第20話 二人の狙撃者

 夕刻、弓木の城にも篝火かがりびが灯され始めた頃、桂は東に面した一番下の曲輪くるわにて、稲富鉄砲隊に招集をかけた。

 垣崎新吾の呼笛よぶこの元、集まった鉄砲隊員は六十と二名。この一年もの間にその兵力は以前のほぼ倍にもなっていた。

 桂は兵達を二分し、ひとつを城に残し、今ひとつを伊也姫の警護の為に文殊へと出立させるむねを伝えた。


 伊也姫の警護を任せる者には垣崎新吾をあてた。それは、どのようなことが起こり得ようとも、冷静な判断が出きると桂が認めていたからである。

 一方城の守りには老兵の青戸弥平あおとやへいを大将とした。これに佐波時輔さわときすけ、禅儒坊も加わっている。


 桂は一応の配置を指示すると、新吾を呼んだ。

 「新吾、道中何か事が起こったときには、迷わず妙見山に向け全員で鉄砲を発射するのだ。よいか、そちの迷いが一色家の命取りとなることを肝にめいじよ」

 「はい」

 新吾は短くひとつ頷く。


 続いて桂は青戸の弥平にも声を掛ける。

 「ご老体、如何なることがあっても、けっしてこの城より鉄砲を撃ってはなりませぬ」

 「敵が攻め込んで来ても、撃ってはならぬと申されるのか?」

 弥平は桂より預かった指揮棒を腰紐こしひもにと差し込んだ。

 「左様、たとへ城内に敵が切り込んでこようともです」

 桂は語気を強める。

 「それが、一色家の生きる道じゃと言うのじゃな?」

 「左様、そうすることが一色家の唯一生き残る道なのです」

 すると、弥平は火穴より取り外した火縄を胴鎧どうよろいの中にしまい込んだ。それを見ていた鉄砲隊の誰もが、桂の指示に従う形となった。

 そんな中、一人の兵が空を見上げる。

 四月だというのに、先程からは冷たい雨がひとつふたつ灰色の雲間より落ちてきた。


 夜半になり雨は本降りとなった。

 夕刻に焚かれた篝火はすべてがのきの下へと移され、かわりに曲輪の中央には光の届かない暗闇の世界が広がっている。唯一篝火の周りを取り囲むよう、見張りの兵が白い息を吐きながら立ちすくんでいるのが見える。

 こんな時は見張り役の兵のみならず、三カ所ある門を守る兵にとっても、辛く長い時間が待っているのである。


 東門を預かる門兵がふと人の気配に気がついた。

 振り向くと、そこには一人の男が立っている。


 「これは、稲富いなどめ様」

 門兵は篝火の明かりで、もう一度彼を確認した。一見だけでは、それが誰だか直ぐには分からないほどでもあったのだ。

 祐直すけなおは膝元まであるみのと大きめのかさを被っている。

 勿論蓑の中には、祐直自慢の五尺一寸の鉄砲を担いでいるのだ。

 祐直はなおも門兵に近付くと、菅笠すげがさひさしを上げてギョロリとしたその眼を向けた。


 「今宵こよいけものを狩りに行く。門を開けよ」


 いつもの祐直ならば、門より出ることはない。何故なら、人目を避ける必要があるからだ。

 彼が年若の小十郎を連れていく時には、曲輪の南にある古い空井戸を用いた。

 昔に掘られた井戸は切岸きりぎしの下を通り、野田川の直ぐ側までと続いているらしい。城の中でもこの井戸の存在を知っているのは、祐直と数人ぐらいなものである。

 しかし、今日は堂々と門を抜け狩りに行くという。


 「この雨の中をでござりまするか?」

 そう尋ねたところで、その意味を桂より聞かされていた門兵は、ただ門を開けるしか許されていない。

 祐直は黙って東門を抜けると、間もなく漆黒しっこくの闇の中へと消えて行った。


 門兵はしばらくの間、祐直が消えて行った方を眼を凝らすようにと眺めたが、空から糸を垂らしたようにと降りしきる雨にそれを阻まれた。

 再び門兵がその門を閉めようとした時、背後からまた人の気配が。桂である。

 門兵は慌ててまた門を開け放つ。

 すると、同時に正面の闇の中からは、数人の人影が現れ出て桂の前にひざまづいた。


 「稲富様は野田川を渡った後、倉梯山くらはしやまの北側を回って海へと出、須津すつ辺りから妙見山へと入るものと思われまする」

 彼らは夜でも眼が利くのである。

 桂はあらかじめ忍ばせておいた者からの報告を聞くや、心の中で彼の予見よけんを確信へと変えていた。


 「やはり場所は文殊の手前であろうか・・・」

 桂は声にはならない声で、ひとり呟く。

 一方門兵も、手際よく油布を巻いたたきぎに篝火の火を点けると、それを桂へと手渡した。いわゆる松明たいまつの替わりである。

 「結城様、お気を付けて」

 門兵が門扉もんぴに手を掛けようとすると、再び雨の中を曲輪より一人の者が足音を立てて近付いて来る。

 それは多々良小十郎であった。


 「結城様、お待ち下さいませ。私もどうかご一緒させては頂けないでしょうか?・・・」

 門兵にも祐直と小十郎との関係は知られていたのであろうか、二人の門兵は顔を見合わせると、何とも意味ありげな卑猥ひわいな顔をした。

 桂は小十郎の切れ長の眼を見つめるながら、なおも厳しい顔をする。


 「小十郎、たとへ祐直殿が如何なる事になろうとも、最後までその眼で見届ける覚悟は出来ておるか?」

 小十郎は小さく頷きながら、その口は確かに『はい』と動いた。

 桂は小十郎に彼の銃を預けると、松明を片手に祐直が向かった闇の中へと歩みを進めて行った。

 間もなく、門兵の眼からはその松明の灯りも見えなくなった。



 桂らが城を出てから二時ふたときも過ぎたであろうか、遠く東の空が心無しか薄らんで来たように思える。


 「このまま雨が降り続いてくれれば良いのじゃが」

 桂は妙見山へと向かう道すがら、何度もこの言葉を口にした。

 隣で聞く小十郎も、その都度軽く眼を伏せる。

 しかし、二人の思惑とは裏腹に、雨は明け方を待たずに止んでしまった。

 それどころか、二人がいる妙見山の中腹からは、北の宮津湾を分けるように走る天橋立が一際美しく見えている。

 二人は暫しの間、右手から昇る朝日を受けて、今まさに島が金色に染まって行く様に我を忘れた。


 不意に小十郎が桂のそでを掴む。

 「結城様、あれに」

 小十郎が指さす方には黒々とした雑木林が広がっている。その中に動く人影がひとつ。祐直である。

 彼は正面に大きな杉の木が二本立っている根元に座っている。

 海岸線を通る道まではおよそ一町半の距離。おそらくは、その木の間より狙撃しようと言うのであろう。


 桂と小十郎は、さらに祐直からは二町半ほど離れたところに位置すると、じっと彼の様子をうかがうことにした。

 しばらくすると、宮津みやづの方角より二人、鎧兜を着けた早馬がひづめの音を立ててやって来るのが見えた。

 勿論それは細川からの兵であり、伊也姫を乗せた輿を先導するための早馬であることは直ぐにでも分かる。


 祐直は咄嗟とっさに銃を構えるや、先を走る一人に狙いを付けた。無論これを撃ち抜く為ではない。自分と街道との距離を測るためである。

 桂もそれを知ってか、別に慌てることもなく、祐直の行動をこれまたじっと見つめている。

 小十郎は努めて口数を減らながらも、桂の動きに自分を会わせている。


 「んっ、動くか?」

 桂の言葉に小十郎が祐直の方を見ると、姿勢を低くしたままの状態で五間ほど横へと移動する祐直の姿があった。

 やはり狙撃には正面の杉の木が邪魔になるのであろう。今度彼は切り株の根を背に、銃を構えられる位置を取った。

 「小十郎、こちらも動くぞ。ここからでは祐直殿の姿をはっきりと捕らえることができん」

 言うや、桂はそこから東の方へと歩き始めた。

 小十郎もそれに続く。

 しかし、小十郎には先程の桂の言葉が引っかかっている。捕らえるとは、まさか祐直を撃ってしまおうというのではあるまいか。それとも・・・

 どれも答えが出ないまま、小十郎は桂の広い背中を見つめている。


 二人がちょうど祐直を後方から確認できる位置へとたどり着いたとき、宮津の方角より太鼓と銅鑼どらの音が聞こえてきた。それは同時に、伊也姫の一行がこちらへと近付いて来ることを示している。

 祐直は立て掛けた銃に火縄を取り付ける。

 ゆっくりとそれを持ち上げると、眼だけで輿の位置を確かめた。ちょうど風はお誂え向きに、海より山へと吹き上げている。これならば、細川の兵達に火縄の臭いを悟られることもない。


 桂はすでに小十郎によって弾込めが済んでいる銃を握ると、銃架にそれを掛け、目当の向こうに祐直の姿を重ねている。

 一行が、いよいよ天橋立の広がる道へと差し掛かって来た。

 先頭には護衛の為に付けられた、垣崎新吾率いる一色家の鉄砲隊が隊列を組んでいるのが見える。

 「新吾、必ずや上手くやるのだぞ」

 桂は心の中でそう叫んだ。

 更に銅鑼の音と、太鼓の響きが大きくなる。


 祐直はすでに十分にまとを絞り込んでいるのであろう。それが証拠に、銃を構える姿勢は先程より微動だにしない。と、目当の向こうの祐直の口元が、桂には一瞬ニヤっと笑ったように見えた。

 瞬間、桂は祐直目掛けて引き金を握った。


 「ズターンッ」


 それは銅鑼と太鼓の音の中に、不規則なひとつの音を潜り込ませた。

 途端に、祐直の銃が横へと弾き飛ばされる。慌てて振り向く祐直。

 彼は自分のはるか後方にこちらを向く二人の人影を見つけた。咄嗟にその一人が桂であると気付くまでにはそう時間はかからなかった。

 何故なら、この距離で自分が構える銃を打ち払うなど、彼以外に出来る芸当げいとうではないということを知っていたからである。


 彼はもう一度銃を拾い直そうとした。

 しかし、今度は祐直の背中越しに、細川家の兵があげる声が聞こえてきた。


 「曲者くせものじゃーっ、槍隊前へー」

 声の主は小笠原秀清おがさわらひできよである。

 彼は伊也姫の輿近くにあって、この一行が一色義定の元へ輿入れするまでの一切を、細川藤孝から任されていた。


 「立行たつゆき、前へーっ」

 秀清は有吉ありよし立行を先頭に立たせようとした。しかし、それはかなわなかった。

 立行が槍隊を動かす前に、輿を囲む細川兵のそのさらに前へと、垣崎新吾率いる鉄砲隊が、すでに妙見山の方を向いて一列に並んでいるのである。

 新吾は鉄砲隊に弾込めを指示すると、自分は指揮棒を妙見山へと向けている。


 「良いか、ぞくはあの山の方角じゃ。一色家の鉄砲隊の力を見せてくれようぞ」

 しかし、隊員の中には銃の扱いに慣れた者もいれば、新人もいる。弾込めだけでも予想以上に時間を費やした。

 それでも新吾は一向に指揮棒を振ろうとはしない。

 「鉄砲隊のしきたりである。全員そろって後、一斉に射撃する」


 これには、秀清も為すすべがなかった。

 真っ先にも山を駆け上がろうとした槍隊は、自分らの方へと向けられる銃口じゅうこうに退くしかなかったからである。

 しびれを切らした有吉立行が山へと分け入ろうとしたが、秀清はそれを止まらせた。


 一方、鉄砲隊の方も最後の一人が準備を終えた。かさず新吾がえる。

 「放てーっ!」

 白い煙とともに、轟音が誰もいない妙見山にこだまする。

 何とも間抜けな間合いの後、立行が槍隊を山へと進めようとした。


 その時、秀清が守る輿のすだれが少しだけ上げられた。簾を握る手が、何とも透き通るように白い。


 「小笠原殿、追わずとも、すでに賊はおるまい」

 声の主は、伊也姫いやひめである。


 その言葉に小笠原秀清は全軍に待機を命じる。

 事実、この時すでに祐直は妙見山の尾根を渡り、倉梯山方面へと足を運んでいた。当然、それを見届けた桂と小十郎もである。


 伊也姫は輿の元に、鉄砲隊を指揮した垣崎新吾を呼びつけた。

 「そなたを使わした大将は、よぽどの知恵者と見えまするな」

 「・・・」

 当然、答える新吾ではない。

 「それに引き替え・・・」


 そう言うと、輿の中の姫は簾越しに妙見山を見上げては、込み上げて来た笑いをひとり押し殺していた。

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