。


「どうして……! 俺はこんな風にあっけなく殺したくはないのに……!」


 いやどう見てもその欲求に対する殺害手段ではオーバーキルですよオニーサン。チェーンソウが心臓に達して生きている奴を生憎と俺は知らない。


「なに、もっと、そのアレか? 味わって殺したいとかそういうありがちな理由?」


 言ってる間に振り上げられる一撃必殺回転ノコギリ。用途にはずっと共感できないだろうが、必殺の凶器という点では納得できる。だってアレ、少し古い話だけど神とかバラバラにできるもん。


「はっ……あっぶな……!」


 息を吐きながら後退――と見せかけて前進。驚いたように目を開く仮面なしむしゅうせいジェイソンさん。そりゃあそうだろう。今までは多分、逃げる相手しかぶった切ってこなかっただろうし。


 それに、はそんなアンバランスな重心じゃねえのですよ。




 空振りしてからの切り返し。70cmの刃が振り下ろされる前に、130cmの鉄の塊が胴を殴りつける。


「ばァっっ!」


「怖っ!」


くの字になる男。俺の顔面ワリとすれすれに落ちるチェーンソウ。


 、それとこれとは話が別である。安全が保証されてるジェットコースターだって怖いでしょ?


 がりがりとコンクリートを弾くチェーンソウ。


「あ、が、どうし、て……」


 またそれか。俺コイツと出くわしてから、どうしてしか聞いてねえのですが。


 隙だらけなので容赦なく脳天に得物……を叩きこんでから。


 秋山霧絵きりえは疑問の解決をしてあげることにしよう。



「アンタ殺人鬼なんだろう。ニュースで見る限りだけど、この女の人でか。こっちはまぁ多分、アンタが四人目。でも質の問題っつーのかなぁ」


 エンジンがセーフティで止まる。


「切り裂きジャックの模倣なら、ちゃんと医療知識つけて娼婦を狙うとか。あとこんな物騒なモン使わずに。ジェイソンやりたいならアイスホッケーの仮面つけるなり13日の金曜日限定とか色々あるだろう?」


 カレンダーを一年通して見ると、結構多いんだよな、13日の金曜日。


 男を止めるべく、こちらはバールを何度も振り下ろす。


「ち、ちが……」


まぁ、違うとは思ってるけどさ。


。随分と劣化コピーだけどな、あんた」



 かつてこの笹姫町で起こった、チェーンソウによるバラバラ連続殺人事件。こいつのと思われるその犯行は、また少し色が違ったものだ。


 発見されたのは右腕、左腕、右足、左足、胴、頭部。六分割された人体のパーツ。組み合わせたら人間一人分のプラモデルだが、参ったことに全て別人の部位であり――その全てに、生活反応が見られた。つまり。


 少なくとも、六人の被害者全てが、ことになる。


 だいいち、こいつはバラバラにしていない。殺人鬼の意義がヒトを殺して回るのならば、今回のように時点で目的は完遂されている。


「……あぁ。だから“どうして”だったのか」



 終わったので帰ろう。百合の奴が寝ている事を願いつつ、来た道を戻る。




 どうして、バラバラにしたいのに勝手に先に死んじゃうんだよ。こっちは殺人鬼だから、


 こんなところか。


 からからと歩きながらそんなことを考えている。


 あまりにも無為な思考だ。殺人鬼の殺害動機を、殺人鬼の気持ちになってトレースする行為に何の意味もない。気分が悪くなるだけだ。




――殺人鬼の特産地、K県笹姫町。


 警察と社会の目を欺きながら、日夜殺人を犯している秋山霧絵は、『釘抜き』と密かに呼ばれているらしい。


 その後発見された、チェーンソウを凶器にの女性を殺害男性――長野信一郎(21歳・大学生)が、その四人目の被害者である。


 釘抜きと呼ばれる理由は二つほど。


 ひとつは犯行がバール……大型の釘抜きのようなモノによる殴殺で行われていること。


 もうひとつは、三十万人もの人口を抱えたこの笹姫町で、わき目も振らずを標的にしていること。








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/事後。


 何事も無く、部屋の前にある階段まで付いた。


 そういえばこの階段、怪談がある。






 地下一階に続く十二段なのだが、ある日ある時ある瞬間、十三段になるという。その十三段目を踏んだものは、この世から消えてしまう――










 はや一ヶ月。


 時間的にはよろしいだろう。たまには段を数えてみるのも悪くない。


 一歩一歩数えながら、自分の犯行がバールのようなモノで行われている、という情報を思い出す。そもそも、バールそのものなのに、そのぼかし方はどうなのか、とか思っていたら百合リリの声がした気がした。


……起きてやがります。


 こっちはそれなりに疲れているというのに、ここからまたひと悶着の気配。


 玄関開けたら二分でドカン。とかマジやってられねえのです。









【第1話/釘抜きと切り裂きジャック・END】

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