第8話 托鉢僧

 六人はその日のうちに若狭屋を出て、上京は大宮大路おおみやおうじの外れにある旅籠はたごに泊まることとした。

 けっして京での役目が完遂したわけではない。ただ、桂が丹後への先を急いだのである。

  

 若狭屋の主人坂巻角衛門さかまきかくえもんは、彼らのためにすぐに荷車を用意させると、その荷台には酒樽と反物、祭りに使う花茣蓙はなござなどを積み込ませた。もちろん花茣蓙を入れた箱の底には桂が用いた鉄砲ともう一丁狭間筒はざまづつが忍ばせてある。

 狭間筒は桂がかねてより角衛門に依頼していたものでもあった。

 六人はなるべく人通りの少ない春日小路かすがこうじを、行商人の体でその荷車を引いていた。


 「桂、国元の内情もまだ分からぬのに、そうそうに帰る必要があるのか?」

 冬馬が尋ねる。

 「こたびの戦で織田の属国ぞっこくになるにせよ、今一度戦をするにせよ、今の一色家では勝負は見えておる。何とか次なる一手を考えねばならんのじゃ」

 「次なる一手とは、如何なるものなのじゃ?」

 与六は早くもうずうずしている。

 「まだはっきりとは分からん。じゃが一刻も早く国元へ帰り、一色家が生き残る道を探さねばならん」

 冬馬はそんな桂の横顔に、次の言葉を飲み込んだ。

 与六は荷車を後ろで押す吉之助の方を振り返ると、からかうように一言吐く。

 「それにしても、今夜から京の町民達も少しは静かに眠れるじゃろうな。なにせ、お前の恨み節がもう聞けなくなるのだからな」

 吉之助は編み笠のひさしを少し上げると、ニタリと不敵な笑みを返す。


 間もなく、六人は街外れの旅籠へと到着した。

 そこから西の方角には夜空の中に、嵐山散山あらしやまさんざんの稜線が漆黒しっこくの闇の中に吸い込まれるように見えていた。


 次の日、一行は早々に桂川を渡り、一路その川の西岸を南に下って、千代原口ちよはらぐちあたりで山陰道へと出た。

  多少遠回りはしたものの、警備についている織田方だけではなく、ここまでほとんど人に会うこともなく来ることができた。

 ここからは道なりに進み、沓掛くつかけを経て丹波亀山に入ろうというのである。


 しばらく進むと、樫原かたぎはら大妙寺だいみょうじが左手に見えてきた。

 このあたりは山からの湧き水が出るのであろうか、道の左右には大小の池が点在している。その景色に、彼らでなくとも心が和むところであろう。

 六人も見るとは無しにその池の湖面に眼を落としては、しばし安堵の表情を浮かべている。とその時、初が与六の袖をくんっと引いた。


 「お初さん、どうしたのじゃ?」

 与六が、何かに怯えているような初の眼差しの先を見ると、そこにはひとりの托鉢僧たくはつそうが立っていた。

 その右手には錫杖しゃくじょうを握り、左手で鉢を持っている。

 「このように人通りの少ないところで、托鉢ということもあるまいに・・・」

 冬馬の言葉に、桂と与六は荷車の中に忍ばせてある刀に手をかけた。

 吉之助も編み笠の隙間から、眼だけは離さずその僧を追っている。

 桂らが僧の前を通り過ぎようとしたとき、微動だにしなかったその僧がにわかに口を開いた。

 「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。南無阿弥陀仏」

 けっして大きな声ではないが、爪先から身体を這い上がってくるような響きがある。その音に、与六の身体が思わず反応してしまった。

 彼は荷台より刀を掴むと、振り向きざまに鯉口こいくちを切ってしまったのである。

 桂には一瞬、その托鉢僧が笑ったようにも見えた。


 僧は托鉢笠の紐をゆっくりと解くと、その中からは托鉢僧には似合わぬ、頬にたっぷりと肉を戴いた顔が現れた。その中央にある鼻は人一倍大きく、ギョロリとした眼で与六を見据えている。

 「拙僧せっそうに刀を抜かれるか」

 鯉口は斬ったものの、いまだ与六の刀は抜かれていない。抜かないのではない、それは彼の意に反して、彼の身体がピクリとも動けない状態であったのだ。

 托鉢僧は、なおも与六に近付く。

 桂は与六と僧との間に身体を入れると、片膝を付いて深々と頭を下げた。

 「お坊様、申し訳ございませぬ。我ら先を急ぐあまり、少々神経が高ぶっておりました。この者もけっしてお坊様に危害を加えるつもりなど毛頭もうとうございませぬ」

 言うが早いか、桂は振り向きざま与六の頭をひとつ小突いた。冬馬を始め、他の者達もその場で両手をつく。


 いつの間にか、僧の大きな眼は一本の線を引いたように優しい色へと変わっている。

 「そのように急いで、どちらへおいでかな?」

 「この先、大坂おおざかへ行こうと思っております」

 これには冬馬が答える。彼は桂と与六に目配せすると、吉之助とともに荷車を引いて行くよう命じた。

 彼にしてみれば、得体の知れぬ僧とこれ以上関わり合いを持ちたくないと思ったからである。

 僧は足早に立ち去ろうとする冬馬の背中に言葉を投げかけた。


 「明智と細川勢に責め立てられた一色義道殿は建部山城たけべやまじょうを出られ、いったんは中山城に移られたそうじゃ。しかし、旧臣中山城が城主、沼田幸兵衛ぬまたこうべえ殿によって攻め立てられ、最後は自害に追い込まれたそうじゃ」

 冬馬は振り返ると、大きくその目を見開いた。

 再び与六が荷車の刀に手を伸ばしたが、桂がそれを制する。彼は足早に冬馬の元へと駆け寄ると、その僧を食い入るように見つめている。


 「お坊様は、何故そのようなことをご存じなのですか?」

 桂が先陣を切った。

 「沼田幸兵衛によって殺された・・・」

 隣では、冬馬が声ともつかない声でぼそりと呟く。

 僧は錫杖の遊環ゆうかんを微かに鳴らすと、ニコリと微笑む。

 「このように世俗せぞくを放浪しておると、不思議と様々なことが耳に入ってくるものじゃ」

 「して、その後一色家はどのようになったのでございますか?」

 京の若狭屋、坂巻角衛門をもってしても容易には知り得ることができなかったことでもあるのだ。

 桂は矢継ぎ早に質問を投げかけた。

 「家督は義定よしさだ殿が継ぎ、丹後国与謝郡弓木城よさぐんゆみきじょうに逃れた後は、一色家の残党と供に徹底抗戦をしているそうじゃ」

 僧は、彼らの反応を楽しむかのように語りかける。


 いつの間にか、与六も話の中に加わっては、目を丸くして聞いている。

 桂はいまだ荷車の側を離れようとはしない吉之助を手招きしながら、里にも声をかけた。

 「里、今ならば丹後にも戻れるやもしれんぞ」

 里はそれを思い出したのか、桂の腕の中で笑顔と供にその頬を濡らしている。

 「御家おいえは義定殿が継がれたのか・・・」

 冬馬にも、少しだけ安堵の表情が戻ってきた。


 「ところで、この先拙僧も旅の供に加えてはいただけまいか。近頃は何かと物騒な世ゆえ、僧の一人歩きでは本当に心許こころもとないでな」

 突然の突拍子もない言葉に皆は振り返る。

 「これで、案外拙僧は役に立つかもしれんぞ」

 僧はそう含み笑いをすると、錫杖の音を響かせながら先に立って歩き始めた。


 「桂、如何するのじゃ?」

 後ろでは与六が小声で囁いたが、その実、桂も冬馬もこの僧からもっと情報を聞き出したいと思ったのである。

 桂と冬馬は黙って僧に続いて歩き始めた。吉之助や里もこれに従う。

 初だけは最後まで怪訝けげんそうな顔をしていたが、最後は与六の大きな背中に隠れるように歩を進めた。


 結局、三人の商人風の男に女子が二人、そして坊主頭が二人という奇妙な組み合わせの七人は、山陰道を一路西へと歩き始めたのである。



 一行が樫原芋峠かたぎはらいもとうげに差し掛かったとき、当たり前のように右手の道を進もうとする僧が急にその足を止めた。

 僧は六人の方を振り返ると、錫杖の先でそこから左手へと延びる道を指してにこやかに口を開いた。

 「これより先は丹波亀山へと続く道。大坂へ行くのならあちらの道じゃが、こちらの道で良いのじゃな」

 六人は舌を巻いた。

 僧には最初から全て見通されていたのである。それでも桂は彼と肩を並べるように歩くと、精一杯皮肉を言ってみせた。

 「お坊様には大坂の街は眼の毒というもの。わしらもしかたなくこちらの道にいたすとしましょう」

 「拙僧には眼の毒か。これは一本とられたのう」

 僧はからからと声に出して笑った。


 歩き始めてから一時も経ったであろうか、冬馬と供に荷車を引いていた与六が不意に妙なことを言い始めた。

 「冬馬よ、この一年、桂は変わったと思わんか?」

 冬馬は思わず与六を振り返る。実は彼も同じように感じていたからである。

 「変わったとは、如何ようにじゃ?」

 冬馬はあえて同調しない。

 「それが分からんのじゃ。こう何というか、一回り大きくなったというか・・・」

 確かに、以前から正義感だけは人一倍強い桂ではあったが、思考や判断能力においても以前と比べ格段に素早くなっていることも事実である。ましてやそれが、単に自分の興味だけではなく、今では一色家全体の将来を見据えていることも冬馬にははっきりと分かっている。

 二人は僧と並んで先頭を歩く桂の背中を、もう一度頼もしそうに眺めた。


 一方、先を行く桂の横には、いつの間にか里がついて歩いている。

 彼女は桂がその僧とするたわいのない会話に頷くだけで、決して自分から喋るようなことはしない。それでも里にとってはこの上もない時間の連続でもあるのだ。

 「ところで結城殿、そちらの姫様はそなたの女房殿でござるかな?」

 僧は里を覗き込むように見ながら尋ねる。

 「いいえ、そうではございませぬ」

 即答する桂に、里は少しだけ頬を膨らませた。

 「里は拙者達にとって、何ものにも代えられない女房以上の存在なのです」

 「ほう、女房以上の存在とな」

 桂の言葉に、僧はもう一度その大きな眼で里をしげしげと覗き込んだ。

 里もすっかり機嫌を取り戻したと見えて、はにかみながら初のもとへと駆けて行く。

 「ところで、もう一人の姫様はどのようなお方ですかな?」

 僧は初とは眼を合わさずに桂に尋ねる。


 「お初さんは与六達が京で知りおうた娘で、材木問屋の大戸屋おおとやで奉公していたのですが、今は訳あって我らと供に旅をしておりまする。確か生まれは南近江の方だとか」

 「ほう、南近江といえば、確か甲賀の郷が・・・」

 言いかけて、僧はさらに話題を変えた。


 「ところでこの先、道は山道へと続いて行くが、あの大切そうに曳いている荷車の荷はいったい何を運んでおるのかな?」

 ついに核心を突いてきたなと桂は思った。桂も後ろで与六らが曳く荷車にはいっさい眼もくれず、淡々としたいつもの口調で答える。

 「酒樽と反物でございます。それと南蛮が二挺ほど」

 「ほう、酒樽ですか。実は拙僧も酒にはちとうるさくてな。もちろん銘柄めいがらなだ伏見ふしみでござろうな」

 僧はそう言うと、後ろの荷車の方を一度振り返る。


 桂は黙って首を横に振る。当然彼にしてみれば、僧が酒ではなく、二挺ある鉄砲のことを話題にしていると思ったからである。

 桂はあえてこう答えた。

 「いいえ、ひとつは堺、今ひとつは国友でございまする」

 桂には分かっていたのである。この僧がひとつの謎掛けをしてきたと言うことを。

 ましてやこの僧には、その場の嘘やごまかしが通じないということなど、彼が積み荷の中身を問うて来たときからすでに分かっていたのである。

 「それはそれはまた、本場どころをよう揃えられましたな」

 僧はとぼけているのか、それとも本音なのか、それからは終始酒の話だけを彼に持ちかけて来た。

 桂も時には本心を、また時には鎌をかけながら僧との話に花を咲かせてた。


 「ところでお坊様、何故我らが一色家の家中だということがお分かりになったのでござりましょう?」

 桂は僧とあった時からずっと抱いていた疑問を投げかけてみた。

 「拙僧はたまたま一色義道様の最後を語ったまで。その話に飛び込んで来たは、そちらの方からじゃ」

 なるほど、僧が言うには、桂らが自分達の方から正体を明かしたのだと言いたいのである。

 桂はますますこの得体の知れぬ僧に、面白さと空恐ろしさを感じていた。


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