第19話 小十郎の想い

 明けて天正九年は、一色家にとっても慌ただしい幕開けとなった。

 織田信長よりその武功を買われた義定は、二月に行われる京都馬揃うまぞろえに参加するため、一月の下旬には弓木城を出立することとなっている。


 留守居るすいを任された者とて安穏あんのんとしているわけにはいかなかった。

 義定が丹後へと戻る四月までには、細川藤孝の長女伊也姫いやひめとの婚儀の支度したくをすべて取り揃えておかなければならなかったからである。

 その姫との婚礼のは五月ということで話は進んでいる。


 大江越中守おおええっちゅうのかみは今日も場内を走り回っては、そこここの部署に指示を触れ回っている。

 その後ろを松田頼道よりみちが着いて周り、ひとつひとつを確認していくという構図である。 

 そんな中、日置へきの老人だけは意に関せずといった風な顔付きで、庭木の手入れなどをしている。


 桂は本丸曲輪くるわ裏手に新たに設けられる、義定と伊也姫の寝所しんじょ進捗しんちょく状況を確認する為、新吾と禅儒坊ぜんじゅぼうを伴って本丸曲輪へと上がってきた。

 狭い山頂の本丸脇に造られているだけあって、寝所はそれ程大きくはないものの、今の一色家の財力を注ぎ込んだそれは、他の建家たてやと比較しても一際輝いているように見える。


 桂はこの建家の縄張りから普請ふしん作事さくじまでの一切を任されている小西宗雄こにしそうゆうの姿を見つけると、足早に駆け寄り挨拶を交わした。

 「小西殿、たいそう立派なお屋敷となりまするな」

 「ほう、その方には鉄砲だけではなく、普請の善し悪しを見る眼も持ち合わしているようじゃのう」

 桂の言葉に、宗雄は世辞せじを言ってみせた。

 「それに引き替え、稲富いなどめ殿の小倅こせがれときたら。『そのような物を建てても、直ぐに焼き払われるかも知れませんぞ』と抜かしおった」


 気性の穏やかな宗雄にしては、珍しく語気を荒げた。

 桂はあえてそれ以上、そのことには触れずに、話題を置き換える。

 「ところで小西殿、大名家のご息女の輿入こしいれとなりますると、お付きの者はいったい何人ぐらいになるのでございましょうか?」

 宗雄は首をかしげると、両の手を開いて指を折り始める。しかししばらくすると、桂の方を見て恥ずかしそうに苦笑いをした。

 「はて、拙者せっしゃも初めてのこと故、いっこうに分からんな」

 その言葉に、二人はしばしほおを緩めた。


 そんなところに、鉄砲隊の小姓多々良小十郎たたらこじゅうろうが近付いて来るのが見える。

 何やら良からぬ相談であることは、その眉間みけんに寄せたしわからも直ぐに伺いしることが出来る。

 桂は小十郎を北の堀切ほりきりが見えるところまで導くと、その向こうに見える岩滝の山城を眺めながら口を開いた。


 「小十郎、祐直すけなお殿のことか?」

 小十郎は片膝を付くと、人目を忍ぶように小声で答える。

 「稲富いなどめ様は、細川様より参る姫君を、弓木へと到着される前に狙撃するつもりでございまする」

 「狙撃する。それは穏やかではないのう」

 桂の言葉には、すでに祐直が何処でそれを仕掛けるのかを考えている様子が伺える。

 「稲富様は、細川の姫君が一色家にとっては災いの元となるであろうと、申しておいででした」

 「だから始末しようと言うのか。何とも浅はかな・・・」


 恐らくは、祐直が狙撃を仕掛けるとしたら、宮津から弓木へと向かう海岸線を進むところ辺り、つまりは天橋立あまのはしだて付近ではないかと桂は推測した。何故なら、宮津より弓木へと入るには途中にある妙見山みょうけんざん迂回うかいしなければならないからである。

 妙見山には尾根筋おねすじの道があるものの、輿こしを担いでの移動となると、やはり海岸線の道を進まざるを得ないからだ。

 それに、海岸線沿いには防砂林用の雑木林が続いているため、大がかりな襲撃部隊となればいざ知らず、祐直ひとりが鉄砲を持って隠れるにはまさに打ってつけの場所でもあるのだ。

  

 桂は片膝をつき眼を伏せる小十郎に問い掛ける。

 「小十郎、何故その話をわしにしたのじゃ?・・・」

 小十郎は首をもたげると、その眼から一筋の涙を流した。みるみる彼の長い睫毛まつげが涙で濡れていく。

 「稲富様をお救いできるのは、結城様しかいらっしゃらないと思ったからでございまする」

 言うや、小十郎は桂の足下に両手を着いた。


 「祐直殿を救う?」

 おかしな事を言うものである。

 鉄砲で姫を狙撃しようとしているのは祐直の方で、本当に救わなくてはならぬのは、むしろ細川の姫君の方ではないか。しかし、桂はこの言葉の意味も、そして小十郎が流した涙からも、祐直と小十郎の関係が只ならぬものであることに気付いた。

 「小十郎、案ずるでない。必ずやわしが祐直殿をお助けいたそう」

 小十郎は、もう一度桂の足下にその額を擦り付けた。



 それから二月後、弓木の里にもいつもより少し遅い春の訪れと共に、京から義定一行が戻って来た。

 もちろんその到着の少し前には、与六ら荷駄隊にだたいも無事弓木城へと到着している。

 また、予定より遅れていた寝所の方も万端整い、まさに城は義定と伊也姫の婚礼を祝う雰囲気一色に染まっているかのようであった。

 そんな中、祐直だけはいつものように、眼を爛々と輝かせ、しきりに鉄砲の手入れを怠らない。

 かたわらではあの小十郎も油を染み込ませた布で、丹念たんねんに祐直の銃の手入れをしている。


 そんなところこへ、めずらしく矢野藤一郎とういちろうが尋ねて来た。

 「稲富殿、細川の姫御前ひめごぜが上がる日が分かり申したぞ」

 藤一郎の言葉に、祐直は引き金に駆けた指に力を込める。乾いた引き金の音が小さくカチリと鳴った。

 「到着は明後日じゃが、稲富殿の鉄砲隊も我が方からの護衛として、文殊もんじゅの先まで出向いて行ってはくれんか」


 文殊は天橋立よりも更に少し先にあたる。

 桂が予想した狙撃場所とは、まさに目と鼻の先でもあるのだ。しかし、そもそも織田と一色とが有するこの土地で、祐直以外のいったい誰が姫を襲おうというのか。

 祐直は火穴に残っているすす楊枝ようじで丁寧に取りながら、藤一郎に返答する。

 「護衛は結城の方が適任でありましょう」

 藤一郎はこの物言いに多少の不満を感じたが、同時に適任者という点では、確かに祐直よりも結城桂の方が合っているとも心の中で確信した。

 「左様か」

 藤一郎は一言吐くと、また来た道を足早に戻って行く。

 隣では小十郎が、一言一句いちごんいっく漏らさぬように側耳そばみみを立てている。


 祐直は藤一郎が立ち去るのを見届けるや、小十郎を傍らに呼び寄せ、その耳元でそっとささやいた。

 「明日の夜、城を出る。わしに万が一があった時は、お前は黙って城を抜けよ」

 祐直には冷淡な性格とは裏腹に、このような優しさも持ち合わせている。

 小十郎はそんな祐直の眼差しを複雑な想いで見つめていた。


 一方、京より帰還した与六は、具足ぐそくもとかずに、その足で桂の部屋へと向かった。

 「亀井様、また一段とお太りになったのではございませんか」

 今日は珍しく桂の部屋にいる里が、与六の姿を見るや真っ先に口にする。

 「お里さんにはかなわんな」

 与六は具足を外しながら照れくさそうに笑う。

 里の方は与六の具足を拾い上げると、その汚れを洗い流す為に外へと出て行った。


 何しろこの頃は荷駄隊といっても、簡単な具足だけは着け、その隊の頭ともなれば兜も被っているのである。

 与六のそれも黒塗りの鉢にびょうが打ってあった。眉庇まびさしはあるものの前立ては無く、替わりに熊の爪が二つくくり着けられている。

 桂は与六の様子から、京で仕入れた織田家の情報であることと察した。


 「与六、京ではこの度の婚儀について、何か申しておるか?」

 与六は黙って兜の忍緒しのびおを外したが、そのまま兜を取ること無く喋り始める。

 「桂よ、此度こたびの輿入れは織田方の策略やもしれん」

 「何故、そのように思うのじゃ?」

 桂は与六の答えを急かした。

 「上手く行き過ぎているとは思わんか。織田はすでに明智殿を要して、丹波より但馬へと侵攻しており、一方羽柴殿は播磨はりまから備前びぜん美作みまさかへとその兵を進めているということじゃ」


 桂は畿内一円を行商して回っている与六の情報量に、あらためて驚いた。

 「その織田が、丹後半国の一色家にへつらうとはとても思えん」

 与六は、更に語尾をひそめる。

 「京で聞いた噂じゃが、今回の婚儀にはあの知恵者の明智光秀殿が、一枚噛んでいるとのことじゃ。それだけでも易々と喜んでばかり入られないと言うことではないか」

 「与六、今の話は他の誰かにいたしたか?」

 桂の言葉に、与六は首を横に振る。

 「では、今後何があろうとも、今の話は他言無用じゃ」

 与六は黙って、今度は首を大きく縦に傾けた。

 

 次の日、いよいよ細川の姫の到着を明日に控え、弓木の城はてんてこ舞いの状態であった。

 あの日置の老人ですら城の中を行ったり来たりしては、大江越中守にたわいもない質問を繰り返している。


 「大江殿、寝所しんじょの警備は事足りておるのか?」

 「主殿介殿、ご心配召されるな。必ずや寝ずの番を着け申す」

 「大江殿、姫がお好きな物は取り揃えておろうな?」

 「万事万端整のうてござりまする」

 「大江殿・・・」

 「主伝介とのものすけ殿、いい加減になさりませ」

 一事が万事このような具合なのである。

 また、日置主殿介は義定を見つけるや、お節介にも彼に夜床よどこの手ほどきなどを口にしている。


 「ところで、このような大事に、義兼よしかね殿は如何しているのじゃ?・・・」

 主殿介は話の矛先を義兼に向けた。

 義定が答える。

 「さて、義兄じゃは昨日より吉原よしはらへと出掛けていると聞いておるが、吉原城の義清よしきよ殿のところに、この度の報告を告げに行っているのではなかろうか」


 吉原城は丹後半島のちょうど真ん中、峰山みねやまより竹野川を更にさかのぼったところにある。ここからはちょうど徒歩で半日を要する距離にある。

 城主は吉原義清と言い、吉原姓を名乗ってはいるものの一色義道の実弟じっていに当たる。

 つまり、現在の当主一色義定とは叔父、おいの関係と言うことになる。


 これを聞いた日置主殿介は、即座に眉毛をつり上げると、そこにいる誰もが驚くほどの声を張りあげた。

 「何故、義清殿が此度こたびの婚儀と関係あるのか」

 この老将と吉原義清の不仲は今に始まったことではない。それは弓木の誰もが承知しているところでもあった。

 義定は主殿介をなだめるようにさとす。

 「此度の婚儀の知らせもあるが、近頃山名祐豊すけとよ殿無き後の但馬の動きがいささか気になる故、義清殿に久美浜くみはま辺りまで出張ってもらおうかと、義兄あにじゃに相談に行ってもらっておるのじゃ」


 とは言っても、日置老人にはもうこの話の内容にさしたる関心は無い。

 品の無い笑い顔と共に、先程していた夜床の手ほどきの話を繰り返している。

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