第15話 試し撃ち

 もともと弓木城は稲富氏が築城し、今は稲富直秀が城代を務めている。

 城は野田川の北、南北に延びる小高い丘の上にあり、東に宮津みやづ湾を南には倉梯山くらはしやまを望む丹後半島の東の要所に位置している。

 丘の一番高いところに、城と言うよりは館に似た二階建ての居を構え、そこから南東へと細長い曲輪くるわが広がっている。

 城の北側には険しい堀切ほりきりが施され、反対に丘の東斜面には広い曲輪が野田川へと続いている。丘全体は切岸きりぎしによって守られ、下から望む者には山城の体を思わせる。


 稲富祐直いなどめすけなおは桂を伴うと、その東に広がる曲輪へと降りて行った。その手には祐直が常時使っている五尺一寸の銃が握られている。

 何と長い銃であることか、桂はその異様に長く、かつ細身の銃身に眼を奪われた。

 曲輪に着くと、何人もの兵がそれぞれの戦支度をしていた。

 取り立てて慌ただしい様子もなく、むしろ敵との最前線にある城と言うことを忘れてしまいそうなぐらいの雰囲気さへある。

 それでも曲輪の南東側には背丈ほどの土塁どるいが築かれ、その所々に作られた鉄砲狭間はざまから、何人もの兵が銃を出している姿が見えた。


 彼らは一様に野田川の方を向いて張り付いては、時よりその銃口から火を放っている。

 曲輪の更に東の先には、野田川を挟んで多少の平地が広がり、その後方に細川軍の柵が幾重にも見える。

 時よりその柵の間を兵士が移動する姿があるものの、どうやら本格的に攻め込んでくる様子も伺えない。


 その中で鉄砲兵の一人が、祐直の姿に気付いた。

 彼はすぐさま首に掛けられた呼子よぶこを吹くと、見張り役の二人を残して、そこにいる鉄砲兵達を呼び集めた。

 鉄砲兵は全部で三十人ほどである。老人も二三にさん人は居るが、ほとんどが祐直よりも年若いように見える。


 祐直はその一人に声を掛けた。

 「新吾しんご、試し撃ちの準備じゃ」

 そう言われた若い兵は、名を垣崎かきざき新吾という。祐直より五つほど若いが、祐直の鉄砲隊では全体をまとめる立場にもある。

 新吾はそれがいつものことなのであろう、別段祐直の後ろに控える桂らを気に留める訳でもなく、彼に一礼するなりその場から走り去って行く。


 祐直は更に指示を与える。

 「小十郎こじゅうろう早合はやごうと甲冑を持て」

 「甲冑は試し撃ちに使うのでございますか?」

 そう眼を輝かせながら答える兵は名を多々良たたら小十郎といい、この鉄砲隊では最年少でもある。

 そんな小十郎は色白で、あごから耳元までの線がまるで女子おなごと見間違うような曲線をしている。


 祐直が数人に言葉を掛けるうちに、城の本丸からは太鼓の音が鳴り始めた。

 どーんどん、どーんどんという緩やかな音色である。

 おそらくは、隊の誰かが気を利かせたのであろう。祐直が曲輪にて曲芸まがいの試し撃ちをする時は、決まってこの太鼓を打ち鳴らすということがこの城の恒例となっているようだ。


 にわかに曲輪へと通ずる道々からは、大勢の人がこちらにやって来るのが見える。

 「桂、これはえらいことになってきそうじゃのう」

 辺りを見回しながら与六が呟く。

 桂はそれよりも、野田川を挟んだ細川軍の動向が気にかかっていた。

 もし、この期を狙って一気に攻め込まれるようなことがあってはどうするのかと。


 しかし、どうやらそれも桂の取り越し苦労ということで治まりそうである。

 対岸の細川隊はこの太鼓の音を聞くや、皆誰もが柵から出てくると、野田川の岸辺に水を求めに姿を現した。

 なるほど、どうやら祐直の試し撃ちはこの戦の中では恒例こうれい行事となっており、この太鼓が鳴り響いている間だけは城方より鉄砲で狙撃されることがないということを、細川軍の兵も知っているということであるようだ。

 桂はその曲輪を埋め尽くすように集まった人の多さよりも、むしろこの細川軍との奇妙な習慣との方に心を奪われた。


 そうこうしているうちに、曲輪の南の端には五百人ほどの人集りができていた。そして、本丸へと続く一段の高みには、一色義定いっしきよしさだの他に城の重臣らもすでに腰を下ろしている。

 まさに城にとっては、この祐直が行う鉄砲の試し撃ちはひとつの演劇行事とも言えるものなのであろう。


 祐直は火縄に火を点けると、同じ鉄砲組の佐波時輔さわときすけが差し出す鉄砲の火穴にそれを差し込み火蓋ひぶたを閉じた。

 曲輪の中央付近には、すでに台座が用意され、その上には垣崎新吾が人の頭ほどのうり仰々ぎょうぎょうしく乗せる。


 祐直からは裕に十五けんは離れている。

 ところが、新吾はそこから後ろへと二歩下がるだけである。

 見ている者には、もし瓜を撃ち損ねて人にあったらどうなるのかという緊張感を持たせるためであろう。しかしそれも、祐直の腕前を知っている城の者にとっては、もはや当たり前の儀式のひとつとなっているのだ。


 「おい、あの兵は危なくは無いのじゃろうか?」

 当然与六が心配するのも無理はない。

 しかし、そんな彼らの心配をよそに、祐直は銃口を的に向けるや、一気に引き金を引く。

 「タンっ」

 音が早いか、瓜は粉々に砕け散り、その一片が新吾の身体に飛び跳ねた。


 おそらくは瓜を敵兵の頭が砕け散る様に見立てているのであろう。途端に周りからはどよめきのような歓声が上がる。

 新吾は何もなかったかのように台座を持ち上げると、そこからまた十五間ほど離れたところに、今度はひとまわり小さい瓜をそなえた。もちろん彼は二歩下がるだけである。


 祐直は右ひざを折ると、左の膝を前に立てる形で座している。

 鉄砲を構えるや、今度は左のひじを左膝の上に置くのである。

 なるほど、こうすればあの長い銃身をも支えることができというものであろう。

 「添え木の役割を、己の左足でまかなうとは・・・」

 桂は祐直の鉄砲人としての実力を、あたかも自分の眼の前で思い知ることとなった。途端、次の銃声が。

 三十間離れた先にある小さな瓜が、二つに割れた。前にも増して、周りからは一際大きな歓声が上がる。

 垣崎新吾は割れた瓜を拾うと、台座を担いで中央から退いた。


 替わって、一町いっちょう半ほど離れたところに老人が一人歩いている。手には干し柿をぶら下げている。

 老人は曲輪の真ん中まで進むと、こちらの方を振り返りその干し柿を左手でかざした。

 縄には二つほどの柿が結ばれている。

 祐直は老人に向かってなおも吼えた。


 「弥平やへい、もう十間ほど離れるのじゃ」

 「馬鹿な、あの老人を撃ち殺す気か?」

 与六は、今度は祐直に聞こえるよう声を発した。

 祐直は桂の方を振り返ると、冷たく微笑む。再び振り向きざま、何の迷いもなくその銃の引き金を引いた。


 「グワンっ」

 それは明らかに先程とは違う音であった。

 おそらくは用いた早合の火薬の量を変えたのであろう。皆が眼を凝らして見つめる中、老人の持つ干し柿のひとつが後ろへと弾き飛ばされた。

 ついに歓声は最高潮に達する。


 しかし、少し考えれば当たり前の演出である。

 祐直が持つ五尺一寸の細身の鉄砲では、おそらくは三匁弾さんもんめだまを撃つのが精々であろう。

 最初の近距離では大きめの瓜を砕いたものの、一町以上離れた的には当てることはできても、破壊力という点ではいささか物足りない。そこで、このような具合に最後はしなびた干し柿を用いるという必要があるのだ。もっとも、二町離れていようとも、まともに身体へと当たれば、やはりただで済まないことには変わりはないのだが・・・


 そうこうしているうち、彼方から老人が残った干し柿を片手にこちらへと歩って来る。

 「祐直殿、相変わらずの腕前見事でござるな」

 老人の言葉に祐直も答える。

 「青戸あおとのご老体ほどではござらぬよ」


 この老人、青戸弥平という。祐直が鉄砲のいろはを教わった祖父稲富祐秀すけひでの代より稲富家の鉄砲隊として仕えてきた者である。

 弥平は残った干し柿をひとつかじると、桂の方を睨むように見回した。

 「其処許そこもとの番でござるな」

 桂は一礼すると、持参した国友筒くにともづつを手にした。今回は添え木の姥目樫むばめがしを与六が支えるという。


 祐直は佐波時輔に目配せをし、最初祐直が瓜を置いた十五間ほどのところに的となる甲冑を置かせた。甲冑の胴には細川家の九曜紋くようもんが記されている。


 しかし桂は祐直の方を向き直ると、はるか後方にある神社の門を指さした。

 「あそこに見える神社の脇にある柱に、兜を掛けて下され」

 確かに曲輪の更に先には、城の守り神をまつる稲荷神社が小さく控えているのが見える。

 どう少なく見積もっても、ここからの距離は二町と少し離れているようにも感じられる。


 「それで良いのか?」

 祐直は桂に一言添えると、時輔に命じ、甲冑をはるか後方にある神社の柱へとくくり着けさせた。

 桂は与六に添え木を深くまで刺させると、里が作ってくれた革制のひもを銃身へと巻き付ける。


 「良いか与六、添え木を持ったならば静かに呼吸を止めるのじゃ。支えとなる木がぶれてしまっては元も子もないでな」

 桂はゆっくり六匁弾を込めると、その銃口をはるか彼方の甲冑へと絞った。

 周りで見ている者達も、何時にない緊張感で溢れている。


 ところが、桂の所作は一事が万事ゆっくりとしている。

 それは銃の扱いに慣れていないといってしまえばそれまでだが、別の意味で狙撃手としての儀式をひとつひとつ確認している様にも見える。

 桂が銃口を向けてから少しの時間が過ぎた。

 それは祐直がそうするときとは違って、見ている者にはとてつもなく長い時間の経過のように感じられる。


 皆の緊張が少しだけ解き放たれた時、急に銃口から火花が吹いた。

 一斉に皆の首がまとへと集中する。

 しかし、弾は甲冑をかすめると、後ろに積み重ねられた土嚢どのうの土を大きくはじいた。この舞台の観客からは一斉に落胆とも思える溜息ためいきが漏れる。


 「見事、敵の馬に当たりましたな」

 弥平が皮肉を込めた言葉を口にした。

 しかし、祐直は黙ったまま、未だに弾が着弾した後を眼で追っている。再び桂の方を振り向くと、彼は近くにいた小十郎に命じた。

 「結城に早合を渡すのじゃ」

 早合とは火縄銃の装填そうてんを簡便にするために用いられた弾薬包のことであり、安土桃山あづちももやま時代にはすでに使用されていたものである。

 早合は、木や竹、革または紙をうるしで固め、それを筒状に成型したものに弾と火薬を入れた物である。

 つまり早合の中は、底から弾・火薬の順につめられており、先端部は弾丸の径よりも幾分小さく造られている。


 二発目の弾込めに難儀なんぎしている桂の元に、多々良小十郎が早合を持参した。

 桂は祐直の方に一礼すると、二発目の発射に取りかかった。

 「桂、今度は大丈夫か?」

 「与六、静かに息を止めよ」

 与六の言葉に、桂は大きくひとつ息を吐く。

 そして、眼を静かに閉じる。再び眼を開いた時、桂は静かに引き金を引いた。


 「ダーンっ」

 白煙と共に轟音が響いた。

 次の瞬間、二町先の兜が少しだけ動いたように見えた。しかしそれ以外、何も変化は起こらない。

 見ていた者からは、再び安堵とも不満とも取れるような溜息が漏れる。


 若い小十郎は落胆らくたんの色を隠せなかったが、青戸弥平はしわがれた首を前へと突き出しては、なおも的となった甲冑を見つめている。

 そしてそれは、祐直も同じであった。彼は一番近くにいる禅儒坊ぜんじゅぼうに甲冑を持って来るようにと命じた。

 禅儒坊は大きく右手を振ると、走って甲冑へと近付いていく。


 禅儒坊とは僧のような名であるが、彼はもともと丹後の出身ではなく、その名もここへ流れ着いた時から名乗っているのだ。

 加賀一向衆の生き残りだということで、美濃では織田信長暗殺のための狙撃隊に参加したこともあった程の腕を待っているらしい。

 禅儒坊が柱に括りつけた兜を外した時、思わず声をあげた。

 「やっ」

 彼が兜を外そうとすると、その内側から幾つもの木片がこぼれ落ちてきた。

 何事かと思い兜を取り除くと、括りつけた木の柱が三分の一ほど粉々にぎ取られるように無くなっていたのである。

 すかさず手にした兜を確かめると、そこには二寸にすんほどの穴が綺麗にあいている。禅儒坊は兜を小脇に抱えるや、一目散に祐直のところへと走ってきた。


 「祐直殿、これに・・・」

 彼が差し出すまでもなく、祐直には桂が放った国友筒の威力が伝わっていたのである。

 祐直は新吾に目配せをすると、桂に大きく声を掛けた。

 「結城、気に入った。次は実践じゃ!」


 言うが早いか、先頭に立って東の鉄砲狭間へと向かって歩き出している。その後ろからは、彼の鉄砲隊に組みする垣崎新吾、佐波時輔、多々良小十郎らが付いて行く。

 禅儒坊は桂が打ち込んだ穴を彼に指し示すように見せると、一言呟く。

 「見事ですな」

 次ぎに桂は禅儒坊に促されるように、東の壁へと向かった。

 後ろからは、あの老人青戸弥平も付いてくる。

 「重い鉄砲に添え木とは、また考えたもんじゃな」

 老人は嗄れた声で言いつつも、桂の腕前だけはどうやら認めたようである。


 「結城桂じゃ、隊では長距離の狙撃を任せる。小十郎、お前の場所を結城に譲れ」

 土塁の所に着いた祐直が最初に発した言葉である。

 小十郎は別段嫌がるわけでもなく、彼が狙撃用に覗いていた狭間はざまから彼の銃を抜くと、替わりに桂の銃をそこへと据えた。


 この狭間からならば、姥目樫の添え木は無用である。

 桂が鉄砲狭間から野田川の方向を覗き込むと、未だに川で長閑のどかに水浴びをする細川の兵達の姿が伺えた。中には兜を被った者まで居るではないか。


 「結城、あの中から一人を狙撃してみよ」

 言うなり、彼は自分でもその長身の鉄砲を狭間から細川の兵へと向けている。

 「結城、何をしておる。右に兜を被った大将が見えるか。お前はそやつを狙え。わしは左で馬にまたがっている兜首を狙うわ」

 そう言う祐直の鉄砲は、すでに馬上の武将に狙いを定めている。他の鉄砲隊の者達も各々に細川兵目掛けて狙いを付けている。


 桂は多少の理不尽さは感じたものの、言われる通りに右の武将に狙いを付けた。

 鉄砲隊の動きが一瞬止まったかに思えた次の瞬間、後ろで青戸の老人が一声発した。

 「今じゃ、はなてーっ」

 後は自分の意志とは関係なく、皆が一斉に引き金を引くのである。


 山が崩れ落ちるかと思うほどの轟音の後、河原の向こう岸では幾つもの兵が崩れ落ちるのが見えた。

 まさに青天の霹靂へきれきであろう。さっきまで清らかな水をたたえていた野田川は、一瞬にして真っ赤な血で染まり、それはまるで一筋の赤糸のように川の流れの中に幾本もの縦糸をつむいだ。


 一度目の射撃で難を逃れた兵達は、いずるようにして自陣の柵の中へと駆け込んで行く。中には腰を抜かしたまま狼狽うろたえている者もいる。

 心意気のある者は撃たれて怪我をしている者を助けようと柵から飛び出して来るのだが、そこを二度目の鉄砲が火を噴くのである。

 たちまち辺りには、一度目と同じ様な光景が広がった。

 四度ほどの射撃の後、河原には多少のうごめく肉のかたまり以外、何ひとつ動くものはなかった。


 「結城っ、一発外しおったな」

 桂の隣で祐直は言いながら、ニタリと笑う。

 その顔はいつもの冷徹なものとは違う、一種昂揚こうようを帯びた様に桂には感じられた。

 祐直は再びその銃に弾を込めると、四つん這いになって自陣へと戻ろうとする兵の頭を後ろから撃ち抜いた。


 「これじゃ!」

 その横顔は、恍惚こうこつの表情にも似ている。

 結局この日は細川方からの反撃もないまま、夕暮れを迎えることとなった。

 さらに夜になると、真っ暗な闇の中、自軍の兵のむくろを回収する細川兵の甲冑がカタカタと擦れ合う音が深夜まで聞こえていた。


 そう言う意味では、今宵こよいの空にかかる線のような三日月は、少しだけ細川軍に情けを掛けていたのかも知れない・・・

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る